第10話 声
「わあ……!」
吹き抜けから下を見下ろして、思わず声が出てしまう。
今まで二人しか見かけたことのないこのお屋敷に――
「こんなに沢山、人がいたなんて」
「死人だけどね」
手すりに腰かけるようにして、レイラが補足する。
「あたしは元々この屋敷の住人なんだけど。なんでか最近、外からも死霊が集まるようになっちゃって」
「どうして?」
「さあ、あたしに聞かれても。……長年、魔法なんてよくわかんない力に頼ってたから、なんか歪んじゃってるのかもね。ここに集まるのはミハイルのせいじゃない? 霊を見てなんとかできる人、そういないだろうし」
「なんとかって……どうするの?」
「話を聞いて、未練を取り除ければスッキリ成仏できるのもいるし。拗らせて悪さをしようとすれば、それを止められるのもミハイルだけよね」
なるほど。死霊使いという響きは禍々しいけど、それを聞くと死者の水先案内人というイメージだ。
「それで、私にできることって?」
「ここにいるのは相談待ちの死霊たちよ。どうしてこの世に止まってるか話を聞くの。それだけなら、声を聞ければ当主じゃなくともできる。だからたまにはあたしも手伝ってる。どう、アナタもやる?」
なんだ、結構簡単そう。人生相談みたいなものね。いや、人生は終わってるのか。
「……やってみる」
「そ。じゃ、次の方~、どうぞ~」
手すりに座ったまま、レイラが首だけで後ろを振り返り、ぞんざいに声を掛ける。ホールにいた人たちがざわつき、一人がふわりと浮き上がって私たちの目の前までくる。一応、順番は決まっているみたい。
私より少し年上の、綺麗な女性だ。
「私、誰かに殺されたんです。犯人を見つけるまで死に切れません」
「あたしは屋敷を出られないので無理ね。当主に申し送ります。はい次」
な、なんというお役所仕事……。すごすごと引き返していく幽霊を見て、少し気の毒な気持ちになる。
「ねえ、レイラ。私なら屋敷の外に出られるけど」
「殺人犯探しなんて危険なこと、ミオにさせられないわよ。それに最近治安悪いみたいでこういうケースは結構多いし、いちいちやってられないわ」
「じゃああの人はずっと成仏できないの?」
「さあ、知らないわよ。そういうのはあたしの管轄じゃないの。ほら、次来るわよ」
これって何か役に立つの……? と、私が戸惑っている間にも次の人……幽霊が現れる。
次に現れたのは、レイラよりも小さな男の子だった。
「ママとはぐれちゃったの……」
「男の子でしょ。しゃきっとしなさいよ」
弱々しく囁く男の子に、何と声をかけていいか私の横で、レイラが「ケッ」という顔をしながら容赦のない言葉を吐く。
「ちょっと、レイラ……」
「いい? ここにいてもママとは会えないの。でもお空に逝けば会えるわ」
「……ホント? お姉ちゃん」
「ホントよ。だから怖がらずに逝ってらっしゃい。いいわね?」
「わかった。ありがとう、お姉ちゃん」
にこ、と男の子が笑う。そのままスゥッとその姿は消えてしまう。
「今の話、ほんとなの?」
「さあ? 知らないわ!」
ケロッとした顔で、レイラが即答する。
「えっと……」
「成仏できたからOKよ。同じような子が何人いると思ってんのよ。一人だけ甘やかせないでしょ」
ズバズバと悪びれずレイラが答える。うう、なんか自信がなくなってきた。
「もう死んでるの。生きてないのよ。親身になってもらったところで、あたしたちにはその先に何もない。割り切っていかないと駄目だって……ミハイルにもいつも言ってるんだけどね」
ハァ、とレイラが溜息をつく。
……いや、難しいよこれは。だって、会わせられるものなら会わせてあげたいと思っちゃう。
「安易に探してあげようなんて思わない方がいいわ。犯人を見たら復讐したくなるかもしれない。ママに会ったら離れられなくなるかもしれない。そしたらね、狂っちゃうのよあたしたちは。負の感情に囚われたら悪霊になってしまう。そしたらどの道自我なんてなくなっちゃうんだから」
「レイラも?」
「そうよ。だからあたしにも気を許しちゃダメ。もしそうなったらミハイルを呼ぶのよ。あたしは……ミオを傷つけることなんて望んでないんだから。はい、次」
私に言葉を挟ませないようにか一方的にまくしたてると、彼女はそのまま話は終わり、とでもいうように次を呼んだ。でも、次がなかなか来ない。下を覗くと順番を揉めているようだった。
「ねぇ、レイラは……」
「なんで成仏しないかって?」
