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第69話 心残りを置いて

 行くと決まれば、慌ただしく時間は過ぎた。留守の間エフィルが困らないような備えと、出かける私たちの用意にリエーフさんは奔走していた。なので、日常の家事は私とエフィルでこなして、あっという間に日が暮れて。

 忙しいのはいい。体を動かしていれば、余計なことは考えなくて済む。


 ――と、思っていたのだけども。


「はぁーーー……」


 夕飯後、ミハイルさんの部屋で繕い物の続きをしながら、つい盛大な溜め息をついてしまった。というのも、リエーフさんが夕飯時に言い出したことのせいである。

 


「わたくしから一つご提案があるのですが」



 夕飯を作ったのは私とエフィルだったのだけど、せめて給仕をというリエーフさんに任せ、食卓についたときだった。


「思いのほか街の人たちと打ち解けることが出来はじめ、ようございました。お屋敷から去った人々も今のご主人様を見れば戻って来て下さるかもしれません……そこでですが、帝国から戻りましたら」


 そういえば、昔はお屋敷にも使用人が沢山いたという話だったな。……うん。きっと、今のミハイルさんなら、もう大丈夫だろう。

 帝国から帰ったら、使用人を募集したりするのかな。そうしたら、お屋敷も賑やかになるのかな。

 なんて考えていたけれど。


「そろそろ結婚式しませんか??」


 お肉を切っていたナイフが滑って、ガシャンと派手な音を立てた。不思議そうに見るエフィルの手前、取り繕うのに必死な私に代わってミハイルさんが苦言を呈する。


「今する話じゃないだろう」

「今だからこそではないですか。士気が上がるでしょう」

「お前だけだ」


 ミハイルさんは半眼で突っ込んだが、聞いていたエフィルは無邪気な声を上げた。


「旦那様と奥様のお式、まだだったんですか? わぁ、ボクすごく楽しみです! お手伝いします!」

「エフィ……」


 期待に満ちたエフィルの手前何も言えず、ミハイルさんが額を押さえて黙り込む。一方、エンジンの掛かったリエーフさんは止まらない。


「あぁ、今となっては先走らずに良かったです。今なら出席者が死霊ばかりということもないでしょう。当家は不吉とされて招待者の九割が欠席でございましたが、使用人や親交のある領民とささやかに披露宴を催したものでした……」




 ……などという話を延々と聞かされ、今に至るというわけだ。


「嫌なら嫌だと言えばいいだろ」


 溜息を吐き続ける私を見かねたのか、書類を片手にミハイルさんがボソリと呟く。


「ミハイルさんは平気なんですか?」


 本人を前に、憂鬱な顔をするのは失礼だったと思うけれど。私に判断を委ねるような言い方をするので、ついそんな風に言い返してしまった。


「……平気かとは?」


 問いを問いで返されて答えに困る。私だって、何が引っ掛かっているのか、自分でもはっきりとわからないのだ。


「わ、私と……その、け、結婚してもいいんですか」


 何と言っていいかわからずにそう問うと、彼は妙な顔をした。


 そりゃそうだ。そういう契約でここに住み始めた上に、契約だけでいるわけじゃないとも言った。わかってる。花嫁にしろとも触れ合いたいとも好きだとも言った。言ったけど。思い返せば我ながら凄いことを言ってきたものだと思うけど、違うのだ。多分ミハイルさんも言葉通り受け取ってない気がする。


 彼を支えたい気持ちに嘘はないし、そのために命を削る覚悟もある。

 だけどそれはこのお屋敷の花嫁としての覚悟で。それと彼と結婚することは、同じだけど微妙に違う。少なくとも私の覚悟の種類が違う。


「……お前はどうなんだ」


 結局答えてくれないまま、同じことを問い返される。

 

 ……式挙げるくらいで、そこまで拘る必要はないのかもしれないけど。何か、そういう儀式的なものを挟んでしまったら、関係も距離感も変わってしまいそうで怖い。

 決して嫌なわけじゃないのだ。だけどこれ以上近づけば、ただでさえ弱くなった自分が、もっと弱く情けなくなるんじゃないかと思うと……そんなところは見られたくない。


「式を挙げたり、その……ええと、夫婦がするようなことをしていなかったら、花嫁とは認められないのでしょうか? 死霊がいても、あなたがどんな力を持っていても平気です。危険でも、命を削ることになっても構わない。それだけじゃ駄目ですか? できるなら私は、このまま……今のままがいい」


