第676話
男は暗闇の中、静かに玉座に腰掛けていた
その身体には無数の傷が残され、真新しい傷も見えていた
しかし痛むのは、身体の傷よりも心の疼きだった
それだけはどうやっても、抑えられそうに無かった
男の座る玉座は孤高だった
周りに傅くは魔物の群れ
人では無い、異形の存在達だ
彼は無造作に立ち上がると、苛立った様に指示を出す
進軍しろと…
暗黒大陸の北側に、魔族の治める王国は在った。
在ったという過去形なのは、現在進行形でそこが襲われているからだ。
度重なる魔物の侵攻で、王都から民は逃げ出していた。
そして王都取り戻す為に、魔族は何度も軍勢を送り込んでいた。
魔物は数が多かったが、主な魔物はゴブリンやコボルトの群れだ。
不意を突かれなければ、数が多くても負ける事は無かった。
魔族は魔法と魔力操作に長け、ゴブリンやコボルト程度では後れを取らない。
そう、負ける要素は無かったのだ。
あの男が現れるまでは…。
その男は全身黒ずくめで、その身に纏う鎧も真っ黒だった。
魔族から見ても、それは不吉の象徴に見えていた。
何よりも身に纏う、その魔力が異質だった。
彼等も止み魔法を使う者は居たが、それを身に纏う者は居なかった。
「怯むな!」
「相手は一人だ!」
「しかし魔物も居ります」
「ええい!
雑兵には構うな!
目下の危険は…ぎりっ」
魔族が敗退しているのは、この男が原因だった。
黒い魔力を身に纏い、黒い鎧に黒い剣を手にして戦う。
それはまるで、神話に出て来る魔王の様だった。
しかし魔王ならば、彼等魔族を導く筈なのだ。
それなのにこの男は、何故か魔族を切り伏せていた。
馬鹿な!
何故だ!何故だ!
何で魔王様が、ワシ等魔族を討ち取る
男の混乱も尤もだろう。
魔族を導き、女神の為に栄光を与える。
それが彼等に伝わる魔王の姿なのだ。
それなのに…
それなのに!
断じて認めんぞ!
こいつは魔王様では無い!
しかし彼の思惑を裏切る様に、彼等の攻撃はその男には効いていなかった。
いや、効いていたかも知れないが、男は平然と進んで来ていた。
「うおおおお」
「馬鹿!
前に突出するな
集団で囲むんだ」
しかし彼等がどれだけ策を弄そうとも、その男は平然と進んで来る。
まるでその魔法や剣戟が効かないと言う様に、そのまま進んで来るのだ。
「馬鹿な!
まるで効いていないだと?」
「まるでアンデッドと戦っている様だ」
「効かない筈が無い
血を流しているのだぞ」
そう、その男は血を流している。
確かに攻撃は届き、手傷は負わせている。
死霊であるのなら、血を流す事は無いだろう。
しかし血を流しながらも、その男は平然と突き進んで来る。
「ひいっ
化け物だ!」
「あ!
おい!
逃げるな!」
「うわあああ…がひゅっ」
ザシュッ!
ギヘヘヘ
逃げ出した魔族に、魔物が取り囲んで止めを刺す。
戦意を失った者なら、ゴブリンやコボルトでも十分だった。
その背後から追い縋り、取り囲んで剣や鉄棒で滅多打ちにする。
それは最早、戦闘とは呼べなかった。
一方的な虐殺である。
「う…」
「ああ…」
「恐れるな!
戦線を立て直せ」
「しかし子爵様
攻撃が効かないのでは…」
「効いている
魔物には効いているんだ」
「ですがあの者は…」
子爵と呼ばれた若い魔族は、唇を噛んで言葉を飲み込む。
分かっている
例え魔物を倒せても、あの不気味な男が居るんだ
このままでは戦線は瓦解するだろう
しかし…
「良いか!
民が逃げ延びる時間稼ぎで良いんだ
それまでもたせろ」
「ですが!」
「全滅は避けなければ!
民を公爵領まで逃げ延びさせるんだ」
既に彼等の戦意は挫かれ、戦線は破綻寸前だった。
子爵が何とか剣を握っているのも、民を逃がすという使命の為だ。
その為には喜んで命を差し出し、誇りを持って逝けるだろう。
だから後少し、ほんの少しで良いから…
子爵は懸命に剣を振るって、兵士達を魔物から守る。
「持ち堪えろ!
うおお…」
バキン!
「ば…か…な…」
ギャッギャッ
ドスドス!
子爵が振り被った剣を、男は無造作に切り払う。
それで彼の剣は、半ばから無残に折れていた。
後は魔物が彼を取り囲み、小剣で彼を切り刻んで行く。
血飛沫が舞って、子爵だった物がそこに転がる。
ばかなばかなばかな…
どうして…こうな…
子爵の無念の思いが、その男の剣に吸い込まれて行く。
そうして淡い紫の光が輝き、男の傷付いた身体を修復する。
「あ…」
「ああ…」
「無理だ
回復するなんて…」
「子爵の決死の一撃が…」
魔族達はその光景を見て、遂に心が折れる。
そのまま膝から崩れ、剣も手から零れ落ちる。
「無理だ無理だ…」
「嫌だ!
