第8話
魔物は蘇った
再び世に解き放たれた
女神の庇護をすり抜け
人の世に害を成す為に
黒く佇むは戦火の煙か、不吉を現す暗雲か
魔の物の夜明けが訪れたのだ
闇に浮かび上がる影
踊るその影は、おどろおどろしく、妖しくも美しく舞う
鳴り響くは魔物の悲鳴か、人の断末魔か
「急げ!
いそげ―!」
ギャアアア
グギャアア
不意に響く怒号と共に、松明を掲げた騎馬の群れが現れる。
公道に悲鳴と怒声が響き渡る。
「たいちょ―!
なんですか?これは―!」
「分からん
分からんが
ともかく、切って切って、切りまくれ―!」
『うおおおお!』
最初は、あまりの不気味な姿に不意を突かれ、数名が矢を受けたが、すぐに体制を整えて蹂躙していく。
第2砦の周りには、正体不明の異形の生物軍勢が取り囲んでいた。
その後方を突く形で騎馬武者達が突っ込んで来た。
その先頭に出た大柄な偉丈夫が大声で次々と指示を出す。
この騎馬部隊を率いて来た、ダーナ騎馬大隊の大隊長だ。
「第1、第2、第3部隊は周囲の化け物を蹴散らせ!
第4、第5部隊は我に従え!」
「開門!
かいも―ん!!」
第2砦の門が開かれ、一気に騎馬の群れが駆け込む。
「我こそはダーナ騎馬部隊
死を恐れぬ者は掛かってこい!!」
大隊長の怒号に恐れをなし、魔物の群れは暗がりに散り散りに逃げ惑う。
数匹は仮避難の宿舎に向かうが、後方からの追撃に次々と切り殺される。
警備兵のショートソードと違い、騎馬兵の武器は長柄に斧の様な横刃と、突き刺す為の鋭い刃が付いている。
それを縦横無尽に振り回し、突き出し、小柄な魔物を次々と屠る。
助かった
増援が間に合った
息を吹き返した砦の守備隊は、一気に攻勢に出る。
その様子を睥睨しつつ、大隊長は残存部隊の状況を計る。
部隊は…ほとんど壊滅だな
部隊長は?
警備隊長は?
あそこで切り刻まれていたのが副隊長か?
「奥の宿舎に住民が
住民の避難者がまだ生きていると思います
助けて、助けてあげてください」
血だらけの左手がぶら下がり、右足を引き摺りながら兵士が近付く。
「お願いします
お願いします
お願いします」
「分かった
いいから君は直ちに傷を手当てしなさい」
「おい!
彼に手当てを
それから、奥の宿舎の生存者を守れ
いそげ!!」
『はい』
大隊長の指示で、負傷した兵士が手当てを受ける為に連れて行かれる。
先ほど追撃を行った騎兵と、後続の歩兵が宿舎の中へ入って行く。
数分の内に怪我人が担ぎ出されたが、ほとんどが虫の息だった。
生き残った者達が縋り付くが、兵士が黙って首を振ると泣き崩れる。
うわ言の様に呻き、呟く住民に一言、二言囁き、苦しまない様に介錯を取る。
「住民の生き残りは全部で8名」
「内、大人が6名、子供が2名
子供の内一人は…一人はまだ幼児です」
「そうか…
生き残った住民は、なるべく綺麗な部屋で休ませてやれ
それで?
兵はどのくらい残った?」
「はい
我が軍の被害は軽微
死者3名、負傷者12名
内、重傷者は3名」
「砦の残存兵は5名
突入時に生き残っていた者も傷が深く…残念です」
「そうか…」
突入した時には十余名ほど戦っていたが、最後の力を振り絞っていたのだな
先ほどの兵士と、他には4名しか残れなかったか
大隊長は報告を聞きながら、惨状となった砦の中を見やる。
担架に乗せられた兵士が目の前に運ばれてくる。
「警備隊長です」
「ああ…」
全身傷だらけで、左手は途中で切れて失い、左右の足も滅多切りで原型を留めていない。
その状況から、先ほどの生存者には数えられていないのだろう。
「ああ…
うう…すまな…い
ごふ、ごほっ」
砦を守り切れなかったと、涙を流して悔やむ警備隊長に、大隊長は頭を振って答える。
「こちらこそ
すまない
間に合わなかった…」
大隊長の言葉が聞こえていたのかは分からない。
警備隊長は繰り返し
「すまない
すまない」
「住民を…頼む」
そう言って彼は息を引き取った。
部下の兵士達は、そんな警備隊長の気持ちを汲んで、静かに最後を看取った。
部隊長の最後を看取り、皆が敬礼をする。
「すまないな
それで、負傷者の手当てはどうだ?」
「はい
流石に上級のポーションはありませんので裂傷の完治までは…」
「ただ、止血は出来ましたので
これ以上は死者は出ないです」
「そうか
よかった」
大隊長はホッと一息つき、全体に響き渡る大声で伝える。
「一先ずは危機は去った
外の部隊も入れて、門を閉めろ」
『はい』
「防壁は最早機能していないと思え
松明を持って4人一組で巡回に回れ
各部隊長、巡回と遺体の埋葬は任せるぞ」
『はい』
大隊長は次々と指示を出していく。
敵に使われるのは癪だが、砦はこのまま放置するしかない。
貴重な品や資料、ポーションや武具を集めさせ、運べそうにない物は焼却する。
「この…化け物共の死体は?
