第697話
ヒューストンの街が落ちてから、4日が経っていた
王都オリンズからは、若者や戦えない者は退去させられていた
一部は周辺の集落や村に向かったが、若い王子はアトランタに向かって旅立った
そこまで逃げれば、当面は安心だと考えられたからだ
4日目の夕刻から、空は急に荒れ始める
この地域は雨期以外では、普段は雨も降らない
それがこうして、暗雲が立ち込めて雷も走っていた
まるでこれから起こる、戦いを象徴しているようだった
「城壁の櫓は組んだか?」
「はい
狐が上がれる様にしました」
「よし
そこには矢もしっかり用意しておけ」
「はい」
「城門の内側の補強も終わりました」
「うむ
土嚢もしっかりと積んでおけ」
「しかしこんな物を…
壊せるんですか?」
「ヒューストンの城門が破壊されたんだ
ここも安心出来んぞ」
「はい」
「それに…」
城門がしっかりと補強出来ても、城壁を登られては意味が無い。
この城壁は、ドワーフが昔に建造した物らしい。
その後放棄されたのを、先々代の獣王が改修した物だ。
昔の城壁部分はそのままにして、中に足場を作っただけだが、強度に関しては申し分なかった。
「壊されるんでしょうか?」
「分からん
しかし獣王様のお話では、巨大な魔物も居るそうじゃ」
「巨大…ゴクッ」
巨大と聞いて、兵士達も恐怖で唾を飲む。
獣人は脳筋な者が多いが、普段はそこまで考え無しではない。
むしろ戦闘になった時にこそ、闘争本能のスイッチが入るのだ。
だからこの様な場でそんな話を聞けば、当然怖がる者も中には居た。
「何だ?
怖いのか?」
「あ、当たり前ですよ」
「隊長は怖く無いんですか?」
「デニスほどはな…」
「むう!」
「はははは
ワシは獣王様を信じておるからな
あの方が負けるとは思えない」
「そんなに強いんですか?」
「ああ
ワシは見ておらんが、父からよく話を聞いておる」
「それが誇張とは?」
「それは無いと思うが…
ワシは父の力量も知っておるからな」
そう言って、虎の獣人の隊長は自分の爪を見る。
「ワシの爪牙が届かぬ父が仰ったのじゃ」
「そうなんですか?」
「うむ
安心しろ
負けはせぬ」
「はい」
「さあ
予備の武器も用意しておけ!
侵入されても王宮までは簡単に通さんぞ」
「はい」
各隊長の指揮の下、準備は着々と進んで行く。
いつしか小雨が降り始めるが、獣人達はその中で熱を発しながら作業を進める。
ここで準備を怠れば、勝てる戦も勝てなくなる。
だから勝利を信じて、確実に戦える準備を進める。
そして夕闇が迫る中、準備は万端に出来ていた。
「この短時間で、出来得る準備は全てしました」
「いざという時の退却は?」
「はい
東門を開けれる様にしております」
「そこから侵入される心配は?」
「門に細工はしております
いざという時には爆破も…」
「ふむ
魔族の魔道具か…」
「はい」
「こんな時に、奴等の魔道具に頼るとはな…」
「獣王様?」
「まあ良い
使える物は全て使え!」
「はい」
あれだけ仲の悪かった、魔族が譲ってくれた魔道具が役に立つ。
それは獣人にとっては皮肉な事だった。
しかし国民を護る為には、手段を選んでいられない。
仲間を護る為ならば、魔族に頭を下げても良いと、獣王は今では考えていた。
ふっ
今になってこんな考えに至るとはな…
あいつに笑われるな
獣王はふと考えて、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
その鬣は既に、年相応の白髪が混じっている。
しかし老いてなお、その筋肉は未だに衰えていない。
それは彼が、その身にガーディアンの血を受け継いでいるからだろう。
「今夜は来ないじゃろう
みなにはよく休む様に伝えておけ」
「はい」
明くる朝は、早朝から雨は止んでいた。
朝日こそ出ていないが、いつの間にか雲は少し西に移動していた。
その暗雲の中を、黒い染みが滲み出す様に拡がる。
「魔物だ!」
「魔物が現れました」
「来たか…
総員戦闘配備!」
「おう!」
魔物は待ち構える獣人達を、恐れる事無くゆったりと迫って来る。
西の門の外には、志願した決死隊が500名集まっている。
城門は固く閉ざされ、外に出ている彼等は逃げる事は叶わない。
ここで彼等は、最初から死ぬ覚悟で魔物に挑むのだ。
少しでも城門の外で、魔物の群れを削って減らす為だ。
「彼等の決意を無駄にするな!」
「はい」
「彼等を守る様に、周囲を囲む魔物を狙え」
「はい」
狐の獣人達が、弓に矢を番えて引き絞る。
いつでも狙える様に、その眼は魔物の群れに向いている。
そしてその傍らには、盾を持った羊の獣人が控えている。
こちらに攻撃が向いた際に、彼等を守る為の盾になるのだ。
「来るぞ…」
「お客さんは続々と集まるな」
「一体幾ら集まっているんだ?」
「へへ
どんだけ居ても構わない
獣化の狂気を見せ付けてやれ」
「そうですね」
外の決死隊は、狼の獣人が主になった獣化兵士部隊だ。
感情を爆発させて、一気に狂気に陥る。
それで獣化して攻撃力や素早さは上がるが、その分リスクもある。
狂気に陥っている間は、冷静な判断は出来ないのだ。
その牙と爪を振るい、死を賭けて暴れ回るのみなのだ。
「オレの雄姿…
アンナに見せたかったな…」
「ははは
誰か伝えてくれるさ」
「その為には、あいつ等を生きて返さないとな」
「ああ
来るぞ…」
「さあ!