死にたく無いよ!」
「いやだいやだいやだ…」
「ぎゃあああ…」
魔族の断末魔が、静かになった戦場に響く。
後には血に塗れた武器を手にした、魔物が嗤っているだけだった。
グギャギャギャ
ギャヒヒヒ
ガシャン!
男は剣の血を払うと、そのまま鞘に納める。
その剣は見た目は、美しい装飾のある剣だった。
しかし今は、血で汚れて真っ黒になっている。
男は踵を返すと、そのまま戦場を去る。
まるでその後の饗宴は、興味が無いかの様に。
男が去った後にも、魔物の凄惨な宴は続く。
死体を辱め、それを口にする事は勿論、残った骨や皮で凄惨なオブジェを作る事も。
男はその光景に興味が無さそうにしていた。
やがて民を追っていた魔物が、子供や老人を引き摺りながら戻って来る。
一部は途中で絶命して、引き摺られてボロボロになっている。
それを再び余興として、魔物は甚振り始める。
剣で突いたりして、死ぬまで甚振り続けるのだ。
「やめてー」
ギャハハハハ
「ご、ごろじでぐで…」
ギャッギャッ
こうして悪趣味な宴は、夜を徹して行われる。
飽きて魔物が眠りに着くまで、行われ続けるのだ。
それはまるで、魔物の残虐さを示しているかの様だった。
何とか逃げ延びた魔族は、近くの城塞都市に逃げ込む。
追い掛ける魔物は居たが、城塞の上から一斉に魔法の矢が放たれる。
過剰戦力に見えるが、それには恐怖と恨みの念が籠っている。
彼等からすれば、この都市に魔物を近付ける事すら許せないのだ。
「はあ、はあ…」
「何とか…助かった…」
「ペドロ子爵は?」
「子爵は最期まで残られ…
私達を逃がす為に…ぐうっ」
若い女性の魔族の言葉に、兵士は血が出るほど拳を握っていた。
逃げ込んで来た魔族は、都市部の裕福な者なのだろう。
煌びやかな服で着飾っていた。
しかし今や、それも逃げ出す際に泥で汚れていた。
「くっ!
それでは子爵は…」
「恐らくは…」
「追手が追い着いたという事は、もう…」
それ以上は、彼等も言葉に出来なかった。
逃がそうとしてくれた兵士が戻らず、代わりに魔物が追い着いたのだ。
当然間に立っていた兵士達は、どうなったか容易に想像が付く。
しかしそれを口にする事が怖くて、何も言えなくなる。
「何故だ!
子爵ならばあの程度の魔物ぐらい…」
「違うんだ」
「あの男だ」
「あの男?」
「ああ
昨年の王都の襲撃に居た…」
「黒騎士…」
兵士の言葉に、魔族達は嗚咽を漏らす。
「何でだ!
何であんな化け物が!」
「女神様はワシ等を…」
「言うな!
女神様を疑うなんて!」
「しかし、それならば何故?
何で女神様は顕現されない
我等を見限ったとしか…」
ガン!
兵士は壁を殴ってその言葉を止めさせる。
彼等は女神を信奉し、その言葉を信じて生きてきた。
だから女神を疑う事は、彼等はタブー視していた。
しかしいくら叫ぼうとも、状況は変わらない。
数日中には、その魔物達はここに向かって来るだろう。
端から順番に、潰して回っているのだから。
「どうしますか?」
「どうするも何も無いだろう
ここを死守するしかない」
「しかしあの黒騎士が来ては…」
「もたないだろうな
それまでに市民達は…」
この先には、王都以上の城塞都市は無かった。
ここが王都の守りの要で、王都が陥落した今はここが最後の要であった。
後は城壁はあるものの、魔物の侵攻を防ぐには十分では無かった。
それはあくまでも、獣人が襲撃しない様に建てられた城壁だった。
「各都市の城壁を強化する様に伝えねば…」
「王都の城壁は十分な高さだっただろう?」
「いや
ワシは見たんじゃが…
奴等仲間の死体を積み上げておった」
「何?
仲間の死体を?」
「ああ
獣人共と違って、奴等には仲間意識も薄いんじゃろう」
「死体で壁を登って…」
「それにあの化け物が居ますからね
奴の前には少々の石壁では…」
「うぬぬぬ…」
黒騎士と魔族が呼ぶ者は、魔法は使って来ない。
その代わりに滅法強くて、石壁程度では破壊してしまう。
そして少々の攻撃では、怯む事すら無かった。
そのまま向かって来て、殺した者の魔力や負の感情を吸い取る。
そうして傷を癒すと、再び向かって来るのだ。
「あれをどうにかするしか無いか…」
「しかしどうされます?」
「魔王様には!