いかがいたします?」
「ふむ」
大隊長は暫し腕を組んで考える。
迷った死者は化け物と成って彷徨うというが、元から化け物でも迷うのか?
出来れば報告の為に持ち帰りたいが、亡霊や化け物に成られても困る。
思案しているところへ、門が開かれ、馬車が一台入ってくる。
「酷いじゃないですか
出立するなら一声掛けても良いんじゃないですか?」
「また煩いのが…
まてよ」
馬車から降りて来たのはまだあどけない顔をした少年だった。
暗赤色のローブに紫のとんがり帽子、右手には杖を持った珍妙な恰好をしている。
所謂、魔術師と言われる者だ。
大隊長は煩いと毛嫌いしていたが、若くして宮廷魔術師候補として招かれただけあって、その知識は大いに役立っていた。
今回の遠征にも半ば強引に着いて来たのだが、救援を急ぐ為に置いて来たのだ。
「私の言う通りだったようですね
ふむ?
これは?」
「こいつらが、今回の襲撃者の正体だ」
自称、天才魔導士の少年は、ふむふむと呟きながら死体を検分する。
「確かに、闇の波動を感じていましたからね
しかし思ったよりも深刻ですね」
「ああ
初めてお前の勘が当たって良かったと思ったよ」
「失敬な
で?
この砦?廃墟?
結界はどうなっています」
「こ、この馬鹿たれ!」
悪びれず廃墟などと言う少年に拳骨を落とし、部下に結界を調べさせる。
「いっ、痛い!
だって、どう見たって」
「黙れ!
ここの者達にとっては心の支えだったのだぞ!」
少年はふくれっ面になると再び魔物の死体を調べ始めた。
「へいへい
んー…」
「で
そいつは何だ?」
「ああ
ゴブリン?
ここいらに住んでる小鬼だよ」
「小鬼?
魔物か?」
大隊長はギョッとする。
魔物も驚きだが、ここいらに住んでる?
「そうだよ
小鬼、魔物、ゴブリン」
「だが、ここいらに住んでる?
どういう事だ?」
「あれ?
知らなかった?」
少年の態度にまたイラっとして、思わず拳を振り上げる。
そんないつものやり取りを見て、思わず数人の兵士が吹き出す。
「わあ!
待った!たんま!」
「いいからとっとと話せ!」
「んもう…せっかちだなあ
あ、わかった
わかったからもう殴らないで」
少年は渋々と死体を持ち上げてから説明を始める。
普通なら少年と大差無い大きさの死体を、だが魔法の力で軽々と浮かせる。
「ゴブリン
古くからアースシーのあちこちで見掛けられる魔物で、一般にはその繁殖力で亜人や人間の女性を攫っては子を産ませて増える厄介な魔物
女神様の力で封印された…でいい?」
「ああ
だからここいらには居ない筈では?」
「そうだね
一般の伝承では、ね」
「なに?」
「まあまあ、落ち着いて
で、結界は?」
結界を確認していた兵士が戻り、話を一旦切る。
「報告します
結界は異常ありません」
「なんだと?」
「やはり…」
兵士達も混乱していた。
結界が無事なのに、事実、砦は破壊されていた。
少年だけが訳知り顔で頷いていた。
「どういう事だ」
「まあまあ、慌てないで
結界は完全には死んでいない
ただ、効力が落ちている様ですね」
少年はスタスタと歩いて結界石が納められた祠の前に来る。
大隊長も兵士を伴い続く。
「では、応急ですが補強をしておきますね」
そう言うが早く、少年は奇妙な呪文を呟き始め、辺りに光が漂い始める。
その呪文がより早く、強く繰り返されると虹色の輝きに包まれる。
「ホーリー ライト ウオール」
少年の呪文が完成すると共に虹色の輝きが一際強くなり、やがて光が収まると辺りは光の粒子が漂い厳かな雰囲気に包まれた。
「よし
これで大丈夫…と、っと」
疲労感か、少年の足が一瞬力を失い崩れるが、すぐに大隊長の力強い手が支える。
「大丈夫か?」
「ええ
すいません
慣れない呪文は思ったより消耗が激しいようですね」
いつの間にか、砦の中は先ほどまでの暗い不安な雰囲気から、穏やかな温かい空気に包まれていた。
これが結界の効果だと言うのなら、今までの結界とは?
