第789話
全てが終わった後に、平和な時が訪れるのか?
いや、それすら日常の一ページであり、そのまま日常は続いて行くのだ
そしてクリサリスの王都でも、それは続いていた
ただの日常の一ページとして、終焉は訪れるのだ
アーネストは、クリサリスの王城から街を眺める
そこにはもはや日常と化した、喧騒が広がっている
オークが商店で呼び込みをして、コボルトが人間達と酒を酌み交わす
そのはす向かいでは、ドワーフがオーガと何か金属を加工している
「ふう…」
「お父様!」
「ジャーネか
どうしたんだい?」
「あのね…」
少女は顔を少し赤らめて、もじもじしていた。
それを見て、アーネストは小さく溜息を吐く。
彼女がこういう仕種をする時、大概が何かおねだりをする時だ。
また何か、王都の街で欲しい物でも見付けたのだろうか?
「どうした?
何か見付け…」
「あのね
あのね、私…
ロバートに告白されちゃったの」
「何!」
アーネストの驚いた声に、数人の文官達が振り返る。
ここは王城のバルコニーで、執務室の外になる。
アーネストは執務の合間に、休憩をしようと外に出ていた。
だから周りには、彼の部下の文官達が集まっていた。
「おめでとうございます」
「良かったですね」
「良くあるか!
ロバートはまだ8歳だぞ!」
「あのね、お父様
今時そんな考えでは遅いですのよ」
「な!」
「貴族の間では、8歳ぐらいでは婚約も当たり前ですのよ」
「な…」
「そうですね」
「さすがお嬢様」
「馬鹿な事を申すな!」
アーネストは怒りに顔を真っ赤にして、文官達を睨む。
「どこでそんな事を…」
「あら?
そんなのティナやターニャからに決まってますわ
あの子達も最近では…」
「はあ…
またあの三馬鹿娘か」
「お父様
それは失礼でしてよ」
ジャーネはそう言って、頬をぷっくりと膨らませる。
イチロの娘達は、アーネストに三馬鹿娘と言われていた。
それは彼女達が、奔放で我儘だったからだ。
既に5歳になっていたが、相変わらずの我儘ぶりだった。
しかしそれも、父親であるイチロが甘やかすから仕方が無かった。
「はあ…
イチロは父親としては甘いからな」
「そう?
お父様と違って、優しい方ですわよ?」
「優しければ良いという訳でも無かろう?
時には厳しくせねばな」
「お父様が厳し過ぎるのよ」
「むう…」
最近ではこうして、ジャーネにも悪影響が出ていた。
しかしそれも、仕方が無い事なのだろう。
アーネストは宰相なので、娘にも厳しく接していた。
宰相の娘であれば、少しは教養を身に付けて欲しかったからだ。
「それはお前が…」
「宰相の娘、だからでしょう?
もう聞き飽きたわ」
「だがなあ…」
「はいはい
分かっていますわ
ですからこうして、言葉遣いにも気を付けて…」
「分かっているなら良い」
「はーい」
「はあ…」
娘の態度に、アーネストは怒るべきか判断に迷う。
「それで?
ロバートは何と?」
「んとねえ
お姉ちゃん
ボクとしょうがいをともにしてくだしゃいって
きゃはあ♪」
「はあ…
それは求婚なのか?」
「そうでしょう?
ロバートなら私…」
「ならん!
ならんぞ!」
「どうして?
大事なギルバートおじ様の息子なんでしょう?」
「だからだ!
だいたい、何でお前なんだ?」
「さあ?
それだけ私が、魅力的なんでしょう?
うふっ♪」
「う…
あ、頭が痛い…」
「ははは…」
ジャーネは、しなをつくって腰をくねらす。
しかし少女がその様な事をしても、可愛いとしか映らない。
アーネストは引き攣った顔をして、頭を抱えていた。
そして文官達も、どうして良いのか分からず、苦笑いを浮かべる。
「何よ!
可愛いって言われるのよ?」
「何処で覚えて来るのか…
どうせターニャ達だろう?」
「そうよ
こうすれば、大人の男はイチコロだって」
「全く
変なことばっかり覚えて…」
アーネストはそれから、宮廷マナーの勉強に向かう様に命じる。
そろそろ講師のファリスが、イライラして待っている頃だろう。
ジャーネは不満そうに、渋々と城の中に戻った。
「どうしたんだ?
しかめっ面して?」
「イチロ!
お前の娘達によく言っておけ」
「ん?」
「変な事を娘に教えるな」
「あ、ははは…」
イチロは娘達が、また何かしたのだと悟った。
そこで苦笑いを浮かべると、笑って誤魔化そうとする。
「それで?
