第786話
全てが終わろうとしていた
女神ゾーンは、遂にギルバートによって倒された
そしてその意識は、小さな人形に閉じ込められていた
これでもう、ゾーンが悪しき行いをする事は無いだろう
女神ゾーンは、まるで幼子の様に泣いていた
自らが強引に封印を破った事で、勇者イチロが倒れたのだ
それを知った時、彼女は初めて心から涙を流したのだ
それはまるで、人間であるかの様に
「うわああああ
イヂロ」
「お前が強引に、封印を破ったせいだ
そのせいでイチロは…」
「いや
イチロは…むごむぐ」
ギルバートが割って入って、何かを言おうとした。
しかしイスリールが、その口を塞いでしまう。
「ぞんなああああ
あだじのぜいでええええ
うわああああん」
激しく泣きじゃくる女神を見て、ギルバートは困惑していた。
女神は確かに、イチロの事を知らない様に話していた。
しかし実際には、ゾーンはイチロをよく知っていたのだ。
いやむしろ、彼女はイチロの事を大事に思っている様子だった。
「一体どういう事なんだ?」
「そうだなあ…
オレは薄々感じていたんだが…」
「ええ
アーネストの予想通りです」
「そうだよな…」
「何だ?
二人して?」
「ううん…
お兄ちゃんはそういうところ、鈍いからな」
「はははは
そうなんだよな」
「何だよ?
セリアまで」
どうやらセリアも、何か訳知りな様子だった。
「あのね、お兄ちゃん
ゾーンはイチロの事を好きだったの」
「はあ?
だってゾーンは、イチロの事を…」
「ううん
知っている…と言うか覚えていた筈なの
それでも思い出せなかったのは…」
「思い出せなかったのは?」
「狂気だ」
「狂気?」
「ああ
ゾーンは気が狂っていたんだ」
「はあ?」
「正確に言うと、心が壊れていたんだよな…」
「心がって…」
「ああ
精神を病んだ者は、正常な判断が出来なくなる
それでイチロの事も認識出来なくて…」
「そうね
あんなに慕っていたのに…」
「何だと?」
ゾーンはイスリールが居た頃には、彼女のサブ端末の一人だった。
だからイスリールが、イチロを呼んだ時には当然近くに居たのだ。
そしてイスリールと同様に、彼女もイチロの事を愛していたのだ。
いや、イスリールは母親目線だったが、ゾーンは女性として愛していたのだ。
「それじゃあゾーンは…」
「ああ
彼女の心が壊れたのは、イチロがイスリールに封印されたからだ」
「そうね
イスリールも息子を封じたと、心を病んでしまったわ
そしてゾーンも、いつからか心を壊していたのね…」
「それで愛するイチロを、彼だと認識出来なかったんだ」
「そんな!
それじゃあそもそもが…」
「ああ
もしかしたら、イチロが封印されなければ…
あるいはそうだったのかも知れない
しかしそれは、あくまでもそうだったかも知れないだ」
「そうね
他の原因で、誰かが狂っていたかも知れないわ
エミリアはそう予知していたんですもの」
「しかし!
しかし…」
そもそもが、イチロが封印されていなければ、女神は狂わなかったかも知れない。
しかしイチロは、女神が異変を起こすと知っていたから封印されたのだ。
それがまさか、自分が原因だとは思っていなかっただろう。
そしてゾーンも、まさかこうなるとは思っていなかったのだろう。
「何で…
何でこんな事に?」
「さあな
そもそもの話だが…
イスリールも予想はしていなかったんだろう?」
「ええ
起こってしまった時も、まさかこんな原因だったとは…
私達も想像も付きませんでした」
「だよな
じゃないとゾーンが、人間の行いに対してなんて言わないさ」
「ええ
彼女自身がそう言っていましたから」
ゾーン自身は、人間の行いに腹が立ったと言っていた。
しかしそもそもの原因が、彼女は狂ってしまっていたのだ。
「彼女も人間達が、自分勝手な考えでイチロを責めていたのを知っていました」
「イチロが怖かったんだな」
「怖かった?」
「ああ
オレだって…」
「え?
アーネストが?」
「ああ
お前が怖いって思う時もあった」
「オレが?」
「ああ、そうだ
お前がどんどん強くなっていった時にな
お前が本気で人々を殺そうとしたら…
誰も止められ無いだろうってな」
「オレが?」
「ああ
あの頃のお前は、一部の人間の行いに腹を立てていただろう?」
「それは…」
ギルバートも、貴族や選民思想の人間には腹を立てていた。
しかしいくら腹が立っても、殺そうとは思いはしない。
そこがギルバートと、ゾーンのちがいだったのだろう。
ゾーンは愛するイチロを奪われた事で、人間達を許せなかったのだ。
「怖い…
怖かったのか?」
「ああ
今のお前の…
マーテリアルの力を考えてみろ?」
「マーテリアルの力…」
「お前がその気になれば、人の世を…
アース・シーを支配する事だって出来る」
「まさか?」
「そのまさかだよ
カイザートの事を思い出せ」
「あ…」
「彼はガーディアンだぞ?
