第673話
少女はパタパタと、駆け足で王城内を掛けて行く
そんな姿を見付かれば、行儀が悪いと女官長に叱られただろう
しかし少女の姿は、誰にも見えていなかった
その目には映っているのに、認識出来ないでいた
精霊魔法を使って、ジャーネは王城内を駆け抜ける
これは精霊を感知出来る父親や、精霊の加護を得られる母親にしか見破られない
だから駆け足で廊下を抜けても、誰にも咎められる事は無い
そのまま王の寝室に向かい、スヤスヤと眠る弟の傍らに座る
「ふみゃあ?」
「イーリン
おはよう」
「あい
おあよう」
イーリンは今年で3歳になる。
父であるアーネストが、戻って来てすぐに身籠っていた。
ジャーネは身籠るという意味はよく分からなかったが、弟が出来たのはすぐに分かった。
それで生まれて来るのを楽しみにして待っていた。
しかし生まれて来た弟は、ジャーネと違って話す事も出来なかった。
彼女は産まれてすぐに、父親が女神の下へ向かって旅立っていた。
それで暫くは、父親という者を認識出来なかった。
アーネストが戻って来た時も、知らない人物で驚いて泣いてしまった。
それから弟が産まれ、彼女はその小さな存在に夢中になっていた。
父親であるアーネストは、彼女に甘くていつも相好を崩していた。
しかし彼女は、そんな父親にあまり馴染めなかった。
だから彼に会わない様に、いつも弟の側か外に逃げ出していた。
そう、淑女教育も嫌だったが、纏わり着く父親という存在が鬱陶しかったのだ。
それは暫く会わなかった故に生じた、早い反抗期であった。
「イーリン
今日は木の実を取りに行ったんだよ
ハインツは木登りが上手でね」
「あい
あいんう」
「ふふふ
ほら
これが木の実だよ」
「ああ…」
「っと
そのまま噛んだら硬いぞ
こうしてな…」
イーリンは普通の子に比べると、成長が遅かった。
母の話では、精霊の因子が子に現れたと言っていた。
しかしジャーネは、そんな言葉の意味は分からなかった。
精霊を視る事は出来ても、それが精霊だとは理解していなかったのだ。
そしてそんな精霊が集まり、弟であるイーリンに悪影響を与えているとは知らなかった。
「ほら
焼いておくれ」
「あぎい」
ボッ!
炎の小精霊は、器用に両手で包んで木の実を焼いた。
そして風の小妖精が、その木の実の熱を冷ましてやる。
そうする事で精霊力に包まれて、木の実には不思議な力が備わる。
それがどんな影響を与えるのか、少女はよく分かっていなかった。
「だあうう」
「美味いか」
「あい♪」
「そうかそうか…」
いつの間にかイーリンは、エルフの様に耳が少し尖っていた。
それが妖精憑きと呼ばれる事を、幼い少女は知らなかった。
ただ弟が、普通の食事よりもそういった物を好む事は知っていた。
それで母親に内緒で、こうしてこっそりと与えている。
その影響を知らないままに。
「イーリン
あら…」
ジェニファーが様子を見に来た時には、既に二人は眠っていた。
安らかな寝顔を浮かべ、二人は抱き合って眠っている。
「まあ
まるでギルとフィナの様ね
ふふふふ…」
ジェニファーはその姿に、幼い頃の子供達の姿を重ね合わせる。
「そういえばギルも、よくこうしてフィオーナを抱いて寝てたわね
まあ、セリアが来る前だけどね…」
ギルバートはよく、小さな妹達をあやしていた。
本当は訓練に行きたい時も、二人が泣いて離さない時はこうして眠るまで側に居た。
しかしギルバートは、二人が眠った後には訓練に向かっていた。
今思えば、あれは王国の危機を感じていたのかも知れない。
ギルバートはいつも、何かを追い掛ける様に剣を握っていた。
「何処に居るのかしら…
ギル、セリア…」
ジェニファーはそう言いながら、若い夫婦の身を案じる。
「ん…」
「うみゅう…」
「起こしては可哀想ね…」
ジェニファーは優しく微笑むと、二人に毛布を掛けてやる。
季節は春先ではあるが、まだ風は肌寒い。
寝室の窓を閉めると、彼女はそっと二人の頭を撫でてやる。
そうして部屋を出て行った。
夕食までゆっくりと、二人が眠れる様に。
「それで?
報告はこれだけなのか?」
「ああ
そう不機嫌そうな顔をするな」
「しかしだな…」
「ああ
アーネストもそう突っかからないで
エルリックも頑張ってくれたんだから」
「しかしこれでは…」
「しょうがないでしょう!
お兄様の消息は、この3年間何も見出せていないのよ?
