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第59話 生あらばこそ

「おかえりなさいま……」


 出迎えてくれたリエーフさんが、言葉を止める。それは、乗っているのが私たちだけでないと気づいたからだろう。


「すまん。知らせる暇がなくてな」

「あの、すみません、私が我が儘を言ったんです。ミハイルさんのせいじゃありません」


 気まずそうに詫びるミハイルさんの前に進み出て、リエーフさんに頭を下げる。

 なんだかんだ、私の我が儘をいつも笑って許してくれるリエーフさんだけど……でも、今回は一向に返事が返ってこない。さすがに勝手をしすぎたかもしれない。


 恐る恐る顔を上げてみると、リエーフさんは心なしか青ざめて、わなわなと体を震わせながら口元に手を当てていた。


「ま……まさかお二人に隠し子がいらっしゃったとは」

「ちっ、違います!!」


 私が突っ込んでいる間に、ミハイルさんがリエーフさんの顔面にグーを打ち込んで黙らせていた。

 ……こんな大きな子がいてたまるかい。


「ふふ、冗談ですよ。事情は大体わかりました」


 ミハイルさんの拳を片手で受けながら、リエーフさんがクスクスと笑う。その目は、エフィルの母親に向いている。彼女は居心地が悪そうに戸惑っていたが、エフィルは物怖じせずにリエーフさんの前までトコトコと進み出る。そして、ぺこりと頭を下げた。


「エフィルです。ママ……、母ともども、しばらくお世話になります。よろしくお願いします」

「これはこれはご丁寧に。なんと利発なお坊ちゃんでしょう。良いご両親の元で育ったのですね」


 そう言ってリエーフさんが目を細める。エフィルは嬉しそうに「はい!」と答えた。そんな息子を見て、エフィルの母親もやがてぺこりと頭を下げた。


 そして、リエーフさんがにこりといつもの笑みを浮かべる。


「ようこそ当家へ。……賑やかになりますね」



 * * *



 リエーフさんの呟きの通りに、その日の夕飯はいつもよりも賑やかだった。エフィルは出された食事を目を輝かせて完食し、リエーフさんとずっと楽しそうに話をしていた。その会話を聞くミハイルさんもまんざらでもなさそうで、私も、そんなみんなを眺めているだけで楽しかった。


 でも……エフィルが楽しそうに笑えば笑うほど、どこか心配にもなった。母親を亡くし、住む家も離れることになったのに、エフィルはひとつも弱音を吐かなかった。


「……無理してないかな、エフィル」

「しているだろうな。だが、今は母親に心配を掛けまいと必死なのだろう」


 そういえば、母を亡くしたときに泣いたことをエフィルは後悔していた。そんなの当たり前のことなのに。


「ちゃんと別れを済ませられたら、思い切り泣かせてやればいい」

「……そうですね」


 ミハイルさんがそんなことを言うの、少し意外だ。どう見ても子供好きには見えないけれど、ミハイルさんはずっとエフィルを気にかけている気がする。

 それで、ふと気付く。ミハイルさんも、早くに両親を亡くしている。


 きっと……泣かなかったんだろうな。



「……で、何か用か?」

「いえ、そういうわけではないですが。用がなかったら居ちゃだめですか?」

「そうは言ってないが……」


 食事後、私はそのままミハイルさんに着いて彼の部屋まで来ていた。でも、用がないというのは嘘になるかもしれない。

 気のない返事をして、ミハイルさんが溜め息をつく。でも、知っている。それが別に、邪険にしているとか、一人になりたいわけではないってこと。むしろきっと……その逆だということも。


 いつか去って行くことを怖れて。

 周りを傷つけるのを怖れて。

 依存を怖れて。

 それらは全て、誰かと一緒にいたい裏返しの孤独だ。

 それはわかっていても、離れていく距離をどうやって埋めればいいのかわからなかった。


 でも……もう一つわかったことがある。

 会いたいと願う人に、会って触れられること。それはいつでも叶うことじゃないって……レイラとエフィルが教えてくれたから。


 だから、足を踏み出して、手を伸ばせばいい。

 待っているから離れてしまう。与えてもらってばかりで、私はそんな簡単なことにも気が付かなかった。


「ミオ――?」

「依存を怖れて人と触れ合わないなんておかしいです。私たちは、生きているんですよ」


 戸惑うように呼ぶ、彼の胸に顔を埋めれば、確かな鼓動が聴こえる。生きていることを示すように。


「フェオドラさんの言う依存や固執って、思考をやめてしまうことだと思うんです。ミハイルさんはあのときのことを後悔して、ずっと自分を責めてた。変わろうとしてた。だから、ミハイルさんは大丈夫」

