第674話
その男は、気が付けば見知らぬ海岸に横たわっていた
長く波にさらされ、すっかり消耗していた
全身は海水に濡れ、寒さと脱力で動く事も出来なかった
朦朧とする意識に、聞き慣れない言葉が聞こえて来た
男が流れ着いた海岸は、オウルアイの港から南に少し外れた場所にあった
普段ならこんな場所に近付く者など居なかった
しかし昨晩は、珍しく波が高い荒れた夜だった
それで念の為に、難破船が無いか周囲を見回していたのだ
「おい!
あれって…」
「筏?
まさかこの海で?」
彼等が驚くのも当然だろう。
いくら普段は穏やかな海と言っても、この辺りは危険な岩場も多いのだ。
そんな場所を筏で渡ろうとすれば、操作を誤ればたちまち崖に打ち付けられてしまうだろう。
それは命懸けな危険な行為である。
だから地元の者達も、穏やかな港湾の中に船を付けていた。
この砂浜に打ち寄せられるのは、精々海に投げ出されて亡くなった者達だった。
「死んでる…よな?」
「生きていたら、それこそ奇跡だろう?」
しかし微かに、男は声に反応していた。
「い、生きてるぞ!」
「うおおおお
奇跡だ!」
「こうしちゃおれん
すぐに毛布と…」
「港にも合図を送れ」
彼等は仲間に声を掛け、男の命を繋ごうとする。
すっかり海水に濡れて、体温は下がり切っている。
このままでは命も危険だろう。
毛布に包んでやると、そのまま馬車の乗せて港に運んでやる。
その時彼等が、筏に注視していれば事態は変わっていただろう。
しかし彼等が再び来た時には、既に筏は流されていた。
彼に関する手掛かりは、こうして失われてしまっていた。
男は港に運ばれると、直ちに兵舎の救護室に運ばれる。
幸い体温が低いだけで、他には怪我も見当たらない。
後は海水を飲んでいるだろうから、水分の補給も必要だろう。
ポーションをなんとか飲ませて、部屋のベットに休ませてやる。
「フランシスの者か?」
「いや、それにしては髪の色が…」
「それは海の兄弟なら、何処かの血が混じっているんじゃあ…」
海を生業にしている者なら、あちこちの港に寄る事もある。
そうした場所で、うっかり子種を落とす事もあるだろう。
運が良ければ、親子の再会を果たす事もある。
しかしそうして出来た子供は、大抵は母親だけで育つ事になる。
そうして父親を知る事も無く、同じ様な海の兄弟になる。
この男も、そうした海の兄弟の一人だろうと、男達は軽く考えていた。
男達が異変に気付いたのは、男が目を覚ました夕刻の事だった」
「イゼヤ、ザウル、ペッメ」
「何だ?」
「こいつは何て言っているんだ?」
男は知らない言葉を話し、彼等を警戒していたのだ。
「ワシ等の知らない国じゃと?」
港の司令官は、呆れながら兵士達を見ていた。
「そんな馬鹿な事があるか」
「しかし…」
「本当に聞いた事も無い言葉なんです」
司令官は兵士を連れて、男の様子を見に向かった。
しかし男の言葉は、本当に聞いた事も無い言葉だった。
「ザウル、ペッメ
ザウル、ペッメ」
「ううむ…
確かに聞いた事も無い言葉じゃ」
司令官も、これにはお手上げだった。
エジンバラの言葉や、フランシス訛りの言葉を試してみる。
しかし男には、その言葉の意味は伝わっていなかった。
食べ物は食べられる様なので、問題は未知の言語という事だった。
「弱ったのう…」
こうして司令官から、オウルアイの領主に依頼が出された。
王都に連絡を入れて、この未知の言語を解明しして欲しいと。
手始めに男が、書き記した未知の文字が王都に送られた。
しかしアーネストが見ても、その言葉の意味は分からなかった。
無理も無かろう、その言語はこの大陸では、随分と昔に失われていたからだ。
アーネストがもう少し、古代帝国語に精通していれば気付いただろう。
あるいは男が、古代王国でも共通である文字を記していれば良かった。
しかし男が記した文字は、いずれもアーネストが知らない文字だった。
だからアーネストも、エルリックに頼むしか無かったのだ。
エルリックは転移魔法で、簡単にオウルアイの近くまで移動する。
今回は同行者も必要無く、身軽な一人旅だった。
だから転移魔法で、こうして一気に移動している。
転移魔法で移動出来るのは、エルリックの魔力では精々2、3名程度だ。
それでも魔力を一気に使うので、使った反動で暫く肩で息をしていた。
「はあ、ふう…
年は…取りたく無いな…」
「あんた…
何処から来なすった?」
「王都からです」
「王都から?
