第63話
ダーナから王都までは直線距離では約200㎞にもなる
そして途中にはノルドの森と険しい竜の背骨山脈が広がる
そこを超えてからも平原や森を抜け、大きな川を渡る場所もある
これを馬車で行くとなると、1週間以上の行程が必要となる
アーネストが飛ばした使い魔は、速度こそは大して早くは無いが、途中での休息を必要としない分早く移動出来、翌日の夕刻には王都の空を飛んでいた
これを早馬や馬車で送ったなら、1週間は掛かっただろう
使い魔は指定の魔力を探して王都を飛び、やがて王宮の入り口へと辿り着く
そこから門番の騎士に連れられて、王宮へと入って行った
その王宮魔術師はヘイゼルと言い、王宮魔術師として勤めていた。
彼には身寄りは無く、気儘な一人暮らしを楽しんでいた。
嘗てはライバルも多数居たが、歳や病に倒れ、今や彼が実質のトップとなっていた。
その為に、普段は研究三昧で私室に籠っていた。
「またあそこに籠って居るんですよ
騎士様からも何とか言っていただけませんか?」
「はははは
老師は研究が生き甲斐だって申してますから
貴女も掃除や洗濯が出来なくなると…辛いでしょ?」
「そうなんですけど…
旦那様」
メイドはヘイゼルの研究室と言う名の私室のドアを叩く。
ドンドン!
しかし反応が無い。
「寝てるんですか?」
「まさか?
没頭されていると、聞こえないんですよ」
メイドはドアを押してみる。
ドアは抵抗も無く開き、中から異様な臭いがしてくる。
「うわっ
また変な薬を作っているんですか?」
「っぷ、これは…」
あまりの異臭に、二人は鼻を摘まむ。
中から紫の煙が漏れて来て、廊下まで異臭が広がる。
紫の煙の向こうで、小柄な老人が幾つかの瓶と壺を使って、何かの液体を混ぜている。
「ヘイゼル様
ヘイゼル老師様」
「…」
「老師様!」
「うお!
何じゃい!
間違えるところじゃったぞ!」
「老師様
騎士様がいらしてます」
「ヘイゼル様
使い魔が到着しました」
「なんじゃ?
…使い魔じゃと?」
老師は怪しげな液体を紫の煙が出る壺に無造作に流し込み、慌てて入り口に向かって歩いた。
後ろでは、紫の煙が赤紫に変わり、壺が小刻みに震えている。
騎士は壺が気になったが、自分の職務を果たすべく、使い魔を渡した。
「いったい誰からじゃ?
…これは?」
ヘイゼルは使い魔から手紙と筒を取り、使い魔を止まり木に乗せてやる。
「うーむ
ガストンは死んだ筈じゃが…」
「ガストン老師ですか?」
「ああ
田舎に超した兄弟子じゃ
確か5年前に亡くなった筈じゃが…」
手紙の封蝋はガストンの愛用したフクロウの印が刻まれていた。
これはアーネストが後を継いだ時に、ヘイゼルも立ち会って渡されていたのだが、彼はすっかり忘れていた。
ヘイゼルは手紙を取り出し、中身を読み始める。
見る見るうちに顔色が悪くなる。
「如何なされた?」
「兄弟子の後継者からじゃ」
「それはまた…
して、お顔の色が優れない様ですが、如何されました?」
「うーむ
マズいのう」
「?」
騎士は事態が呑み込めず、老師が次の言葉を言うのを待った。
使い魔を寄越すほどの事があったのだ、場合に依っては自分達が動く必要がある。
「そいつの言う事には、ダーナが魔物に襲われたらしい」
「ダーナが?」
「そうじゃ
城壁も一部崩されて、領主が倒れたらしい」
「それは大変だ!
直ちに陛下に…」
「待て
陛下にはワシが話そう
お前さんはこの事を内密に話すんじゃ」
「内密に…ですか?」
騎士はゴクリと唾を飲む。
事は重要な案件で、他者には漏らすなと言う事だろう。
騎士はメイドの方を見る。
メイドも王宮で働く者だ。
二人の会話から重大な事だと判断し、頷いた。
「良いな
これは他言無用じゃぞ」
「はい」
「ええ」
二人は老師の無言の圧力を感じ、しっかりと頷いた。
静まり返った部屋に、壺に亀裂が入る音が響く。
ピシッ!