我等の狂気を見せてやれ!」
「狂え!」
「狂おうぞ!」
ウオオオオン
アオオオオ
一斉に吠え声を上げ、獣人達は獣化を発動させる。
それは魔力依存ではなく、己の生命力を力に変換する。
そして何よりも、その獣の特徴を特化したスタイルに変わる。
つまり狼なら、より狼らしい体格に変化する。
そして爪と牙を伸ばし、それを武器にして立ち向かうのだ。
グガアアアア
グオオオオン
ザシュッ!
ズドッ!
獣の集団が、一陣の風となって魔物の正面に食らい付く。
そこから爪や牙を振るい、次々と魔物を屠って行く。
相手がゴブリンやコボルトなので、今のところは順調に倒している。
しかし獣化した事が、思わぬ弊害を生み出していた。
「駄目だ!」
「この距離では難しい…」
「くそっ!
突出し過ぎだ!」
彼等が前に出過ぎたので、矢の届く範囲から外れたのだ。
この距離では、いくら弓の名手である狐の獣人でも、正確に狙う事は難しい。
さらに獣人達が激しく動くので、迂闊に放てないのだ。
「これは想定外だ」
「構わん
彼等を抜けた魔物だけ狙え!」
「はい」
仲間の獣人に当たる可能性があるので、彼等の近くには放てない。
だから彼等の脇を抜けた魔物だけを狙い、矢を放って行く。
それで当初の予定と異なるが、何とか城壁には近付けさせなかった。
そのまま小一時間ほど、城壁から矢が放たれ続けた。
1時間も経てば、さすがに獣人の動きにも乱れが見られる。
少しずつだが攻撃が外れたり、躱され始める。
それでも彼等は、果敢に魔物に向かって進んで行く。
狂気が続く限り、彼等は疲れも恐れも感じずに向かって行くのだ。
「ああ!
危ない!」
「くそっ!
もう少し近ければ」
「言うな!
今は少しでも数を減らすのだ」
「くっ!
食らえ!」
バシュッ!
ギャン
魔物の群れは、次第にゴブリンやコボルトからオークに変わり始める。
そうなるとさすがに、獣人達でも簡単には倒せなくなる。
オークの方が動きが遅いが、ゴブリンやコボルトよりもタフだった。
それに膂力もあるので、中には攻撃を弾き返す者も現れる。
グゴオオオ…
ゴガアアア
ドガッ!
「がはっ…
ぐう…」
中には魔物の攻撃で、獣化が解ける者も出始める。
一度獣化が解ければ、体力を回復しなければ再び獣化出来ない。
だから獣化が解けた者は、後は何も出来ずに死んで行くだけだった。
せめて魔物を矢の範囲に誘い込む為に、中には這って移動する者も居た。
しかし魔物に追い付かれ、囲まれて滅多打ちにされて殺される。
「あ…
ああ!」
「くそっ!
くそくそくそ!」
「許さねえ!」
500名も居た獣人も、少しずつ数を減らして行く。
しかし城壁の上からでは、満足な援護攻撃は出来なかった。
最初の一手で、彼等が前に出過ぎた事が敗因だった。
矢が満足に届かないので、当たっても致命的な一撃にならないのだ。
「無理はするな!
矢だって数に限りがある
それにお前等がここで疲弊してしまったら…」
「しかしあいつ等が…」
「分かっている!
しかし我慢しろ」
「くそっ!」
「あいつ等だって、最初から死ぬ覚悟はしているんだ」
「くそっ!」
ドカッ!
一人の獣人が、怒りに任せて地面を殴る。
しかし手を痛めるだけで、何の解決にもならない。
「馬鹿者…
ポーションを飲んで治しておけ」
「くっ…
はい」
「お前達も無理はするな!
魔物はまだまだ来るぞ」
「はい」
「ここで出来るだけ数を減らさなければならない
出来るだけ引き付けて放て」
「はい」
手を痛めた彼のおかげで、他の者達は冷静さを取り戻す。
そして盲滅法に打つ事を止めて、迫る魔物だけを狙って撃つ様に変わる。
それでオークでも、2、3本で仕留めれる様になる。
さすがのオークでも、頭を射抜かれれば死んでしまった。
「よしっ!」
「これでも食らえ!」
「順調だな…
しかしこんな物なのか?」
城壁の隊長は、その呆気なさに違和感を感じていた。
この程度なら、城門が破られてもヒューストンは落ちる筈が無い。
ヒューストンの街も、獣人の街なのだ。
兵士で無くても、多くの同族が住んでいた筈だ。
それが簡単に落ちる筈が無いのだ。
何だ?
