第792話
祭りの予定が決まってからも、アーネストは執務室に籠っていた
狂暴な魔物に対して、隊商や国民に警告を発する為だ
多くの魔物は、狂暴化が無ければ大人しかった
しかし一部の魔物は、そのままでも狂暴な者も居たのだ
執務室の中は、夕日が差し込んで薄暗くなっていた
アーネストは魔石を使って、ランタンに灯りを灯す
そうしてキマイラの、生息地の記録を確認する
地図には既に、他の魔物の群生地も記されている
コンコン!
「ううむ…」
「アーネスト!」
「この山が危険なんだよな…」
「アーネスト!」
「何だよ!
うるさいなあ」
「お前なあ…
また地図とにらめっこか?」
「放って置いてくれよ」
「そうはいかんだろう
ほら」
「あん?」
イチロが執務室に入って来て、何かを差し出した。
それはボロのローブと、何かの被り物だった。
「何だ?
これ?」
「仮装だよ」
「仮装?」
「はあ…
お前なあ…」
「何だよ?」
「今日は何日だ?」
「あん?」
アーネストは不満そうに、日付の書かれた紙を見る。
そこには10の月の、細かな行事や予定が記されている。
「今日は29日だが?」
「はあ…
10の月の最終の祝日だぞ」
「はあ?」
「だ・か・ら!
今日は祭りだろうが?」
「祭り?」
「ハロウィンの祭りだ」
「何だよ?
それ?」
「お前…
良いからさっさと着替えろ」
「何だよ?
さっきから…」
「アーネスト!
ジャーネも待っているのよ!」
「フィオーナまで?」
「良いから!
さっさと脱ぎなさい!」
フィオーナは執務室に入ると、強引にアーネストの法衣を脱がせる。
そうしてボロのローブを着せて、頭には死霊の被り物を被せる。
それから化粧道具を取り出して、アーネストの身体に化粧を施す。
数分の後には、彼はすっかりと死霊に化けていた。
「何だよ?
これは?」
「大丈夫よ
私達も仮装するから」
「仮装って?」
「そういう祭りなの」
「そうだぞ
これから仮装した市民が、街中を練り歩くんだ」
「はあ?
それが祭りなのか?」
「ああ
そうだ
みんな魔物に扮して、街中を歩くんだ」
「何の意味があるんだ?」
「それはお前の目で見るんだな」
イチロはそう言って、ニヤニヤと笑っていた。
アーネストは死霊の姿にさせられて、すっかりと観念していた。
どの道この格好では、資料も読み辛い。
それで仕方なく、祭りに同行する事になった。
「それで?
本当にただ歩くだけなのか?」
「そうだな
オレ達大人は、子供を連れて歩き回るだけだ」
「大人は?」
「ああ
子供には別の目的がある」
「目的…ねえ」
フィオーナやジャーネも、すっかりと準備が出来ていた。
ジャーネはゴブリンの扮装をして、ボロの服を着ていた。
フィオーナは死霊の格好をして、2歳になる男の子を抱いていた。
その子もアーネストの子で、アーネストにとっては待望の嫡男だった。
「さすがにアルバートには、扮装はさせないんだな」
「当たり前でしょ」
「それならジェニファー様に預けてくれば…」
「ジェニファー様も出掛けたわ」
「出掛けた?」
「ええ
女王様と一緒に」
「まさか女王様も?」
「それは無いわ
でも祭りの様子は見たいって」
「そうか…
共の兵士は?」
「騎士を
近衛騎士を連れて出られたわ」
「それなら問題無いか」
アーネストはそう言って、胸を撫で下ろしていた。
女王であるマリアンヌは、誰に似たのか活動的だった。
それは時に、共周りを着けずに出掛けてしまうほどだ。
そう考えれば、今夜はまだマシな方なのだろう。
「ほう
出店もあるのか」
「あのなあ…
出店の許可証も出させただろう?」
「そうだったか?」
「お前…
絶対に祭りの事を忘れていただろう
そもそもオレが出した…」
「あ!
ターニャちゃん達だ
行って来るね」
「はいはい
気を付けてね」
「うん」
「おい!
そこは…」
アーネストが注意しようとするが、ジャーネは慌てて子供達の輪の中に入る。
このまま小言を言われれば、また時間を無駄にしてしまう。
ジャーネは他の女の子達と、仲良く手を繋いで駆け出した。
子供達は先に出ていた、アイシャ達が引率していた。
チセはコボルトの恰好で、ファリスはドラゴンの被り物を被っている。
アイシャだけは、服だけしか変えていなかった。
本人曰く、服だけ変えても私は獣人だから、コボルトに見えるでしょうとの事だった。
他の母親達も、子供を連れて回っているらしい。
「あ!
