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第8話 打算

「それはですね、照れておいでなのですよ」



 何やら嬉しそうにニヤニヤと、リエーフさんはそんな風に言う。

 部屋に戻ると、リエーフさんが食事を運んでくれていたので、かいつまんで経緯を説明したところである。


「まさか。とてもそんな風には。私に関心があるように見えないんですけど?」

「ご主人様は優しい方ではありますが、何の関心もない相手にご自分の命を削るほど聖人ではありませんよ」


 それは……そうなのかもしれないけど。でも全部憶測に過ぎないではないか。

 私だって思ってはいる。不機嫌で不愛想で冷たくて失礼な人だけど、それが全てではないのかもしれないって。

 思うけど、やっぱり、不機嫌で不愛想で冷たくて失礼なんだもの……。

 話せないのに事情があるとしても、私に与えられる情報があまりにも少なすぎる。ぐるぐるとまとまらない思考は、次第に美味しそうな匂いに逸れていった。……美味しいんだよね、リエーフさんのご飯。


「私、いつもご馳走になってしまって良いんでしょうか」

「何を仰いますか、そういう契約でございましょう」

「こんな美味しいご飯が食べられる契約内容は聞いていませんでした」

「当家当主の花嫁様でございますから、当然でございます」


 手を合わせ、フォークでサラダをつつく。魔法やら死霊やらがいる世界なのに、不思議なことに食文化はそれほど私が元いた世界と変わらない。そして、サラダなんて単調な料理一つとってもいちいち美味しいから、リエーフさんは凄い。葉のパリッとした食感とか、彩りとか、ドレッシングとの相性とか……

 いやいや、胃袋を掴まれている場合ではないんだった。


「あの、リエーフさん? 頂いたメイド服ですが、当主様はこの家のものではないと……」

「お似合いなのですから良いではありませんか」

「ちょっと丈が短いかと」

「何を仰いますか! ミオ様のスタイルを活かし、かつ上品に仕上がるよう、このリエーフ渾身の作でございます!!」


 胸に手を当て、憤慨したかのようにリエーフさんが言い募る……これ、リエーフさんが作ったのか。何でもできるな、この人。


「でも、これでは掃除がしづらいです」

「メイド服を着るのも契約のうちでございます」

「聞いていません。でしたらこの契約はなかったことに」

「そんな殺生な……」


 リエーフさんが「うっうっ」っと泣き崩れる。絶対にウソ泣きだ。スープをすくいながら、ため息をつく。

 ……話がうますぎる。

 住処があって。食事があって。仕事があって。花嫁だとか言われても恐ろしいくらいその言葉は独り歩きで、相手は私に干渉してこない。

 私のデメリットといえば、趣味でないメイド服を着せられることくらいなのに、当主はその命を半分も削って寝込んでいる。

 この契約、どう考えても利害関係が一致しない。

 そうまでして私をここに置く価値があるだろうか。いつか何かの生贄にされるとか?

 ……幽霊屋敷の、死霊使いの花嫁。字面だけ見たら生贄っぽいけど。


 実際の生活は決して悪くない。


「食後は、コーヒーと紅茶、どちらになさいますか?」

「サービス良くても、メイド服はもう着ません」

「ぶー」

「いい大人が頬を膨らませないで下さい」


 この執事もなぁ……話しやすいのは確かなんだけど、それだけに何か信用しきれないところがある。

 嘘をつくにも人を陥れるにも、表情一つ変えなそうな……考えすぎかな。


「リエーフさん、本当のことを教えてくれませんか」


 ナイフを置いて、私はカマをかけてみることにした。


「と言いますと」

「リエーフさんには、何か打算があって契約を持ちかけたのではないんですか?」

「申し上げた以上のことはございませんよ。本当に」


 きょとんとするリエーフさんの表情からは真意が読めない。この人絶対ポーカーフェイス上手い。


「でも、待遇が良すぎます」

「まぁ、それは……当家がマトモな伯爵家であれば、マナーを覚えて頂いたり、社交をして頂いたりと色々ありますが、当家、ほぼほぼ死人としか関わりませんし」


 マナーとか言われて、とたんに自分の振る舞いが恥ずかしくなってきた。フォークとナイフ……食事をする道具もそう変わらないけど、マナーまで同じとは限らないし、どちらにしても自信なんかまるでない。


「すみません……」


 私がしゅんとした意味を、リエーフさんは正確に察したようだった。


「いえいえ、お気になさらずに。わたくしの失言でした。……そうですね。少し今は事情が違うのですが、代々の奥様方はいつもご当主様と幽霊たちとの仲立ちをされていました。無理強いは致しませんが、そうして頂ければご主人様のご負担も減るかとは思います」