お前はその上の…」
「しかしカイザートは、仲間が居ただろう?」
「お前のその力ならば…
十分じゃないか?」
「ううむ…」
ギルバートはそう言われて、改めて力に関して考えてみる。
思えばクリサリスの王城でも、アーネストには何度となく言われていた。
力を持つ者は、その力に責任を持つべきだと。
そしてその力は、弱き者を苦しめるのでは無く、悪しき者を討ち払う為に使うべきだと。
「イチロも…
イチロもそうだったのかな?」
「どうだろうな?
何にせよ、あいつは仲間だと思っていた人間に裏切られたんだ
そしてそれを理由に、人間に戦争を仕掛けた」
「そうね
あれはフリだったんでしょうけど…
イスリールはそれに対して、封印を行うしか無かったの」
「そうだな
人間を魔物や獣人を率いて、殺そうとしたんだもんな」
「イチロ…」
本当は、イチロには妻の仇という正当な理由もあった。
しかしイスリールは、結局は彼を封印するしか無かったのだ。
「いぢろう
ごべんだざい
うわあああん」
人形の様な小さな女神は、イチロの手を握って泣きじゃくっていた。
彼女はイチロが、死んでしまったと思っていた。
それでイチロの手を握って、激しく泣きじゃくっていたのだ。
「ゾーン…」
「あなたもイチロの事を…」
「うう…
泣きたいのは私達の方だよ
イチロは…」
「ごべんだざい
あああん」
「封印が解けないのよ」
「ああ…
イチロ…」
「うわああああん
うえええ…ふぇ?」
アイシャの放った言葉に、ゾーンの泣き声が止まる。
「いぢ、いぢろ…
ふうひん?」
「そうよ!
あなたが強引に封印を破るから」
「そうよ!
大体あんたがねえ!」
「止さないか」
「アーネスト!
止めないで!」
「そもそもこいつが…」
「止めてやれ
そいつはもう、力を全て失っているんだ」
「だからって…」
「そうよ!
イチロは意識を取り戻さないし
腕だって…」
「封印?」
ゾーンはここで、ようやくイチロが死んでいないと気付いた。
そういえば、掴んだ指先にはほんのりと温かみがあった。
「え?
それじゃあ…」
「あんたが封印を破ったせいで、イチロはねえ!」
「チセ
それ以上責めるな
お前達だって、イチロに何かあったら許せないだろう?」
「え?」
「そうね…」
「そいつを殺してやる」
「そういう事だ
ゾーンもそうだったんだ」
「ふぇ?
どういう事?」
「チセ…」
「はあ…
つまりそういう事だったのね?」
「ああ
それでゾーンは、狂って復讐を果たそうとしたんだ
長い年月を掛けてな…」
チセはまだ理解出来ていなかったが、アイシャやミリア、ファリスは理解していた。
彼女達は理由を知って、複雑な気持ちになっていた。
しかしやった事は許されない事で、視線は鋭いままだった。
「それじゃあ…
イチロは?」
「ああ
死んではいない」
「あ、アーネスト!」
「怒るな
お前が勝手に勘違いしたんだろう?」
「だからって!
私はイチロが死んだと思って!」
「しかしはっきりしただろう?」
「はひ?」
「お前がイチロの事を、本気で愛していたって」
「あい、あひあひ!
そんみゃ事みゃあ!」
ゾーンは、顔を真っ赤にして、慌てて両手をブンブンと振る。
それを見て、ギルバートは思わず吹き出す。
「ぷっ」
「わ、わらりゅな!
わたちはいちろなんて…」
「顔が真っ赤だぞ?」
「うう…
ああああああ!」
ゾーンは顔を隠して、丸まる様に屈みこんだ。
「はあ…
こんなのが人間を滅ぼそうと?」
「そうだな
こんなんだからこそ、真剣に復讐を考えていたんだろう…」
「こ、こんなんなんて言うな!」
暫く、ゾーンは顔を真っ赤にして蹲っていた。
「それで?
これで本当に?」
「ええ
彼女の権限は、全て奪いました」
「そういえば…
そもそもどうやって?」
「そうですね
私は一緒に来ていたんですが…」
「へ?」
「はあ?