今日はどうしたんだ?」
「ああ
宰相殿は忙しいとは思ったんだが…」
「ああ
今は休憩中だ」
「それなら手短に…」
イチロはそう言うと、懐から地図を取り出した。
「東の平原は良いのだが…」
「ああ
また南のゴブリンか?」
「ああ
また隊商を襲ったんだ」
「あいつら…」
あの戦いから、既に5年の月日が経とうとしていた。
その間に、魔物はすっかりと大人しくなっていた。
そして魔物の中には、そのまま人間との共存を望む者も出て来た。
しかし中には、未だに根強く人間を憎む者も、少なからず存在していた。
「オークやオーガは大人しくなったんだがな…」
「ゴブリンだけはな…
困った物だ」
オークやコボルトは、人語を解する者も増えていた。
そして人語を話せなくとも、オーガはドワーフと仲良くなっていた。
しかしゴブリンだけは、人間とは暮らそうとしなかった。
特に南の平原のゴブリンは、人間を憎んで襲って来るのだ。
「どうする?
討伐するか?」
「いや
それはまだマズい」
「そうか…
それじゃあ警戒しながら?」
「そうだな
なるべく敵対はしたくない」
他の魔物が仲良くなったとはいえ、まだまだ不安要素はあった。
ここでゴブリンを討伐すれば、また魔物のイメージが悪くなる。
特に南の平原は、ゴブリンが縄張りだと主張しているのだ。
なるべくなら穏便に、隊商を通過させたかった。
「どうする?
何ならハイランド・オーク達を出すが?」
「いや
武装した者が居ては、却って警戒する」
「それじゃあどうする?」
「そうだな…
また仲介役を…」
「そうか
それじゃあエレンを?」
「ああ
すまないが頼む」
「分かった
エレンにはオレから話しておくよ」
「ああ
そうしてくれ」
エレンはイチロの娘で、魔物でもある。
魔物との和解の印に、魔物達から養女として差し出されたのだ。
そうして今も、イチロの娘として生活している。
そんな彼女の主な仕事は、魔物との仲介役だった。
彼女は魔王の娘でもあり、多くの魔物と話す事が出来た。
そんな彼女だからこそ、魔物との仲介役は適任だった。
彼女はこれまでも、多くの魔物からの相談も受けていた。
そうして解決する事で、実績を積んでいたのだ。
「必要なら、もう一度縄張りの境界線を決め直しても良い」
「良いのか?」
「ああ
隊商が無事に通れるのならな」
「ああ
その様に話して来る」
「頼んだぞ」
アーネストの言葉に、イチロは左手を挙げて応える。
イチロの右腕は、今では金属の義手が付いている。
あの時封印が破られた際に、イチロの右腕も破壊されていた。
イチロはそのまま、腕を治さずにいた。
「まだ…
引き摺っているのか…」
「はあ?」
「何でもない」
イチロの右腕は、実はポーションで治す事も出来た。
しかしイチロは、そのまま直す事はしなかった。
あの場所に戻る事が出来たら、その時に右腕を回収する。
イチロはそう言って、治そうとしなかったのだ。
アーネストはそのまま、バルコニーから中に入る。
執務室には、不貞腐れた顔のマリアンヌ王女が待ち構えていた。
「アーネスト
早く次の法案を用意しなさい」
「はい
しかし午後の分はもう…」
「良いのです
明日は少しでも、時間が欲しいの」
「あ…
もうそんな時期ですか」
「ええ
お父様に報告もしないと…」
明日というのが、実はギルバートがこの世界から去った日なのだ。
それでマリアンヌは、父であるハルバートの墓参りに向かうのだ。
今年もギルバートが、戻って来れなかったと報告する為だった。
「国王の墓は…」
「先代の国王!ね」
「はあ…
先代の国王の墓は、準備が出来ているんですか?」
「アーネストが忘れている間にね」
「はあ…
ではさっさと、次の法案の確認をお願いします」
「どれどれ?
はあ…
またオーガが喧嘩をしたの?」
「そうなんですよね
酒は家で飲めって言ってるのに…」
「アーネストと同じね」
「オレは喧嘩なんて…」
「喧嘩はしないけど、絡むでしょ?」
「そ、それは…」
先日もアーネストは、帰らぬギルバートの事を愚痴っていた。
ただ愚痴るだけなら良いのだが、周りの文官や兵士に絡むのだ。
そのクセが悪いので、兵士達からも苦情が来ていた。
「あなたもそろそろ…」
「ですがギルは…」
「お兄様はどう言ったのか知らないけど…
帰って来れない可能性の方が高いんでしょう?」
「帰って来ます!
必ずあいつは…」
「分かった分かった
だからそれを、兵士にしないでよね」
「は、はい…」
アーネストは悔しそうに、拳を握り締めていた。
その拳には、あの時の傷がそのまま残されている。
アーネストはイチロに、未練がましいと言っていた。
しかしアーネストも、拳に付いた傷を残したままだったのだ。
「帰って…来るのかしら?」
「帰って来ますよ!
