第700話
獣王は大剣を振るって、黒い鎧を着た男に切り掛かる
彼は全身を黒いスケールメイルで覆い、黒い剣を構える
そして獣王の渾身の一撃を、軽々と弾き返していた
誰の目にも、この戦いは獣王の敗北に見えていた
上段からの叩き付ける様な一撃も、黒騎士は軽々と受け止める
体格差が倍ぐらいあるのに、平然として受け止めるのだ
そこからも、獣王との力の差は十分に見えていた
このまま切り掛かっても、彼を倒す事は叶わないだろう
「ぬおおおお」
「…」
ガギン!
何度目かの攻撃を受け、黒騎士は頭を振った。
それは獣王の力が、彼を打ち倒せる物では無いと示していた。
そして剣を滑らせると、彼はそのまま獣王の胸元を切り裂く。
鮮血が迸り、獣王はその場に片膝を着いた。
「獣王様!」
「ぐぬう…
ここまでの差があるとはな」
「…」
黒騎士は再び頭を振ると、素早く剣を振り抜く。
獣王の左腕が飛び、その肘から先に血を噴出させる。
そして返す剣で、黒騎士は獣王の右肩を切り裂く。
両腕に深手を負って、獣王の大剣はその場に落ちた。
「ぐっ…
最早ここまでか…」
「…」
「最期に…」
「…」
「もう一度、頼む!
あいつ等だけは逃がして…」
「…」
「獣王様!」
「ワシ等は逃げませんぞ」
「馬鹿者!
生きて命を繋がんか!」
「出来ません!」
「…」
黒騎士はそれでも、無理だと首を振る。
それは顔こそ見えないが、苦悩している様にも見えた。
「どうしても…」
「…」
「そうか
ならば!」
「獣王様!」」
「駄目です!」
「うおおおおお」
「!」
獣王は最期の力を振り絞って、黒騎士に組み付いた。
左腕は失い、右腕も肩を大きく切り裂かれている。
しかし残る力で、黒騎士を押さえ込もうとした。
「逃げろ!」
「獣王様!」
「早くに…ぐぼはっ」
しかし獣王の背中に、黒い刀身が突き出していた。
それは鈍く光ると、怪しげな紫の光を放ち始める。
その光を発し始めると、獣王の力は弱まり始める。
「こ…
な…じめから…なかっ…」
「…」
「ぐふっ…」
獣王の身体から、みるみる生気が失われる。
その怪しい輝きは、獣王の魔力と生命力を吸い込んでいた。
そして屈強だった獣王の身体も、みるみる萎んで行く。
「ああ!」
「そんな!
魔剣か?
あれは魔剣なのか?」
「ぐぞおおおお」
「…」
ザシュッ!
護衛の兵士の一人が、堪らず黒騎士に向かって切り掛かる。
しかし黒騎士は、そんな彼の剣を左手で受け止める。
そしてその受けた傷は、みるみる塞がって治されていた。
獣王からすった命を、そのまま治療にも使えるのだ。
「傷が?」
「馬鹿な!
傷を癒すというのか?」
「魔剣だ…」
「くっ…」
獣王だったそれは、最期に灰の様に崩れて消える。
黒騎士はそれから、剣を抜いて立ち上がった。
「獣王様…」
「ワシ等もただでは死にませんぞ!」
「あの世でまた、酒を酌み交わしましょうぞ」
「わああああ」
ガギン!
ギャリン!
兵士達は剣を抜いて、一気に黒騎士に切り掛かる。
しかし力量差があり、まともに振り抜く事も出来なかった。
黒騎士は素早く剣を振るうと、彼等の腕を切り飛ばした。
そして脚を切り裂くと、その場に蹴り飛ばして転がす。
「ぐがあああ…」
「殺せ!」
「このままでは…」
「…」
しかし黒騎士は、興味を失った様にその場を後にする。
「待て!」
「ワシ等はまだ死んでおらんぞ!」
「逃げるな卑怯者!」
「…」
しかし黒騎士は、そのまま振り返る事も無く謁見の間を後にする。
グギャオオオ
ギャヒヒヒ
代わりに魔物が、謁見の間に入って来る。
魔物は兵士達を見て、爛々と瞳を輝かせる。
「な…」
「これが…魔物?」
ギャヒイイイイ
魔物は兵士達に、一斉に駆け寄った。
そして生きたまま、彼等にむしゃぶりついた。
「ぐがあああ」
「ぞんな、ぞがあああ」
「ごろぜ!
