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第83話 帝都行きの船

 ガタン、とひときわ大きな揺れを感じて目を覚ます。いつの間にか眠ってしまったらしい。


 かなり長い時間乗っていると思うのだけど、あとどれくらいで帝都に着くのだろう。座ったまま眠ってしまったので体のあちこちが痛い。伸びをしかけて、そのときようやく私は肩に何かが乗っているのに気が付いた。


「……っ」


 驚いて立ち上がりかけ、すんでの所でそれを堪える。ミハイルさんが私にもたれて眠っている。肩口で聞こえる寝息にきしんだ体が余計に強張った。

 でも……休めるうちに休んでおいてほしい。昨日寝ていないと言ってたし。


 彼を起こさないよう気を付けながら、窓の外に視線を走らせる。外の様子は眠る前とはすっかり変わっていた。薄暗くなりはじめた空を人口の灯りが照らしている。……これは街なんだろうか。まるで工場のような建物ばかりが続いている。煙突から出る黒い煙が灯りの前を流れていく。生活感がまるで無くてうすら寒い。


「そろそろ船を降り――おっと」


 ぼんやりと外を眺めていると、不意にフェオドラさんの声が降ってきた。反射的に声の掛かった方を見れば、視界いっぱいにミハイルさんの顔が飛び込んできて危うく叫び声を上げかける。そうして一人あたふたする私の向かいに、フェオドラさんが笑いを堪えながら腰を下ろした。


「あと僅かだが、ギリギリまで寝かせてやれ」

「ありがとうございます」


 フェオドラさんはこの乗り物を船と呼ぶ。

 駅と言うからなんとなく列車だと思っていたけど、線路はなかった。きっとこれもあの雪を動力にしているんだろう。もしかすると、そのせいでミハイルさんも調子が悪いのかもしれない。


「そういえばレナートは?」


 それならレナートも体調を崩しているのでは、と周囲を見回したが姿が見えなかった。リエーフさんもいない。

 フェオドラさんの計らいで乗客は私達以外には誰もいない。フェオドラさんが軍だと口にすると、誰も抗わないし文句も言わない。みんな要求に従順に従う。


「調子が悪くてな」

「雪のせいでしょうか」

「そうかもしれんが、ただの乗り物酔いっぽい気もするな。風に当てると言って先ほど執事がデッキに連れていった。そのときまではミハイルも起きていたし辛そうな様子もなかったぞ。少なくとも表面上は」

