第28話 領主
大きな執務机と、その後ろにはカーテンを閉め切った窓。周りには本棚。天井には電球のようなものが見えるが、灯りはついていない、暗い部屋。
机に向かって座っていた男が立ち上がる。おそらくは、彼がフェリニ領主。
暗いので判別は難しいが、明るい色の髪をオールバックにかっちり整えたその男がこちらを見据える。ニーナさんが入口のスイッチを押して、電球が明滅する。歳は……四十半ばくらいだろうか? ニーナさんに言い寄るには、少し年が開いているような……いや問題はそこじゃない。
顔色は白を通り越して土気色で、目の回りには濃い隈。なにより、その首回りに、肩に、腰に、たくさんの女性が絡み付いている。手や首の方向がおかしいのと、ぞっとするような笑い声は、生きた人間でないことを示している。
「ミオ、扉を閉めろ!」
逼迫した声に振り向くと、扉の向こうから死霊の群れがこちらに迫ってくる。言われた通り、咄嗟に扉を閉める。けど……霊って壁や扉を通り抜けてしまうのでは?
そんなことはミハイルさんにもわかっているはず。
彼が右手を翳すと、扉に呪印が焼き付いたように浮かびあがる。直後、ゴンっと扉や壁に、何かがぶつかるよな音がする。
恐らく、死霊を通れなくしたのだろう。だがもちろんまだ安堵はできない。
「何をする!」
「失礼」
ミハイルさんがナイフを抜いて、領主が携えている剣に手を伸ばす。でも、そのナイフで戦おうというわけではないだろう。それを察したニーナさんが顔を背ける。止めようとして取り縋るが、遅かった。
飛び散る血が鎖に変わり、死霊たちを拘束する。もがく霊たちは領主の体へと戻ろうとしたが、その前にミハイルさんが鋭く叫ぶ。
『我が血をもって、汝らの魂を掌握する!』
バッと、一斉に死霊たちの体が黒い霧になって霧散する。そしてそれらは全て、ミハイルさんの体に吸い込まれて消えた。
「ぐっ……」
「ミハイルさん!」
膝をついたミハイルさんの体を支えると、乱れていた呼吸が少しだけ落ち着いた……ような気がする。
「……大丈夫だ」
私の肩を掴んで、彼は安心させるように薄く笑った。……そんな顔されると、逆に不安になる。
「私は……何を……?」
背中で呆然とした声がする。再びそちらに目を向けると、文字通り憑き物が落ちたような顔をした領主が、自分の手の平とミハイルさんを交互に見ていた。
「君は……?」
「プリヴィデーニ領主ミハイルだ。ニーナに呼ばれて来た」
「プリヴィデーニ……だと? ニーナ? 誰だ?」
「誰ですって!? 人を散々脅しておいて!」
名を聞いて、領主の顔に剣呑な色と、疑念のそれが交差する。その言葉を聞いて、今まで目を背けて震えていたニーナさんが激昂した声を上げた。それを、冷静なミハイルさんの声が止める。
「待て、ニーナ。今まで領主は正気ではなかったかもしれん。あれだけ霊を背負っていればな」
「……なんですって」
こうなると、ニーナさんがミハイルさんを頼ったのは下心であっても、適切な人選だったと言わざるを得ない。
「フェリニ領主、この街にはおびただしい数の死霊が溢れている。はっきり言って幽霊屋敷と揶揄される当家以上だ。このままでは街の人間全てが正気を失う」
「ば、馬鹿な。脅しているつもりか」
「自身で体験しているだろう。落ち着いてよく思い出してみるといい。今までの自分の行動を」
「……」
フェリニ領主が黙して俯く。
「放っておけば死霊は力を増す。そうすれば領民の間で殺しあいが始まるかもしれんな。俺には関係ないことだが」
「どうすれば、いい……」
顔を押さえて、領主が呻く。おかしいことはわかっているのだろう。
「知るか。俺は徐霊師ではない。ただ忠告しただけだ」
「そんな! 頼む……」
机を乗り越え、すがり付くように領主が手を伸ばす。その額に、赤い刃の切っ先が触れる。
「俺に関わると死に近付く。ニーナ、お前もだ」
「……その子はいいの?」
顔を歪め、こちらから距離を取りなが、ニーナさんが問う。
「……用は済んだだろう。二度と俺の前に現れるな」
ミハイルさんが口にしたのは問いの答えではなかった。吐き捨てて、右手を引き、踵を返す。
用は済んだ。……本当に? 何も解決になってはいないことなんて、ミハイルさんにもわかっているはず。このままじゃ、遅かれ早かれまた領主は正気を失う。ニーナさん自身だって。
「待って下さい。領主様、死霊が増えたことに心当たりはないのですか?」
「ミオ!」
咎めるように名を呼ばれる。それと同時に、領主が引き攣った声を上げる。
「私は、何も知らん!」
知ってるな、これ。顔にそう書いてある。確信して、私は止めるミハイルさんを振り切って領主に詰め寄った。
「いいんですか。今はミハイルさんの力で、この部屋に死霊を入れなくしているだけです。すぐにまたとり憑かれてしまいますよ?」
「脅されても、知らんものは知らんのだ!」
「では、屋敷を調べる許可を」
埒があかないのでそう切り込むと、勝手にしろと領主が叫ぶ。
それを聞いて、引き返して部屋の扉に手を掛ける――けど、これ開けたら死霊が雪崩れ込んで来るか。とはいえ、どっちみち開けないと帰れない。
ちら、とミハイルさんの方を見る。
「……大人しく帰ると約束するなら、何とかしてやる」
「じゃあいいです。自分で何とかしますから」
「お前は……ッ」
「理由がわかれば、そもそもの死霊が現れるようになった理由もわかるかもしれません」
眉を吊り上げるミハイルさんに、私は冷静にそう声を上げた。
「どんな汚れだって、汚れの原因を突き止めれば落とせます。死霊が現れることにも原因があるはず。それを取り除ければ、もう傷つかずに済む。貴方も……私もです」
私だって、なにも正義感やお節介で言っているわけではない。
死霊が現れた最近のことなら、なにかそうなるようなことが起こったと考えるのが妥当だろう。
そうは言ってもあちこちに現れる死霊のことを闇雲に探るのは途方もない。でもこの街の死霊が異常な原因は、高い確率でこの街にある。
私が引かないのを悟って、ミハイルさんが長い溜め息をつく。その息を吐ききって。
「……行くぞ」
「はい!」
短くそう言って、ミハイルさんは扉に手をかけた。