3.エリク、にこにこする
誰が誰に好意を持っていて、誰と誰が交際しているとか、破局したとか――騎士団の内部でも時折耳にするその話題に、俺はあまり興味がなかった。任務遂行に支障をきたす場合は別として(失恋して覇気がないとか、殴り飛ばしてやりたくなる)、正直なところ、どうでも良かった。貴族共の不倫や泥沼の愛人関係やらに嫌悪はしても、深く考えることはない。「馬鹿じゃねえの」と心の中で思うだけだ。
だが、興味がないイコール鈍感、というわけではない。
俺は、直感的に気づく。
間違いなく、奴はリリアナを意識していた。
「なんで、そんなこと聞くんだ?」
俺のベッドに許可なく腰をおろし話を遮る身勝手さは、いつもと変わりない。しかし。
「うん……すごく良い子で素直だったから、騙されたりしてないか心配で……付き合ってはなくても、リリアナを好きな男はいるだろうな」
秀麗な眉を寄せて面白くなさそうに呟くエリクに、俺は必死に考えを巡らす。早急にリリアナから関心を削がせるには、どう答えるべきか。
「……さあ。どうだろうなあ。俺もあんまり家に帰ってないし、そんな話、しねえし」
と、エリクが怒ったように顔をあげる。
「しなよ。大切な妹だろ?変な虫がついたらどうするんだ?」
「変な虫って……」
直感が、確信に変わる。
しかし解せないのは、奴の戦法がいつもと違うところだった。エリクがこんなも回りくどく、恋人の有無を確認するなど初めてのことだった。普段ならそんなことはお構いなしに仲を縮めていくのに。(むしろ略奪愛こそ楽しんでいるような屑野郎なのに)
やはり庶民相手だと、さすがのエリクも怖気づくのだろうか。
貴族男性と平民の娘。
軽率に付き合えても、その後のことを考えれば確かに利口とは呼べない関係だった。
エリクもそれを十分に理解しているからこそ、リリアナに手を出さないのだろう。なかなか感心な行動じゃねえか。
(ん?……ってことは)
つまりここで、リリアナに恋人がいると仄めかしておけば、奴は早々に諦めるのではないか?
そう結論づけた俺は、なにげない風を装うために散らばった衣服を手に取り、ハンガーにかけた。
「でもな~リリアナもそろそろ年頃だからな~好きな奴のひとりやふたりは居るんじゃねえの?」
「は?誰それ?心当たりあるの?どんな奴?顔は?収入は?仕事は安定してるの?」
矢継ぎ早に飛ばされた質問の多さと内容に、俺は思わず手を止める。
エリクの真顔が怖かった。
「リリアナは、そいつが好きなの?幼馴染とか?小さい頃から一緒にいるから、安心と恋を勘違いしてるんじゃないかな。ちゃんと聞いてあげたほうがいい」
「お……おう」
そうだな、と俺はなんとか相槌を打つ。
まずい。
予想していた展開と違う。
「心配だな。聞きに行こうかな」
エリクが立ち上がると、支給のベッドがぎっと軋んだ音をあげた。
「は?聞くって、リリアナに?」
「うん。だってジェイドは知らないんだろう?だったら本人に聞くしかないじゃないか」
「聞いてどうするんだよ」
すでに扉に向かっていたエリクは振り返り、沈黙する。
自分でもどうするかなんて考えていなかったみたいで、俺はあきれ果てた。
「リリアナには母さんもいるし、友達も多いから大丈夫だって。ほっといてくれよ。俺の妹なんだから」
「……傷つけるつもりはないよ」
まるで俺の不安を見透かしたみたいに、エリクが言った。
「リリアナが泣くところなんて、僕も見たくない」
だから恋人にはならないと、暗に告げていた。
俺は、エリクの歴代の恋人たちを知っている。
騎士としての地位があがり、華やかな社交界に足を踏み入れるようになってからは、なおさらだった。
奴が夜の庭園で恋人とキスをしているところも何度も見たし、相思相愛に見えながら長続きしないことも知っていた。お互い遊びだし、ちゃんと相手は選んでる、とエリクが肩をすくめて笑っていた時には、貴族の道楽だなとしか思えなかった。
他人の恋愛などどうでもいい俺は、エリクの火遊びを無視していた。いつか痛い目を見るにしても、俺の仕事にさえ関わらなければどうでもいいと。
だが、リリアナは駄目だ。
素直で恋のひとつも知らないリリアナに、エリクは猛毒すぎる。エリクが女慣れしている手前、魅力的に見えるのは当然なのだろうけれど。
リリアナは遊びだったと割り切れるだろうか?
そんな訳はない。
だからリリアナは駄目なのだ。
相手を選んでいる、と偉そうに言うエリクに、俺は低い声をあげる。
「だったら行く必要ないだろ」
「……少し会うくらいいいじゃないか。忙しいお兄さんの代わりにさ」
「お前も同じだろうが」
エリクがいつかのように頬を膨らます。
「ケチ」
「言っとくけどリリアナは俺の百倍ケチだからな。あいつ、昨日はお前が来るからって割かしまともな服着てたけど、いつもはボロっボロのエプロンしてるからな!まだ使えるし、どうせ汚れるから新しいのなんかいらねえって」
「やっぱりいいこじゃないか……絶対リリアナ狙ってる男いるって。蹴散らさないと」
「だから、ほっとけって!」
「やだ」
と、押し問答を繰り返す俺たちのもとに、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
エリクの背後の扉がノックされる。
「ジェイド・ハーティス一等騎士様!お客様です!」
扉を隔てて届いた声は、雑用少年兵のものだった。
俺とエリクは扉に注視する。
「客?誰だよ」
「リリアナ・ハーティス様です」
とたん、エリクが反応する。
「リリアナ?どうしたんだろう?」
「お前に関係ないだろ。ってかそもそも、なんでさっきから呼び捨てなんだよ」
「リリアナに許可はとってる」
言いながら扉を開け、そこに立っていた少年兵にエリクは微笑みかける。
「ご苦労様。で、リリアナ嬢はどちらに?」
「第一面会室でお待ち頂いてます」
「第一だね。ありがとう」
はい、と駄賃を渡して、エリクはさっさと宿舎の廊下を歩きだす。
俺も慌ててその後ろについた。
「おいこら、とまれ」
「挨拶くらいいいじゃないか」
「挨拶だけだぞ。挨拶したら消えろよ」
「うんうん。わかったわかった」
絶対こいつわかってない。
くそ。リリアナも何しに来たってんだ。
こんな時に!
