第745話
一向は湿地帯の上で、飛空艇を停めていた
既に周囲は茜色で、これ以上進むのは危険だった
それにここは、人間が暮らすには過酷な環境であった
それで一行は、この湿地帯の真ん中で過ごす事にした
実はここは、ちょうど魔族が住んでいない場所であった
ここから西には、魔族の圧政から逃げた者達が暮らしていたのだ
そんな事は知らないので、イチロ達は接触を避けていた
しかしもし飛空艇が降りていたら、それこそ違う理由でパニックになっていただろう
「ここには人が住んでいないんだな」
「え?
こんな場所には住めないでしょう?」
「そうよ
作物が育たないわ」
「え?
土地は広いし、水も豊富だろう?」
「あのねえ…」
「イチロは色々知ってそうで、こういうのを知らないのよね?」
「え?
え?」
「土地と言っても、沼の間に湿地があるだけよ?
水浸しで作物は育たないわ」
「そうよ
水が多過ぎると、作物は根っ子から腐るわよ?
こんな場所では育たないわ?」
「しかし稲があるだろう?
米は水の多い場所で育つだろう?」
「米?」
「稲?」
「へ?」
イチロの世界では、稲と言う植物があった。
イチロは詳しく知らなかったが、稲は田んぼと言う水気の多い場所で育っていた。
しかしアース・シーでは、米は作られていなかった。
女神は米の開発を、この世界では行っていなかった。
「イスリール
この世界には米は無いのか?」
「米…
ああ、稲科の植物ね
作れそうな場所が無いのよ」
「ここなんかそうじゃ無いのか?」
「そうね
途中までは育ちそうね
しかし稲も、水が多過ぎると腐るわよ?」
「え?」
「イチロはそこまで知らないのね
だから育つと…」
「そうなのか?
水が大事じゃ無いのか?」
「元々の稲は、そこまでは必要無いのよ
あなたの想像している物は、人間が品種改良したものよ」
「品種改良?」
「そうよ
元々の植生とは異なるの
この世界ではまだ、そこまでの技術は開発されていなわ」
「そう…なのか…」
イチロは稲が無いと聞いて、幾分かショックを受けていた。
神殿に居る頃は、イスリールが日本食を真似た物を出していた。
しかしそれも、イスリールが再現していただけなのだ。
この世界では未だに、稲すら自生する物しか無いのだろう。
「稲って?
お米ってなあに?」
「そうか
エレンは知らないのか」
「私も知らない」
「アナスタシアとエレンは、あの戦いの直前で加わったのよ
アスタロト様やルシフェル様が、鍛えてくださった頃には居なかったの」
「そうよ
それに私達だって…」
「アイシャはご飯を作ってくれただろう?」
「あれはイスリール様が用意された物よ
どこで作られたかは…」
「アスタロトが作っておった筈じゃ
もしかしたら、アスタロトの試験農場にあるやも知れん
しかし何処にあるかまでは…」
「本人がもう居ないからな
クローンも知っているかどうか」
「ええ!
食べれないの?」
「ああ
すまない」
「そんな…」
エレンも、未知の食材である米に興味を持っていた。
しかし肝心の米が、稲すら用意されていないのだ。
イスリールがその気になれば、ファクトリーで生産する事も可能だろう。
しかし今は、それどころでは無いのだ。
「界の女神の事が無ければな
私も作ってみたいとは思う」
「出来るのか?」
「ファクトリーでな
しかし増やすには田圃を造成する必要があるぞ?
それに育てる人足も…」
「あ…」
「そこからして問題があるな」
「そうだな
作物である以上は、作らないとな」
「そうだぞ
ファクトリーで再現するにも限度がある
そもそも米とは、お前の世界の先人達が苦労して作り上げた物だぞ」
イチロは知らなかったが、米とは何百年も掛けて開発された作物だ。
それは日本人が、苦しい食生活を改善する為に開発を繰り返した結果だった。
だから稲科の作物を植えても、米が出来る訳では無いのだ。
「そうなのか?」
「何にも知らないんだな
まあ、確かにお前の記憶には、米を食べた経験や感想しか残されていなかったからな」
「そ、そうだな」
「稲科だったか?
