第746話
飛空艇は、ドワーフの国に向かって進んでいた
日が沈み始める頃になって、ようやくシャーロット砦の北へ到着する
この辺りになると、ドワーフ達が魔物と戦った痕跡が残されていた
そしてレーダーには、魔物に滅ぼされた集落も映されていた
ファリスは最初、それはレーダーに似た地形が映っていると考えていた
しかしそれは、集落の跡地にしか見えなかった。
偶然にしては、地面が綺麗に整地されているからだ
それに周辺には、農地の様な畑も見えていた
「停めて!」
「な、何だ?」
「良いから停めて!」
「どうしたんだ?」
「ファリス
魔物でも居るの?」
「魔物なら良かったんだけどね」
「え?」
「あれを見て」
ファリスはそう言うと、艦橋の左下の地面を指差す。
そこには焼け焦げた柱の跡と、崩された外壁の跡が見られた。
それは魔物に襲撃されて、滅ぼされた集落の跡だった。
レーダーび映された、不自然な地形に気が付かなければ見落としていただろう。
「な…」
「酷い!」
「魔物の襲撃の跡か…」
「やはり魔物が居るんだな」
「だけど何も居ないわ
ファリス」
「ええ
付近には人も居ません」
「全滅か?」
「それとも逃げ出したか…」
アーネストは飛空艇を移動させて、集落の跡地に近付ける。
そして騎士も含めて、一行はその地に降りてみた。
地面はすっかりと冷えていて、襲撃は既に過去の物だと判断出来る。
しかしその光景は、無残に破壊された事を物語っていた。
「誰も居ないな…」
「そりゃあ反応が無いのだもの」
「そうじゃない
死体も残されていない
魔物に食われたのか…」
「そうね
血の跡も残されていないわ」
そこでは犠牲者も居たのだが、全てが負の魔力に変換されていた。
それで血の痕跡も、洗い流した様に消されていた。
残されていたのは、集落だった残骸だけだった。
それが逆に、魔物の襲撃の恐ろしさを語っている。
「酷いな…」
「魔物め」
「この国の住民達も、魔物に襲われているのか」
「許せない」
騎士達も、己が事の様に憤っていた。
彼等からすれば、この光景も他人事では無かった。
嘗てはクリサリスの王都も、無残に破壊された事があるのだ。
それを思い出して、騎士達は静かに怒りを抑えていた。
「兎に角、何も残されていない」
「そうね
調べられる事も無さそうね」
「遺体でも残されていれば、弔う事も出来たでしょうに…」
「くそ!
オレ達がもっと早く来ていれば」
「そんな事は無いわ
少なくともここは、襲われてから1週間以上は経っているわ」
「そうだな
間に合う事は無かっただろう」
「しかし!」
「気持ちは分かるがな
騎士もお前も、今はその怒りを抑えておけ
いずれ界の女神に…」
「そうだ…な」
イチロ達に諭されて、アーネストは悔しそうに項垂れる。
例え封印を早く解いていたとしても、ここには間に合わなかっただろう。
それに今は、早くこの凶行を停める必要があった。
これ以上の犠牲を、増やさない為にも。
「すまない
今はこれで許してくれ」
アーネストはそう言うと、その場に花の種を蒔いた。
それはクリサリスの国花である、ダリアの球根であった。
それを幾つか地面に植えると、アーネストはそっと土を被せた。
こうする事で、魂に安息を与えられると言い伝えられているのだ。
「アーネスト様…」
「ここにもいずれは、ダーナの様に花が咲くだろう」
「そう…ですな」
騎士もアーネストに倣って、その土の前で黙祷をする。
昔のクリサリスでは、こうして戦死者を悼んでいた。
いつしか風習は廃れて、ダーナでしか行われていなかった。
ギルの生家にダリアが植えられていたのも、その名残だった。
そもそもダーナの名も、このダリアの名が鈍った物だとされる。
昔巨人族が暴れた後に、その行いを悔いて花の種が植えられた。
いつしかその場所には、美しいダリアの花が咲き誇る様になった。
その地に作られた街が、ダーナという訳だった。
「さあ
もう行きましょう」
「そうだな
今は時間が惜しい」
「ああ
これ以上の犠牲は必要無い」
再び一行は飛空艇に乗り込み、もう少しだけ進む事にする。
そうして空が茜色に染まる頃、飛空艇は再び停泊した。
そこはシャーロット砦の西で、付近には他の集落の跡も確認出来た。
しかしイチロは、そこには立ち寄らせなかった。
「どうしてだ?
花の種を植えるぐらい…」
「気持ちは分かるがな」
「その時間が惜しいのよ」
「ならばオレだけでも…」
「魔物が居たらどうする?」
「居ないだろう?