「ジェイドって忘れっぽいんだね。僕もこの前、記章を落としてたの届けてあげたんだよ」
「そうなんですか?兄がすみません」
少し恥ずかしそうに、テーブルを挟んで向かいの長椅子に座ったリリアナが、頭をさげる。俺の隣を陣取ったエリクが「いやいや」と首を振った。
俺はリリアナから受け取ったばかりの階級章を握りしめる。どんだけうっかりしてるんだ、俺。
「でも、ジェイドの忘れ物のおかげでリリアナに会えたんだから。嬉しいよ」
「……あたしも、まさかまたエリク様にお会いできるなんて思ってなかったら、嬉しいです」
お互い好意を隠そうともせず、微笑みあう。
と、リリアナが言った。
その笑顔が、ほんの少し曇る。
「あの、お約束のクッキー、お兄ちゃんに言伝ようと思って焼いてきたんですけど。ごめんなさい。受付の人に、食べ物は持ち込んじゃダメだって言われて。あの、あたし、すっかり忘れてて」
なんだそのお約束って。
兄ちゃん聞いてないぞ。
っていうか諦めるって兄ちゃんとした約束の方はどうなったんだ。リリアナ。
「じゃあ、外に出ようか?夕方までなら大丈夫だよ」
「!はい」
ぱっと顔を輝かせるリリアナ。
王子様スマイルを披露するエリク。
苦虫をかんだことないけれど、そんな表情の俺。
「……おい。リリアナ、仕事は?」
「今日は午前中だけだったの。だからあたしも大丈夫よ」
「仕事って、パン屋さんだっけ?僕も行ってみたいな」
「はいっ。小さいお店ですけど、すっごく美味しいのでおすすめです!」
「楽しみだな」
くそ。
両思い共め。
でもお兄ちゃんはそう簡単に許しはしないぞ。
「せっかくだけどリリアナ。エリクは今日夜会があって着飾ったおん」
「ないよ?なに言ってるのジェイド。ほんとうっかりさんなんだから。それよりジェイドこそこんなにゆっくりしてていいの?昼からミドルワース子爵がいらっしゃるから、警護につかなきゃいけないんじゃなかったかな?」
「え?そうなのお兄ちゃん。お昼って、急がなきゃじゃない!」
言われて壁掛けの時計を見やれば、確かに時刻は差し迫っていた。
く……っ。
俺はエリクを立ち上がらせると、その腕をつかみ、面会室の隅に向かう。
「なに?ジェイド。早く行きなよ」
「いいか……ぜっっったいに手、出すなよ。さっき言ったこと、忘れるなよ。男と男の約束だからな」
「わかってるって」
「……」
「君より女の子の扱いは得意なんだから、大丈夫大丈夫」
「……」
「ほら、早くいかないと遅刻したら減給になっちゃうよ」
「……頼むぞ」
俺は最後の抵抗とばかりに、エリクの腕をつかんだ手にぐっと力を込めた。
「はいはい。お兄ちゃん」
ふざけるように言ったエリクの笑顔は、少し寂し気で、なんだか俺は悪者になったような気分だった。
★
しかし、本物の悪者は他にいた。
ちゃんといた。実在していた。
その夜。
夜会に出席を強要された俺は、同じく出席予定のエリクと並んで会場に向かっていた。夜の王宮には等間隔に設えられた灯りが揺らめき、幻想的な空間をしたてていた。参加客の到着をつげる声が遠くから立て続けに聞こえて、気が重くなった。地位と同時に得た社交の義務が、面倒でならない。これ以上の出世も爵位も狙っていないのに、上官はそれを許してはくれなかった。
そんな億劫なことばかり考えていた俺に、エリクが言った。
「なあ、ジェイド」
「んー?」
「実はさっき、リリアナに告白された」
「……は?」
「好きですって。すごくかわいかった。恋人、いなかったみたい」
「……あ、ああ」
どくどくと、心臓が波打つ。
リリアナ、お前、なんて無謀なことを――。
兄ちゃんの忠告はどうした。
俺は正面ばかりを見据えるエリクに言った。
「……で?ちゃんと断ってくれたんだろうな」
「……」
「な?お前、女にはやさしいもんな。ちゃんと傷つけないように」
「ごめん、ジェイド。付き合うことになった」
待てよこら。
「はああああ!?」
「あんなに可愛い子に好きですって言われて断れる男はいないよ。無理だ」
「男と男の約束は!?」
「リリアナは大切にするから安心してくれ、兄さん」
「誰が兄さんだ!」
叫び声をあげてしまった俺に、通りすがる人々から怪訝な視線が向けられる。
そんなことは構うものかと立ち止まる俺に、エリクが笑った。
「だって好きになってしまったから。しょうがないよ」
諦めてと囁いたエリクは上機嫌に夜会へと向かう。
控えめにいって、最悪な展開だった。
うっかりうっかり。