的当てがあるよ」
「ジャーネは駄目
壊しちゃうでしょう?」
「それにジャーネがやったら、オレ達の景品が無くなってしまうよ」
「そうよ
ここは黙って見ていてね」
「ええ!
そんなあ…」
男の子達が、的当ての出店に向かう。
そして我先にと、順番になって的を狙っていた。
それは大きなぬいぐるみやおもちゃを、玉を当てて落とす遊びだ。
しかしぬいぐるみ等良い景品は、取り難くて落ちない様に工夫がされている。
それを知ってか知らずか、子供達は夢中になって的当てを楽しんでいた。
中には的に当てても、落ちなくて悔しがる子供も居た。
「ジャーネ
よく見ていろ」
「え?
バンくん、出来るの?」
「オレの腕を見せてやる」
その男の子は、魔物の子供だった。
ジャーネの前で良いところ見せようと、張り切って的を狙う。
しかし彼の腕では、的に当てても落とせなかった。
結局残念賞で、小さなぬいぐるみを貰えた。
「ほ、ほら」
「え?
バンくん要らないの?」
「ああ
オレは男だからな」
「ん…
ありがとう」
「あ、ああ…」
ジャーネが嬉しそうに受け取ると、その男の子は照れて笑った。
魔物の子供なのに、彼は妙に人間臭かった。
こうして魔物でも、少しずつ人間に溶け込み始めていた。
アーネストはそれを見て、何だか嬉しくなっていた。
「な?
これだけでも来た甲斐があったってもんだろう?」
「そうかなあ?
まだ子供だから…」
「お前なあ…
少しは前向きになって考えろよ」
アーネストの言葉に、イチロは小さく溜息を吐く。
「お?
そろそろかな?」
「何が?」
子供達は数人ずつに別れて、民家のドアをノックして回り始める。
そうして出て来た家人に、お菓子を要求するのだ。
「トリック・オア・トリート♪」
「ガオオ♪
お菓子か悪戯だ」
「お菓子をくれないと、悪戯しちゃうぞ♪」
「あらまあ
それは困ったわね」
年配の女性は、そう言いながらもにこやかに微笑む。
その手には籠を持ち、後ろ手に隠している。
「お菓子か悪戯だ」
「そうね
それじゃあ、これをどうぞ」
「わあ…」
「焼き菓子よ♪」
「クッキーだ♪」
「美味しそう…」
「ちゃんと手を洗ってからね」
「はあい♪」
子供達は女性の、魔法で出した水で手を洗う。
そうして美味しそうに、一人一枚ずつクッキーを頬張る。
「あ!
あいつら!」
「良いんだ
これはそういうお祭りだ」
「え?
だって、お菓子をせびって…」
「そういうお祭りなんだ」
「しかし行儀の悪い…」
「今夜だけは特別なんだ
それに見てみろ」
他の家の前でも、同じ様に子供達がお菓子を貰っている。
どの家でもお菓子を用意していて、嬉しそうに子供に配っている。
「ん?
どういう事なんだ?」
「事前に告知していたからな
みんな用意しているんだ」
「告知?」
「お前なあ…
書類をちゃんと読まなかっただろう?」
アーネストは、そこまで真剣に読んでいなかった。
用意されていた書類には、祭りの詳細も書かれていたのだ。
「お菓子を用意して、小さな魔物を迎えるんだ」
「何でだ?」
「さあな?」
「さあなって…」
「しかし見てみろ
みんな喜んで用意している」
「お菓子なんて…
王都にそんなにあったのか?」
「用意する為に、事前に色々したんだ
その事も書いてあったが…」
「ん、んん」
アーネストは咳払いをして、誤魔化そうとする。
「アイシャ達が商店に出向いたり、街の御婦人達を招いて講習会を行ったんだ」
「え?
この為に?」
「いや
少し前からな、ゆっくりと広めているんだ
お菓子は子供達だけでは無く、ご婦人方にも好評なんだぞ」
「へえ…」
本来なら、砂糖は滅多に手に入らない高級品だった。
しかしミリアが、精霊の加護を使っていた。
それで砂糖の採れる、植物の栽培も行い始めていた。
他にもチョコレートの原料である、カカオの木も植えられていた。
「地域の人々と子供達の交流もあるが…
見てみろ」
「え?」
「あの老人は、魔物の事を毛嫌いしていた老人だ」
「あ!
