第79話 もう一つの再会
別に、どうしてもシャワーがしたいというわけではなかったんだけど。
「どうせ足止めを食らっているんだ。好きなことをすればいいじゃないか」
と言うフェオドラさんにグイグイ押されて部屋の前にいる。結局全員一緒に戻ってきたので、同室のミハイルさんをちらりと見ると、彼は部屋に入らず扉の脇にもたれかかった。
「俺はここにいるから、終わったら呼んでくれ」
「えー」
頬を膨らませて不満の声を上げるリエーフさんを、ミハイルさんが無表情で張り飛ばす。フェオドラさんにまで茶々を入れられては堪らないので、その隙に慌てて私は部屋の中に体を滑り込ませた。……さて。
みんなが部屋の前にいるなら安心だし、せっかくだからシャワーしちゃおうかな。そう思って衣服のボタンを外し始めたとき。
カタン。
ベッドの向こうで物音がした気がして、手を止める。
……そういえば中佐は、無法者が逃げ込んだって言ってた。まさか……ね。
物音はそれきり聞こえない。もしかして機械音だったのかもしれない。気のせいかと再び服に手を掛けると、また音がした。
「誰か……いるの?」
問いかけると、ベッドの向こうでゆらりと立ち上がる人影。喉がひきつり、ゾッと体中が粟立った。
「きっ……」
「待て、大声を出すな!」
悲鳴を上げかけた私の口を、現れた「誰か」が塞ぐ。力ずくでもがきながらとっさに足で壁を蹴ると、ドン、と少し大きな音がした。それから間を置かず、部屋の扉が開く。
「ミオ!!」
「ミオ様!」
どうやら異変に気付いてくれたようで、ミハイルさんとリエーフさんが部屋になだれ込んでくる。しかしその後ろにいたフェオドラさんは意外そうな顔をしていて、そしてこの状況にしては、やや呑気な声を上げた。
「おや、君は――」
「お前らは……」
すぐ間近でも意外そうな声が上がる。拘束がとけて落ち着きを取り戻した私は、ようやくそれが聞き覚えのある声なのに気がついた。
「レナート!?」
口から手が離れた瞬間、開口一番その名を叫ぶ。
白装束に長い金髪をゆるく束ねた、綺麗な少年。以前私とレイラを屋敷から連れ去ろうとした、イスカ王国の王子にして退魔士だ。レナートが私の拘束をやめたので、リエーフさんが構えを解いて口を開く。
「聖職者が覗きとは感心しませんね」
「だッ、誰が覗くか!!」
大真面目な顔のまま、リエーフさんが本気とも冗談ともつかぬ非難をする。リエーフさんのこういう態度、いい加減私は慣れたけど、耐性のないレナートはそうも行かないのだろう。今にも殴りかかろうとする彼を、ローブのフードを掴んで止める。
「わかってるよレナート! そうならないようにわざわざ出てきてくれたんだよね!?」
「子供扱いするな!」
振り返りざまに私の手を乱暴に振り払ってレナートが喚く。さらに文句を言おうとしてか、彼は口を開いたが――黙ったまま口を閉じる。そうさせたのは、きっと彼の背後から漂う尋常でない殺気のせいだろう。
「……で、死ぬ覚悟はできたか?」
「だから見てないと言っているだろう、人の話を聞け!!」
ゆらりと右手をかかげ、殺気の主が……ミハイルさんがぼそりと問いかける。……これでは場が収まらない。
視線だけでフェオドラさんに助けを求めると、彼女は腕組みを解いてミハイルさんとレナートの間に割って入った。
「もしかして無法者というのは君か? 何をした」
「入国の許可が降りなかったから、国境を強行突破しただけだ」
「……それは紛れもない不法入国だ。なぜイスカの王族がそんなリスクを冒した」
「それは……」
答えようと声を上げたレナートの体がふらつく。よく見ると顔色がかなり悪い。もともと色素が薄いが、服に劣らない白さだ。
「大丈夫? 顔色が悪いけど」
「触るな。これ以上事実無根の濡れ衣を着せられたくない」
支えようとした私の手を拒んで、レナートが壁に背を預ける。そして息を整えるように二度ほど深呼吸した。
「……むしろお前らは、よくこんな場所で平気でいられるな」
胸を押さえながら、レナートが私たちに順に視線を走らせる。それを見下ろして、フェオドラさんが肩を竦める。
「こんな場所と言われても、ここが故郷なのでな」
「蔑んだわけじゃない。聞こえないのか……」
皮肉めいたフェオドラさんの答えを否定して、レナ―トが目を細める。聞こえないのかって……何が、だろう。レナートの口調は問いではなくただの独白という感じではあったが、フェオドラさんも怪訝な顔になる。
答えは、意外なところから上がった。
「……お前は聞こえるのか」
ミハイルさんだった。それを受けて、レナートがうなずく。
「当たり前だ。聞こえるし感じる。おかげで体が思うように動かずここまで追い込まれた」
そうだ……ミハイルさんもずっと体調が悪かった。ということは、ミハイルさんとレナートの不調の原因は、同じということなのだろうか。つまり――
「力を持つ者に影響を与える『何か』が、帝国にはあるということでございますか?」
「知らん。そんなことは初耳だ」
私と同じことを考えたらしいリエーフさんの問いを、フェオドラさんがすぐさま切って捨てる。嘘をついてるようには見えなかったけれど、レナートは首を横に振った。
「『何か』など知れている……」
そう言って、レナートが大きく息をつく。そのまま彼は黙してしまった。よほど体が辛いのだろうか、肩が激しく上下している。
「ミハイル」
焦れたように呼び掛けられて、ミハイルさんは黙してしまったレナートに代わって口を開いた。
「雪だ」
たぶん、この場の誰もが予想してなかったことを、彼はポツリと呟いた。
「だから屋内だとだいぶマシにはなる」
「……一体、君らには何が聞こえ、何を感じると言うんだ」
「悲鳴と嗚咽。怨嗟の声。視線」
穏やかでない単語の連続に、フェオドラさんが言葉を失う。
「屋内でも聞こえるのは、雪を動力としている装置のせいだろう」
「あれを……動力にするだと……?」
キッとレナートが顔を上げ、ふらつきながらも歩き出すと、彼は両手でフェオドラさんに掴みかかった。
「今すぐやめろ! お前らはあれがなんなのかわかっていないのか!」
「そこまで解明されていない。とける際になんらかのエネルギーを発することしか」
「何らかのエネルギーだと!? 都合の良い解釈を……ッ」
ギリギリとレナートの手に力が籠るのが傍目にわかる。
「お前、帝国軍人だったな。今すぐおれを皇帝に会わせろ」
「なぜ私がそのような要求に従わねばならん」
「この雪をどうにかせねば、遅かれ早かれ帝国は滅ぶ」
「そんな世迷言を帝国が信じるとでも思うのか?」
「信じないならイスカが滅ぼすまでだ。そうなればロセリアを巻き込んだ全面戦争になる」
スッと、フェオドラさんの表情が変わる。しかし彼女が口を開くのを、にわかに近づいてきた複数の足音が止めた。
フェオドラさんがレナートの手を掴んで外し、ミハイルさんが私を庇うように前に立ち、さらにその前にリエーフさんが立ち塞がる。
「面倒くさいことになりそうだな……」
襟元を直しながら、フェオドラさんが呟いた。