第763話
翌日になり、世界樹の上には多くの兵士が集まる
そのほとんどが、エルフの弓使いやドワーフの戦士だ
地上にはクリサリスの騎士団と、ハイランド・オークが布陣している
そしてイチロ達は、樹上から黒騎士を急襲する予定になっていた
黒騎士に向かうのは、アーネストとイチロ、それからアイシャ達である
アナスタシアとファリスは、後方で救護を任されている
そしてエレオーネは、危険なので城の中で待つ事になる
彼女は魔物なので、黒騎士の影響を受ける可能性があったのだ
「今回の目標は、あの黒い男だ」
「我々は彼を、黒騎士と呼ぶ事にする」
「黒騎士には勇者のイチロ殿が向かう事になる」
「ワシ等は城の周りで、向かって来る魔物を打ち倒す事にする」
エルフは樹上から、地上の魔物を狙い撃ちする。
アイシャとミリアも、彼等と共に魔物の牽制をする。
チセはドワーフ王と共に、樹上から弩弓で魔物を狙う。
そうして黒騎士が向かって来たところで、アーネストとイチロが前に出て戦う事になる。
「イチロ」
「何だ?」
イチロ達が前に向かおうとすると、イスリールが彼の側に来る。
「昨晩はごめんなさい
酔っ払ったとはいえ、あなたの過去を歌うなんて…」
「気にしないでください
確かにオレにとっては、未だに数日前の出来事です
しかし…」
「ですがあなたの心を…」
「いえ
あれは他の事で、心がささくれていました
決してあなたのせいでは…」
「それは…」
イスリールは、昨晩のイチロの様子に気が付いていた。
それが自分が、不用意に彼の傷に触れたからだと思っていた。
それは確かにあったが、彼の精神が不安定だったのは、実は別の要因があった。
アーネストの親友である、ギルバートの事が彼の心に波紋を生んでいた。
「黒騎士…
あれはオレだったかも知れない」
「え?」
「負の魔力に囚われれば、オレだってあんな姿に…」
「いいえ
あなたは大丈夫よ」
「そんなの分からないだろう?
現にマーテリアルである筈の、ギルバートは囚われている」
「それは界の女神…
ゾーンの洗脳か何かで…」
「ああ
恐らくそうだろう
しかしオレだって、ああなっていたかも知れない
友を敵に回したんだから」
「それは…」
「すまない
今は気が昂っているんだ」
「イチロ…」
イチロとしては、ギルバートの事が他人事では無かった。
自分も一歩間違えれば、ああして負の魔力に囚われていただろう。
それほどガーディアン達の魔石は、危険を孕んでいるのだ。
強力な力を発する分、負の魔力の影響を受ける可能性は高いのだ。
「あなた達には光の…
神聖魔法の援護があるのよ」
「分かっている
それでも恐ろしいんだ
だからこそ…」
イチロは拳を握り締めて、決意をする。
「黒騎士…
ギルバートを救う」
「無理はしないで
あなたが居なければ、ゾーンは封じれないわ」
「分かっている」
「そう…」
イチロの思いを聞いて、イスリールも何かを決意する。
「イチロ
この戦いが終わったら、エジンバラに向かって」
「エジンバラ?
この大陸に向かう前に通った国か?」
「ええ
必ずよ」
「そこに何があるんだ?」
「あなたが知りたがっている事よ」
「オレが?」
「ええ
だから必ず…
必ず生きて帰って来てね」
「むう…
難しい事を…」
「ギルバートを救って、ゾーンを封じるんでしょ?
だったら生きて帰って来ないと」
「わ、分かったよ
全く無茶な事を…」
イチロはブツブツ言いながらも、生きて帰らなければと改めて思っていた。
先程までは、自分の命を賭けてでも、ギルバートを救おうと考えていた。
それに気が付いたからこそ、女神はこんな無茶を要求したのだ。
そして女神に言われた事で、イチロの心にも変化が起きていた。
「死なないでよ
イチロ…」
女神はエルフ達と共に、イチロ達が向かうのを見送っていた。
ここから先は、魔物との激戦地だ。
戦う力を持たない、イスリールではそこには向かえない。
今はここから、彼等の無事を祈るしか無いのだ。
「行くぞ!」
「おう!」
「ドワーフ達よ
戦いの歌を歌え!」
「へいへいほー♪」
「えいえいおー♪」
「ワシ等も配置に着け」
「はい」
「ドワーフ達に負けるな!」
「おう!」
「さあ!