「そう、ですか」


 しばらく沈黙が場を包む。ややあってからフェオドラさんが声を上げる。


「ところで、君はあの王子様をどう思う?」

「レナート? 悪い子ではないと思いますよ。少し視野が狭いというか、思い立ったら人の話を聞かなくて困るところはありますけど……それも若くて純粋だからだと思います」

「君に若さの話をされると少し複雑だな」


 フェオドラさんが頭を押さえて唸る。私は見た目よりは少し上なんだけど……それでもフェオドラさんよりは年下だろうし、黙っておく。話がややこしくなるし。


「すみません、生意気な口をきいて」

「いや。適切な評価だと思う」

「……どうして私に聞くんですか? 私もあれからレナートとは会っていませんし、人を見る目ならフェオドラさんの方がずっと優れていると思います」

「そうだな。否定はせんが、その上で君の考えを聞いてみたかった」

「だからそれはどうしてですか」


 ミハイルさんもたまに私の意見を聞く。お屋敷に住んでいるから尊重してくれてるのだと思う。でもフェオドラさんには私に意見を求める理由はない。


「君は人のことをよく見ているからだ。ネメスでの私との駆け引きも宿での立ち回りも、それがあってのことだろう」

「買いかぶりです。私はただ、なんとかしようと……」

「世の中には二種類の人間がいる。なんとかしようとする人間と、なんとかなるのを待つ人間だ。個人的に私は前者が好きでな」

「はぁ……」


 極端な分け方に曖昧に返事をすると、フェオドラさんは逡巡するように窓の外を見てから、こちらに視線を戻さないまま独白のように呟いた。


「……これは独り言だ。ネメスでの件、死霊のことは伏せてある。あれは戦力として使っていいものには思えない」

「…………」


 もちろん、私だってミハイルさんを兵器のように使われたくはない。だけどフェオドラさんが独り言だというから敢えて返事を飲み込む。


「ただ、もし陛下が幽霊伯爵に執着するのが疲弊した軍と民を救うためならば……外道であろうとも、私は前言を貫けんかもしれん」


 疲弊、と聞いてもピンと来ない。資源に乏しいということは聞いているけれど、どちらかといえば軍力と技術に長けた大きな国というイメージの方が強い。疲弊しているという部分を私は目にしていないから。

 あるいは、フェオドラさんが見せないようにしたのかもしれない。私たちが情に流されないように。流されなくとも心を痛めないように。……考えすぎかもしれないけれど。


「ごめんなさい。私は自分のことしか考えられなくて……」

「いいんだ、わかっている。だから独り言だ。……ロセリアの結界が消えた三年前は、帝国も奪う以外で永らえる道を考えようとしていたんだ。彼が現れるまでは」


 フェオドラさんが窓からこちらに視線を移し、私を――正確には、私の肩口を見る。再び私は押し黙った。しばしの沈黙の後にフェオドラさんが立ち上がる。


「二人にもそろそろ着くと伝えてくる」

「……はい」


 フェオドラさんの気配が遠のくと、ミハイルさんが顔を上げる。


「あ、起きました?」

「すまん。少し前から起きていた」

「そ……うなんですか?」


 起きていたなら声をかけてくれればいいのに。言いかけて思い当たる。


「フェオドラさんの話を聞くために?」


 ミハイルさんが起きていたら言わなかったことかもしれない。だが、彼は軽く首を振った。


「いや、恐らく気付いていたと思う」

「それなら声を掛けて下さいよ!」

「だから謝っただろう」

「いえ別に、いいんですけど……」


 まだ、肩の辺りが温かい。


「帝国は侵略はしたが略奪はしなかった。力を欲するのは牽制のためかとも考えたが、あの様子では違うのかもしれんな」

「どういうことですか?」


 フェオドラさんの言っていたことは全てが遠回しで、肝心なことは何も言わなかった。問いかける私の頭を押さえて、ミハイルさんは再び首を横に振った。


「所詮憶測だ。どちらにしろ俺は帝国に降る気などない」


 フェオドラさんには悪いけど、それを聞いてほっとした。

 もしフェオドラさんの言うように、帝国を救うために力を貸してほしいと言われたら。

 ふいにレオニート前国王の顔が頭を過ぎった。私には彼の言うような力などないとわかっていても、自分が静かに暮らしたいだけで可能性を捨てていいのか私だって迷った。

 

 僅かな揺れと抵抗に外を見る。速度がかなり落ちてきている。


「もう着きそうですね。……体、大丈夫ですか?」

「お前はそればかり聞くな」

「だって隠すじゃないですか」

「大丈夫だ」


 呆れたように言って立ち上がるミハイルさんの袖を掴んで止める。


「本当のことを言って下さい。私たち夫婦じゃないんですか?」

「相変わらずお前はこういうときだけそれを持ち出す。そう言えば俺が従うとでも思ってるのか」

「そ、そういうわけじゃ」

「……あまり良くない」

 

 袖を掴む私の手を跳ねのけてミハイルさんが渋面で答える。結局従っているじゃないかと突っ込むべきなのか、いや、そんな場合じゃなくて。


「やっぱり。……私に何かできることはないですか?」

「なくはないが」


 誰かを探すように辺りを見回す彼の腕を掴んで、私は勢いこんで尋ねた。


「なんですか? あるなら言って下さい。私、何でもしま……」

 

 振り向くと、彼は座席の背もたれに手を掛けて身を乗り出した。唇が瞼に触れて、言いかけたことが途中で消える。

 僅かな反動と共に船が止まった。


「軽率に何でもするとか言わん方がいいぞ」

「ひ、ひゃい」


 歩き出すミハイルさんの背に、辛うじてそう返事をした。

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