第774話
イチロ達は、1週間を掛けて魔物の様子を確認した
最初は固まっていた魔物の群れも、次第に散らばって去って行く
狂暴化が解けた事で、女神の拘束も無くなったのだ
自由になった魔物は、各自別々の行動を始める
中には魔物同士で、同士討ちを始める者も居た
それは魔物は元々、野生で生きている生き物だからだ
縄張り意識はあるし、他の魔物を獲物と考える魔物も多いのだ
そうして世界樹の周りの森から、魔物は姿を消して行った
「魔物はどんどん去って行くわ」
「そうじゃのう
元々ここには、精霊による加護が掛かっておる」
「魔物は精霊の加護が苦手じゃ
近付きたく無いのじゃ」
世界樹の周りには、精霊王の施した精霊の加護が掛かっている。
それで魔物は、その加護の力を嫌って近寄らないのだ。
森に住む魔物も、精霊の加護の効果範囲の外に移動している。
こうして森から、魔物の姿は消えていた。
「イチロ
どうするの?」
「うん?」
「イチロ!」
「ああ…」
「イチロ!」
「な、何だい?
どうしたんだい?」
「どうしたじゃ無いわよ
あなたこそどうしたの?」
世界樹の城の中で、アイシャは精霊王に報告していた。
精霊王とユミル王の他に、イチロやギルバートもそこには居た。
しかしイチロは話し合いに集中していなくて、一方向を向いていた。
そこには赤子を抱いている、セリアの姿があった。
「な、何でも無いよ」
「何でも無いってあなた…
あ…」
「しまった」
「そう…
ごめんなさいね」
「いや、お前が謝る事じゃ無いんだ」
「だけど…」
アイシャもその光景を見て、イチロの胸中を悟ってしまった。
口では何とでも言っているが、イチロも寂しかったのだ。
産まれたばかりのアイシャ達の子を、もう二度と抱く事は無いだろう。
彼等は遠い過去に、そのまま残されてしまったのだから。
「そうじゃ無い
そうじゃあ…」
「だけどあの子達を…」
「あれは仕方の無い事なんだ
それにオレは納得して…」
「でも!
でも…
思い出していたんでしょう?」
「ぐう…」
「イチロ!
この戦いが終わったら…」
「終わったら?」
「何でも無い」
アイシャは頬を赤く染めながら、言い淀んでいた。
「それよりどうするの?」
「はへ?」
「魔物は居なくなったわ」
「あ、ああ…」
イチロはここで、ようやく最初の質問の意味を悟った。
「う、ううん…
しかしなあ…」
「そうよね」
「肝心のゾーンの居場所がな…」
この大陸では、イスリールの権限はほとんど使えない。
だからファクトリーの場所も、ゾーンが隠れている場所も分からないのだ。
そして分かったとして、そこに行く方法も考えなければならない。
飛空艇で行ける場所か、まだ分からないのだ。
「何処に居るのかしら?」
「それが分かればな…」
「イスリールは…」
「ギルバート
何度も言っているだろう?」
「しかし調べるぐらいは…」
「そうもいかないんだ
そもそも端末を接続する場所も無いんだ」
権限が無い以上、この大陸では端末を呼び出す事も出来ない。
飛空艇の端末を使っても、外部に接続する事も出来なかった。
ここから一番近い接続地点でも、遠く海の彼方のエジンバラになる。
そこまで端末の、電波が届かないのだ。
「無理なのか?」
「ああ
少なくとも、一旦エジンバラまで後退しないとな」
「それは時間が掛かって…」
「ああ
それにそこまでしても…
大した情報は入らないだろう」
アース・シーに居た時点で、イスリールはゾーンの拠点を調べようとしていた。
しかしアクセス権限が無い為に、調べる事は出来なかったのだ。
結局のところ権限が無ければ、この大陸の事を調べられない。
イスリールに関しては、この大陸に居る間はほとんど無力なのだ。
それでは何故、彼女は危険を冒してまでここまで同行しているのか?
それは偏に、権限を奪い返す為だった。
ゾーンが茨の女神から奪った様に、隙があればイスリールもゾーンから奪えるのだ。
それにはゾーンに近付き、ゾーンの端末に侵入する必要があるのだ。
「そうね
私では見付ける事が出来ないわ」
「そんな!
それじゃあどうやって…」
「そうだ
それを考える為に集まってもらったのだが…
ギルバートは兎も角、アーネストも意見は無いか?」
「オレはって…」
「そうだな
ギルもだが、オレも良い案は無いな」
「そうか…」
「おい!
オレの意見は?」
「何かあるのか?」
「い、いや…」
イスリール、イチロも良い案は無く、アーネストもこれといった考えは無かった。
さすがにゾーンの居場所を探すのは、そう簡単な事では無かった。
こうなって来ると、あの時逃がした事が痛かった。
しかしそんな事を言ってみても、何も変わらないだろう。
「どうするか…
せめて端末を使えれば…」
「飛空艇の端末は?
