第672話
王都の広場を、少女が元気よく駆けて行く
その姿を見て、王都の民は穏やかな笑みを浮かべる
少女は道行く人々に、元気よく挨拶をして行く
それで彼女は、今日も王都の民達の人気者だった
その女性は王城の前で、表情を曇らせて立っていた
衛兵達は、大丈夫だからと女性を宥める
既にこの光景は、王城の風物詩となりつつあった
少女が帰って来るまで、こうして心配して待ち続けるのだ
「…ですから、いつもの逃走ですよ」
「心配するだけ無駄ですよ?」
「分かっているわ
でも母親ってものはね…」
「はあ…」
「おい
ジェニファー様はまだか?」
「来ませんよ
昨日もこうだったでしょ?」
見回りの兵士は、うんざりしながら衛兵に答える。
この遣り取りすらも、既に日常になりつつあった。
それも今日も少女が、勉強中に脱走したからだ。
そうして王都の中で、走り回って遊んで帰って来るのだ。
今日はどこで遊んでいるのやら…。
「アーネスト様は?」
「今日はオウルアイからの使者の相手です」
「ああ
あの件で対応中か…」
「ええ」
彼女の父親も、何かと忙しく動き回る男だった。
今日もオウルアイという辺境から、相談に来ている使者と話し込んでいる。
何でも西の海から、男が遭難して来たそうだった。
男は今は、衰弱して動く事が出来ない。
しかも異国の者なので、王国の言葉が通じなかった。
それでアーネストに、使者を出して相談に来たのだ。
「まあ、アーネスト様が飛び出さなくて良かったよ」
「そうだな
今、国王代理まで居なくなられたら…」
「しっ!
それを言うな」
衛兵の一人が、女性の方を見ながら小声で注意する。
「フィオーナ様に聞こえるぞ」
「あ…」
兵士はそう言いながら、ふと王太子の事を思い出す。
今では左腕が、当時の傷で途中から無くなっている。
それでこうして、王城の中を巡回する職務に就いていた。
しかし彼の敬愛した、王太子の行方は未だに掴めていない。
「殿下…」
兵士はそっと呟くと、その場を後にして城内に戻る。
ここで突っ立っていても、何もならないだろう。
それよりも己が職務を、忠実に果たす必要がある。
衛兵が去った後も、フィオーナは心配しながら城門で待っていた。
そこで衛兵達は、気持ちを紛らわす為に彼女に話し掛ける。
「フィオーナ様
今日は何をしていて逃げ出したんですか?」
「宮廷作法の勉強よ
あの子もそろそろ、淑女としてマナーを学ばないといけないのに…」
「あー…」
「それは無理だ」
衛兵達は顔を引き攣らせると、少女が作法を学ぶ姿を想像する。
しかし想像の中の少女は、5分と掛からず癇癪を起す。
それでじっとしていられず、外に向かって駆け出して行く。
「大体ね
何であの子を止めてくれないの?
なんの為の衛兵よ」
「うわっ
こっちに来たよ」
「フィオーナ様
私達は衛兵ですよ?
王族に関わりのある、あなた方に強制権は無いんです」
「それに捕まえ様にも…」
「そうだよな
グレイ・ウルフを捕まえる方が楽だよ」
「あなた達!
うちの娘を魔物と一緒に…」
「いえ
魔物よりお強いですよ?」
「誰に似たのやら」
「はあ…」
彼等の感想も尤もだった。
少女はその気になれば、魔物の様に素早く駆け抜けるだろう。
まだ7歳を待たずに、既に身体強化を身に付けているのだ。
それは天性の才能としか言い様が無かった。
恐らくは遠戚に当たる、王太子の血を引いているのだろう。
彼もまた、少年時代から目を引く様な素質を開花させていた。
「殿下ほどではございませんが…」
「そうですよ
その素早さは私達では…」
「何でそうなっているのよ?」
「それは…まあ…」
「精霊様もいらしてますからね」
少女は3歳の頃から、精霊と会話をし始めていた。
最初は誰も居ない、虚空に向けて何か呟いていた。
やがて言葉を覚え始めると、彼女は明確に違う言語で話していた。
それが精霊の言葉だと気付くには、それから数ヶ月を要する事になる。
そもそもアーネストが、精霊言語を身に付けていれば問題は無かった。
フィオーナは多少は理解出来るが、あくまでも理解出来る程度だった。
それで少女が、精霊と話しているとは気付かなかったのだ。
気付いた頃には、少女は王国ごと精霊言語の両方を話していた。
「精霊様と…」
「ロダン隊長が仕込んでますからね」
「ロダン?