それにしちゃあ…」
その初老の男は、真っ赤な派手なローブを旅装として身に付けている。
おまけに王都からここまで、護衛も着けずに来ている。
さらに注意深い者なら、いつの間にかオウルアイの城門に並んでいた。
並んでいた地元の商人や農民達からすれば、とても怪しく見えただろう。
「何だ?
見掛けねえ顔だな」
「ははは…
こちらを」
衛兵達からしても、見慣れない派手な出で立ちの者だ。
警戒して怪しまれていた。
それでアーネストに、書状を事前に渡されていた。
衛兵達はそれを見て、慌てて領主に報告する。
「では…
あなたがイーセリア様の兄上だと?」
「はい
と言っても…見えませんよねえ」
「ええ…」
オウルアイの領主ロバートも、胡乱気にエルリックを見ていた。
確かイーセリアは、まだ少女の様な見た目の女の子だった。
王太子ギルバートと婚約されて、王都では結婚式も挙げたと聞いている。
しかしこの男は、どう見ても初老な男で、自分とそう大差ない様に見えた。
「ワシもイーセリア様には、随分とお世話になりましたが…」
「ええ
この辺りの精霊力が高いのを感じますね
これはイーセリアが?」
「はあ…
そうなんですが…
どう見てもあなたは…」
兄と言うよりも、祖父なのでは?
領主はそう思いながらも、失礼だと思って口籠る。
「ああ
確かに…この見た目では
これでどうですか?」
「あ…
ああ!」
エルリックが髪を掻き上げて、片耳を出してみせる。
普段は肩までの長い髪に隠しているが、彼の耳は長く尖っている。
それもエルフの様な短い耳では無く、ハイエルフなので本当に長いのだ。
だから隠しておかないと、無用な騒ぎを起こしてしまう。
そう、ちょうどこんな感じで。
「森妖精の方でしたか
失礼いたしました」
「そんなに畏まらなくてもいいですよ
我等の仲間は…
もうほとんど死に絶えました」
「それは…
ワシ等人間のせいでして…」
「いや、だから責める気は無いって
あなたの事は聞いています
それに国を攻めたのは、違う人間です」
「ですが…」
「止しましょう
200年以上も昔の遺恨を、今さら蒸し返すつもりもありません」
以前のエルリックなら、ここで謝られても仲間は帰って来ないと怒っていただろう。
しかしギルバートやアーネストと触れ合っていく内に、いつしか彼の心の棘は氷解していた。
そして人間達をより理解しようと、心を砕く様になっていた。
今もこの善良な領主に、好感を抱いているぐらいだ。
彼は森妖精を差別する事無く、むしろ過去の祖先の行いを恥じている。
彼の様な人間が居れば…
あの時も違っていたのでしょうね
女神様の想いは、こうして受け継がれていますよ
エルリックはそう思いながら、ロバートと歓談する。
「そうですか
あなた方は長命と聞いておりましたが
そんな事が…」
「ええ
ですが私も、実際は260年近く生きております」
「そんなにも長く
それではワシよりも、200年先輩なのですな」
「ははは
先輩か…
そうですな」
ロバートの言葉に、この男の気さくさと気遣いが感じられる。
ギルバートも、妖精郷の護りに良い男を遣わせてくれた。
エルリックはそう思い、心の中で感謝していた。
「しかしそれでは…
イーセリア様とは随分と年の離れた御兄弟で…」
「ああ
それは妖精郷の影響でね」
「妖精郷の?
そういえば、殿下から森妖精の秘境があると…
そこの事ですか?」
「ええ
人間は近付けない様にしてくれていますよね?」
「はい
何でも迂闊に入るには…
そのう、危険だとか」
「ええ
危険ですね」
エルリックは頷き、どの様に危険か説明する。
「あそこは時間の感覚が違います
あそこに数日入ったつもりが、出てみれば数年経っていたって事に成り兼ねません」
「もしかしてイーセリア様も?」
「察しが良いですね
そうです
それでまだまだ子供なままで…」
「ははは
それでですか
「ええ」
エルリックはそう言いながら、頭を掻いていた。
「しかし…
お話を聞く限りでは、御身は相当な高齢かと…」
「ええ」
「それなのに海を渡られると?」
「はい」
「危険ですぞ!
