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第19話 来訪者

「お引き取り下さい」


 一瞬誰の声かわからなかった。固いリエーフさんの声と、絶えず聞こえ続けるラップ音。これは、レイラの仕業だな。

 またガシャンと派手な音を立てて、掛かっていた絵が落ちる。


「ふふっ。元気そうね、ライサ」


 鈴を転がすような、高くて可愛らしい声。

 ミハイルさんが足を止める。

 ホールのシャンデリア付近に浮いていたレイラが、綺麗な顔を歪ませている。


「私は……ッ、もうライサじゃないわ!」

「ライサ……?」


 聞き覚えの無い名前に隣を見上げる。そして、そのまま私は動けなくなった。


「ニーナ」


 見たことのない表情。知らない名前。


 吹き抜けから見下ろすと、栗色の長い髪を翻して、『彼女』はこちらを振り向いた。


「久しぶりね。五年……いえ、六年?」


 そう言って、伏し目がちに微笑む。


「あなたも元気そうで良かったわ。ミハイル」


 切なげな声。

 これは多分……ただならぬ関係だと直感が告げてきて、とっさに手を振り払う。


「ミオ?」


 いや、呼ばないで。せっかく空気になろうとしてるのに。

 また陶器の割れる派手な音がホールに響き、目を向けると花瓶が落ちて割れていた。


「レイラ、やめろ」

「嫌よ!」

「ミオの仕事が増えるだけだ」


 ぐ、とレイラが言葉に詰まる。

 今、使用人扱いされた気がするのは、気のせいだろうか。気にしすぎか。


「だって……!!」

「今さら何の用か知らんが話すことはない。去れ」


 目だけでレイラを制し、ミハイルさんが彼女に向けて吐き捨てるように告げる。

 ……ほんとに感情の無い声って、こんなものなのかと。鋭い瞳も、怒ったような声も、まだ感情があるだけいいのだと、思い知るものだった。


「怒っているの?」

「怒る? 俺が? 何故その必要がある」

「……いえ。話だけでも聞いてはもらえない?」

「言っただろう。話すことはない」


 少し哀しそうに彼女は微笑んだ。

 儚い笑顔は、庇護欲をそそるものがある。けれど、ミハイルさんはもう彼女を見てすらいなかった。

 それでも、彼女は言葉を継ぐ。


「知らない顔ね。彼女は?」


 気が付けば、彼女の視線が私を向いている。

 リエーフさんが息を吸い込んだのを見て、それを遮るように手すりから身を乗り出して割り込んだ。


「使用人です!」


 ミハイルさんの肩がピクリと動いたのが、視界の端に引っ掛かる。リエーフさんもレイラも、何か言いたげに私を見る。

 見られても。

 いや、確かにこれは……契約違反になるかもしれないな。でも、だけど。


「そう。良かったわ、可愛いらしい使用人さんが傍にいて」


 嘘みたいなほど、嫌味も裏も何もない声だった。それが逆に嫌味なほど。

 踵を返すだけで、私ですら目が離せないくらいに華憐なひと。天使とか妖精とかを思わせる立ち居振舞い。華奢でとても愛らしくて。それは何もかも私と正反対で……だから。


「――待って下さい」


 出て行こうとする彼女を、気付けば引き留めていた。

 でもそれは、同情でも、ましてや優しさでもないことは、自分でわかってる。


「一番近い街でも徒歩だとかなりかかります。彼女一人で帰すんですか?」

「そんな女、庇わなくてもいいわよ。そいつはね――」

「黙ってて、レイラ」


 私の傍まで来て喚くレイラを、短く制する。彼女がなんなのかなんて、聞かなくても簡単に想像はつく。


「話だけでも聞いてあげたらいいじゃないですか」

「使用人風情が俺に意見するのか」


 冷たく見下ろす瞳に食い下がる。


「いけませんか?」


 同情でも優しさでもない。

 ……こうすること以外に、自分を守る方法がわからなかった。


「もう夕方ですよ。途中で日が落ちるとわかっていて追い出すなんて、あんまりかと」


 暫く睨み合ってから、先に目を逸らしたのはミハイルさんだった。


「……一晩だけ滞在を認める。だが話すことはない。夜が明けたら去れ」


 それだけ言い残して彼は背を向ける。部屋へと引き返していくのをぼんやり見ていると、声をかけられた。


「ねぇ、お名前教えて? 使用人さん」

 

 いつの間にか側まで来ていた彼女が、少しかがみこんで私を見上げる。

 幾つだろう。二十二、三くらい? あどけなさを残しながら子供っぽさはなくなっていて、大人の女性の魅力を兼ね備えながらも、可愛らしさは失くしてない。そんな、絶妙な歳の頃。


「わたしはニーナ。ミハイルの……ミハイル様の、友人ってところかな?」

「ミオです」

 

 ずいぶん含んだ言い方をする。あと今更様付けしても、今まで呼び捨ててたのが聞こえてないわけないのに。


「ありがとう。お礼を言うわ、ミオ。相手にしてもらえないのはわかってたけど、この時間なら、追い出すのに躊躇してくれるんじゃないかって」


 わざとだったのか。こんな汚れを知らない妖精のような外見をして、なかなかあざとい。


「でも甘かったわ。だから助かった」


 あざとい――と思ったが。

 ぺろ、と舌を出すそんな仕草が、あざといより素直に可愛いと思えてしまう。だから多分、全ての言動において、この子に他意はないのだろう。すこし目が潤んでいるのには気がつかないふりをする。


 彼女に落ちない男なんてこの世にいないのでは……なんて、本気で考えてしまった。


「ニーナ様、お部屋にご案内します。こちらへ」


 丁寧だけど、そっけない態度でリエーフさんがニーナさんを伴ってホールを出る。


「もう、レイラ。ホールが滅茶苦茶じゃない……、片付けなきゃ」

「ねぇ、ミオ!」


 呼び止めるレイラの声を聞こえないふりをして、私は掃除道具を取りにその場を立ち去った。

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