あの子また、兵士の宿舎に?」
「ええ
時々通っていますよ」
「ああ、一応中には入らせていませんよ
子供とはいえ女の子ですから
そこは隊長もしっかりとしてます」
「でも隊長の仕込みだって…」
「あ…」
衛兵達はバツが悪そうな顔をする。
その事は少女からも、隊長からも口止めされていた。
バレたら怒られる事は分かり切っていたから。
「何を教えているの?」
「いえ
一応自衛の為の…」
「護身術と言うか…」
「剣術ね?
あの子に剣術を…」
そう言いながら、フィオーナの額に青筋が浮かぶ。
彼女は再三に渡って、少女にお淑やかになる様に指導していた。
王家に連なる伯爵家の娘なのだ。
淑女としての教育が重要だったのだ。
しかし当人は、そんな窮屈な事は嫌いだった。
それで今日も、脱走して宿舎に向かったのだ。
「そう…
剣術を…ね」
「ひっ」
「フィオーナ様
落ち着いて」
「ロダン
後で覚えておきなさいよ…ぎりぎり」
バキボキ!
フィオーナは歯軋りしながら、腕を鳴らしている。
その形相を見て、衛兵達は震え上がっていた。
彼女が怒りの形相で、指をバキボキ鳴らしていると、不意に後ろから声が掛かった。
「また逃げ出したのか?」
「アーネスト
そうなのよ、あの子また…」
「厳し過ぎるんじゃ無いのか?」
「いいえ
まだ基礎も教えていない状況なのよ?
あの子によく言ってちょうだい」
「ん…
ああ…」
「はあ…
あなたもあの子に甘いから…」
使者との話し合いが一段落したのか、アーネストが王城の入り口に顔を出していた。
恐らく執務室の、バルコニーから彼女の姿が見えたのだろう。
既に日常となりつつあるが、一応心配して様子を見に来たのだ。
それともう一つは、衛兵達の精神面のケアだ。
案の定、彼等は妻の怒りを見て震え上がっていた。
「それで?
ここに居るって事は、会談は終わったの?」
「ああ
内容はいつもの挨拶と、あの馬鹿の情報だ」
「お兄様の?
その様子では今回も…」
「ああ
代わりに入ったのは、異国の男の遭難だ」
「そういえば!
その男の人は何処から来たの?」
アーネストは眉を顰めると、衛兵に聞こえない様に妻に手招きをする。
フィオーナは小首を傾げた後、不審そうに話を聞こうと彼の隣に向かう。
「何なのよ」
「実は非常にマズい」
「え?」
「そもそも使者が来た理由も、言葉が通じないからだ」
「言葉が通じないって…
その方は獣人か他の種族の方なの?」
「いや
見た目は至って普通の人間らしい
詳しくは分からないが、違うのは肌や目の色、髪の色ぐらいだろう」
「髪や目も?」
「ああ
髪は黒に近い茶色、これはこの大陸でも珍しくは無い」
「ええ
東の国では多いわよね」
フィオーナの言葉に、アーネストは頷いてみせる。
「しかし肌の色がな…
フランシス聖教王国やエジンバラ王国の様に白い肌なんだ
それなのに目の色は緑や蒼では無く茶色だった…」
「確かに珍しい組み合わせね
でもエジンバラなら…」
「そう
私もそう考えていた
しかし言語がな…」
「あ…」
最初にも話があったが、言葉が通じない事は珍しい。
確かにフランシスは独特な訛りはあるし、エジンバラは旧帝国語と同じ言語ではある。
しかしその男の言葉は、そのどれにも当て嵌まらない。
唯一近しい言語は、古代王国語に似ている言葉だった。
「古代王国って…
魔導王国の事?」
「ああ
正確には、その礎になった国ではないかと…
その以前にも大国があった形跡はあるんだ」
「だけどそれなら…」
「ああ
その頃に交流があった、何処かの国の可能性もある
そこで解読用に、資料の用意は約束したんだが…」
アーネストはそう言いながら、肩を竦める。
オウルアイという辺境伯領は、今から10年ほど前に立て直された、新しい領主が運営している。
その為に文官の数が、まだ十分では無いのだ。
多くの移民が、魔物に怯えながらその地に訪れている。
しかし武官は揃えられても、文官になれる様な者はなかなか居なかったのだ。
「あなたが行ければ良いのにね」
「そうだな
オレなら、ある程度古代語も話せる
しかし王都から…」
「あら
お兄様を探すって言っても、出せないわよ」
「ああ、分かっているよ
はあ…」
今ではアーネストは、国王代理として多くの仕事を抱えている。
文官の数は増えて来ているが、まだまだ手が足りていない。
それで彼は、寝る間も惜しんで国政を担っている。
時々バルトフェルド老が手伝いに登城しなければ、彼は過労で倒れていただろう。
そうした状況なので、とても辺境には向かえる状況では無かった。