ごろじで…」
生きながら兵士達は、魔物の塊の中に消える。
そして寸刻も待たずに、その声は聞こえなくなった。
後に残されたのは、彼等だった物の痕跡だけだった。
魔物は満足したのか、再び獲物を求めて謁見の間を出た。
「ぐがあああ…」
「いだい、いだあああ…」
その後も暫く、王城のあちこちで悲鳴が上がる。
活きの良い餌を得て、魔物は満足気に食事をしていた。
そんな光景を横目に、黒騎士は王城から出て来る。
そこにもあちこち血痕が残っており、魔物が食事をしていた。
中には同じ魔物の死骸を、美味そうに齧る姿も見られる。
「…」
ガン!
黒騎士は無言で、苛立った様に柱を叩く。
しかし呼吸を整えると、そのまま視線を逸らして立ち去る。
いくら怒ったところで、これはしょうが無い事だった。
魔物は飢えるし、適度に食事は必要なのだ。
そもそも魔物に、人の様な考えを説く事が無駄なのだ。
王都はそれから、翌朝まで饗宴が繰り広げられていた。
全てを始末して、残党を探すのには数日掛かるだろう。
王都の周辺には、獣人達が逃げ込んだ集落も多数ある。
それを潰しながら、この先に進む必要がある。
黒騎士はオリンズの北にある湖に向かっていた。
この湖があるので、魔物は西から攻め込むしか無かった。
しかしこの湖の近くに、魔物を補充する施設が隠されていた。
この地で殺された分も、再び補充される。
だから魔物は、策も無く街に踏み込む事が出来ていた。
街の東に、逃走用の城門と船着き場がある。
逃げた獣人達は、ここから北東の町に向かって逃げていた。
今から湖を渡っても、獣人達はさらに東に逃げるだろう。
それよりは態勢を整えて、湖を迂回する方がマシだった。
魔物達は空腹を満たすと、王都の西の城門から出て来る。
そして西から湖を回り込み、北に向い始める。
黒騎士はそれを見届けると、湖の岸壁に隠された通路に進む
そこにはファクトリーがあり、女神と交信する為の端末が設置されていた。
「ご…さまで…」
「…」
黒騎士が中に入ると、鉄製の部屋の中に灯りが灯る。
中には大小様々な鉄の箱があり、その中の一つに灯りが灯っていた。
表面には文字が映し出されて、それと同時に音声も流れる。
それは女神から、使徒へメッセージを送る機械だった。
音声は不明瞭で途切れ途切れだが、文字の方を読めば何とか判読出来る。
黒騎士は機械に、映し出された文字を読み進める。
先ずは獣人の王国の攻略、ご苦労様です
女神様は、続いてアトランタに向かう様に仰っています
そこを落とすかどうかは、追って連絡をします
先ずは魔物の補充をして、暫し休息を取ってください
文字はその様に書かれており、黒騎士は暫く考える。
先の獣人達との戦いで、ゴブリンやコボルトの数は半数にまで減っている。
代わりに回収した魔力で、新たな魔物が生み出されていた。
その魔物を補充すれば、アトランタに向かっても良いだろう。
黒騎士は機械に向かって、パネルを押して操作する。
そして出て来た羊皮紙を持って、外に待機するオークに手渡した。
それからコボルトを率いる、黒ずくめの剣士にもそれを渡す。
剣士はそれを受け取ると、頷いてゴブリンとコボルトに指示を出す。
ヒューストンとオリンズを落とした事で、食料には余裕が出来ていた。
魔物の数が減っているので、その分の余裕も出来ている。
問題になるのは、この先で食料の補充が出来るかだ。
魔物の食事は、基本的には生き物になる。
この先の食料も考えて、黒騎士は行軍予定を考える。
それは途中の町や村を襲う事でもある。
そうしなければ、魔物の侵攻を維持出来ないからだ。
それを踏まえて、黒騎士は出発の予定を考える。
その頃、別の場所でも事態は進行していた。
若い女がパネルを操作しながら、細身の男に話し掛ける。
男は書類を捲りながら、パネルを覗き込む。
そこには獣王の謁見の間と、先ほどの洞窟が映されている。
「黒騎士は上手く行っているか?」
「はい?
無事に獣王を倒しました」
「うむ
あれの変化は?」
「そうですね
大分心境の変化はあった様ですね」
「そうか…」
女の傍らで、細身の男は書類を閉じていた。
そしてパネルを操作して、獣王と黒騎士の戦いを映し出す。
それからパネルを操作すると、その光景を大きなパネルに映し出した。
女はその光景を見て、満足そうに頷いていた。
「順調に育っているな」
「そうですか?
私には危うく見えますが?」
「良いのだ
重要なのは、魔物を率いて人間に粛清を果たせる事じゃ」
「しかしそれならば、獣王は逃しても良かったのでは?」
「あれは手遅れじゃった
今さら反省されてもな…」
「そうですか?」
「うむ
危うく悪影響を与えるところであった」
女はそう言って、獣王の独白を聞いていた。
「何が誤ったじゃ!