一緒にって…」
「ええ
ゾーンを倒すには、権限を奪わないと無理でしょう?」
「いや、しかし
あんたは危険だから城に残れと…」
「そうだよ
それで世界樹の城に…」
「いいえ
私は先に飛空艇に乗り込み、そのまま一緒に居ましたよ?」
イチロ達が飛空艇に乗った時、実は既にイスリールは乗り込んでいたのだ。
みんなはイスリールが、納得して城に待機していると思っていた。
だから飛空艇に乗っていても、誰も気付かなかった。
気付かなかったというか、気付いていなかったのだ。
実はイスリールは、飛空艇の艦橋で一緒に居たのだ。
「はあ…」
「あの時も一緒に?」
「ええ
慌てふためいている、あなた達の後ろに居ましたよ?」
「おいおい…」
「気付かなかった」
「ずっと一緒に居たのに、誰も気付いてくれないんですよね
逆に悲しくなりました」
「いや、あんたどんだけ存在感が無いんだ」
「逆に恐ろしいよ…」
イスリールはそれで、イチロ達と一緒に神殿に入ったのだ。
そしてファクトリーの所で、彼女は別行動を取った。
ファクトリーの端末に接続して、ゾーンの端末に侵入したのだ。
「いや!
しかしファクトリーは…」
「そうだな
ここでは魔力が不安定で、ファクトリーも動かなかった筈だ」
「そうよ
今も動いていない筈よ」
「ええ
ですから発電機を使って…」
「そんな物があったかしら?」
「これを持ち込みました」
イスリールはそう言って、懐から小さな器具を取り出す。
それはハンドルの付いた、小さな器具だった。
その器具から細い線が、2本だけ伸びていた。
「え?」
「何だそれ?」
「はあ?
まさかそれを使って?」
「ええ
大変でしたよ
ずっと回さないといけませんし」
何とイスリールは、その手回しの発電機でファクトリーを動かしたのだ。
ずっとハンドルを手回しして、そうしながら端末に侵入したのだ。
「何だ?
どういう事だ?」
「分からない
分からないがゾーンの様子から…
そうとう強力な物なんだろう…」
アーネストはそう言って、手回しの発電機を畏怖を込めた視線で見詰める。
それはコイルと磁石を使った、簡単な手回しの発電機だった。
普通はこんな物では、施設を動かす事など出来ないだろう。
それをイスリールは、手回しで発電させたのだ。
「はあ…
信じらんない
そんな物でどうにかするって…」
「成せば成る!
ですよ」
「それは意味が違う!
イチロが聞いたら怒るぞ」
「そうですか?」
イスリールの発した言葉の意味は、ギルバート達には理解出来なかった。
「それで…
権限を奪ったってのは?」
「それ自体は罰ですから…」
「問題は、ゾーンが一度破壊されたって事だな?」
「ええ
それで負の魔力や負の感情から、彼女は解放されました」
「え?
破壊したからなのか?」
「ええ
彼女は破壊された事で、人間で言うところの一度死んだんです」
「死んだって…」
「ええ
正確には、感情や記憶を保ったまま、他の義体に移されました
しかしその際に、彼女の狂気の元凶である負の魔力を、ギルバートが破壊したでしょう?」
「そうだな」
「え?
あの黒い靄か?」
「ええ
彼女は負の感情から、あの黒い靄の様な物に支配されていました
それをあなたが、破壊してくれたのです」
アーネストの助言で、ギルバートは黒い靄を叩き切った。
それで黒い靄は、聖光輝の力で破壊された。
「それじゃあそれで?」
「ええ
ゾーンは正常な状態に戻りました」
「正常…」
「狂っていたのが、一度死んで生き返った事で正常に戻ったんだ」
ギルバートが理解出来ないので、アーネストが分かり易く噛み砕いて説明する。
「死んで…
生き返る?
そんな事が…」
「女神だからだ
オレ達人間では、出来ない事だな」
「そう…だよな」
ゾーンが女神だったからこそ、一度死んでから生き返ったのだ。
それにその事で、狂ってしまった状態から正常に戻る。
これも女神だから出来た事なのだろう。
「それじゃあ後は…」
「ああ
精霊達が作ってくれた、出口から出るだけだ」
「今頃完成しているでしょう」
「うん
飛空艇の所で待っているって」
「そうか
それじゃあイチロを連れて…」
「私達が!」
「そうよ
私達が運ぶわ」
「良いのか?」
「ええ」
「やっと終わったんですもの」
「それに…」
彼女達にとっては、彼は愛する夫なのだ。
そして彼の容体が心配で、自分達で運びたいのだろう。
「それじゃあ」
「ああ
帰ろう」
アーネストはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
まだまだ続きます。
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