「これもそれも…」
「でもお兄様は…」
「ああ
何処に行ったのやら…」
アーネスト夫妻は、そう言いながら王城に戻る。
衛兵達もそれを聞きながら、王太子殿下の事を思い出す。
彼等の国王である、ハルバートは魔物との戦いで命を落としていた。
そして息子である、王太子ギルバートは行方不明になっている。
魔物を送り込んでいた元凶が、女神の名を騙る偽物だったのだ。
その偽の女神と戦って、ギルバートは行方不明になっていた。
戦いから戻ったアーネストから、王女にそう報告されたのだ。
「殿下…」
「どうされてるかな?」
アーネストの話では、ギルバートは逃げる偽の女神を追って行ったそうだ。
その時地面に亀裂が走り、彼は偽の女神と共に姿を消したのだ。
アーネスト以外にも、エルリックという名のエルフがそう証言していた。
それで王女は、彼等の言葉を信じる事にした。
アーネストを国王代理にして、彼の帰還を待つと宣言して。
彼女がその宣言をしたのは、彼に対する当て付けもあった。
アーネストは王女に、必ずギルバートを守ると約束した。
しかし最後の最後で、彼はその責任を放棄したのだ…。
それにはアーネストなりの理由があった、しかし彼は一切の言い訳をしなかった。
親友であるギルバートを、守る事が出来なかったのは違いないからだ。
あの時警告を無視してでも、ギルバートを追えば良かったと…アーネストは後悔していた。
例えそれが、アーネストの身体では耐えられない結界の先であっても…。
彼はその先に踏み出せなかった自分を、未だに許せていないのだ。
王女はその後、身を引く様に修道院へ籠っていた。
本来ならば、そこで彼女が伴侶を得て立て直すべきなのだろう。
しかし王国の貴族達も、多くの者がその命を失っていた。
魔物との戦いで、各地に深い爪痕を残したのだ。
だから王女に釣り合う様な、若き貴族は居なかった。
彼女が王族のまま、王城に残る事は混乱の原因と成り兼ねない。
それで彼女は、継承権を破棄して修道院へ籠ったのだ。
ここに居る限りは、王族として呼ばれる事は無いからだ。
そして王族が居ない今、早急に王の代理が必要だった。
「アーネスト様も大変だよな…」
「ああ
フィオーナ様は殿下の義妹に当たるし
国王陛下の姪なんだもんな」
「貴族籍は伯爵でも、王族の遠戚だもんな」
最初は国王代理に、バルトフェルドの息子であるフランシスの名も上がっていた。
しかしフランシスは、婚約者であるマリアンヌ王女を裏切ってしまった。
それ自体は王女の妹の、エリザベートに化けた魔物の仕業であった。
しかしこの事が原因で、フランシスは自領であるリュバンニへ幽閉となった。
それで代理を務めれる様な、若い貴族が居なかったのだ。
「オレだったら堪えられないな」
「オレも嫌だな…
フィオーナ様の様な美人の妻をもらえると言われても…」
「ああ
ほとんど毎晩だもんな」
衛兵達は、アーネストに同情していた。
なまじ彼が、それだけ働いても過労で倒れないからだ。
それどころか、彼はここ数年風邪を引いた事も無かった。
丈夫な故に、無理を押しても政務に取り組み続けるのだ。
「移民政策に、ドワーフ達の開発…」
「最近は獣人も迎えていたな」
「そうそう
移民に関して、差別的な行為は禁ずるってな」
「それが一番大変なんだよな…」
実はその先には、魔物が移住する話もあるのだが、それはまだ公表されていなかった。
先ずは獣人が定住して、人間として受け入れられる必要がある。
女神教が浸透している王都でも、少なからぬ差別は行われている。
獣人を受け入れる事さえ、困難を要するだろう。
それでも先に進まなければならない。
それが女神が遺した希望なのだから。
「たっだいまー♪」
そんな感慨に耽っていた、衛兵達に元気な声が聞こえた。
「姫様…
母君がお探しでしたよ」
「何処に行ってらしたんですか?」
「んとね…
ハインツと木の実拾い」
「ハインツって商人の息子の?」
「ロダン隊長のところでは?」
「今日は違うよ
だっておじちゃんは違う仕事で出てるもん」
「おじちゃんって…」
「ははは
兎に角、母君が御立腹でしたぞ」
「うん
だから先に、イーリンの所に行くよ」
少女はそう言って、元気よく駆け出す。
「イーリンって…」
「弟を盾にする気か…」
衛兵達は、これはまた一悶着ありそうだと頭を抱えていた。
閑話休題です。
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