第696話
獣人の国の王都、オリンズの上空に梟が飛んでいた
こんな明るい時間に、梟が飛ぶ事は珍しかった
それで衛兵達は、その無遠慮な訪問者に警戒していた
それは王城の城門に着くと、静かに翼を畳んだ
オリンズの王城は、俄かに騒ぎに包まれていた
それは届けられた、魔族の王国の惨状を聞いたからだ
王は最初は、いたく上機嫌でその報告を聞いていた
不倶戴天の敵である、魔族の王都が陥落したと聞いたからだ
「はははは
よくぞやってくれた
それでどこの部隊なのじゃ?」
「いえ
これは我々獣人の手柄ではありません」
「ん?
どういう事じゃ?」
「そもそも、魔物はこの王都にも向かっております」
「魔物?
魔物じゃと?
貴様、今魔物と言ったか?」
「ええ
そう伝言では…」
「馬鹿な!
何で今頃…」
獣人の王は、魔物と聞いて明らかに動揺していた。
「王よ、如何されました?」
「魔物じゃぞ
あの魔物と言うのなら、我が国は再び危機に立たされた事になる」
獣人の王は、魔物の事を覚えていた。
それがどれだけ獣人の国に影響を与えたのか、彼は忘れられなかった。
それで思わず、呪詛の言葉を呟く。
この事態を招いたのを、魔王だと思い込んだのだ。
「おのれ魔王め!
何が全て始末しただ!
ここに居るではないか!」
「獣王様!」
「おのれ!おのれ!
許さんぞ!」
「獣王様、如何されたのです」
「ええい!
魔物共々、魔族も殲滅するのだ!
全て滅ぼせ!」
「しかし獣王様
魔族も王都を焼かれて…」
「知るか!
奴等を根絶やしにしろ!」
「ですが精霊王は…」
「知るか!
魔族に与すると言うのなら、奴等も根絶やしだ!」
「獣王様…」
獣人の王は、狂った様に叫ぶ。
そして謁見の間を、苛立った様子でうろうろとし始める。
余程腹が立っているのか、王は玉座に座る事も忘れていた。
そんな王の様子を見て、兵士達は報告した事を後悔していた。
「ですが獣王様
精霊王に協力をされた方がよろしいかと」
「精霊王に反抗すれば、それこそ我々の身が危ないのでは?」
「あの精霊王ですぞ!」
「うぬう…」
獣王様は怒っていたが、その言葉には耳を傾けていた。
精霊王が怒れば、確かに獣人の国も危うくなる。
それだけ精霊王の力は恐ろしいと、獣人達もよく分かっていた。
精霊王を怒らせる事は、精霊を敵に回す事になるのだ。
「今でも作物の不作が続いております」
「ここで精霊を怒らせるのは…」
「ええい!
分かっておるわ」
「それで…
どうされます?」
「どうするとは?」
「魔物は南下しております」
「このままではヒューストンに現れるのも時間の問題では?」
「ぬう…」
文官達の言葉は、正鵠を射ていた。
精霊王からの警告に、魔物が南下している事が含まれていた。
それがどの時点での事か、この伝令では分からない。
しかしこうしている今も、魔物は街に向けて迫っているだろう。
「この情報が、どの段階でもたらされた物か…」
「そうですぞ
急がなければ支援も間に合いませんぞ!」
「分かっておる
しかし間に合うのか?」
「分かりません
しかし今は…」
「そうじゃな…」
間に合うかどうか分からないが、支援を送る必要があった。
そうしなければ、ヒューストンは早晩落とされるだろう。
「すぐに準備をして…
先ずは1000名を送れ!」
「はい
すぐに指示を出します」
文官は書類を認めると、それを部下に手渡す。
部下の文官は書類の確認をして、直ちに指示を出す為に謁見の間を出る。
しかしこの時、既にヒューストンの街の北に魔物は現れていた。
結局彼等は、魔物の侵攻を止める事は出来なかった。
「街が…」
「煙が上がっている?」
「間に合わなかったか…」
兵士達はヒューストンの街から上る煙を見て、そのまま引き返す事になる。
幸いだったのは、その時魔物達は食事中だった。
それで街を出る事も無く、そのまま食事を楽しんでいたのだ。
「ぐわあああ…」
「ああ!
あなた!
あなたああああ!」
「ぐはっ
く…そ…」
ヒューストンの街の中では、未だに悲鳴が上がっていた。
魔物は住民を捕らえて、食用として集めていた。
ちょうど人間や魔族が、家畜を食用にする様な光景だった。
それが獣人に置き換わっているのだ。
「ぐが…あがっ」
グギャギャ
グチャグチュッ!
中には生かしたまま、魔族に齧り付く魔物も居た。
その度に絶叫が上がり、悲鳴と怨嗟の声が木霊する。
そうして魔物は、その声を聞きながら食事をする。
多くの魔物は、その負の感情も吸収しているのだ。
それは魔物が、紅い瞳をしている事にも関係していた。
ガシャン!