だって約束したんです」
「はいはい
そうだったわよね」
マリアンヌはそう言って、アーネストの言葉を遮る。
下手に話しだすと、また長くなりそうだったからだ。
そうして生返事をしながら、マリアンヌは法案の内容を確認する。
オーガ達に食堂で、酒を飲ませないという法案だった。
これは…
可決したら揉めそうね
だからと言って、このままというのも…
全面禁止にしたかったが、そうなるとオーガが怒り出すだろう。
そこでマリアンヌは、違反したオーガだけが飲めないという項目を付け足す。
「これでどう?」
「え?
ああ、なるほど…」
アーネストも理解して、頷いて文官に手渡す。
「それを触れとして出してくれ」
「はい」
「次はこちらなんですが…」
「どれどれ?」
アーネストはこうして、夕刻まで執務室に籠っていた。
こうして忙しくしていれば、嫌な考えをしなくて済むからだ。
しかし仕事が終わると、再び陰鬱な思いに囚われる。
帰って来ると言っていたが、実際にアーネストも疑っているのだ。
「ギル…
ヒック」
「もう!
飲み過ぎよ?」
「だってよ…
みんな帰って来ないって…」
「あなたも…
あなたもそう思っているんじゃない?」
「そんな事!
そんな…」
アーネストはそう言いながらも、内心で裏切られたと思っていた。
あれからギルバートからは、何の連絡も無かった。
別の世界に居るのだから、当然連絡など取れない筈だ。
それなのにアーネストは、連絡を無い事を嘆いていた。
「もう…
ジャーネに嫌われるわよ?」
「うるせえ…
ほっといてくれ、ヒック」
「はあ…
風邪を引かないでよ?」
「ああ
らいじょおぶ、らいじょおぶ」
「はあ…」
フィオーナは溜息を吐いて、アーネストに毛布を掛ける。
そうしながら、彼女はどうしようか迷っていた。
迷った挙句に、彼女はアーネストに提案する。
「ねえ
明日の墓参りなんだけど…」
「ああん?
墓参り?」
「マリアンヌ女王に聞いたでしょう?」
「あ、ああ
墓参りか…」
墓参りには、王族が列席する事になっていた。
フィオーナも遠戚なので、その式典に参列する事になっていた。
アーネストは、一応フィオーナの夫として呼ばれていた。
しかし王族では無いと、アーネストは断っていた。
「あなたも来てみない?」
「いいよ…
オレは王族じゃあ無いんだ」
「でもね…
イスリール様もいらっしゃるのよ」
「イスリール?
何で?」
「はあ…
約束したんでしょう?
5年後に、必ず王都に来るって」
「やく…そく…」
あの時、イスリールはアーネスト達と約束をした。
ゴタゴタを片付けて、5年後に王都に来ると。
その時にはギルバートが、どうしているか調べてみると。
イスリールはそう言って、アーネストと約束をしたのだ。
「イス…リール…」
「ね?
一緒に行きましょう?」
「う…うむ…」
アーネストはそう答えて、微睡の中に落ちて行った。
王都ではその夜、王女がバルコニーに出ていた。
伝言を受け取り、女神の到着を待っていたのだ。
そうして女王は、女神を王城に迎え入れる。
「お久しぶりでございます」
「うむ
息災であった様じゃな?」
「はい
お陰様で」
「感謝なら私では無く、アーネストにしなさい」
「アーネストは…」
「ふむ
相変わらずか…」
「ええ
お兄様が帰って来ませんでして」
「そうか…」
それから女神は、城の中で近況を聞いていた。
「ふむ
魔物は少しずつだが、溶け込み始めた様じゃな」
「ええ
何とか大きな問題も無く…」
「そうじゃな
既に狂化の呪いも無い」
「う…
その事はもう…」
「はははは
ゾーンもこの通り、すっかり反省しておる」
「しかし…
良かったのですか?」
「ん?」
「あの様な事をされて」
「ああ
あれはけじめだ」
イスリールはそう言って、城下の真ん中に建てられたお堂を見詰める。
「イチロの世界の風習でな
悪い神…禍津神じゃったかな?
それを奉じた神殿は、他の悪しき者を近付けんそうじゃ」
「しかしそれでは…」
「なあに、私は違う女神という事になっておる
それにこれもな」
「あう…」
「ですが…
騙している事になりません?」
「処刑も処罰も行ったのじゃ
生きておるのは、これが女神じゃからな」
「すいません…」
「そう…ですか」
アーネストが帰還した時、女神はゾーンを処刑した。
そして処刑したゾーンを、祠に封じて結界としたのだ。
そういう事にして、女神はゾーンの入っていた義体を封印した。
それが眼下に見える、小さな祠だった。
「良いではないか
これで平和が保たれるのなら」
「は、はあ…」
マリアンヌは、返答に困って苦笑いを浮かべていた。
まだまだ続きます。
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