確か子供が亡くなって…」
「そうだ
だから魔物を憎んでいた」
しかしその老夫婦も、子供達にお菓子を配っていた。
その中には、当然魔物の子供も混じっている。
いや、仮装をしているので、ほとんどの子供達が魔物なのだ。
それなのに婦人は、優しい微笑みを浮かべて、子供達を見詰めていた。
「子供を嫌いな人なんて、ほとんど居ない」
「それはそうだが…」
「そしてな、あの気難しい老人も微笑んでいる」
「あ、ああ…」
老人は、最初は気難しい表情を浮かべていた。
しかし子供達の、嬉しそうな顔と感謝の言葉を聞いて、次第に表情が綻んで行った。
「あ…
笑っている」
「そうだな
婦人なんて、子供の事を思い出したんだろう」
婦人は目元に、涙を滲ませていた。
その事を心配して、コボルトの子供が何かを言った。
それで夫人は、短く首を横に振る。
それから何かを呟き、その子の頭を撫でていた。
「これで…
少しでも蟠りが解ければ良いな」
「イチロ?」
「ああ
全てはいきなりは無理だ
しかしきっかけになれば…」
「あんた、これが目当てで?」
「いいや?
ただ息抜きが必要だと思ってな
最近のお前は、思い詰めていただろう?」
「いや、だからって…」
「序でに魔物と、人間の蟠りが解ければって…
少し欲張り過ぎかな?」
「いいや
十分だろう…」
アーネストは、その光景を胸に刻み込んだ。
こうして少しずつでも、両者が歩み寄れれば良い。
その為にアーネストは、必死になっていたのだから。
「しかし…
この老人は良かったが、中には危険な思想を持った…」
「大丈夫だ
その為に、ほら」
イチロの指差した先に、私服の兵士が数人紛れて居た。
彼等も仮装しているので、見た目には兵士には見えなかった。
それで巡回していても、不自然には見えないのだ。
「それにな、悪意があればアイシャ達が…」
「そうか
気付くか」
アイシャもだが、ファリスは女神教の司祭でもある。
神聖魔法の一つに、悪意や害意を検知する魔法もある。
効果はそう強くは無いが、範囲はそれなりに大きく見張れる。
その魔法も使えば、悪意ある人間も事前に察知出来る。
「だから大丈夫だ」
「そうだな」
二人はそう話しながら、子供達の様子を見守る。
各家庭では、子供達の為にお菓子を用意していた。
そうして小さな魔物を、快く迎えていた。
これだけでも、この祭りは成功だったと言えよう。
「トリック・オア・トリート♪
お菓子をくれないと、悪戯しちゃうぞ」
「お菓子か悪戯だ」
街のあちこちで、子供達の明るい声が響く。
それは同時に、戦争で傷ついた者達の心の傷も癒していた。
「凄いな…」
「へ?
何だって?」
「いや
イチロの居た世界って、ほんと凄いな」
「そうか?
オレにはこっちの方が…
魔法や魔物が居て凄いと思うぞ?」
「しかしこんな祭りは…
文化的には相当進んでいるんだろうな」
「あ…
それはあるな」
イチロの元居た世界には、魔法も魔物も存在しない。
正確には、ごく一部の者は魔法を行使出来ていた。
しかしその存在は、女神によって秘匿されていた。
そして魔物も、実は少数ながら存在はしていた。
しかし魔力が薄いので、あまり長く生きる事は出来なかった。
だから稀に生まれても、やがて誰にも知られずに死ぬ事の方が多かった。
だからこそ、その世界では文明が進歩していた。
イチロの居た国は、ちょうど長い戦争が終わって、平和を享受している時期だった
それもあって、イチロが思っている以上に発展していた。
「他にも祭りはあるのか?」
「そうだな
豊穣の感謝や、豊作祈願の祭り…
他には過去の偉人の功績を称えた祭りとか…」
「へえ…」
「ほとんど実物は知らないがな」
「はへ?」
「そりゃそうだろう?
オレの住んでた地域で、行われる祭りだけだ
他は話に聞いただけだ」
「この祭りは?」
「よその国の祭りだ
だから少し違うかも知れん」
「そうなのか?」
「ああ
しかし…概ね好評の様だな」
「あ、ああ…」
「来年もやるか?」
「そうだな…
女王に打診しておくよ」
アーネストは密かに、毎年やるように上申するつもりだった。
そして他にも、祭りを取り入れようとも考えていた。
国が平和になり、富む様な祭りなら歓迎だった。
後はイチロが、どこまでそれを知っているかだ。
「きゃっきゃ♪」
「あはははは♪」
「トリック・オア・トリート♪」
子供達の声が、あちこちの家から響いて来る。
願わくば、この平和が永遠に続いて欲しい物だ。
アーネストはそう思い、子供達の姿を見詰めていた。
「トリック・オア・トリート♪」
こうして子供達の声は、10の刻を刻むまで響き渡った。
そうして王都は、平和な内に微睡に沈んで行った。
今回は特別編として、ハロウィンをテーマに書きました。
後数話、後日談を書きます。
ご意見ご感想などございましたら、コメントしてください。
読んでくださりありがとうございます。