 ミハイルさんが書類を置いて、腕を組む。なかなか答えは返ってこなくて、手元に視線を落とす。だけど裁縫の続きをする気にはならなかった。


「ごめんなさい……私変なことを言っていますよね」

「いや、そうでもない。俺も人と深く関わるつもりなどなかったからな。深く立ち入らなければ、自分も相手も傷つかずにすむと思っていた」

「……いた?」


 それが、過去形なのに気付いたとき。影が落ちて、顔を上げた。


「ああ。今は違う。俺は……今のままは嫌だ」


 間近で見つめる黒い瞳の中に、戸惑う私が映っている。

 今まで繕っていた服が、膝の上から滑り落ちて行くのを感覚だけで感じる。


「……お前にちゃんと伝えなければいけないと思っていたことがある。帝国から帰ったら聞いて欲しい。その上でお前が今のままを望むなら、それでいい」


 何か答えなければと。思っているのに声が出ない。いつもこうだ。動けないままの私を、彼はしばらく眺めていたが。

 その手が伸びて、私の頬に触れる。


「……ッ」


 体が竦んで、目を閉じることもできなかった。だけど一瞬こめかみに唇が触れただけで、すぐに彼は体を離した。


「……どちらにせよ、俺の妻としてついて来るならそれくらいは慣れてくれ」


 ノックの音が部屋に響いて、ミハイルさんが私に背を向ける。

 扉に向かうミハイルさんを後目に、落とした服を拾って、裁縫道具を仕舞う。……少し、手が震えてる。


 それくらい……か。

 きっと、普通の大人にしてみればなんてことないことなんだろう。……どうしてみんな、当たり前のように恋をして、触れ合って、繋がることができるんだろう。そんなの誰にも習わなかった。

 だから、彼にとってはそれくらいのことかもしれないけど、私にとっては違う。そんな文句を言う余裕なんかも当然なくて。


 その間に、扉の開く音と、リエーフさんの声が耳に入ってくる。


「……もしかしてわたくし、また邪魔しましたか」

「別に。むしろ珍しくいいタイミングだった」

「でもお顔が真っ赤ですよ、坊ちゃん」

「……え?」


 沈黙したミハイルさんに代わって、声を上げたのは私の方だった。

 リエーフさんの冗談かと顔を覗き込もうとしたら、ふいと顔を背けられてかわされる。


「やっぱりお邪魔だったみたいですね」


 攻防を繰り広げていると、リエーフさんがニコニコとこちらを見つめる。ミハイルさんがそれに対してなにか言う前に、私はリエーフさんの背中をグイグイと扉の外に押し出しにかかった。「おやおや」とか言いながら、されるがままにリエーフさんが外に出たので扉を閉める。


 ……私以外にはなんてことない、というのは、もしかして私の決めつけだったのかもしれない。そう気付いても、すぐに踏み出す勇気はないけれど。

 

「やっぱり、私も今のままは嫌かもしれません……はっきりしないの性に合わないですし」

「……ほう」


 今まで顔を見せなかったミハイルさんが、ようやくこちらを見る。真っ赤ではないけどうっすら赤いような気もする……表情はいつもの仏頂面だけど。


「でははっきりさせてから……ぶっ」


 肩を掴まれて、反射的にそれ以上近づかれないように両手で彼の顔を押さえてしまった。……やっぱり焦ってるのは私だけのような気がするんだけど……


「か、帰ってからで」

「帰ったらいいのか?」

「話を……聞いてから考えます……」

「長旅になる。心残りは無くしておきたいんだがな」

「心残りがあった方が無事に帰れるとか言いますし」

「確かに。これでは死ぬに死ねん」


 私の手を外して、ミハイルさんが溜め息と共に呟く。


「必ず帰ってきましょうね」


 ミハイルさんが「ああ」と答えて、私は笑った。それから、リエーフさんを招き入れるために扉に手をかける。



 考えることがたくさんありすぎて、全然思考はまとまらないし。

 この関係をちゃんとできる自信もあまりないけど。


 でも今は目の前のことを。必ずここに帰ってくるという、確かな決意を。

 ……きっと大丈夫。どんなにひどく散らかった部屋でも、時間をかければ片づけられる。

 


 そう信じて、私は扉を開くのだった。

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