「……どこにそんな保証がある」

「保証がないというなら、私がします」


 いつか彼が言ってくれた言葉を、今度は私が返す。


「失敗も後悔も生きていればこそです。そして生きていれば変われるし、やり直せる。……大丈夫。貴方が何をしても、どうなっても、私はずっと一緒にいます」

「だが……、人は簡単に死ぬ。もしお前に何かあったら……」

「そうですね。人は簡単に死んでしまう。誰だって明日はわからない。でもだからこそ私は、今会って、触れたい」


 それきり言葉は途絶えた。代わりに、ミハイルさんの腕が、背中に回る。ためらいがちに伸ばされたそれは、触れてしまえば強く私を抱き締める。


「自分だけのように言うな。俺だって触れたいんだ」

「子どもみたいですよ」

「うるさい」


 そう返してくるミハイルさんは、ほんとに子どもみたいで、恥ずかしいよりなんだか可笑しかった。

 そして、何より……ほっとした。


「……ミハイルさんはむしろ、もっと……誰かに頼ったり甘えたりするべきですよ」


 自分に厳しいのは悪いことじゃないと思うけど、それだけじゃ疲れてしまう。

 体と心を休めることは、依存とは違うと思う。できるなら、私が……、ミハイルさんにとってそういう存在になれればいいけれど。私を頼って、と言うにはあまりに頼りなさすぎて。

 

「……誰かに?」


 そう思って濁した場所に、彼は的確に突っ込んでくる。顔を上げると、思ったよりもさらに近い場所で見つめられていて、穏やかだった鼓動が加速してくる。


「誰かに……です……」


 今さら熱くなる顔を背けると、頬を掴まれグイと元の位置に戻された。


「どのくらい」

「え……ええと……、このくらいで……」


 その手をすり抜けて、隠れるように再びその胸に顔を埋めると、溜め息と呆れの混じった声が降ってきた。

 

「無茶を言う」


 拗ねたような声に、笑い声が零れた。

 顔も体も熱いし、鼓動は煩い。でも、それが心地いい。ずっとこうしていたいと思ってしまうくらい。少し慣れてきたのかもしれない。


「何を笑っているんだ」

「あ、いえ。私、ミハイルさんのこと、もっとずっと年上だと思ってたんです。すごく大人な男の人だと思ってたんですけど、意外とそうでもないのかなって」

「ほう…………」

「帝国とかレナートが世界を席巻できる力なんていうのが、ちょっと可笑しくて……ってわあああ!?」


 突然抱き上げられて、話が強制的に中断される。そしてベッドの上に座らされて、言葉は悲鳴に変わった。逃げ出そうとする私の腕をがっちりと掴んで阻止すると、ずい、と顔を近づけられる。

 

 腕を掴んでいるのと逆の手が、束ねている私の髪をするりと解く。


「甘えていいんだったな?」


 タイを緩めながら、ミハイルさんが問う。

 

 変な汗が出て来た。


「で、どれくらいだったか」

「だから……ええと……さっきぐらい」

「それで済むか馬鹿。だからお前は危機感がないと言うんだ」

「ぎゃあああああああああああ!!」


 抵抗虚しくあっさり押し倒される。

 慣れてない。それは慣れてない。

 私の叫び声にミハイルさんがわずか怯んだそのとき、バタンと扉が開く音がした。


「何事ですかミオ様! 今度こそこのリエーフ遅れを取りは――」


 飛び込んできたリエーフさんが、硬直する私たちを見て言葉を止め、そそくさと居ずまいを正して一礼する。


「これは……失礼を」


 そして体を起こすと、彼は満面の笑顔で手を組み合わせた。


「どうぞ続けて下さい!!!」

「やかましいわぁぁぁ!!!!」


 ミハイルさんが腰のホルダーからナイフを引き抜いて、怒号と共に投げつける。それを上体を反らしてリエーフさんがかわす間に、ミハイルさんが一気に距離を詰め、殴り掛かる。

 その隙をついて部屋を逃げ出すと、外にいたエフィルがにこっと私を見上げた。


「みんな仲良しだね!」

「そ……そうだね……」


 部屋の中からは、ガシャンと何かが割れる音と、ミハイルさんの怒声がひっきりなしに飛び交っている。


「……エフィル、明日は一緒に掃除しよっか」



 うん、と微笑むエフィルを連れて、私は髪を束ね直しながら、そっと部屋を離れたのだった。

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