パネルとか出していただろう?」
「あれは飛空艇内部だけだ
外部に繋がるには、それなりに近い場所に端末がある必要がある」
「近い場所?」
「ああ
例えばこの城に、端末の装置が繋がっていれば…」
「無いよな?」
「ああ
そんな物があれば、逆に魔物に潜入されていただろう
転移に利用されるからな」
「あ…」
端末があれば、女神に繋がる事が出来る。
しかし逆に、女神から潜入される恐れもあるのだ。
魔族の王都が狙われたのも、その周辺にファクトリーがあったからだ。
そこから魔物が現れて、王都を襲ったのだ。
「端末か…
この近くには?」
「恐らく森の向こう側に、ファクトリーがあるとは思います
しかし今では…」
「そうなんだよな
女神も封鎖しているだろう」
「封鎖って…」
「こちらが侵入する恐れがあるからな
逃げた際に、ファクトリーも閉鎖しているだろう」
魔物を生み出す為に、ファクトリーは起動していた。
しかし黒騎士も破れ、ギルバートも女神に従うのを拒んだ。
そうなれば女神も、ファクトリーをそのままにはしないだろう。
引き上げる際に、しっかりとファクトリーは閉鎖している筈だ。
「しかし忘れているという可能性は?」
「それは無いだろう
魔物の狂暴化も解けているからな」
「狂暴化が何の関係があるんだ?」
「狂暴化のメカニズムは分からないが、何らかの繋がりがある筈だ
何も無い場所で、魔物が狂暴化するとは思えないからな」
「なるほど
魔物の狂暴化には、ファクトリーが絡んでいると?」
「ああ
月が紅く輝いたから魔物が狂暴化したって話だな」
「ああ」
「そうだ
確かに月が、紅く輝いていたんだ」
「あのなあ…
本当に月が紅く輝くと思うか?」
「そうだよな」
「へ?」
ギルバートは気が付いていなかったが、アーネストは何となく理解していた。
そもそも女神が力を持つと言っても、そこまでの力を持つとは思えない。
それに月が輝いただけで、魔物が狂暴化するというのもおかしいのだ。
それなら他の場所でも、魔物が狂暴化しているだろう。
「だって、現に月が…」
「恐らく月が紅く輝いて見えるには、何らかの原因があるのだろう」
「うむ
それで魔物が狂暴化した際に、月が紅く輝いて見えるんだな?」
「そうだ
例えば負の魔力の影響で、視覚的に紅く輝いて見えるとか…な」
「なるほどな
それが月が紅く輝いて見える時に、魔物が狂暴化するという現象の正体か」
「ああ
そう考えるのが妥当だな」
「え?
おい!
どういう意味だ?」
ギルバートは理解出来なかったが、アーネストは理解出来ていた。
負の魔力がファクトリーから放たれて、魔物を狂暴化する。
その際に負の魔力の影響で、周辺の人間は月が紅く輝いて見える。
それで月が紅く輝いて見えたら、魔物が狂暴化すると思われていたのだ。
「そうね
私もその意見に賛成だわ
それなら一定の場所だけで起こった理由にも繋がるわ」
「ああ
クリサリスだったな
あの城の近くにもファクトリーがあった」
「え?
城の近くに?」
「そうだな
魔物が転移して来た場所
あの近くだな?」
「そうだ
竜神機が暴れた際に、壊れた可能性が高いがな」
「壊れていてくれた方が良いな
また魔物が現れていては…」
「それは大丈夫だろう?
ゾーンはこっちに集中していたからな」
ゾーンは女神の神殿を、襲撃する事に失敗した。
その際に竜神機によって、女神の結界を作られてしまった。
それで神殿の近くの端末は、全てゾーンとの接続を切られてしまった。
ゾーンはそれで、アース・シーへの襲撃を一旦保留にしたのだ。
下手に手が出せないなら、暗黒大陸に集中した方がマシだった。
こちらでは女神からは、手を出せる様な権限は無いからだ。
だからこそ油断して、黒騎士が倒れるまで気が付かなかったのだ。
恐らくゾーンは、イスリールが来ている事も知らないだろう。
「ゾーンは恐らく、イスリールにも気付いていないだろう」
「それじゃあイチロの事も?」
「ああ
見た覚えはあっても、誰か覚えていないんだろう
だからアーネストの事も…」
「そういえば…
気付いている様子は無かったな」
「ああ
だからこそ今が、奴の懐に潜り込むチャンスなんだ」
「しかし場所がな…」
「ああ
この付近の端末を探しても…」
「そうね
私の方でも調べてみたけど、どれも侵入出来なかったわ」
「だそうだ…」
「ううむ…」
再び振り出しに戻り、アーネスト達は唸っていた。
何とかゾーンの、居場所を探したかった。
しかしこの大陸の、端末に繋がる権限が無いのだ。
後は開かれた端末を見付けて、そこから侵入するしか無いのだ。
しかし近隣の端末は、既にゾーンによって閉鎖されていた。
「困ったな…」
「そうじゃな
精霊からも…
ん?」
その時城の中に、精霊の一人が入って来た。
それは風の精霊の、上位精霊であるシルフだった。
「やっと分かったわ」
「何と!」
「分かったって…
ゾーンの居場所か?」
「ええ
見付けたわ」
シルフはそう言って、彼等の前で話し始める。
「イチロ
あなた達はここに来る前に、大きな渓谷を通って来たって言っていたわね?」
「ああ
山の中に大きな渓谷があって…」
「渓谷?」
「この近くにか?」
「え?