「ああ!
ワシの白髪染めが!!」
「老師…」
「ヘイゼル様…」
老師は悲壮な顔をして、割れた壺を持ち上げた。
中身はゆっくりと零れ落ち、老師は泣き崩れた。
「うおおおお」
「私は国王に会って来ます」
「私も洗濯物が途中なので…」
そそくさと二人が去った後、部屋には老師の慟哭が響いていた。
国王ハルバート・インペリアル・クリサリスは騎士からの耳打ちを受け、晩餐の会議を早めに切り上げた。
この会議は、今期の税収と治安の状況を聞く形式的な物であったので、影響は少なかった。
食堂を出ると、側近を引き連れて私室の隣の会談用の部屋へ移る。
護衛だけを残して、国王は宰相と部屋で待っていた。
足音が聞こえて、ほどなくドアがノックされる。
コンコン!
「ヘイゼル様がお見えになりました」
「うむ
通せ」
ハルバートは答え、騎士がヘイゼルを部屋へ招き入れる。
国王は手で合図をし、騎士は首を振る。
「これは重要な案件じゃ
お前達でも聞いてはならぬ」
「しかし!」
「頼む…」
「分かりました」
護衛の騎士は頷き、部屋の外へ出る。
「私は居ますぞ」
「好きにせい」
宰相は入り口に移動して、会話の邪魔にならない様に配慮した。
「して、先ほどの報告じゃが…
本当か?」
「ええ
兄弟子の弟子から手紙が来ました」
「どれどれ…
うむ、確かにガストンの弟子じゃな
確か…アーネストじゃったのう」
国王は懐かしそうに封蝋を触り、ガストン老師の弟子を思い出していた。
その時はアーネストはまだ子供で、国王も心配してガストンの私邸を譲る件を承諾した。
あの少年が大きくなり、こうして緊急の報を伝えてくれた。
女神様に巡り合わせを感謝しつつ、手紙の中身を読む。
次第に国王の顔が険しくなり、眉間を押さえて溜息を吐く。
「陛下、大丈夫ですか?」
「うむ」
宰相が心配して声を掛ける。
「ワシの従弟であるアルベルトが、危篤じゃ…」
「な、なんですと!」
「ダーナに魔物が攻め込んだ
城壁も一部が崩された」
「そんな
あの城壁は帝国をも退けた堅牢な城壁ですぞ」
「ああ
そうであった筈じゃ」
宰相はアルベルトの危篤の報せよりも、城壁が崩された事を気にしていた。
「アレが崩されるのなら、王都の城壁も見直さなければ…」
「そうじゃな
明日にでも、国防大臣と会談をしよう」
「はい」
「それよりも
こっちが問題じゃな」
「はい?
何でしょう?」
「アルベルトが危篤なら、代行が必要じゃろう」
「ええ、まあ
しかし、すぐには見つかりませんよ?」
「当てなら有る」
ハルバートは書簡から書類を出して、その中から1枚を宰相に手渡した。
「ほれ、これじゃ」
「はい
…ザウツブルク卿ですか?
しかし、何でまた?」
宰相は書類の続きを読む。
「え?
廃嫡?
代行の選定って、これは?」
「うむ
貴殿には話して於かねばならぬか」
「陛下!」
「よい
彼はその時はまだ宰相では無かった
過去の亡霊は知らんのだ」
「しかし、あの事はワシ等だけの罪
彼を巻き込むのは…」
「罪?