魔王様には連絡は取れないのか?」
「はい
神殿の像には祈りを捧げております」
「しかしいくら祈っても…」
「応えは無し…か…」
これまでに何度か、獣人の侵攻の折には魔王の助力もあった。
神殿に置かれた女神像を通して、魔王が魔族の祈りに応えていたのだ。
しかし今回の魔物の侵攻には、魔王は一切の返答をしなかった。
来れだけでも異常な事態だと予測出来る。
「まさか魔王様も…」
「それでは?
それではどうすれば良いんじゃ?」
「女神様のお声も聞こえません」
「我等はどうすればよろしいのですか?」
市民の怯える声に、城塞の守備隊長も苛立っていた。
市民を守ってやりたいが、彼等の手では守り切れない。
現に剣に自身のあった子爵も、あっけなく黒騎士に負けている。
このままでは、魔物が攻めて来るのを待って全滅するしかない。
「お前達に…」
「はい
何でしょうか?」
「生き残れるのでしたら、何でもします」
「…」
隊長は一瞬、何か言い掛けて押し留まる。
彼等に何か言っても、それは時間の無駄だろう。
今の彼等は、生き残りたくて必死なのだから。
「お前達はカンザスに向かえ」
「え?」
「カンザスですか?」
「ああ
奴等はこっちに向かって来るだろう
その間にカンザスに逃げ延びて、態勢を整えさせろ」
「しかしあそこは…」
王都と城塞都市、それからカンザスを含むこの一帯は平野部である。
多少の起伏があるものの、カンザス周辺には遮る様な山も森も無い。
この街が陥落すれば、カンザスとて無事では済まないだろう。
「分かっている
しかしここから一番近い街はあそこしかない」
だからといって、集落や村規模では城壁すら無い場所もある。
それを考えれば、市民が逃げ込むには他に選択肢は無かった。
「すぐに向かって、城壁の強化を打診するんだ」
「ですが逃げろと言われても…」
「あそこは何もありませんぞ?」
「そもそも逃げなくとも
ここで魔物を退ければ…」
「それにあそこに居るのは…
田舎の土臭い魔族ですぞ」
「そうですぞ
ワシ等優秀な魔族が暮らすには…」
「黙れ!
貴様等先ほど、生き残れるなら何でもすると言ったよな」
「ええ
言いましたとも」
「しかしワシ等王都に住んでいた魔族が…」
「あんな土臭い田舎に逃げろと?」
傲岸不遜な物言いに、隊長の眉間には青筋が浮かんでいた。
こいつ等…
このまま魔物に殺されていたとして切り殺すか?
彼等王都や都市部に住む魔族は、自身が優秀な選ばれた魔族と常日頃から言っていた。
実際には魔族自体には、大きな優劣は無い。
個体差やベースになった生き物の特性は受け継いでいるが、そこまでの差は無いのだ。
しかし都市を作り上げた頃から、どこか自惚れている様子が見られた。
それがこの、地方の魔族を見下した言動に現れている。
本人達は自分達が、選ばれた者だからと言い張っている。
そして地方に住む魔族を、土に汚れた薄汚い魔族と評しているのだ。
彼等地方の魔族が居なければ、満足に食料も得られないと言うのに。
それでもこうして、彼等地方の魔族を見下しているのだ。
隊長も地方から、剣一本で成り上がって来た魔族だ。
しかし地方から出て来た者なので、彼等の様なエリート意識には鼻持ちならなかった。
「ここで奴等魔物に殺されるのと…
地方に逃げて立て直すのとどちらが良いか…」
「冗談じゃあ無い!」
「そうだ!
貴様等が命を捨てて、ワシ等を守れば良いだろう」
「そうだぞ
それが貴様等兵士共の仕事だろうが!」
「ぐぬう!」
彼等は逃げるのが嫌になり、隊長に対して高圧的な態度を取る。
隊長は思わず、怒りで剣の柄に手が伸びていた。
部下達はハラハラしながら、隊長の動向を見守っている。
彼は何とか自制すると、何も言わずに後ろを向いた。
それはこれ以上彼等を見ていると、自制が効かなくなるからだ。
しかし愚かな彼等は、それで自分達の正当性が認められたと勘違いしていた。
「何様のつもりだ!」
「貴様の態度はこの街の領主に進言しておくぞ!」
「ああ
ワシ等優秀な魔族に楯突いたのだからな
精々後悔して震えるが良い」
「良いか!
魔物が入って来ない様に、しっかりと見張っておけよ
ぺっ」
彼等は口々に隊長を嘲り、そのまま都市の中に入って行った。
さっき言っていた、この街の城塞では守り切れないという事実を忘れて。
兵士達は呆れながら、そんな彼等が街に入るのを見送っていた。
いよいよ新章。
第二部の始まりです。
まだまだ続きます。
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