「本来なら、もっと強力な結界が張られる筈なんです
人がもっと女神様を信奉している…ならね」
「ううむ
俄かには信じられんが、これを見たからには信じるしかないだろう
で、さっきの続きだが…」
「ん?
ああ、ゴブリンね」
少年はゴブリンの死体を見ながら続ける。
「封印なんて嘘っぱちなのさ
女神様の結界で近寄れないだけで、奴らは依然増え続けていた
女神様と人間達に復讐する為にね」
「な、なんだと?」
「だから、奴らはすぐ傍に居たのさ
ずっと前からね
行方不明事件が年に何件かあるでしょ?
ゴブリンや他の魔物が居る証拠さ」
「だが、そんな話は…」
「そりゃそうさ
知られたら大事になるからね
なるべく知られない様に処理してたのさ」
「うぬぬぬ…」
「仕方が無い事なんだ
犠牲が出なければそれが一番だしね
不用意に発表すればどうなるかは…おじさんなら分かるでしょ?」
少年の言う事は最もだ。
だが、それなら何故?
この開拓は決行された?
「ああ
領主は知っていたけれど仕方がなかったんだ
領土拡充と住民の生活、魔物を森から追い出す、その他もろもろ…
だから大分悩んでいたみたいだよ」
「そうか
知っておられた
だからこそのこの遠征軍を快くお出しになられた…」
「そう
後悔されていたからね
だから急ぐように進言したんだ」
集められる多くの遺体。
出来れば持ち帰りたいが、ここで燃やすしかない。
それを見ていた大隊長は、死体の数があまりに少ない事に気が付いた。
「どうした?
遺体はこれだけか?」
「はい
え?」
「少なくないか?」
「既に亡くなった者は埋められたか焼却されたのでは?」
「それにしても、だ
少な過ぎる」
大隊長は少年の方へ向き直り、問い質せる。
「おい
どういう事だ」
「いや、ボクに聞かれてもね」
少年は両手を挙げて肩を竦める。
「生き残りで話を出来そうな者は居るか?」
「はい
少しぐらいなら大丈夫かと」
「よし
案内しろ」
ぞろぞろと移動して、負傷兵の集められた場所へ向かう。
その兵士は顔半分に包帯を巻かれ、左手を骨折したのか吊っている。
着ていた鎧は脱がされ、血まみれの服が痛々しいが、傷の手当は終わっているようだ。
兵士の前へ来ると立ち上がろうとするが、大隊長は手で制して座らせた後、自身もその前に座り静かに尋ねた。
「少し、聞きたい事がある
よいか?」
「はい
オレで分かる事でしたら」
「では、尋ねるが
残された遺体の数があまりに少なくてな
何か事情を知っておるか?」
尋ねた瞬間、兵士の顔が不意に苦悶に歪む。
余程ショックな事があったのか、呼吸がヒューヒューと荒くなり、肩を震わせて怯えだす。
少年が大隊長の横へ進み出て、鎮静の魔法を掛ける。
兵士は低く緩やかな呪文を聞きながら、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「だいじょうぶかね?」
「はい
申し訳ありません」
「構わんよ
大変な目に遭ったのだ」
「はい
大変でした
とても、とても…」
兵士は先ほどよりも落ち着きを取り戻していたが、それでも大粒の涙を溢しながら語った。
「仲間は、死体が無いのは持ち去られました
特に住民は生きたまま連れ去られ…
何度も何度も叫んでました
助けを呼ぶ声が、何度も…
そのうち聞こえなくなっていく…うう」
「どう思う?」
大隊長の質問に、だが少年は答えられなかった。
生きたままならまだ分かる。
先に話した通り、繁殖の為に攫うと聞いていたからだ。
だが、死体を欲する?