戦いの時は来た♪」
「今こそ力を見せる時♪」
最初にドワーフ達が歌い始め、それに負けじとエルフも歌い始める。
ドワーフは勇壮な歌を響かせて、斧で地面を突きながら進む。
それに対してエルフは、弓を掻き鳴らしながら戦いの歌を歌う。
その中をイチロ達は、世界樹の端の枝まで移動する。
「ユミル王様
魔物が向かって来ます」
「来たか…
黒騎士は居るか?」
「今はまだ、姿は見えません」
「ぬう…
先頭には立っておらんか…」
黒騎士は今回は、先頭に立って向かって来てはいなかった。
ギガースを先頭にして、その周りにはキマイラの姿も見えた。
足元にはゴブリンやコボルトが、武装をして走って来ていた。
そしてその後ろに、オークやオーガが続いていた。
「戦闘にはギガースがおります」
「ぬう
ここはバリスタの番じゃな」
「はい」
ギガースほどの魔物になれば、並みの矢では弾かれてしまう。
エルフの矢なら、刺さる事もあるだろう。
しかし致命傷を与えるには、威力が低かった。
そこでドワーフ達が、弩弓の照準を合わせる。
「頭や胸をよく狙え!」
「へい」
「はい」
「撃て!」
「うおおおおお」
「食らえ!」
ドシュッ!
ドシュドシュ!
グギャアアアア
ギャオオオ
放たれた矢は、そのほとんどが魔物の胸や頭に当たる。
魔物は狂暴化する代わりに、思考能力が低下している。
それで矢を避ける事も無く、そのまま向かって来る。
ドワーフ達はすぐさま、第二射を用意する。
「すぐに弾を込めろ!
第二射発射!」
「おう!」
「撃て撃て!」
ドシュドシュ!
グギャアアアア
ゲハッ
「我々も下の魔物を狙うぞ」
「コボルトは素早い
先ずはゴブリンの足止めをしろ」
「撃て!」
「うわああああ」
「ジリアンの仇だ!」
「食らいやがれ」
シュババババ!
ヒュンヒュン!
ギャン
グギャッ
エルフ達も矢を番えると、ギガースの足元の魔物を狙う。
こちらも狂暴化の影響で、あまり避ける事も無く進んで来る。
それで飛んで来る矢に、魔物達は次々と倒れる。
そして倒れた魔物からは、黒い靄が吹き出していた。
「おかしい…」
「手応えが無さすぎる」
「昨日はこんな物では無かったぞ?」
「何か策があるのか?」
ユミルも精霊王も、魔物があっけなく倒れる様に動揺する。
魔物はあまりにも、無防備に進んで来る。
このままでは、世界樹の城に近付く前に倒されてしまう。
それほど呆気なく、魔物は矢に倒れていた。
「ユミル王
昨日は違ったのか?」
「うむ
少しは避けて、こちらに射返していたぞ」
「そうじゃな
今日はあまりにも呆気ない」
「何か考えがあるのか?」
「そうじゃな
そうとしか思えんわい」
魔物の不気味なほどの突撃に、王達は違和感を感じていた。
このままでは魔物は、この場でほとんど倒される事になる。
「ユミル王様
キマイラも向かって来ます」
「バリスタで狙ってみろ」
「当たりますかね?」
「分からん
しかし…
どうにも様子がおかしい」
「撃て!」
ドシュドシュ!
ギャオン
グギャッ
キマイラもほとんどが、そのまま避けずに向かって来る。
それでバリスタの矢で、簡単に射殺されていた。
この様子を見て、二人の王は益々訝しんでいた。
「おかしい
いくらなんでも変だぞ」
「ああ
確かに妙だな
キマイラまでそのまま向かって来るなんて…」
「一体何が起こっておるのじゃ?」
この時魔物は、簡単な指示しか受けていなかった。
人間を襲えでは無く、ただ前進しろと命じられていたのだ。
それで魔物は、次々と矢に貫かれて死んで行った。
そして積み重なる魔物の死体から、黒い靄が漂い続ける。
「しまった!
マズいぞ」
「どうした?」
「アーネスト
何がマズいんだ?」
「あの靄を見ろ!」
「靄?」
「黒い靄の事か?」
「そうか!」
ここで精霊王は、アーネストの言いたい事を理解した。
黒い靄は漂い、やがて大きな靄を作り始める。
それはギガースやキマイラより、大きな靄を作り出す。
そこに何かが光った様な気がして、急速に靄が集まり始めた。
「む?
何か光ったか?」
「何だ?
靄が一ヶ所に集まっているぞ?」
「あれは魔物を生み出す為じゃ」
「魔物を?
しかし魔物は…」
「違うんだ
より強い魔物を呼び出す為に、生贄として多くの死が必要なんだ
それは魔物でも、人間でも良いんだ」
「死?
まさかそれでは…」
「わざと殺したと言うのか?」
バチバチバチ!
シュバッ!
黒い靄は稲光の様な光を発して、数ヶ所で収縮する。
そして集まった魔力をベースにして、そこにより大きな魔力が集まる。
そこから何か、爬虫類の様な腕が現れる。
それは鋭い鉤爪を持って、ゆっくりと靄の中から現れる。
「何じゃ?」
「まさか?
ドラゴン?」
「ドラゴンじゃと?
まさか古の物語に出て来る…
あのドラゴンか?」
「ああ
そのドラゴンを呼び出したんだ
それも複数体を…」
靄は五ヶ所に別れて、その場で収縮する。
そして靄の中から、五体のドラゴンが姿を現す。
ゴギャオオオオ
ギャオオオオン
ビリビリビリ!