レーダーにも反応が…」
「それは確実か?」
「ぐう…」
「レーダーに映らないなら、相応の魔物という事になる
そうなった時に、戦闘が始まるだろう」
「しかし…」
「気持ちは分かると言っただろう?
オレだって行きたいさ
しかし危険な場所でもあるんだ」
「ぐうう…」
アーネストは悔しそうに、拳を握り締めていた。
以前のアーネストなら、こんな事はしていなかっただろう。
しかしギルバートを失い、彼は王国の宰相補佐を務め始めていた。
そうした環境の変化から、彼にはいつしか変化が訪れていた。
それは魔物に襲われた、人々を悔やむ気持ちに突き動かされていたのだ。
「そうした心情は、為政者としては好ましい物だろう
しかし今はな、戦争の途中なんだ
分かってくれ」
「くそっ」
ガン!
アーネストは壁を叩いて、怒りを抑えようとしていた。
イチロの言う事も、もっともだったからだ。
アーネストの迂闊な行動が、魔物を引き寄せる可能性もあるのだ。
だから一々、犠牲になった場所に立ち寄れないのだ。
「犠牲になった者達には悪いが…
オレ達も危険を冒せないんだ
分かってくれ」
「分かったよ!
しかしな、終わったら構わないよな」
「そうだな
その時は改めて、彼等に冥福を祈ろう」
「そうね
もう一度訪れれば良いでしょう?」
「今は我慢してくれ」
「ああ…」
アーネストは不承不承ながら、イチロの言葉に従った。
「エルリック
アーネストはあんな性格だったか?」
「そうですね
ここ数年で…
彼も子が出来て、大人になりました」
「そんな物なのか?」
「そんな物なんでしょう」
エルリックは、イスリールにそう答えていた。
しかしエルリックも、実はよく分かっていなかった。
アーネストのその行動の根底には、ギルバートを失った事が絡んでいた。
彼はギルバートが居なくなった事で、初めて失う事への苦しみを知ったのだ。
今までは両親を失っても、子供だった事もあって理解出来ていなかった。
アルベルトが亡くなった時も、悲しみよりも怒りが先行していた。
しかし友を失った時に、初めてアーネストは深い悲しみを知った。
それが失う事の悲しみを、彼に深く刻み込んでいた。
「死者を悼む…か」
「イチロ?」
「まだエミリアの事を…」
「忘れないさ
いや、忘れられないさ」
「そうだな」
「私も…」
イチロも、最愛の人を失っていた。
だからアーネストの、悲しみを共感する気持ちは分かっていた。
深く悲しんだからこそ、死者を悼む気持ちが大きくなっている。
そしてそれが、危険だという事も。
「危ういな」
「え?」
「いや、何でも無い
今夜は上等な葡萄酒を用意してくれ」
「え?
ええ…」
それで気持ちが、少しでも紛れれば良い。
イチロはそう思って、アイシャにお願いするのだった。
葡萄酒が効いたのか、アーネストは食事の後には上機嫌になっていた。
むしろ酔っ払って、監視の交代を頼めないぐらいだった。
酒が好きだという事だったが、これはイチロも誤算だった。
「まさかここまで酔うとはな…」
「普段はそこまで飲まない筈なんですがね」
「あの件か?」
「恐らくは」
「寝かしつけてやってくれ
見張りはオレ達が交代でする」
「分かったわ」
アーネストを運ぶのは、騎士が請け負ってくれた。
そのままイチロは、見張りの為に外の甲板に向かった。
そこでは物悲しい音色が、静かに流れていた。
リュートを手にした、エルリックが葬送曲を奏でていたのだ。
「エルリック?」
「あ!
すみません
つい…」
「いや、構わんよ
オレもそういう気分だった」
「イチロも?」
「ああ
オレにも大切な人を、失った事がある」
「アーネストですか?」
「ああ
あれは後悔しているんだろうな
経験したから分かる」
「そうでしょうね
恐らくはギルバートの事でしょう」
「ギルバート?
生きているんだろ?」
「ええ
ですが死んだも同然です」
エルリックは悲しそうに、首を横に振った。
「行方不明なんだろう?」
「しかしもう、5年近く経っている
あいつは自分を責めているんだ
あの時止めていれば…と」
「自分の力の無さか…
同じだな」
「ああ
私もそう思う」
イチロもエミリアという、妻の一人を失った経験がある。
彼女は自身の死も、予言として受け取っていた。
それでも愛するイチロを守る為に、彼女は自らを凶刃の前に差し出した。
結果として、イチロは妻を一人失っていた。
「私もね、大好きな人を失いました」
「エルリックも?」
「ええ
彼女は老衰でしたが…
最期を看取ってあげられなかった」
「あ…
そういう事か」
「ええ
私はあの時、自分の浅はかさを悔やみました」
「それはしょうが無いんじゃないか?」
「そうでも無いですよ?