ああ…」
「そんな物があったか?」
「いんや?
ワシが知る限りでは、北も東も山があった筈じゃが?」
「ん?
山は確かにあったが…
渓谷もあったぞ?」
「そこなのよ!」
「え?
しかし何も無かったぞ?」
「だからなの
何も無くなったからこそ、そこが女神が居る場所なの」
「どういう意味だ?」
イチロ達は世界樹の城に近づく際に、北から渓谷を回り込んで来ていた。
しかしそこには、本来なら山があった筈なのだ。
シルフが言うのは、そこに女神が居たと言うのだ。
しかしそこには、何も無くて渓谷しか無かったのだ。
「意味が分からないぞ?
何も無いから居るって…」
「アーネスト
あなたは妖精の隧道を通ったわよね?」
「ああ
あれは不思議な場所だった」
「うん
妖精の隧道は、この世界から切り離された、位相の違う場所だからな」
「あれは私達、精霊が作り出した空間なの
もしそれを、女神が作ったとしたら?」
「え?」
「まさか?
精霊にしか出来ない事なんだろう?」
「そうね
だけどギルバートが居たの」
「ギルバート?」
「そう
ギルバートはマーテリアルなのよ…」
「そうか!
マーテリアル!
私達は何て迂闊な事を…」
「イスリール?」
「どうしたと言うのだ?」
「精霊の血…
そんな馬鹿げた発想をするなんて…」
イスリールは事態を把握して、顔面を蒼白にしていた。
「どういう意味だ?」
「マーテリアルとは、古代竜と精霊の因子を組み込まれた存在なの」
「古代竜と…」
「精霊の因子?」
「そう
そして問題は、その精霊の因子なの」
「まさか…」
「イチロ?」
「その精霊の因子を利用して?」
「そうよ!
どうやったかは分からないけど…
精霊の因子をりようしたのよ」
「だろうな
確かにそれが出来れば…」
「そう
疑似空間だけど、私達の妖精郷に似た空間を作れるわ」
「空間って?」
「つまり小さいながら、妖精郷の様な場所を作れるんだ」
「まさか消えた山って…」
「ああ
恐らくその場所を、妖精郷に組み込んだんだ
それで山があった場所が、何も無くなって渓谷に…」
「え?
あの渓谷が全て?」
「だろうな…」
イチロも意味が分かって、思わず身震いしていた。
渓谷は広大で、大きな島ぐらいの大きさがあった。
そこが切り取られて、別世界に運ばれているのだ。
ゾーンはそれだけの力を、手にしているというのだ。
「しかしどうやって?
確かにギルバートは、マーテリアルではあるが…」
「考えられるのは女神が、ギルバートから都合の良い分身を作ろうとしていた事ね」
「クローンの事か?」
「クローンって言うの?
それを作る過程で、精霊の因子だけを持った者…
人間かどうかも分からないけど…」
「それを作ったと?」
「でしょうね
そうとしか思えないわ」
「ううむ…」
イチロは理解出来ないと、思わず唸り声を上げていた。
確かにゾーンは、ギルバートのクローンを作り出していた。
しかしそれは不完全で、ガーディアンまでしか能力を発揮出来ていなかった。
それを精霊の因子だけを、選り分けて取り出したと言うのだ。
それは恐らく、人間では無いのだろう。
精霊の因子だけを利用する為に、人間の形になる前に取り出したのだろう。
ギルバートの身体の一部を切り出して、培養して増やしたのだろう。
もしかしたら、他にも実験で作られた可能性が高い。
「精霊の因子…
だけでは無いのだろう?」
「そう思うわ
竜の…あの古代竜の因子も組み込んだんでしょう?」
「そうね
それは間違い無いわ」
「古代竜か…
危険な存在だな」
「ええ
理性を持たない古代竜なら、破壊しか行わないわ」
「マズいな…」
イチロはそう言って、深い溜息を吐くのであった。
まだまだ続きます。
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