第739話
イチロの言葉は、アーネストの心に深く刺さっていた
人間は危険で、世界を自ら滅ぼす恐れがある
前の世界は、人間達がマザーコンピューターを生み出していた
そしてマザーコンピューターは、そんな人間を敵と認定していた
鶏が先か、卵が先か
そんな諺がイチロの世界にはあった
これは人間と、その人間が生み出した者にも当たるだろう
人間が生み出した女神が、人間を生み出して世界を創り出した
そしてその女神の一柱が、再び人間を滅ぼそうとしている
「オレ達は…
正しいのか?」
アーネストはイチロの発言で、改めて自分達の危険性を考えさせられていた。
確かに一面では、自分達が生き残る為に、女神と戦うのは当然だろう。
しかし女神の側に立てば、人間は危険で滅ぼすべき存在なのだ。
それは過去の世界でも、マザーコンピューターが証明していた。
「この議論は危険なんだ
止めておこう」
「そうですね
下手をすれば自滅しますよ」
イチロと女神の発言は、正鵠を射ていた。
深く考えれ考える程、自分達の危険性が浮かび上がる。
しかしアーネストは、妻や娘を守る為に、女神を倒すしか無かった。
考える事自体が、危険な事だった。
「アーネスト!
もう止しなさい!」
「はっ!」
イスリールの声で、アーネストは思考の海から還って来る。
「お、オレは…」
「言ったでしょう?
その思考は危険です!
自滅の道を歩みますよ?」
「しかし!
オレ達は正しいのか?」
「正しいとか正しくないとか関係無いのです!
生きる事が重要なんです!」
「しかし…」
「アーネスト!」
「くっ…」
イスリールに見詰められて、アーネストは言葉に窮する。
確かに、イスリールの言うう通りなのだ。
自分達は生きないといけないし、その為に戦っている。
しかし自分の足元が揺らいだ今、何が正しいのか分からなくなっていた。
「このままでは…
オレ達はいずれ、取り返しの付かない…」
「そうでは無いのです
それに今も、端末の一つが壊れただけです
界の女神を壊したとしても、まだ他の端末が居ます」
「ですが!
繰り返しているんですよ!
人間は愚かにも…」
「アーネスト!
王都を見ましたか?」
「おう…と?」
「ええ
魔物と人が…
獣人や亜人も暮らしているでしょう?」
「しかしそれは、極少数で…」
「アーネスト…」
「それに、いつまた差別や選民思想が…」
「アーネスト!」
女神はなおも愚図る、アーネストの言葉を制する。
「人は間違えます」
「だから…」
「ですが、人は過ちを認めて、やり直す事が出来ます」
「やり直すって…」
「この世界がそうです」
「しかしこの世界も…」
「立ち止まっては駄目です
それでは亡くなった者達が、浮かばれないでしょう?」
「ですが…」
「イチロが言っていたでしょう?
彼の世界でも、色々とあったのです
それでも彼は、立ち止まらず進もうとしています」
「イチロ?」
「彼はあの時…
女神がいずれ、自分達を裏切って世界を滅ぼすと知りました
自分達が居なくなって、ずっと先の世界ですよ」
「ずっと先の?」
「そうですよ
そのまま放って置いても良かったのです
その先の世界の人間が、どうにかしなければならない事です」
イチロは予言を受けても、そのまま無視するという選択肢もあったのだ。
予言にあるのは、イチロが自らを封印すれば、彼の子孫達に加勢出来るかも知れないという事だ。
それも封印を解くという事は、決定した事では無かった。
それでもイチロは、今の幸せを棄てでもその道を選んだ。
全てを棄てでも、子孫の為に戦う道を選んだのだ。
それが彼だけに、出来得る可能性のある道だったから。
「警告だけでは、それは叶わない
界の女神が痕跡を消す可能性もありました」
「何で…そんな」
「封印も確実ではありませんでした
それでも可能性が高かったのは、自分達がその戦いに加わる事でした」
「確実じゃ無い?」
「言ったでしょう?
界の女神が、痕跡を消す可能性がありました
封印は壊せませんが、封印された事実を消す事は出来ます」
「どうやって?」
「端末を封じ、封印を知る者を皆殺しにする
それが先の魔物の侵攻です」
「あ…
あれがその為の…」
イチロは予言を受けて、自らを封印して後世に残した。
それは彼が、界の女神の様な裏切り者が現れると知ったからだ。
そしてそれは、界の女神をなんとかする術も知っているからだ。
口伝や記録では、伝えられない事も予言で知っていた。
だからこそ全てを棄ててまで、彼は封印される事にしたのだ。
「予言は確実ではありませんが、可能性は高かった
だからイチロは、それに賭けたのです」
「何故です?
