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第21話 ライサとミハイルとぬいぐるみ

 朝。いつもと同じ時間に目を覚まして、着慣れた作業着に袖を通す。


 元々朝に弱くはないけれど、こっちに来てから寝つきも寝起きも格段によくなった。

 テレビもスマホもないから夜更かししてもすることないし、決まった時間に眠くなり、同じ時間に目を覚ます。とっても健康的な日々だ。

 中庭に降りて、桶に水を組む手つきもなかなかこなれてきたと思う。朝食前の中庭の水やりは日課の一つ。


 ……本音を言えば、少し退屈ではある。

 まぁ幸い、リエーフさんはよく話し相手になってくれるのでそこまで寂しいとは思わない。ミハイルさんは……相変わらずだけど。


 一度、同じ年頃の女性の幽霊を探してみようかと思ったこともある。しかし、見かけて声を掛けてもやっぱり話が弾まなかったので、私が悪いのかもしれない。思えば元々そう交友関係が広いわけでもないし、人のことどうこう言えるほど話し上手なわけでもない。


「ま、贅沢な悩みよね」


 ただ、どうしても独り言は増えちゃうんだな……、だから。


「おはよ、ミオ」


 二階くらいの高さから、聞きなれた声が降ってくる。

 最初こそ手を焼いたけど、今は彼女がいてくれることが素直にありがたい。


「おはよう、ライサ。見て見て、もうすぐ花が咲きそうなの」


 話し相手を見つけて、私ははしゃいで声を上げた。けど、返ってきたのは冷めた視線だった。


「毎日掃除やら庭の手入れしていて、飽きない?」

「今のところは……」


 花を一瞥して、ライサが溜息をつく。お兄さんほど彼女は花に興味がないらしい。


「ミオは恋人とかいないの?」

「い、いないよ。どうしたの突然」

「別に。ミオくらいの歳の女は、みんな恋にウツツを抜かしてるもんだと思っていたから」


 この子、歳の割に妙に擦れた発言をするんだよね……。思わず苦笑しながら、でも少し納得した。

 だから私は、同年代の女性と話が合わないのか。


「いたらいいなぁとは思うんだけど……出会いがなくて」


 元の世界でも掃除ばっかりしている私である。

 半ば適当、半ば真実の答えを返すと、ライサはじっと私を見下ろして短い問いを口にした。


「ミハイルは?」

「う、うん?」


 予想外の問いに、すぐに答えを用意できなかった。しかし探るような目で見下ろしてくるライサは、「答えろ」と目で圧迫してくる。


「そんな風に見たことないけど……無理がない? 私ただの使用人だし」

「ミハイルの三人目の婚約者だって、ただの平民だったわよ」


 ライサが少し意外なことを口にする。


「そうなの? あまり身分って関係ないんだ」

「そんなことはないわ。ただこの家の事情が事情だし、最終的に人柄重視って感じ」

「じゃあ、良い人だったのね。その……三人目」


 数字で呼ぶのはどうかと思うが、名前を知らないのだから仕方ない。聞いたところで会うこともないだろうし。特に知りいとも思わないし。


「あたしは嫌いだったけど。ミハイルはけっこうデレデレしてたわね」


 地面まで降りてきて、ライサが不機嫌そうに答える。

 あのミハイルさんがデレデレとか、ちょっと想像できないな。ツンツンしているというほどにも口数がないし、表情も薄いし。ちょっと見てみたいような……見てみたくないような。


「ライサはどうして嫌いだったの?」

「ミハイルがデレデレしてたから」

「……ふーん」


 やっぱり、ライサって、どう考えても。


「ライサって、ミハイルさんのこと好きだよね」

「だいっ嫌いよ!」


 怒るかと思ったけれど、清々しいほどの即答が来た。


「じゃあ、どうしてそんなに嫌いなの?」


 問うと、打てば響くような彼女が珍しく押し黙る。そして、いつも持っているぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。


「その子、壊したから?」

「それもある」

「なんでそんなことしたんだろうね。ライサはそのときのこと覚えてる?」

「……覚えてるわ。忘れるもんですか」


 どこからともなく、いい匂いが漂ってくる。リエーフさんが朝食を作っているのだろうか。

 ……まだ少し、時間があるかな。


「教えてほしいな。私、昔のライサやミハイルさんのこと聞きたい」


 水差しを置いて、私はその場に座り、膝を抱えた。

 ライサは少しの間迷うように俯いていたけれど、やがて私の向かいに降りて、ふわりと座った。


「別に、大した話じゃないわ。小さい頃のミハイルってめちゃくちゃ泣き虫で、めちゃくちゃ幽霊嫌いだったのよ」


 うん、まったく想像できない。

 幽霊嫌いは今もそうなんだろうけど、あまり態度には出さないし。大人だからそりゃそうか。


「でも、あたしとは話をしてくれたの。……あ、あたしはキレイだから怖くないって」


 ライサが少し頬を染める。

 やっぱり好きなんじゃないのっていうツッコミは、話が進まなくなりそうだから飲み込んでおく。

 