いかな精霊様の加護あろうとも、あの海峡を渡るには…」
「それでもです
妹の…イーセリアの無事を確認せねば
それに義弟のギルバートも…」
「ですが…
本当に生きておられるのか…」
「生きています
必ず」
ギルバートは魔王である、ガーディアンよりも上位のマーテリアルという存在に覚醒している。
それにアーネストの調べでは、偽の女神と共に何処かへ転移している。
その後の偽の女神に動きが無い事から、今も何処かで戦っている可能性は十分にある。
そう、あれから世界の声も何も告げていない。
ギルバートやセリアに何かあれば、相応の動きを見せる筈だ。
エルリックは、半ば確信めいてそう信じていた。
「それにわが国では、あの海峡を渡る方法は…」
「でしょうな
フランシスやエジンバラでも、渡れる舟は無いでしょう」
「行かれた事が?」
「ええ
一昨年前に、彼等を探しに…」
「そういえば、転移の魔法を使えるのでしたな」
「ええ」
「では、あちらには転移で?」
「それが…」
「そうですか…」
転移の魔法では、一度行った場所でしか向かえない。
それに距離があるので、僅かなズレも危険なのだ。
転移先に何か在れば、それが転移事故を起こす可能性は十分にある。
それを考えれば、迂闊に天に魔法は使えない。
使え無いのだが、いざとなればそれに賭けるしかない。
その為には、先ずは情報を集める必要があった。
「方法は後で考えます
しかし今は…」
「そうでしたな
彼は殿下の叔父上、ロペス男爵が預かっております
ワシからの書状も用意致しましょう」
「お手数をお掛けします」
「何の
ワシもイーセリア様にはご恩が御座います
その兄上の為となら、幾らでもご助力させてください」
「お願いします」
エルリックは頭を下げ、ロバートに感謝する。
ロバートは恐縮していたが、ここではエルリックはただの使者でしかない。
その男に会う為には、人間の協力者の力が必要だ。
書類を預かり、エルリックは馬車に乗り込む。
港まではそう距離が無いのだが、伯爵がエルリックの身を案じて用意させたのだ。
エルリックは馬車に揺られながら、同行する兵士に尋ねる。
「この地では魔物はどうなっています?」
「そうですね
数自体はへっております」
「殿下が偽の女神を撃退してくだすったお陰ですな」
「しかしそれで…
殿下と姫様は…」
姫様か…
イーセリアは、ここでもみなに愛されているんだな
無事でいてくれよ
エルリックそう案じながら、兵士の話に耳を傾ける。
「数は減りましたが…」
「そういえば、最近では海にも魔物が出るとか」
「森では見慣れぬ魔物の目撃情報も出ております
今のところは実害はございませんが…」
「見慣れぬ魔物?」
「ええ
今までのオーガやゴブリン等では無く、亡霊の騎士を見たとか」
「亡者になったダーナの兵士って噂も聞きます」
「死霊ですか?
しかし、あれから随分と経っていますよ?」
「ええ
ですからあくまでも噂です」
「実際に討伐した話はありませんし…
証拠になる様な物証もありません」
「しかし民は不安に怯えております」
「一刻も早く、何某かの対策は講じたいですね」
「そうですね…」
エルリックは死霊の騎士と聞いて、兵士達に幾つか神聖魔法を教える。
それは護身のお守り程度だが、信心深ければ効果がある。
何よりも魔力の消費も少ないので、戦闘に影響は少ない。
「この呪文で効果が?」
「ええ
女神様への信仰があれば、光を浴びせる程度は出来ます」
「光ですか?」
「そうです
神聖な光なら、死霊には効果があります」
「なるほど…」
「ありがとうございます」
兵士は羊皮紙に、教えられた呪文を記述する。
実際には何度も詠唱を練習して、魔法として練習する必要はある。
しかしお守り代わりと考えれば、これでも十分だろう。
エルリックは笑いながら、兵士からの感謝を素直に受ける。
ギルバートが居なければ
こうした感謝の言葉も素直に受け入れなかっただろうな
彼は伝える事は無かったが、ギルバートには感謝していた。
アルベルトやハルバートに関しては、そこまで関わるつもりは無かった。
しかしギルバート少年に会った時、エルリックは心を動かされていた。
今思えば、あれはマーテリアルであるギルバートに、彼の心が動かされていたのだろう。
そうで無ければ、人間を嫌悪していたエルリックが、人間に興味を持つ筈が無かったからだ。
ギルバート
義弟よ、無事でいてくれ
馬車は街中を抜け、やがて潮風香る港が見えて来る。
まだまだ続きます。
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