罪とは何なんですか?」
宰相は二人が語る、罪と言う言葉が気になり聞き返した。
「ただし、この事はワシが許すまで黙っておるのじゃぞ
特に、反国王派の連中には聞かれん様にな」
「はい」
それから1時間ほど掛けて、国王は或る秘密を暴露した。
その秘密は重く圧し掛かり、宰相は顔色を悪くしていた。
「そ、そんな事が…
しかし、女神様に許されるのですか?」
「分からん」
「だが、これを持ち掛けたのも女神様の使徒
何故使徒同士がこうした駆け引きをしたのかは、ワシ等も知らん
じゃが、魔物が現れたのは、この罪に対する罰なのかも知れんな」
「そんな
元はと言えば、女神様があんな残酷な仕打ちをされたのが原因ですぞ
アルベルト卿が引っ込んだのも納得がいきます」
「それでもじゃ
ワシ等は道を外したのかも知れん」
国王はそう呟き、首飾りの一つに手をやった。
「ワシ等は許されんじゃろう
じゃが、国民は守らねばならぬ
例え女神様に弓引く事になろうとも…な」
「おぬしはこの事には関係ない
罰せられるのはワシ等で十分」
国王と老師は覚悟を決めた顔をしていた。
「じゃからな
おぬしにはあの子を守って欲しい」
「ワシ等の代わりに、守ってくれ
この国の未来の為に」
二人は宰相に向かって、頭を下げた。
国王が宰相に頭を下げる事など、有ってはならない。
それでも、国王は頭を下げてお願いをした。
「分かりました
不肖、サルザード
この身に変えても、アルフリート殿下をお守り致します」
「うむ」
「任せたぞ」
二人は秘密を明かし、宰相に託した事で肩の荷が下りたのか、ホッとした顔をした。
「それでは、王子を迎えるに当たって後任のダーナ領主を決めましょう」
「うむ
それだがな、フランドールに任せようと思っておる」
「ザウツブルク卿ですか?」
フランドールは2年前の魔物が侵攻した折に、王都周辺の激戦に於いて活躍した騎士だ。
元は平民の出ではあるが、騎士団でも隊長を務める若者で、その甘いマスクと爽やかな雰囲気で王都でも人気の騎士の一人だ。
魔物の群れに勇敢に突撃し、見事生き残った強者でもある。
その功績で男爵の爵位を与えられ、王都に小さいながら領地を与えられた。
その後の経営手腕を買われ、子爵の爵位を与えられる予定でもあった。
「彼なら魔物討伐の実績も有るし、小さいながらも領地経営を成功させている
年もまだ若いし、申し分ないだろう」
「領地での農民の税収を下げ、作量を増やした手腕は見事でした
ただ、反国王派からは目を着けられていますね」
「それも含めて、地方領主に昇進じゃ
奴等からしたら左遷に見えるだろうが、ダーナは重要な拠点の一つじゃからな」
「なるほど
その様に伝えてみますね」
「後は
老師には手紙を書いていただきたい」
「使い魔でおくるのじゃな?」
「はい」
「そうなると
アルフリート…いや、まだ明かせんか
ギルバートには入れ違いで王都に来てもらおう
必要ならアルベルトの妻や娘も引き取ろう」
「はい
では手紙にはそう書きますね」
「頼むぞ」
こうして、ダーナの領主に関しては、新たな領主を置く事で話が進んだ。
ギルバートの王都入りも同時に決まり、その指令の書類も用意された。
「事は反国王派に知れてはマズい
表向きはダーナ領主が倒れ、代行としてフランドールが赴く」
「はい」
「その際に、ギルバートに挨拶に来る様に…
そうじゃ、アーネストも戦功があるから、二人で来る様に書いてくれ」
「分かりました」
「他には、何かありますか?」
「そうだのう
アルベルトへの見舞金と兵士の補充じゃなあ」
「それなら
フランドール卿の部下を一緒に向かわせては如何です?
騎士団の次期将軍候補とその部下と言う触れ込みで、ダーナへの増員へ当てる
如何でしょう?」
「ふむ
それで問題が無い様なら、フランドールに部下を募らせてみるか」
「ええ
彼なら喜んで従う部下も多いでしょう」
「それに
反国王派の戦力を削ぐ形になれば儲けもんじゃのう
ふおっふおっふおっふおっ」
老師が悪い笑みを浮かべて続ける。
老師と宰相は書類を用意すべく、国王に一礼してから部屋を辞した。
国王は二人を見送った後、一人窓から月を見上げた。
「もうすぐ
もうすぐ会えるからのう
アルフリート…」
国王は月を見上げ、静かに呟いた。
次は再びダーナに戻ります
爽やか貴族の登場です