食料としてか?
餌として攫っていったのか?
他には考えられないが、確証が無い。
「すいません、オレ…
オレ…
助けを呼ぶ仲間を、住民を助けられなかって
ヒック、生贄にされたみんなが…」
「生贄…か
奴らからしたら我らは餌か?」
「餌…
えさ?
そんな話は文献にも…」
「奴ら、死体を辱めて
集落の結界もそれで!」
「なん…だと」
「結界を?」
「集落では結界の石を持ち去って、住民の死体を集めて穢していたんです」
兵士は嗚咽を漏らして泣き崩れた。
激しく泣きじゃくる兵士の背中を優しく撫でながら、少年は先ほどとは違う呪文を呟く。
兵士の呼吸が少しずつ落ち着いていき、唱え終わる頃には安らかに眠っていた。
「睡眠の呪文です
これ以上は傷に障りますからね」
「ああ
すまない」
「一先ず、ゴブリンの死体は集めて燃やしましょう」
「いいのか?」
「証拠として持ち帰りたいのはやまやまですが、邪魔な荷物になりますから
それに、放っておけば亡者になり、却って被害が増しますから」
「やはり、亡者になるか」
「なりますね
奴らは元々闇の尖兵ですから」
「闇の尖兵…ね
なんだ?それは?」
少し考えて、少年は語り始めた。
「夜明けまでまだあります
死体を焼くにも時間が掛かりますから、その間に説明しましょうか」
闇の尖兵とは?
そもそも闇とは何か?
闇とは女神様に仇成す者達の総称である
古くは魔族、魔獣、魔物と呼ばれる存在が居た
ゴブリンやオーク等の人型の化け物は魔物と呼ばれていた
その中でも一番下っ端に当たるのが、数を頼みにしたゴブリン、オーク、コボルド等だ
繁殖力は高いが、魔物の中では弱いので常に前線に出されて尖兵として使い潰されるから闇の尖兵などと呼ばれている
「こいつらは弱いから
奇襲でもしないと人間にも勝てないんですよ」
「なるほど」
パチパチと異臭を放ち、魔物の死体が燃える。
「待てよ?
その言い方だともっと強い魔物が居るのか?」
少し考えて、少年は悪戯っぽく笑みを浮かべて答えた。
「居ますよ
コボルド、人狗は身長も腕力もありますし、オーク、豚人間はタフでなかなか死にませんよ
帝国の衰退には奴らも一役買ってます」
「なんだと?」
「女神様の結界が無くなった為に、オークやコボルドの大群に蹂躙された都市もありました
聞いた事がありませんか?
魔物に落とされた街の話」
「いや、あれは与太話だろ?」
「いえ
実は本当の話なんですよ
ですから…今回の話は厄介なんですよ」
「ううむ…」
大隊長は、少年から語られた思わぬ話に唸り声を漏らす。
「それで、お前は砦が危険だと急かしたワケだ」
「ええ
帝国の件がありましたんでね
確証はありませんでしたが、結界が弱まっている危険性がありましたから」
「そして実際に、結界は弱まっていたと…」
「ええ」
大隊長は無言で結界石を収めた祠を見る。
「後少し、到着が夜が明けてからだとここも同じ様になっていたのか」
「そうですね
恐らくみんなやられて、ここの結界も機能しなくされていたでしょう」
「で、どうする?」
「どうすると言われましても
補強はしましたが、ここに留まるのはお勧め出来ませんね」
「魔物を迎え撃つにしても、昨晩立ち寄った第1砦に戻って、補強してから迎え撃つのが一番よろしいかと…」
「ふむ
お前は年の割に妙に落ち着いて
でも、だからその意見は大変参考になる」
「どうも」
二人は暫し黙って、結界石の祠を眺める。
「撤退しか、ないか」
「はい」
大隊長は、夜明けと共に第1砦まで撤退する様に準備を命じる。
指示を出しながら、ふと、馬車を見る。
馬車には、役目は終わったと少年が乗り込む。
まだ子供なんだ。
疲れたからと少年は馬車で眠る事にした。
「子供なのに
まだ、殿下と遊んでいたいだろうに」
大隊長はボソリと呟き、気を取り直して指示を出す。
夜明けまであと少し。
長い夜が明ける。
本来は第2砦の攻防戦を書きたかったのですが
それはまた、後程で