必ずしも米になるとは限らんぞ
他にも作物があるんだ」
「そうなのか?」
「ああ
お前の記憶の奥底には、稗や粟といった記録も残っていたぞ」
「あ…
そういえば戦時中に、爺さんが食っていたって言ってたな」
「それを食べながら、さらに食べ易い物を作ったのだろう
それが米という物だな」
イスリールの言う通り、イチロは米には詳しく無かった。
農家の子供でも無く、米は主食の一つとして食べていただけだ。
しかも召喚された時は学生で、そこまでの知識は身に付けていなかった。
イチロの知識では、テレビなどで見た概要程度しか無かった。
「それじゃあ無理なのか?」
「ああ
難しいだろうな」
「そんな…」
「しかし道が無い訳では無い」
「え?」
イスリールはそう言って、暫し考える。
「この戦いが終わって…
平和な時が訪れれば…」
「訪れれば?」
「アスタロトのクローンに確認してみよう」
「クローンって
だってアスタロトはもう…」
「しかし研究を手伝わせていただろう?」
「それは…」
「興味を持っていた様子だからな
研究をしていた可能性もある」
アスタロトは、イチロの世界の事に興味を抱いていた。
それは何も、科学兵器や化学文明の事だけでは無い。
彼は異世界の植生や、生き物の仕組みにも興味を持っていた。
それだけの種類の野生動物が居るのなら、魔物以外に根付かせる事も可能だからだ。
「アスタロトは、お前の世界の記録を調べていた」
「そりゃあ確かに、色々と聞かれたが…」
「それだけでは無い
アーカイブを調べて、それ以外の手段でもデータが取れないか確認していた」
「しかしそれは、女神以外には…」
「イスリール様が許可を出していた
それで調べた形跡もある」
「アスタロトが?」
「ああ」
アスタロトは、ガイアとの交信の記録も調べていた。
そこにはガーディアンの記録以外にも、お互いの星の記録も交換されていた。
その中には、植生のデータも少なからず残されていた。
アスタロトがそれを調べていたのなら、そこから研究した可能性もあった。
そもそもスーパーロボットも、イチロの記憶だけでは完成していなかったのだ。
「それでは再現する可能性が…」
「無い訳では無い
それに報酬として、こちらも手を尽くしてやる事は出来る」
「やった!」
「イチロ」
「良かったな」
「喜ぶのは早い
先も言ったが、記録はあるかも知れない
しかし育てる必要があるのだ」
「あ…」
「土地や人ではどうする?」
「ああ!」
「それなら…」
イチロが頭を抱えていると、アーネストが挙手をした。
「アーネスト?」
「お前に何か、妙案があると?」
「ああ
ギル達を見つけ出す事が条件だが」
アーネストには、それが可能になる手段に当てがあった。
それはギルバートだけでは無く、イーセリアも必要になる。
「ギルバートが?」
「彼はマーテリアルであるが、植物を育てる力は無いぞ?」
「ああ
土地に関しては、オレが国に何とかさせよう
オレも宮廷魔導士だから、宰相補佐の権限がある」
アーネストは、ギルバートが国王に就いた際に、宰相補佐の任を受ける約束があった。
宰相でも良かったが、宮廷魔導士との兼任が難しかった。
それで宰相補佐として、ギルバートの近くで支えようと考えていた。
その権限があれば、勇者に農地を用意するぐらいは出来るだろう。
「土地は用意出来るだろうが…
人手はどうする?
まさかそれも宰相補佐の権限で?」
「そりゃあさすがに…」
「それもギル達が見付かれば、何とかなる
イーセリアが居るからな」
「イーセリア?」
「そうか
精霊女王か」
「イーセリア?」
「ギルの妻で、妹として育った娘だ」
「妹って、そりゃあ近親…」
「イチロ!」
「あ痛ででで!」
「エレン達の前で!」
「駄目ですよ」
「え?
何?」
「近親ってなあに?」
「ほら
悪影響が出るでしょ」
「そうよ」
「エレン
アナスタシア
あなた達はまだ知らなくて良い事よ」
「ええ…」
「何なの?
また仲間はずれ?
大人ってズルい」
二人はぶうぶう言っていたが、イチロの発言内容はマズかった。
「あの…
話を進めても良いか?」
「変な内容じゃ無ければ」
「いや、妹と言っても、血は繋がって無いからな
そもそもハイエルフと、人間だぞ?」
「ハイエルフ?
珍しいわね」
「ミリアの血縁者かしら?」
「ミリアはエルフじゃからな
お前達は当時、精霊王や女王には会えなんだからな」
精霊王も、イチロ達の時代には居た。
しかしエルフの国は離れていて、精霊王と会う機会は無かった。
ミリアもエルフでありながら、ガーディアンの血を授かっている。
能力だけならば、遜色は無かった。
しかしハイエルフととは、流れる血が違っていた。
「イーセリアは精霊女王で、魔物の侵攻の際に保護されたんだ
それでギルの妹として育てられたんだ」
「ああ、養女か」
「そうだ」
「幼女?」
「私達と同じ」
「そうね」
エレン達は、字を勘違いしていた。
しかしエレン達も、イチロの養女として育てられている。
そこはイーセリアと同じなのだろう。
「それで?