「…」
黒い鎧を着た男は、その光景を見てそのまま通り過ぎる。
少し前までは、その光景に腹を立てていた。
しかしこの街では、彼は魔物の好きにさせていた。
それは彼が、街の中の施設を見てしまったからだろう。
「うう…
殺せ!
早く殺せよ!」
「くそっ!
よくもジェーンを!
アイシャを!」
男の獣人達は、寝転がったまま男を睨んでいた。
しかし起き上がろうにも、彼等の手足は既に無かった。
街に攻め込んだ時に、彼等は魔物達に立ち向かった。
しかし手足を切り落とされ、こうして拘束されている。
「殺せ!」
「この悪魔め!」
「…」
しかし男は、何も答える事も無く立ち去る。
それは男が、既に彼等に興味を失っていたからだ。
男はそのまま、彼等を放置して立ち去る。
後には獣人達の、怨嗟の声が鳴り響いて止まなかった。
その恨みの声を聞きながら、応援に駆け付けた兵士達は帰路に着く。
その胸中には、仲間に対するやましい気持ちが渦巻いていた。
しかし助けに向かっても、既に街の城門は破壊されている。
そんな所に向かえば、彼等も危険な状況になるだろう。
「隊長…」
「言うな
ワシだって辛い」
「しかしまだ声が…」
「だからと言って、間に合うと思うか?
間に合わなければ、無駄に命を落とすだけだぞ」
「ぐうっ…」
「その悔しい気持ちを、この先でぶつけるんだ」
「は、はい…」
隊長の言葉に、若い兵士は頷く。
ここで血気に逸って突入しても、既に戦の趨勢は決している。
それどころか、仲間を危険に巻き込む可能性もあるのだ。
怨嗟の声を聞きながら、彼等は手早く撤収する事になる。
そしてその報告は、益々獣王を激昂させる事となった。
ガシャン!
「何だと!
それでおめおめと帰還したと言うのか?」
「はい」
「き…」
「お怒りは尤もです
ワシも出来得る事ならば、仲間の為に戦いたかったです」
「それならば…」
「ですがワシには、この王都を守る使命もあります」
「貴様はワシでは、この王都を守れないと?」
「違います
ワシの忠誠は、獣王様の為にあります」
「くっ…
尤もらしい事を」
獣王はその言葉に、何とか怒りを収める事が出来た。
隊長の忠誠心を、獣王もよく知っていたからだ。
しかしそれでも、ヒューストンの街を落とされた怒りは収まらない。
「こうして戻って来たのだ
勝算はあるのだろうな?」
「ええ
ですが獣王様には…」
「ワシは下がらんぞ!
例えこの王都と共に散ろうとも、ワシは戦うぞ!」
獣王はそう言って、最期まで戦う決意をする。
それは散って行った、ヒューストンの街の市民に報いる為でもある。
そしてその決意は、隊長でも止められ無かった。
かく言う隊長も、最期まで戦うと決心していたからだ。
「それでは獣王様も…」
「うむ
散って行った国民の為にも、ワシは全てを賭けて戦う」
「でしたら布告を…」
「うむ
国民に決戦の布告を出せ」
「ははっ」
文官達は頭を下げると、直ちに布告の準備をする。
これは戦える獣人の全てが、最後の一兵まで戦うという命令だ。
戦えない者は、予め街の外に逃がす事になる。
そうして最後の一人まで、兵士として戦い抜くのだ。
「布告は王都のみですか?」
「うむ
ヒューストンは既に落ちておる
その他の町も、魔物の群れの前には…」
「勝てませんか?」
「ああ
それに生き残る者も必要じゃ」
獣王としては、このまま魔物に勝てるとは思っていない。
そもそもが獣王でも落とせなかった、魔族の王都を落としているのだ。
それを考えれば、彼等が魔物に勝てるとは思えなかった。
甘い見通しは棄てて、生き残りを考える必要がある。
王都で決戦を迎えるのも、生き残りを多く残す為なのだ。
「それでは周辺の町には…」
「うむ
王都を逃れた者を収容する様に伝えろ」
「王妃様は?」
「息子と共にアトランタに向かわせろ」
「アトランタにですか?」
「ああ
こうなれば土妖精共にも、協力させようじゃないか」
「協力してくれますかね?
あれだけ荒らしたんですよ?」
「それぐらいは協力するじゃろう?