何を見落としている?
彼は周囲を見回し、怪しい動きをする魔物が居ないか確認する。
しかし魔物の群れは、まるで何も考えていない様に、一様に城壁に向かって来る。
その愚直な行動が、却って罠の様に感じる。
しかし裏を掻く様な行動を、している魔物が見当たらない。
「変だ…」
「隊長?」
「何かおかしい…」
「何が…」
「おい!
あれを見ろ!」
「あ…」
ここで隊長は、自分の予測が間違っていなかった事を確信する。
しかしそれは、同時に絶望的だった。
「た、隊長…」
「怯むな!
あれだけ大きいんだ!
頭を狙え!」
「は、はい」
「ひいいい」
狐の獣人達は、恐怖に負けない様に必死に矢を番える。
しかしそれは、大きな拳で飛来する矢を打ち払う。
このまま近寄らせては、狐の獣人達が危険に晒される。
それだけは避けねばならない。
「くそっ!
こんなの反則だぞ!」
彼がそう言うのも仕方が無いだろう。
目の前に迫るのは、数体のオーガとギガースだった。
その大きさは城壁より低いが、取り付かれたら登られるだろう。
それだけは阻止しなければならない。
「撃て!
兎に角頭に当てろ」
「はい」
「ワシも…
覚悟を決めるか」
ゴガアアア
「ひいいい」
「食らえ!
食らえ!」
バシュッ!
グガアア…
中には矢を避け損ねて、頭に食らうオーガも居た。
しかし8体のオーガと、3体のギガースが城壁に迫った。
「盾持ちは降りろ
弓兵も機を見て下がれ」
「しかし!」
「ここはワシが…」
「隊長!」
「狂え…」
ゴガアアア
遂に1体目のオーガが、城壁の前に来る。
そして拳を振るうと、思いっ切り城壁を殴った。
ドガン!
「わわっ!」
「くそっ!
この野郎!」
バシュッ!
ガアアア
弓兵が反撃とばかりに、オーガの頭に矢を射掛ける。
それでオーガは倒れたが、城壁には僅かながら罅が入っている。
そして殴られた衝撃で、盾持ちの獣人達は階段から落ちていた。
「ぐわっ」
「ぐぬうう…」
「くそっ
態勢を立て直せ」
その様子を見ながら、隊長はふと笑みを溢す。
ここまでだな…
「狂え!
狂え狂え狂え!
ごがああアアアア…」
隊長の上半身が膨らみ、身に付けていた鎧の金具が弾ける。
そして腕が大きくなり、上半身も肥大化する。
代わりに足は小さくなり、見た目は愚鈍そうな感じに変わっていた。
「隊長?」
「構うな
急いで降りるぞ!」
「しかし隊長が…」
「隊長の意思を無駄にするな」
狐の獣人達が降りて行く中、隊長だった虎の獣人は吠え声を上げる。
そして壁に迫る魔物に、飛び掛かって爪で切り裂く。
その動きは見た目に反して、機敏で鋭かった。
次々と飛び掛かり、魔物の顔を切り裂いて回る。
「グゴガアアアア」
ガアアア
グガアア
隊長の奮戦で、一気に4体のオーガが顔を切り裂かれる。
致命傷では無いが、それで城壁に攻撃を加える事が出来なくなる。
しかし1体のギガースが、隊長に向かって拳を振るった。
それは掠めただけだが、隊長は吹き飛んで城壁の上に落ちる。
「ああ!」
「隊長!」
「グガアアアア」
しかし隊長は、再び跳躍してギガースの頭に目掛けて爪を振るう。
そこをギガースが殴りかかるが、今度は器用に空中で態勢を変える。
そのまま腕に爪を立てて、肩まで走り込んだ。
そしてギガースの首筋に、隊長の鋭い牙が食い込む。
グガアアア
ブンブン!
魔物は何とか振り解こうとするが、隊長は器用にその腕を躱す。
そして牙を引き抜くと、魔物の首筋から鮮血が迸る。
ガアアア…ガ
ズズン!
倒れるギガースから、隊長は跳躍して城壁に戻る。
その光景を見て、兵士達の士気が否が応無く上がった。
しかし隊長の、口元の血は魔物のそれでは無かった。
隊長は先のギガースの一撃で、肋骨を数本折られていた。
まだ動けているのは、獣化して狂気に包まれているからだ。
もし正気に戻れば、激痛で動けなくなるだろう。
「うわあああ」
「隊長!」
隊長は眼下の兵士達を見て、再び魔物に目を向ける。
そして最期を賭けて、魔物を倒そうと再び跳躍した。
まだまだ続きます。
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