「くっ!」
「これは咆哮か?」
「ぐうっ
意識をしっかりと保て!
拘束と気絶の効果を持っているぞ」
「ぐ…が…」
「がはっ」
この咆哮で、半数近くのドワーフやエルフが倒れる。
咆哮に意識を奪われたり、そのまま恐怖心から硬直してしまうのだ。
これがドラゴンの、咆哮の恐ろしさだった。
「ぬう…」
「ぐうっ
これはキツイのう…」
「くそっ!
やられた」
アーネストはポーチを取り出すと、覚醒させる為に気付け薬を出す。
そしてそれを触媒にして、気絶した兵士達に魔法を使う。
兵士達の身体の周りに、一陣の風が吹き抜ける。
その風が硬直の解除や、睡眠からの覚醒を促すのだ。
「精霊よ
風の精霊よ
我が意を受けたなら、その風の力を貸し給え
一陣の風」
アーネストが呪文を唱えると、気付け薬を含んだ風を巻き起こす。
風は兵士達の間を通って、睡眠からの覚醒を促す。
そして硬直した兵士も、身体の痺れを癒される。
「う…ぐうっ」
「がはっ」
「あ…あがっ」
「おお!
一瞬の内に癒したのか?」
「まあ、硬直と睡眠だからな」
「しかし…」
「くそっ!
黒騎士の前に、あのドラゴンを何とかせねば」
「そうじゃな
また咆哮を食らっては適わん
精霊よ!
風の精霊よ!」
今度は精霊王が、精霊に祈って助力を乞う。
風の精霊の加護で、咆哮の効果を防ごうとしたのだ。
風の精霊は、空気の薄い膜を作ってドラゴンの咆哮を聴こえ難くする。
そしてこの加護には、もう一つの効果があった。
グギャオオオオン
ゴウッ!
ボワワワワ!
「くっ!
今度は火のブレスか?」
「大丈夫じゃ
風の精霊の加護を受けておる」
ドラゴンの炎は、ユミル王達を狙って放たれた。
しかし風の防護膜があるので、炎はその風に防がれる。
そして多少の熱は感じるものの、火に直接焼かれる事は無かった。
「おお!
炎も防ぐのか」
「完全では無いがな
一体ぐらいなら防げるぞ」
「ううむ…
一度に吐かれたら?」
「一斉に逃げ出す」
「だろうな…」
いくら加護があると言っても、精々が一体か二体のブレスまでだ。
五体ものドラゴンのブレスでは、さすがに防ぐ事は出来ない。
つまりそれまでに、ドラゴンを倒す必要があるのだ。
「ユミル王
アーネスト」
「オレは左のドラゴンを…
精霊よ!
風の精霊よ…」
「ぬう
ならばワシは、正面のドラゴンを」
「よし
オレは右の2体を始末する」
三人は頷くと、世界樹の枝から飛び降りた。
アーネストは飛び降りながら、氷の魔法を唱える。
ユミル王は着地すると同時に、正面からドラゴンの爪を斧で受け止める。
しかしイチロは、さすがに勇者と呼ばれるだけあった。
「うおおおおおお」
ギャオオオオン
ガギン!
ズシャッ!
イチロは右前のドラゴンの爪を、剣で弾き上げる。
それと同時に、彼は剣を返してその関節を切り裂く。
硬いドラゴンの鱗は、普通の剣では傷すら付けられない。
ユミル王ですら、力任せに叩き切るしか無いのだ。
「せりゃああああ」
ズバッ!
グギャオン
しかしイチロは、剣でドラゴンの右腕を切り飛ばす。
「な…」
「やるな
食らえ!
氷の鏃」
バシュバシュ!
ギャオオオオン
アーネストは結句を唱え、杖をドラゴンに向けて振り翳す。
杖の先からは、氷の塊が発射される。
それは鋭く尖っていて、ドラゴンの胸や目に突き刺さる。
ドラゴンは堪らず、悲鳴のような声を上げる。
「何と!
くそっ!」
「ユミル
無理はするな」
「なんの、ワシでも」
ガイン!
しかしユミル王の斧は、ドラゴンの爪に防がれていた。
ユミル王が大きいと言っても、ドラゴンはさらに大きかった。
ドラゴンは5m近い大きさなのだ。
ユミル王が斧を振り回しても、鉤爪の付いた腕で防がれるのだ。
「ぐぬう…
これは…」
その横でイチロは、先ずは1体目のドラゴンの胸元に剣を突き刺す。
「りゃああああ」
ザシュッ!
ギャオオオオ
そしてドラゴンが首を下げたところで、彼は跳躍しながら首を切り裂く。
そして剣を振るって血を拭うと、もう1体のドラゴンに向かって行った。
そしてアーネストも、氷の魔法でドラゴンを圧倒していた。
致命傷を与えていなかったが、ドラゴンには無数の氷が突き刺さっていた。
炎のドラゴンなので、氷の魔法は効果が高かったのだ。
しかし戦場では、再び黒い靄が集まり始めていた。
まだまだ続きます。
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