何故彼は…」
「恐らくイチロは、何かを知っています」
「何をです?」
「それは私にも分かりません
ですがその事が、イチロが封印に拘った理由でしょう」
「そんな事が…」
「界の女神が魔物を寄越したのも、イチロの復活を阻止する為です」
「え?」
「人間を滅ぼすだけなら…
魔物を増やしながら、ゆっくりと行えます」
「あ…」
「あの黒い靄を見たでしょう?
あれを繰り返せば、いずれは人間を滅ぼせます」
「そんな事が…」
「それでもアース・シーに送り込んだのは、封印を知る者を消す為でしょう
それに茨の女神を倒せば、私達端末も封じられますからね」
「権限…ですか?」
「ええ
あそこで権限の全てを、界の女神に奪われなかったのは僥倖でした
恐らく茨の女神も、イチロから何か聞いていたのでしょう」
「そんな確実でない事で、何で?」
「世界を守りたい…
今のあなたの、心の原動力と同じです」
「オレの?」
「ええ
愛する家族を守りたい
大切な人達を守りたい」
「守りたい…」
「ギルバートと約束したんでしょう?
彼が帰って来た時に、世界の無事を見せる為に」
「ギル…」
アーネストはギルバートの名を聞いて、再び思い出していた。
この世界を守る為に、二人は女神にも立ち向かって行ったのだ。
そんなギルバートが、女神を追ってセリアと共に消えてしまった。
彼が戻った時に、世界の無事を見せてやりたかった。
「彼は生きているんでしょう?」
「それ…は…」
「あなたが信じなくてどうするんです?」
「しかし!」
「反応は確かに消えています
あれ以降、私も確認出来ていません」
「だったら希望なんて持たせないでください!」
「私には…
暗黒大陸の反応を見る権限はありません
ですが、可能性は高いんでしょう?」
「それでも!
それでも生きているとは…
到底思えません」
「どうしてです?」
「あれから何年経ったと?
5年ですよ?
それでも何の音沙汰も無い!」
「それでも、彼は…
彼等はそう簡単に、亡くなる様な人達ですか?」
「それは…」
「いずれ答えは見付かります
暗黒大陸に、その痕跡が見付かるでしょう」
「そうなれば…
良いんですが…」
イスリールの励ましで、アーネストは少しだけ元気を取り戻す。
「さあ
もう寝なさい」
「イスリールは…」
「私は寝る事が出来ません
というか、寝る必要が無いのです」
「え?」
「言ったでしょう?
私達は女神の端末
分かり易く言えば、先ほど話題に上がった人造生命体です」
「人造…」
「この身体はあちこちに移動して、人間の様子を細やかに見る為です
手出しは出来ませんがね」
「ですが今回は…」
「これは特別なケースですね
何せ私達、女神の端末が仕出かした行いですから」
「最初からイスリールが手出ししていれば…」
「過去の世界の滅びは見たでしょう?
あれは私達の様な端末が、徹底して管理していたから起こった事です」
「今も管理しているのでは?」
「今している事は、間接的な管理です
あくまでも人間が、己の意思で決めるべきなんです」
「ですがカイザートやイチロは…」
「イチロは召喚しただけですよ?
鍛えたのはアスタロトやルシフェルです
彼等は魔王で、私達端末ではありません」
「何だか言い訳みたいだな…」
「それにカイザートの時も…
魔王に任せて、私達は何もしてませんよ」
「ますます言い訳臭いな…」
女神はあくまでも、下準備をしているだけだった。
後は人間達が、己の意思で行う事を見守っている。
今回の件も、予言に従って封印を解除させたり、飛空艇の捜索を手伝っただけだ。
細かい指示は出さずに、あくまでも見守る。
それが女神達が、自らに課した制約だった。
「言い訳ではありませんよ?
それこそその気になれば、暗黒大陸に天変地異を起こす事も出来ます」
「天変地異…」
「ええ
地形操作や天候の操作ですがね」
「それって凄い事じゃあ…」
「精霊魔法で、雨雲や雷雲、雪を降らしたり出来ますよ?」
「いや、地形を操作って…」
「そうですね
古代竜の死骸があるでしょう?」
「え?
