おちた男
これまでの人生、頑張って生きてきたつもりだ。
子供の頃から親の言う事はちゃんと聞いてきた。
わがままだって他の子と比べれば、かなり少ないほうだろう。
学校だって真面目に通った。
授業は真剣に受けていたし、同級生とも積極的に関わっていた。
どのクラスにも話せるやつがいたし、先生方からの印象も良かったはずだ。
なのに、どうしてだろう。
俺の周りには、誰も残らなかった。
学友だと思っていたやつらは、俺を置いて何処かへと去った。
敬ってきた両親も先生も、本当に悩んでいる時に手を差し伸べてはくれなかった。
何故だ。何がいけなかったんだ。
俺は誰かと一緒に居たかっただけなのに。
誰かと笑っていたかっただけなのに。
誰かに頼られたかっただけなのに。
誰かに、必要とされていたかっただけなのに。
俺はたったそれだけの事の為に、頑張って生きてきたつもりだ。
なのに、誰にも必要とされないのなら、俺に生きる意味はあるのだろうか?
分からない。何度考えても分からない。分からないから、死ぬことにした。
◇
寂れかけた地元の商店街。その奥まった場所にひっそりと佇む廃ビル。
そこが、俺が人生を終わらせる場所だった。
屋上の縁に立つと、未だ人の行きかう商店街の様子が窺える。
誰もが何かを求めて、商店街に訪れている。
…あの商店街はまだ、誰かの必要とされている。
それに比べてこのビルはどうだろうか?
人々の記憶から忘れ去られ、誰も近づかなくなって久しい。
誰にも必要とされていない。そんな廃ビルに何か似たものを感じ、俺はここを選んだのかもしれない。
視線を足元に向けると、日の当たらない暗くどんよりとした路地裏が見える。
そのあまりの仄暗さに軽く身震いする。
今からあそこに落ちていくのだ。誰にも気にされない、誰にも必要とされない俺の最後にふさわしい場所だろう。
飛ぶ前に、誰からか連絡が入っていないか、ポケットに入れてあった携帯を確認する。
俺の周りにまだ人がいた頃、この携帯には毎日100件近くの通知が届いていた。
多くの人々に頼られていたあの頃を思い出させるこの確認は、ひとつ俺の未練のようなものだった。
しかし、携帯のどこを見ても、通知の一件も見つからなかった。
――――不思議と残念だとは思わない。
それどころか少し晴れ晴れとさえしている。
これで、唯一といってもいい未練が断ち切れたのだ。
思い残す事なく進むことが出来る。
そうして俺は、一歩足を踏み出した。
終わってみれば呆気ないものだった。
空に片足をかけた瞬間から、俺の身体は重力に従い落下し、何かを思う間もなく地面へと叩きつけられた。
過去の回想が頭を駆け抜けることもなく、痛みを感じる間もなく死ぬなんてこともなかった。
全身に激痛が走る。死んでしまいそうだ。
実際死ぬために飛び降りた訳なのだが、即死出来ないのは想定外だった。
高さが足りなかったのか。当たり所が悪かった、いや、良かったのか。
なんにせよ、中途半端に生き残ってしまったせいで、最後の最後まで苦しむ羽目になる。
踏んだり蹴ったりの人生だった。
身体の、特に強く打ち付けた箇所から血が溢れていく。
自分の存在が薄れていく、そんな感じがする。
それにつれて、頭がシンプルにまとまってきた。
死ぬと決めてから。あるいはもっと前から、俺は考えすぎていたのかもしれない。
友人達は俺の周りから消えていなかったのかもしれない。
大人達は俺にたくさんの助言を与えてくれていたのかもしれない。
それを俺は意固地になって、消えていると、与えてくれていないと、思い込んでいたのかもしれない。
今までには考えつかなかったこの思考に、思わず苦笑を浮かべる。
こんなifに意味なんてないのに。
薄れゆく視界の隅に、ふと光る何かを捉えた。ポケットから零れ落ちた携帯だった。
誰かからのお願いだったのだろうか。最早文字すら読めないので、そうだったらいいなと考える。
なんだ、俺って、ちゃんと必要とされていたんじゃないか…………。
俺の人生は無駄じゃなかった。そんな安堵が、俺の最後の思考だ。
彼の人生は、傍から見れば虚しいものだったのかもしれない。
しかし、彼の中ではそうではなかった。
意識が途切れるその時まで、自分は必要とされていると思っていたのだから。
彼は、幸せのうちに死んだ。
ゆったりと、眠るように落ちていったのだ。