ワシ等の命を賭けるんじゃ」
「そう…ですね」
文官達は、微妙な表情で頷く。
彼等からすれば、この様な命の懸かった戦いはしたくは無かった。
しかしこの布告は、全ての国民に向けられた物だ。
文官達も、全てを賭ける必要があった。
「うむ
貴様等は逃げても良いぞ」
「え?」
「死ぬのはワシ等だけで十分じゃ」
「そんな!」
「何を仰っています
私達も…」
「無理するな
脚が震えておるぞ?」
獣王の言う通り、数名の文官は脚が震えていた。
命令に従う覚悟はあっても、命を棄てる覚悟は出来ていないのだ。
そんな彼等を見て、獣王は珍しく優しい笑みを見せる。
恐らくそれは、全てを覚悟したからなのだろう。
命を棄てて国民を護る、それは思っても実現は難しいだろう。
特に魔物に関しては、獣王もその残虐さをよく知っている。
魔王が居なければ、先の大戦でも獣人はもっと死んでいた筈だ。
何だかんだと言っても、魔王は民の事を常に考えていた。
例えそれが、自国を憎む他国の民であってもだ。
長年戦って競い合った仲だからこそ、彼は魔王の事をより理解していた。
それだからこそ、今回の様な討ち漏らしが信じられなかった。
あの魔王が、危険な魔物を滅ぼし損ねるとは思えないのだ。
それこそ獣人に悪意を向ける為に、わざと討ち漏らさぬ限りは。
「いや…
それは無いか」
「獣王様?」
「いや
この事態は何なのかとな」
「え?」
「魔王はあの時、確実に魔物は滅ぼしたと言っておった」
「それはわざと逃したと?」
「いや…
あいつの性格なら、それは無い筈なんじゃ」
「ではどうしてでしょう?」
「獣王様
魔王殿はあの時こう申しておりました
いずれ再び我等が誤る時…
その時は世界の終わりかも知れんと…」
「む?
確かに言っておったが…
ワシはそれは、両国が戦う事じゃと思っておった
実際に世界を二分する様な戦争に発展したからのう」
「ですが…
それがこの事態の事だったのでは?」
「魔物か…」
考えてみれば、魔物という現象自体が謎だった。
あの時も魔王は、魔物は女神が遣わした者だと言っていた。
獣王はそれを、一笑に伏していた。
彼等を生み出した女神が、それを滅ぼす者を寄越すとは思えない。
それで魔王の言葉を、端から信じていなかった。
しかし再び現れた魔物を見て、その考えを改める必要があった。
「魔物が世界の浄化を担うか…」
「は?」
「魔王が言っておった言葉じゃ
女神様がそう仰ったと」
「世界の浄化ですか?」
「うむ
そう考えると、ワシ等は世界にとって何だったのじゃろう…」
「それは…」
「道を…見誤ったか」
それは魔王も同じなのだろう。
王都は落とされ、魔王自身も行方不明だ。
そう考えれば、最近の魔族の増長が原因なのだろう。
獣人の王国も、同じ様に神に選ばれたと吹聴していた。
そう、昨日まではそう信じていたのだ。
だから魔物も、獣人の軍が簡単に討ち払えると思っていた。
「どこで間違えた?」
「獣王様…」
「ワシ等が世界の主では無かった
所詮は道化だったのだ」
「獣王様!」
「この世界は女神様の物…
それを忘れて驕っておったのじゃ」
「それは違い…」
「よい
ワシが甘かったのじゃ
お前等を巻き込んだのかも知れん」
「いえ、ワシ等も…」
「そうですよ
獣王様が悪いと言うなら、ワシ等も同罪ですじゃ」
「このままここに残って…」
「いや!
若い者はこのまま民と共に立ち去れ!」
「獣王様!」
獣王は、それだけは譲らなかった。
彼等を新しい旗頭にして、新たな獣人の王国を作るのだ。
その為にも、文官も生き残る必要がある。
「お前達は…
生きて国を再建しろ」
「そんな事を仰らず…」
「これは命令じゃ
お前達若く力のある者がすべき事である」
「しかし私達では…」
「兵士も幾らか残す
共に新たな国を頼む」
「獣王様…ううっ」
「ぐずっ…」
獣王は生き残らせる者達を、順番に抱き締めながら名前を呼ぶ。
そうして生き残った者を纏める様にお願いする。
いつの間にか独裁者の、独善的な言動は無くなっていた。
そして彼等に、道を見誤らない様に再度説き伏せる。
「ワシ等は誤ったのじゃ
この世界に神に選ばれた民など無いのかも知れん」
「それはありません」
「そうですよ
私達獣人こそが…」
「止せ!
それがこの事態を招いた!
ワシはそう確信している」
「え?」
「魔族の王都が落ちたのも、彼等が同じ様な思想を持ち始めておったからじゃ
それでここ数年は、ワシ等は仲違いをしておったからな」
「それは?」
「どういう事ですか?」
「今はこれだけを覚えておけ
道を踏み誤れば、魔物が現れる
この世界を掃除する為なのじゃろう」
「掃除って…」
「そういう誤った考えの者を、一掃するつもりなのじゃろう?」
「一体誰がそんな事を!」
「女神じゃ!
魔王もそう申しておったのじゃろう?」
「ええ
恐らくは…」
老いた文官の言葉に、若者達は言葉を失う。
彼等は若さに任せ、まだまだ勝気だった。
しかしそんな彼等よりも強い、王たちを滅ぼすであろう魔物。
そしてそれを操る女神という存在が居る事を、初めて目の前に突き付けられた。
彼等は震えながら、その言葉の意味を噛み砕こうとしていた。
彼等が理解するには、まだまだ早かったのだ。
まだまだ続きます。
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