あの山脈になっている?」
「ええ
あれを動かしたら…
どうなると思う?」
「あ…」
生き物の様に動かす事は出来ないが、何らかの方法で移動なら出来る。
それにその気になれば、竜神機を使って破壊する事も出来る。
竜神機ほどの力があれば、地脈に攻撃を加えて活性化する事も出来る。
女神がその気になれば、火山の活性化や噴火も行えるだろう。
「その他にも、地面の下に地震や津波の元になる…」
「ああ、もう良い
分かったよ」
「分かってもらえたかしら?」
「ああ
しかし、何で暗黒大陸をその力で攻撃しないんだ?」
「それは当たり前でしょう?
あそこには罪の無い、生きている人間や生き物が居るのよ?」
「あ…」
「魔物しか居ないとしても、それを殺すのは虐殺に変わらないわ
それは嘗ての世界の…」
「大破壊と同じか…」
「ええ
過ぎたる力は、災いにしかならないわ」
女神は触れなかったが、天変地異を起こせば、アース・シーにも影響が出る。
それはどの様な規模で、どれだけの影響が出るかも分からない。
だからこそ界の女神も、安易にアース・シーに攻撃を加えなかった。
遠回しに魔物を使ったのも、地形や天候を操作したく無かったからだ。
「もう良いでしょう?
早く寝なさい」
「はい」
アーネストは満足したのか、就寝する為に部屋に向かった。
あるいは女神の話を聞いて、思考を放棄したのかも知れない。
考えれば考えるほど、話が人間に大き過ぎるのだ。
アーネスト一人があれこれ考えても、なる様にしかならないのだ。
「心配なのは分かります
それに責任の重さもね…
だからこそ私達、女神が存在しているのです」
イスリールはそう呟き、アーネストの背中を見送った。
重過ぎる責任と、複雑な情報操作が必要になる。
だからそれを、女神の端末達が行っている。
人間一人一人が負っていては、いつまでも纏まらずに進まないだろう。
だから神託を使って、進むべき道を指し示すのだ。
しかし女神の端末ですら、万能では無い。
それは彼女達をみていれば、よく分かるだろう。
彼女達ですら、何度も失敗しながら、思考を繰り返して行っている。
他の星の女神の中には、失敗して滅びた星もあるのだ。
「失敗は…出来ないわね
既に三体も端末を破壊されている
それに四体目も…」
最初のメインの女神も含めれば、既に三体の端末が破壊されていた。
最初のイシュタルは、後悔の念からプログラムに支障を来たして封印された。
今も復活しないのは、決定的なプログラムの支障が起こっているからだ。
二人目のイスリールも、イチロの件で思考に問題が起こっていた。
彼女は封印ではなく、自らの身体を破壊していた。
思考プログラムが、処理を受け付けられなくなったのだ。
それで自己破壊の衝動に襲われて、彼女は自らの命を絶っていた。
イチロは恐らく、予言でその事を知っている。
しかし危険な情報なので、彼はその事には触れなかった。
イスリール自身も、未だに彼女の最期は信じられなかった。
だからこそその事は、黙って情報規制をしていた。
そして茨の女神も、ギルバートとの戦いで破壊された。
彼女の場合は、思考プログラムにも支障は出ていた。
しかし症状が軽かったので、しばしばメンテナンスを行っていた。
カイザートの最期は、彼女の心を壊していた。
しかし短期間だけなら、時々起きては世界の情勢を確認出来ていた。
「茨の女神が…
ソーンが正常なら、こんな事態にはならなかったのでしょうね
しかしそれも、あの界の女神の策略の可能性がある…
何て用意周到なのかしら…」
カイザートの死が、茨の女神を狂わせていた。
しかしその死の真相にも、界の女神が関わった形跡があった。
他の端末達も、その痕跡に気が付いていた。
しかしこれ以上は、茨の女神に負担を掛けられなかった。
それで彼女には、事の真相は伏せられていた。
カイザートの死には、選民思想者の貴族が関わっていた。
彼等に選民思想を植え付けたのが、当時端末であった界の女神であった。
そうして貴族を扇動して、カイザートを暗殺させたのだ。
それで茨の女神は、心を壊して狂い始めた。
「しかし、それもここまでよ
今度こそあなたを停めてみせるわ」
当時は同じ端末で、しかも優先順位では界の女神よりも下であった。
それでイスリールは、彼女の暴走を止める事が出来なかった。
しかし今は、茨の女神から権限を譲渡されている。
今のイスリールならば、界の女神に迫る事が出来る。
イスリールは眠りに着く代わりに、壁に背を預けて目を瞑る。
そうする事で、人間が眠るのと同じ状態になれる。
彼女は思考を一旦停止して、自己修復システムを起動した。
まだまだ続きます。
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