「でも、私には幽霊の姿が見えません」


 できるできないの前に、そもそも私はこの屋敷で、リエーフさんとミハイルさん以外の人を見かけたことがない。その二人が、たまに何もいないところに向かって話しているのは見ていても。


「それを可能にするのが指輪でございますよ」


 あの指輪、か。結局捨てることはできずに持ってはいるけれど。

 つまり死霊使いの妻というのも同様に死霊と関わるというわけか。それは、相手が見つからないのもわからないではない。


 ……打算があるとすればそれだろうか。この世界のこともわからず、行き場のない私だから。


「……誤解のないように申し上げておきますが」


 考えに耽る私を見て、リエーフさんがそう前置きする。


「貴女の仰る通り、わたくしに打算がないとは言い切れません。しかしご主人様は違います。ミオ様に何かさせようと言うわけではないのです」

「じゃあ……なんなんですか」


 問うと、彼は真剣な表情でぐっと手を握りしめ、間髪いれずに叫んだ。


「それはもちろん、愛しておられるからでございます!!!」

「はぁ……」


 もはや突っ込むのも面倒になって、グラスの水を口に含む。


「何せミオ様は大変魅力的な女性でございますから」

「見えすいたお世辞は結構です」

「とんでもございません。わたくしもあと八百二十五歳ほど若ければ、真剣に考えていたところです」

「八百……?」

「しかしこの話はやめておきましょう。あまり口説いては、ご主人様に殺されてしまいます」

「またそういうこと言う……」


 万一、私が他に恋人ができたところで、どうも思わないと思うけどな。まぁできるアテなど、元の世界で生き返れたとしてもないんだけど。


「いやいや本当に。以前などミオ様に手を出そうとした方がおりましたが、『俺の花嫁に手を出すな』とブチ切れて半殺しにしようと」

「……言ってない。適当なことを言うな」


 無警戒の方向からの返答に、私とリエーフさんが揃ってビクっと肩を震わせる。いつの間にか扉が開き、当主が腕組みしてリエーフさんを睨みつけていた。


「いえ、多少違うかもしれませんが、そのようなことを言っておりました」

「だいぶ違う。そんなことより、俺の食事がまだなんだが?」

「おや、これはうっかり。忘れておりました」

「え!?」


 二人が口論を始めたので食事を再開しようとしていたのだが、リエーフさんがそんなことを言うもので、慌てて持ち直したばかりのカトラリーを置く。


「すみません、先に頂いてしまいました」

「いや、お前は悪くないだろ」


 その言葉は私への配慮というより、リエーフさんへの当てつけのように感じたけど。当のリエーフさんに悪びれた様子はない。


「お食事くらい、ご一緒にされたらどうですか」


 ……わかっていたことだけど。これは、わざとだな。

 拗ねたように言うリエーフさんに、ミハイルさんが舌打ちする。そして訪れる気まずい沈黙。


「……あの。当主様が嫌じゃないのなら、私は一緒でも」

「別に嫌とは言っていない」


 ため息を吐きながら言われても説得力がないんですが。


「だったら、私は一人で食べるよりその方がいいです。リエーフさん、一緒に食べてくれないし」

「ご主人様を差し置いてそのようなこと、恐れ多くてできません」

「白々しい……、とにかくさっさと用意しろ。それから明日からは仕事を回せ」

「まだ無理をされない方が――」


 リエーフさんの言葉半ばで扉が閉まる。……隠していたつもりだろうけど、少しふらついていた。私も、もう少し休んだ方がいいと思うけど。


「……申し訳ございません、ミオ様。ご主人様の食事の用意をしてまいります。食器はあとで下げますのでそのままで。食後のお飲み物もそのときに」

「あ、お構いなく」


 急いで退室していくリエーフさんの背にそう呟く。

 いたれり尽くせりというのには、今一つ慣れていない。机の上に視線を伸ばす。例のぬいぐるみが座ってこちらを見ている。


 ポケットから指輪を取り出し、手の平に乗せる。ずっと外れなかった指輪なのに、不思議なことにもう薬指には小さすぎて嵌まりそうにない。それが、拒否されたみたいで胸が痛くなる。

 ……なんでこんな気持ちになるのか、自分でもわからない。返すって言ったのは自分なのに。


 指輪をしまって、食事を再開する。一人の食事は味気ない。


 一緒に食事でもしたら、もう少し……あの人のことがわかるだろうか。

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