その女王とやらが何なんだ?」
「精霊女王とは、精霊と人間との仲介役じゃ」
「それに何の意味が?」
「精霊の加護を得られる」
「精霊の加護?」
「ああ
精霊の力を借りて、自然現象を治める能力だ
この場合は植物の育成の補助だな」
「そうじゃな
精霊の加護があれば、植物は良く育つ
そういう意味では、イーセリアは適任じゃろう」
「植物の…
なるほど」
「本当に分かってる?」
「ああ
ミリアの祈りみたいなもんだろう?」
「あのねえ…」
「確かに似てはいるが…」
ミリアはエルフなので、精霊に祈って助力を得られる。
しかし風で命中率を上げたり、湧き水の場所を教えてもらう程度だ。
植物に働き掛けたり、大地の力を借りるのとは訳が違う。
イーセリアのそれは、実はもっと強力な力なのだ。
「この戦いが無事に終わって
ギル達が無事に見付かったらだがな」
「それは責任重大だな」
「そうね
ギルバートさん達も、無事なら良いんだけど」
「しかし手掛かりが無いんだろう?
イスリールも知らないって話だし」
「不甲斐ないが、この場所に関しては分からないのじゃ
私にもっと権限があれば…」
「だからこそ、界の女神に会う必要がある
あの女なら、ギル達の居場所を知っている筈だ」
「そうだな」
「そうね」
「必ず聞き出さないと」
米という報酬も増えて、イチロ達もギルバートの捜索を手伝う気になった。
もとより戦力増加の為にも、ギルバートの消息は重要だった。
イーセリアの精霊の加護も重要だが、マーテリアルであるギルバートの力も必要なのだ。
女神の暴走を止める為には、強力な力が必要だった。
その為にも、出来れば女神に遭遇する前に、ギルバートの所在を確認したかった。
「本当なら、女神と戦う前に知りたいんだが…」
「情報があれば良いんだがな」
「ドワーフ達が何か知らないかしら?」
「それは難しいだろう
なんせ行方不明になった時は、界の女神と一緒だったんだろう?」
「ああ
あの女を追って姿を消したんだ」
「それなら可能性が高いのは…」
「女神に囚われている?」
「だろうな?」
「しかしもう、5年も経っているんだぞ?」
「まだ5年だろう?」
「私達みたいに、何らかの力で封印されている可能性もあるわ
そうすれば5年なんて…」
「封印!
そうか
それは考えていなかった」
ギルバート達が消えた後、その痕跡は一切掴めなかった。
しかし封印されているのならば、力の発露も不可能だろう。
それに動きが封じられているのならば、逃げ出せない事にも納得が行く。
問題はそうであるのならば、女神を倒さねば解放されないという事だろう。
「これはますます、あの女をどうにかしなければ…
界の女神め…」
「アーネスト
思い詰めるなよ」
「そうよ
機会は必ず訪れるわ」
「今は先ず、戦争を停めないと」
「そう…だな」
アーネストにも色々と、思うところはあった。
しかし一行は、一先ずはここで一夜を明かす事にする。
このまま闇雲に、暗闇を進んでも危険だからだ。
そして翌日となり、再びソルスの光が大地を照らし始めた。
「魔物の姿は見えなかった」
「変ね
こんなに居ないなんて、本当に魔物は居るの?」
「それだけ妖精の国に集中しているんだろう?
だからこそ急がねばな」
「しかしドワーフの国には立ち寄るんだろう?」
「そうだな…
何か情報があれば良いのだが」
「さあ
出発しましょう」
アーネストが舵を取り、再び飛空艇は始動を始める。
今度は南西に向かって、ボルチモアの北西を通過する形で進む。
途中で肥沃な土地も見掛けたが、この辺りには集落は少なかった。
これにはイチロ達も予想出来ない、別の要因が重なっていた。
そもそも東の国は、魔族の中から逃げ出した者達が建国していた。
それは角が無い魔族や、獣憑きの魔族が主な者達だった。
彼等は選民思想に反対して、一部の奴隷を連れて逃げ出した。
そして奴隷の身分を解放して、この地に新たな国を作っていたのだ。
オウルアイに流れ着いた奴隷も、そうした者達の一人だった。
彼は解放される前に、そのまま東へと逃げてしまった。
それで隷属の魔法が、掛かったままになっていた。
そのまま留まっていれば、いずれは奴隷から解放されていたのだ。
そんな事情も知らないので、アーネスト達はボルチモアも警戒していた。
そうして距離を置いて、飛空艇は南西に向かって進む。
その先には、ドワーフの王国が在るのだ。
飛空艇は日が暮れるまで、そのまま先を急いで進んでいた。
まだまだ続きます。
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