File.1 プロローグ
最初にそれに気がついたのは、中学の頃だった。自動車にはねられた。
……と、思ったら家で寝ていた。
なにやら事実が改変されているようで、大変混乱したが、死んだことをなかったことにしてもらえたのだと思った。
後から考えれば普通に夢だったのだと思った方が普通じゃないのかと思うかもしれないが、そうは思わなかった。何故だろうか。
死の感触があまりにリアルだったから、そう考えることを拒絶してしまっていたのかもしれない。よく分からない。
しかしこの時は、これが僕の特別な能力だなんて少しも思わなかった。奇跡が起こったんだ、程度にしか思っていなかった。だから力を試そうだなんてつもりは、少しもなかったんだ。
死ぬのは嫌だからね。あれはキツイよ。人間みんないつかああなると知ってしまったせいで、一時期僕は人生っていうのは神様が与えた罰なんじゃないのかと思っていたほどだ。結構本気だったんだよ?
それに、僕自身も死を知ってしまっていつかまたああなってしまうとわかると、怖くて仕方がなかったね。平気そうなツラしてるのが精一杯で、全然大丈夫じゃなかった。
まあ、その話は後でまたちょっと触れる予定だから、ここでは置いておこう。
2回目の死も、事故死だった。
今度は水難だった。川で死んだんだ。僕と一緒に死んでしまった子の死もなかったことになっていたので、記憶が残っているかと問い詰めたら、頭がおかしい人かと思われて距離を置かれてしまった。そこそこ仲のいい友達だったからね、ショックだったよ。
しかし奇跡が起きたのはわかった。そして、その奇跡の対象が自分であることも、その奇跡は同時に死んだものの死もなかったことにしてくれるのだということも。
しかし、それがわかったところでどうということもない。ここでもやっぱり僕はこれが能力だなんて思わなかった。だって僕なんかのたった1人の人間にそんな力が宿るくらいなら、これは神様の気まぐれだと思う方がよっぽど現実味があると思ったから。……いや、どっちにしたって現実味はないに等しいんだけどね。
それに、回数制限があってそれが二回だけかもしれないし、神様はもう気まぐれを起こしてくれないかもしれないし、なにより、もう死ぬのは嫌だった。
今度は以前よりも苦しい溺死だった。もう二度と経験したくないと思った。今も思っている。
それからは、プールの授業だけは頻繁にサボった。体育の単位を落としたのはそこそこ痛いと思ったので、代わりと言ってはなんだが、他の教科は頑張った。海水浴も、行かなくなった。
風呂だけは、さすがに避けられないのでちゃんと入っている。ビクビクしながら入った風呂は入ってみたら意外と平気だったので、いつかプールも海水浴も行けるようになるかもしれない。
失った体育の単位は戻らないんだろうけど。
3回目の死は、つい先日のことだ。
自殺する気は無かった。受験ノイローゼってやつで気が狂って、僕ともあろうものがビルの屋上なんてところに来てしまったのだ。
それでもやっぱり、死の恐怖だけ思い出してそれよりはまだましだと思い直して、受験地獄に戻ろうと思っていたんだ。
多分、思っていたんだと思う。どうだろう。もしかしたら気の迷いもあったかもしれない。いや、あんなところに行った時点で気は迷っていたのか。
よくわからない。
そこには先客がいたんだ。柵のない屋上のふち、丁寧に靴を並べて、隣には遺書と妙にかわいい装丁の文鎮。
いかにもこれから飛び降りるぞって感じに、不揃いな呼吸を整えようとして深呼吸をしていた。中学生くらいの女の子だった。制服を着ていたから、やっぱり中学生だろうと思う。
きっと僕が来なかったら、そのまま覚悟を決めて、飛び降りていたのだろう。僕が来なかったら、だが。
僕が来たから、それは変わった。
突然現れた僕に驚いて、足を踏み外したのだった。自殺しようとしていた人が事故死など、なんの皮肉にもなっていない。
自殺しようとした僕が人を殺してしまったことこそ、皮肉なのだろうか。いや、自殺するつもりはなかったんだっけか。
足を踏み外した彼女をみて、僕が何を思ったのかはよくわからない。よく覚えていない。
でも、何か特別な感情があったわけではなかったと思う。ただ単に階段で手が届く範囲の人が転んだら手を伸ばそうとするみたいな感じで、目の前で落ちたから、つい飛び出してしまった。ビルの屋上から、飛び出してしまった。
即死はできなかった。