5.お兄ちゃん、間に挟まる
――が、しかし。
そんな俺の不安をよそに、ふたりの交際はおもいのほか順調に進んでいった。
エリクは少しでも時間が空けば街へ降り、リリアナに会いに行くようになった。
食事を済ませての帰宅も増え、逆に夜会への出席は極端に減った。エリク目当ての令嬢たちが落胆する夜をこの短期間で何度目にしたことだろう。
「今度の相手は本命らしい」
などと騎士団内部でもエリクの新しい恋人の噂で持ち切りになった。しかし相手が平民娘とは思いもよらない団員たちは、誰一人としてその影を掴むことが出来ないでいた。
リリアナはリリアナで、最初こそ気まずそうにしていたものの、数週間を経た頃には、恥ずかしそうにしながらも「上手くいっていると思う」と話してくれるようになった。
エリクとの交際が心配で、俺もなんとか暇を見つけては、リリアナの様子を探りに実家に寄るようになっていた。
そうして幸せそうに過ごしているリリアナを確認するたびに、安堵と心配の混じった複雑な思いを抱える。
その、繰り返しだった。
そんなある日のこと。
短時間だけ家に戻った俺に、リリアナは紅茶を淹れてくれた。母さんは会合で留守にしていて、片付いた居間に、久しぶりの兄妹二人きり。
俺は、リリアナの焼いたレモンケーキをほおばっていた。小麦粉と砂糖とバターで焼いた昔ながらの素朴な味だ。このぼそぼそした感じが、ストレートの紅茶にはよく合うのだ。
「エリク様って、素敵だよね」
昨日もデートだったと言うリリアナは、うっとりと瞳を潤ませ、微笑んだ。
素敵なレストランに連れて行ってもらった、とか、洋服やら靴やらを買ってもらってしまった、とか。
エリクの与える幸福は、俺や普通の男には到底真似出来ないことばかりだ。
その服や靴やらも、きっと恐ろしく高級な洋品店で購入したのだろう。
リリアナはもったいなくてまだ一度も袖を通していないとはにかんだ。
「……本当に王子様みたい。一緒にいるとね、まるでお姫様になったみたいな気持ちにさせてくれるの」
「王子ってか、従僕じゃねえか?」
「王子様よ」
リリアナは少し頬を膨らませて、陶器のマグカップを両手でつかむ。
子供の頃から愛用しているそれは、花の柄が薄くなっていた。
「……でもあたしは、お姫様にはなれないけどね」
ぽつりと漏らした声には、いつも明るさがない。
「……リリアナ?」
「ねえお兄ちゃん。エリク様って今までどんな女の子と付き合ってたの?」
「は?」
「きっと綺麗で可愛いお嬢様なんだろうな」
「なんだよ、いきなり」
「別に。なんとなく」
リリアナは言って、レモンケーキにフォークを刺した。
「お城のケーキって、もっと美味しいんだろうなあ。いいなあ、お兄ちゃん。いっつも食べてるんでしょ?」
「城の?あんなのゴテゴテして甘ったるいだけだろ。こっちの方がずっといいって」
「本当?」
「お前もいっぺん食ってみろ。見てくればっかり良くて、食いにくいったらねえんだから」
生クリームの上に砂糖で出来た人形だの薔薇だのがくっついたそれはもはや、俺の中では食い物ではなかった。
「ええー、じゃあさ、今度仲良しのメリーサさんに頼んで貰ってきてよ。ちょっとでいいから」
「仲良しじゃねえ」
「そうなの?お兄ちゃんが女の人と話すの、珍しいと思ったんだけどなぁ」
「あいつは変人だから……」
「ふうん?」
くすくすと笑ったリリアナは、いつものリリアナに戻っていた。
(気のせいか?)
「わかったよ。今度持って帰って来てやるよ」
「わーい!ありがとうお兄ちゃん」
ケーキひとつで喜ぶリリアナは、まだまだ手の掛かる子供に見えた。だから俺もついつい過保護になってしまう。出来る限り、傷ついてほしくないと。
「つうか、ケーキくらいエリクにねだればいいのに。喜んで買ってくるぞ。ホールで」
「お兄ちゃんだからねだれるんじゃない」
「なんだ。まだ猫かぶってるのか」
「いいでしょ別に」
服一枚欲しいと言うのに躊躇するリリアナが、恋人とは言え家族以外の人間に、そんなことが言えるわけなかった。
「しゃーねーな」
可愛い妹の髪をぐしゃぐしゃにするように撫でてやれば、案の定睨まれる。
エリク相手では普通に付き合うよりも不慣れなことが多いだろうけれど、そこは俺も協力してやるべきなのかもしれなかった。
リリアナが渇望し初めて自分から思いを告げた恋なのだから。
★
しかし、その数日後。
事態は再び急転する。
夕食後、騎士団員専用の食堂で仲間と一杯やっている最中だった。
「ジェイド」
時刻は門限ギリギリだった。
いつもの外出から帰宅したばかりらしいエリクが、俺を見つけ真っ直ぐ歩み寄ってくる。
「話がある。きて」
と、有無を言わさぬ力で俺の腕をつかむと、エリクはそのまま宿舎の外へ出た。
連れられた灯りのひとつもない宿舎の裏では、エリクの表情を読み取ることすら困難だった。
「なんだよいきなり」
「リリアナに何を言った?」
食いつかれるように言われ、俺は一瞬口をつぐむ。
暗がりにも奴がひどく機嫌を損ねているだけは分かった。
「何をって……なにも」
「さっき別れたいって言われた」
「……は?別れたい?」
なんだよそれ。
「うまくいってたんじゃねえのかよ。リリアナに何したんだ?」
「そんなの僕が聞きたい……いや、聞いたけど、好きっていうのを、勘違いしてたとか、言われて」
「……勘違い?」
ますます顔をしかめる俺に、エリクも困惑を隠せないようだった。
「てっきり君がリリアナにまた何か言ったのかと」
「何も言ってねえって。ってかつまりお前、振られたってことか?」
「僕はまだ承知してない」
不機嫌も顕なエリクは、考え込むように顎に片手をあてる。
「不安にさせるようなことを言ったつもりはないんだけどな。また話さないと」
「しつこい男は嫌われるぞ」
「このまま別れるなんて納得できない。僕に悪いところがあるなら改善するし、言って欲しいんだ」
「改善もなにも、リリアナは勘違いだったって言ってるんだろ。そもそも好きじゃなかったってことじゃねえか」
今度はエリクが口を噤む番になった。
俺にだって、あんなに楽しそうだったリリアナが何故急にそんなことを言いだしたのかは分からない。しかし、予想できるうち一番確率が高い可能性としては、付き合ううち、なにかのきっかけで〝距離〟を感じてしまったのだろうと言うことだ。
『あたしはお姫様にはなれないけどね』
数日前の妹の言葉が、今更ながらに思い出される。
くそ。
あの時もっと詳しく聞いてやればよかった。
そうしたら一緒に悩んでやれたのに。
迷うようにエリクが口を開く。
「……ジェイド。リリアナの様子を探ってくれないか?」
「諦めろって」
「ジェイド」
「俺はリリアナがお前を好きだから認めてたんだ。お前の一方通行なら反対するにきまってるだろ。じゃあな」
言って踵を返した俺は、その足で団長の下へむかった。
(待ってろリリアナ)
思い返せば、すべての元凶は俺だったから。