自分が年を取っても、死ねない事を意識していました
それでいつの間にか、彼女も大丈夫だと錯覚していました」
「あ…
そういう事か…」
ハイエルフであるエルリックは、ガーディアンで無くとも長命なのだ。
だからその女性とも、数年ごとに会っていた。
今考えれば、それが間違いだったのだ。
彼女は死期を悟り、暫く会わない事を提案した。
「彼女は死ぬ数年前に、次はいつに会いたいか言って来ました
思えばその時に、彼女は最期を意識していたのでしょう」
「それで数年後に?」
「ええ
その時には既に、彼女は墓の中でした」
ポロロン♪
エルリックはここで、物悲しい葬送歌を奏でる。
亡くなったその女性に、捧げる為に創られた曲だった。
「ガーディアンの…
長命の者の宿命か」
「ええ
いつかあなたも、それを実感するでしょう」
「今も実感してるさ
仲の良かった友は、既に過去の存在だ」
「え?
どういう事ですか?」
ジャラン!
イチロの言葉に、エルリックは曲を途中で止める。
「私は封印されていたんだ」
「あ…
そうか…」
「私はその事も、エミリアから聞いていた
しかし改めてそうなってみると…
結構ショックだな」
「そうですね
しかしそれも、ガーディアンの宿命です
その辺は覚悟していなかったのですか?」
「イスリールからは警告は受けていたがな
あまり仲良くなると、後で辛いとな」
「そうですよ
ですがそうは言っても…」
「仲良くなってしまうんだよな」
「ええ」
二人は寂しそうに微笑むと、飛空艇の上の空を見上げた。
「アーネストもいずれは…」
「そうだな
味わうだろうな」
「出来れば私達の様に、悲しい別れで無ければ良いのですが」
「それはそれで、記憶に残って辛いぞ」
「そうなんですか?」
「ああ
昨日まで仲良く酒を酌み交わしていた友が…
もう既にこの世に居ないんだ」
「それは…」
「そしてその事を、知る者はオレ達だけなんだ」
「そうですね
それも辛そうですね」
「ああ…」
ポロロン♪
エルリックは再び、物悲しい葬送曲を奏でる。
今度は歌詞は無い、有名な葬送曲だった。
戦場で亡くなった友を悼み、あの世での再会を誓う曲だった。
それを静かに奏でながら、二人は飛空艇の空を眺めていた。
「ああ!
ここに居た」
「アイシャ?」
「イチロもだけど、エルリックさんは次の見張りでしょ
キチンと休んでください」
「はは…
これでも休んでいるつもりなんだが」
「こんな所でリュートを奏でるのが?」
「ああ
亡くなってしまった、友を悼む曲を奏でていた」
「エルリックも長い時を生きている
思うところがあるんだ」
「あ…
すみません」
「はははは
構わないよ
それにこれを弾き終わったら、少し休むつもりだったから」
「そうだな
オレはもう少し見回って来るよ」
「あ!
ちょっと!
イチロ!」
イチロは見回りに戻り、エルリックは曲を奏で続けた。
「あの?
エルリックさん」
「ん?」
「イチロは何と?」
「ええっと…」
「まだエミリアの事、引き摺っているんですよね?」
「それは違うと思いますよ?」
「え?」
エルリックは曲を奏で終わると、静かにリュートを脇に抱える。
「彼は前を向いています
失われた友や妻の事は悲しいでしょう
ですが前に進もうとしています」
「本当に?」
「ええ
ですからあなた達が、彼を支えてあげてください」
「は、はい」
「私も少し休みます」
「あ…
おやすみなさい」
「ええ
おやすみ」
エルリックは寂しそうに微笑むと、甲板を出て行った。
「エミリア…
どうしてあなたは…」
アイシャはそう呟くと、暫く空を眺めていた。
そしてエルリックも、亡くなった女性を思い出していた。
「今度こそ、私は間違えない
彼等を守ってみせる
だから見守っていてくれ」
エルリックはそう呟くと、そのまま船室に向かった。
彼は今度こそは、女神の凶行を止めたいと考えていた。
それが甘い考えだとは、彼も分かっていた。
それでも女神を殺す事は、彼にとっては重大な犯罪だったのだ。
「しかしそれでも駄目なら…
そっちで待っていてくれ」
エルリックはそう言って、覚悟を決めるのだった。
まだまだ続きます。
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