今回だって無理して女神の神殿まで…」
「良いんだ
結果が無いのは確かなんだ
口惜しいがそれが事実だ」
「くそっ!」
旅に出ていた、セリアの兄であるエルリックが戻って来た。
しかし今回も、彼の調査は空振りだった。
結局女神の神殿跡まで出向き、何の痕跡も見い出せなかった。
その事はエルリックにも、疲労の色を窺がわせている。
アーネストも本心では、エルリックの事を労いたかった。
しかしギルバート達の痕跡が見付からない事に、どうしても苛立ってしまっていた。
エルリックはこの3年間、大陸のあちこちに赴いていた。
時には転移魔法を使ってまで、遠く訪れる事も無さそうな遺跡にも出向いていた。
全ては偽の女神と、ギルバート夫妻の痕跡を探す為だった。
しかし今回も、何も見付ける事は叶わなかった。
「獣人の集落にも立ち寄ったんだが…」
「いや、すまない
あなたも苦しんでいるのに…」
「良いんだ
本当は君も、今すぐにでも旅に出たいんだろう?
私は身軽に…ゴホッゴホッ」
「エルリック!」
「だ、大丈夫だ…
まだ女神様の下へは行けない」
彼の後ろに立っていた獣人達も、咳き込む彼を心配して背中を擦る。
この1年で、彼はすっかり老けてしまっていた。
エルフは長命の種族で、彼はその上位種であるハイエルフだ。
しかし長命のエルフにも、寿命は存在する。
それはこの世界に興味を失った時に、不意に訪れるそうだ。
今のエルリックも、世界に対する興味が失われつつあるのだろう。
アーネストとギルバートが、彼に会ったのは今から10年以上昔の事だ。
しかし彼は、長命のエルフらしく全く年を取らなかった。
それこそ二人が成長しても、彼は依然として若々しかったのだ。
それは彼が、この世界を愛していたからに他ない。
しかし今の彼は、初老の男の様に白銀の髪と皺の刻まれた顔をしていた。
「エルリック
この世界に絶望しないでくれ」
「ははは
何を言っているんだ?」
「あんたこそ…
鏡を見たんだろう?」
「ふう…
そうだな…」
アーネストの言葉に、一瞬だがエルリックは言葉に詰まる。
「正直なところ…
希望を失い掛けている
二人はもう…」
「エルリック!」
「だって!
そうだろう?
お前もそう感じているんだろう?
だからこうして…」
「違う!
オレだって本当なら!
だが…出来ないよ
ここはギルの国なんだ…」
「そうだよな…」
「ああ
あいつが帰って来た時に…
綺麗な王都と、笑い合う獣人や魔物が居る
そんな国にしとかなきゃ…
しとかなきゃ…」
「ぐうっ…」
二人は声を殺して、嗚咽を堪える。
暫く押し黙ったまま、二人はやるせない苦しみを飲み込もうとしていた。
「それで?
後ろの4人は移住の希望者か?」
「ああ
ザクソン達の代わりに、王都の警備隊で働きたいんだって」
「物好きな奴もいたもんだ」
「オレ
強い、魔物、戦いたい」
「彼は強い魔物と戦いたいんですって」
「君は?」
「私は王都にあるっていうお菓子?
それが食べてみたくって?」
「ええっと…」
「ああ、仕事もするわ
縫製が得意なの」
「そうか
後でドワーフの服飾店を紹介するよ」
「ありがと
序でに美味しいお菓子の店もね」
「ああ」
獣人達は、いずれも王都への移住の希望者達だった。
ザクソン以下6名の元兵士が、獣人達の集落に移住を希望した。
ギルバートと共に訪れた時に、獣人の女性達と恋仲になっていたのだ。
彼等はいずれも負傷していて、兵士としての仕事は出来なくなっていた。
しかし獣人の集落に移住して、そこに暮らす事を希望したのだ。
1年前にエルリックが、北に向う時に一緒に向かったのだ。
その頃には、北に向う公道には魔物は居なくなっていた。
ハイランド・オーク達が、周囲の魔物を討伐してくれたのだ。
それで彼等は、無事に獣人の集落に辿り着く事が出来た。
そして移住を賭けた勝負に勝ち、彼等は集落に住む事になった。
あれからちょうど1年が経ち、今度は獣人達が移住しに来たのだ。
既に何名か、この王都にも獣人が住み付いている。
それに加えてドワーフや、少数ながらエルフの生き残りも住み着いて居た。
いつしかクリサリス聖教王国は、他種族を受け入れる国となっていた。
「それではここに署名をして…
ああ!