そこまでストレートに聞くつもりはなかったんだけど。なんでもないように、レイラは私が気になっていたことをズバリと言い当てる。
「……ほっとけない奴がいるの。そいつが幸せになるのを見届けたら、逝くわ」
そう言ってレイラは笑った。綺麗な笑顔だった。幼さを感じさせない美しい微笑みに、ピンと来る。
「その人のこと、好きなのね」
「はぁ? 何言ってんの。違うわよ」
照れて怒ると思った私の予想に反して、返ってきたのは冷めた返事だけ。
なんか、すごいなぁ……、私より恋愛スキル高そう。
「ほら、いつまで揉めてんの。次が来ないなら今日は終わりよ!」
「ま、待って下さい」
レイラの怒声に答えたのは、若い青年の幽霊だった。セットされた茶髪に、品の良いスーツ。育ちの良さそうな風体をしている。
「恋人に会いたいんです。彼女が僕を失って落ち込んでいないか心配で」
「無理ね! 一番こじれるやつ!!」
「そんなぁ……」
ビシッと男を指差して、レイラが即答する。なかなか整った容姿をしているのに、それも台無しになるくらい情けない顔をして、男が落ち込む素振りを見せる。
「二度と一緒になれない恋人に会ったところで一体誰が得するのよ。泣き暮らしていたら辛くなる、幸せそうなら惨めになるでしょう。何もいいことはないわ!」
「幸せそうなら、それでいいんです。お嬢さんも今そんなことを言っていたじゃありませんか」
「誰も相手が恋人だなんて言ってないわよ。そんなエゴの押し付け合いと一緒にしないで」
随分擦れたことを言う。
恋がエゴの押し付け合いか……寂しい表現ではあるけど、そんなことないよって言えるほど私も恋愛経験が豊富ではないからな。
「っていうか、恋人に会いたいなら自分で探して見てきなさいよ。子供でもあるまいし、顔もわかっているんでしょ。どうしてうちに来るのよ」
「一人で行くのが怖くて……」
しゅんと俯いて、男が人差し指を付き合わせる。
それを見るや、レイラは舌打ちして怒鳴りつけた。……まるで誰かさんみたい。
「ほらみなさい! そんな下らないことでミハイルの手を煩わせないで!」
「ご当主様でなくとも構いません。すぐそこの街です、そうお手間は取らせません」
「あたしは屋敷から出られないし、この子に何かあったら当主の怒りを買うわよ。死霊友達でも見つけて行ってきなさいな。はい次」
シッシッと猫を追い払うように手を振って、レイラが次を呼ぶ。
次に現れた老年の男性を見るや、「その歳で未練も何もないでしょう。早く成仏しなさいよ!」などと手厳しいことを叫ぶ。
レイラは……自分自身もそうだから、そうやって割り切れるかもしれないけど。
私にはとてもできそうにない。息をついて、そっとその場を離れる。途端に、両手を掴まれる感覚があってぎょっとする。
「どうかどうかお願いします! 一目彼女を見られればそれでいいんです」
さっきの男が、私の目の前で私の両手を握っていた。その必死の形相にたじろぎながらも、私は首を横に振った
。
「で、でも……、私お屋敷の外のこと知りません。貴方の恋人がいるところまで、どうやって行ったらいいんですか」
「大丈夫です、このお屋敷からも見える街です。歩いても行けます。ですから……」
お屋敷から見える街。私が出て行こうとしたときに見たあの街か。
見えているとはいえ……、けっこう距離があるように見えるけど。一体どれくらい時間がかかるだろう。行けるのだろうか。私一人で。
――行けるよ、澪なら。
バッと振り返る。誰もいない。でも確かに聞こえた。
この声。前も聞いた声。
――それとも、きみはこの先ずっとミハイル・プリヴィデーニに飼われて生きていくの? らしくない。自分の居場所は自分の力で得て来たのが澪だろう?
今度は、どこかから聞こえてくると言うわけじゃない。でも確かに聞こえる。
この屋敷にいるのは死霊ばかりだって、死霊の声に耳を傾けてはいけないって、あの人は言っていた。
……「飼われて」か。随分嫌な言い方をする。
でもそれを否定する言葉が浮かばない。ぎゅっと両手を握りしめる。あるいは、あの声自体が私自身の声なんじゃないかと思うほどに。
その通りだと、思ってしまう。
「……わかりました。それであなたの気が済むなら」
「ありがとうございます!!」
そう返事すると、彼は顔を輝かせてお礼を言ってくれた。
嬉しそうな謝辞は心を満たしてくれる。そのまま、私は誰にも見つからないように屋敷を出た。