今さら後悔しても…」
「ですが人間は、誤ってから反省する生き物です」
「何が反省じゃ
反省だけならゴブリンでも出来る」
「ですが反省無くては…」
「そうやって甘やかして来たから…
まあ良い
今回は徹底的に減らすぞ」
「はあ…」
男は女の言葉に、あまり気乗りしない様子だった。
しかし立場から見て、女の方が男よりも上だった。
それで男も、女の命令には逆らえ無かった。
「それで…
このままアトランタもですか?」
「ああ
アトランタ自体はどうでも良いが…
ドワーフの数も減らしておきたい」
「しかしドワーフは…」
「この先はエルフとの戦いも控えておる
今の内に黒騎士には、もっと貯めてもらわなければな」
「エルフもですか?
ですがドワーフもエルフも…」
「異論は認めんぞ!
ここまで悪化したのも、この二つの種族が放置したからじゃ」
「ですがそれは…
女神様が命じられたのでは?」
「勝手な事を…」
「え?」
「何でも無い!」
女はそう言うと、苛立った様子でコンソールを叩く。
「ドワーフやエルフが抑えていれば…
いや、そもそも魔族が裏切らなければこんな事には」
コンコン!
それは女にとって、女神にとっては本音だった。
ドワーフやエルフよりも、魔族の裏切りが一番堪えていた。
それが無ければ、こちらの計画は予定通りだったのだ。
しかし魔族は、女神の予定を裏切る事になる。
女神が禁じていた、一つの種族が総てを支配しようとしたのだ。
「仕方が無いでしょう?
女神様が彼等を放置したんですよ?」
「放置した訳では無い
私はあの時は忙しくて…」
「それは聞きました
しかしここと向こうと…
どちらが大事だったんです?」
「それは論じられん
どちらも大切じゃ」
女神はうんざりした様子で、不満を述べる男の方を見る。
彼も見た目は魔族なのだが、女神の使徒として調整されている。
それで見た目よりも、彼は長くこの地を守って来た。
しかし魔族が台頭した事で、彼の任地にも影響が出ていた。
魔族は他の種族を制して、好き勝手に行動し過ぎたのだ。
その結果として、この大陸の精霊力のバランスは再び狂い始めていた。
「兎も角、間引きを続けるしかない」
「他に方法は無いのですか?」
「時間が足りない
それに数を減らさなければ、再び飢饉が訪れる
そうなればどの道、生き残る数は少なくなる」
「それはそうですが…」
「弱きを棄てて、特定の種族を優遇する
それならば可能じゃが?」
「それは女神様が一番嫌っておられた…」
「分かっておるのなら、大人しく私の命令を聞け」
「ですがこのままでは…」
「一番腹が立っているのは、私自身の甘さだ
それがこの様な事態を…」
「くっ!」
魔王が魔物を滅ぼす前に、魔物は獣人達を襲っていた。
それで獣人の数が減ったので、当座の危機は乗り越えたのだ。
しかしその後に、魔族が同じ様な過ちを犯していた。
他種族を虐げて、彼等を奴隷として強制的に働かせていた。
そんな事をすれば、精霊達は大地への精霊力の供給を渋る。
それが再び、この大陸の精霊力の枯渇を招いていた。
折角獣人を淘汰したのに、魔族に変わっただけなのだ。
それで女神は止む無く、再び魔物を解き放った。
しかし魔族を滅ぼすだけでは、精霊力は足りていなかった。
このままでは、大地の精霊力は減り続けるだろう。
力を取り戻すには、相応の力を代償して注ぎ込むしか無いのだ。
「お前の言いたい事も分かる
しかし事は、最早魔族や獣人では賄えん」
「ですがこれでは…」
「全てを滅ぼす訳では無い
それならば、この様な回りくどい事はせん」
「しかし!」
「間に合わんのじゃ
このままではな」
女神は溜息を吐きながら、手元のコンソールを叩く。
大きなパネルに数字が羅列されて、それに合わせてグラフも表記される。
それを見ると、精霊力が極端に下がっているのが見て取れる。
そのグラフからも、既に限界を超えている事が分かる。
「見ろ!
ここ数年でこの有様じゃ
これを見ても、まだ許してやれと?」
「ぐうぬう…」
「分かったら手っ取り早く、この数値まで減らすのじゃ」
女神が示しているのは、今の人口の半分以上を削る事になる。
そうでもしなければ、精霊力の枯渇を補えれないのだ。
この大陸では、ここまで事態が悪化していた。
「黒騎士にもよく言い聞かせろ
このままでは間に合わんぞ」
「は、はい…」
「私だってな、何も殺したい訳では無いのじゃ」
女神はそう悲しそうに言うと、男に退出する様に促す。
そうして男が出て行くまで、彼女は項垂れたまま顔を伏せていた。
その肩は何かを堪える様に、小刻みに震えていた。
まだまだ続きます。
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