中身はよく読んでくれよ」
「これは?」
「ここは兵士として支払う給金だな
恐らく君が受け取れるのは…」
アーネストが熱心に説明して、獣人達と契約を交わす。
それは双方に不満が無い様に、お互いの意見を聞きながら署名をされていた。
その様子を見ながら、エルリックは優しく微笑んで頷く。
「うん
すっかり国王が板に付いたな」
「止してくれ
オレは単なる代行だ」
「そんな事は無いぞ
ハルバートよりはよっぽどマシだぞ
聞いたぞ
差別主義者だった薬屋の主人を、改心させたそうじゃないか」
「それはあの男が…」
「ハルには出来なかった事だ…」
「エルリック?」
「これで心置きなく、私も…」
「止せよ!」
ガタン!
エルリックが口に仕掛けた言葉を、アーネストは胸倉を掴んで止める。
獣人達はその様子を見て、慌てて双方の様子を見る。
「ふざけんなよ、お前!
セリアの顔を見るまで、死ねないって言ってたじゃないか!
それを…
それをもう死ぬみたいな…」
「落ち着けって」
「落ち着いていられるか
友人が死にそうな声を出して、落ち着いていられるか!」
「だから落ち着けって」
エルリックはそう言うと、アーネストの手を優しく包み込む様に握る。
「君に友と呼ばれるなんてな…」
「ふ、ふざける…ぐうっ」
「とても光栄に思うよ」
「だったら!」
「私も死ぬ気なんて無いさ
さすがに疲れてしまったが…ね」
エルリックは優しくアーネストの肩に手を置く。
「私が言いたかったのは、実は南か西に向かおうと思ってね」
「南って…
しかし南は未開の地で…」
「ああ
人間も獣人も居ない
恐らくは魔物だけの住む世界だ」
「そんな危険な!」
「しかし調べなければ
イーセリアを見付けないで、死ぬ事は出来ない」
「しかし…
それに西にしたって、フランシスはもう調べたんだろう?」
「ああ
エジンバラにも手掛かりは無かった」
「それなら…」
「その向こうだ」
「その向こうって…
魔の海峡を越える気か?」
「ああ」
「しかしどうやって?」
アーネストの言葉に、エルリックは答える事が出来ない。
今のこの世界の技術では、広い魔の海峡は越える術は無かった。
もし船で渡るにしても、生きて帰れる保証は無いのだ。
だからエルリックは、二度と帰れないつもりで言っているのだ。
ここで永遠の別れになろうとも、後悔しない様に。
「本気…なのか?」
「ああ」
「生きて帰れないかも知れないんだぞ?」
「ああ
しかしこの大陸では、もう二人の痕跡は見付からない」
「もう…二度と帰れないかも…」
「それでも構わない
例えしんででも、二人を見付ける」
「っ!」
エルリックの決意を聞いて、アーネストは席に戻る。
それから何かを考え込む様に、顔を両手で覆って深く溜息を吐いた。
「本気…なんだな」
「ああ」
「それなら頼みがある」
「む?」
「アーネスト?」
「オウルアイに向かって欲しい」
「オウルアイ?
ダーナの事か?」
「ああ」
「確かにあそこには、妖精郷もある
それに二人が育った場所でもあるが…
しかし…」
「そこに一人の男が居る」
「あ!」
「どうした?」
「オウルアイの…
ダーナの港があるのは知っているな」
「ああ
確かドワーフが作った大きな港が…」
「そこに2月ほど前に、異国の男が流れ着いた
船とは呼べぬ、おおよそ丸太を急ごしらえした物だった
しかし運よく?
運悪くなのかも知れないが…」
「生きて辿り着いた?」
「ああ
手掛かりになるかも知れん」
「しかし何故?
それなら君が…」
「言葉が通じないみたいだ
エルリック
あなたなら知っているかも知れない」
「なるほど…」
それは藁に縋る様な物だ。
しかし言葉が通じれば、何某かの情報が得られるかも知れない。
アーネストの言う手掛かりとは、この事だろう。
「行って…くれるか?」
「ああ
二人の手掛かりが得られるのなら
私は何処だって向かうさ」
「頼むぞ」
今夜は王城で休ませる事にして、アーネストは客室に案内させる。
そして獣人達には非礼を詫びて、それぞれの住む場所に案内させた。
彼等は事情を知っているので、快く許してくれた。
むしろ二人が見付かる様にと、祈ってくれてもいた。
アーネストは申し訳ないと、何度も彼等に頭を下げた。
そしてその夜は、王城に物悲しいリュートの音が流れた。
それは旅立つエルリックが、友に送る別れの曲だった。
翌日には、彼の姿は寝室には無かった。
別れを照れたのか、彼は転移でオウルアイに向かったのだ。
机の上に、旅に出る挨拶の書置きをして。
行って来る
君も身体を労われよ
そして息子を気に掛けなさい
買い置きにはそれだけが書かれていた。
別れの言葉は、二人の間には必要無かったのだ。
まだまだ続きます。
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