 しかし、いくら子供の頃とはいえ、本当にそれミハイルさんなのかってくらい今とは全然違うな……、私なんてほぼ失礼なことしか言われたことないのに。

 まぁ、確かに私と違ってライサはキレイだ。まるで職人が美を追求して作ったお人形のよう。私でも見惚れるんだから、同じ年頃の男の子なんて一発で魅了されても無理はない。


「あいつほんと愚痴ばっかりで、よく付き合わされたの。幽霊も嫌いなら戦うことも嫌みたいで、お兄様が匙投げるくらい剣下手だったわ」

「戦うって、何と?」

「今は平和だからいいのかもしれないけど、伯爵家嫡男だし剣くらいはできないとダメよ。普通は」


 そういうものか……、貴族、それも異世界のだし、全くピンと来ないけど。


「ほんと毎日ピーピー泣いてた。そんな男好きになれるわけないでしょ」

「えっと……そのときミハイルさんいくつだったの?」

「五歳」


 思ったより小さかった。だったら無理もない。私にも弟がいるけど、小学校くらいまでは私がちょっと何か言うだけで、すぐ泣いてたような覚えがあるしなぁ。


「その頃ね……先代夫人、つまりミハイルの母親ね。おかしかったのよ。心を病んでいたの。多分彼女も、こんな家に嫁ぎたくなかったのね」


 なんだか妙に腑に落ちた。

 ミハイルさんの幽霊嫌いって、怖いからとか人と違うからとかそんな単純なものじゃなくて……それが原因なんじゃないだろうか。


「あたしのお母様も、心を病まれていたの。お兄様から聞いているかもしれないけど……ライサって本当は死んだ妹の名前なの。お母様はライサの方が好きだったから。この子もね、ライサのものなの。ライサが大事にしていたの。でも今はあたしがライサだから……大事にするの」

「……ライサ」


 ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめるライサに、何と声を掛ければいいのかわからなかった。たぶん、気安い同情で喜ぶような子じゃない。


 でも一つだけ、わかったことがある。


「今の話、ミハイルさんにしたのね?」

「……そうよ」

「だったら、ミハイルさんがその子を壊したのは……」


 いたずらや、嫌がらせなんかじゃない。


 きっと――ライサに、妹の代わりなんかじゃなくて本来の自分でいてほしいって言いたかったんだ。だから、ぬいぐるみを壊したんだ。それは、ライサ()のものだから。


「……わかっているわよ。でもあたしが嫌いなのはあいつのそういうところよ。不器用にもほどがあるわ」


 ぬいぐるみを抱きしめながら、ライサが呟く。渋面だけど、どこか嬉しそうに。

 ……私が思っていたよりずっと、複雑な乙女心だった。


「でも、ミハイルさんの婚約者に嫌がらせをするのはもうやめてあげたら?」

「あたしの嫌がらせで逃げていくような女なんて、いずれミハイルの母親みたいになるわ。そうしたらまた傷つくじゃないの」


 ああ、なんだ。ライサも、いたずらや、嫌がらせなんかじゃない。

 ライサだって不器用だ。こんなにキレイで、大人びていて、賢いのに。

 リエーフさんもエドアルトさんも、幽霊はすぐ忘れてしまうって言っていた。でもライサは、こんなに鮮明にミハイルさんとの過去を覚えている。


 ああ、そうだ。ライサだけは最初から……ミハイルさんのこと嫌いながらも、当主だってちゃんと認識してた。


「ふふふ」

「何笑ってるのよ? ……そうだ、安心して。あたし、ミオにはもう嫌がらせしたりしないから」

「え、うん。……ええ?」


 えっと……どういうことだろう。まぁでも、深追いするのはやめておこう。


 だって――私は。


「ミオ」


 不意に呼ばれて、騒ぎかけた胸を押さえつける。

 ライサの方を見ると、その一瞬で姿を消していた。


「なんでしょうか、ミハイルさん」

「朝食ができたから呼んでこいと、リエーフが」

「……ええと……」


 いつにも増して不機嫌そうなのはそういうことか。

 何故主人であるミハイルさんが従者であるリエーフさんに使われているのかと。突っ込んだところで余計不機嫌になるだけだろうから、やめておく。


「わかりました。すみません、呼びに来させてしまって」

「まったくだ。……ライサと何を話していた」


 ライサはすぐ逃げてしまったけど、ミハイルさんにはちゃんと見えていたらしい。

 どうしようかな。ライサがミハイルさんにきつくあたる理由。言いたいけれど……きっと言えばライサは怒るだろう。それは少し困る。


 彼女はこの世界での、唯一の私の友人だから。

 だから、人差し指を口元に当てる。


「女同士の秘密です」


 怪訝な顔をするミハイルさんを見上げて、私はそう言って笑った。

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