第491話
ギルバートは苛立ちながら、地図に乗せた駒を動かす
ここは王都にある王城の、執務室の中だ
ギルバートの前には、アーネストとバルトフェルド、それからハルムート子爵も居る
ここで彼等は、先日の竜の背骨山脈で起こった事を話していた
女神はギルバート達が来る事を、予め予測していたのだろう
そこで様々な罠を配置して、彼等が来るのを待っていた
罠を無事に潜り抜け、女神の前に立つ事が出来るか
それを遊戯として楽しんでいたのだ
「くそっ!
それならハイオーク達も…」
「ああ
敢えてあそこに配置したんだろう
私達が苦しむと分かっていたんだな…」
アーネストは溜息を吐くいて、ポーンを竜の背骨山脈の横に置く。
「それで迷宮を用意して…」
「いや!
あれは違うと思う
そもそも…」
アーネストはそこで、何か言い掛けて止める。
「ん?」
「いや、これは今は良い
問題はその後だ」
「しかし迷宮も…」
「それは忘れろ
女神もあそこを通るとは思っていなかったと思う」
「何でだ?」
「あのう…」
二人が言い争っていると、バルトフェルドが横から声を掛ける。
「何だ?
「その迷宮って…」
「ああ
くだらない悪戯程度の迷路だ」
「何が悪戯だ
かなり苦戦しただろう」
「いや
そもそも、ハイオーク達に聞いていれば良かったんだ
あいつ等はそこから出て来たんだろ?」
「あ…」
ギルバートはハイオーク達が、後から他の通路を使って入って来た事を知った。
そこを使っていれば、最初から簡単に女神に会えていたのだ。
そんな事にも気が付かず、わざわざ面倒な迷宮を通っていたのだ。
あれは完全に、エルリックの案内が悪かった。
「エルリックを信じて、あんな場所から入るから…」
「だって仕方が無いだろう
お前だってその話に乗って…」
「私は反対していたぞ?
エルリックを信用していたのは…」
「まあまあ
お二人共落ち着いて」
「そうですよ
それよりも…」
迷宮と言うのはよく分からなかったが、話を進めて欲しかった。
明日の事もあるので、あまり遅くまで話している余裕は無いのだ。
「それで?
女神様にはお会い出来たんでしょう?」
「ええ
それはまあ…」
「城門でも仰ってましたが…
そこで何が起こったんです?」
子爵の質問に、ギルバートは嫌な事を思い出して、顔を顰めていた。
「女神は…
本気で人間を滅ぼそうとしています
それも遊び感覚で」
「そうだな
オレもそう感じている」
「城門でもそう仰っていましたが…
本当なんですか?」
「ああ
残念ながら…な」
ギルバートは首を振りながら肯定する。
「何せ女神ご自身が、私達の目の前でそう仰ったんだ」
「そう
あれが本物の女神ならな」
「アーネスト?」
「いや
気にするな」
アーネストは何かを考える様に、俯きながら呟く。
しかしあれは、どう考えても本物だろう。
エルリックも言っていたが、女神にしか出来ない神託を行っていたのだ。
あれでは否定の仕様が無いだろう。
「女神は私達の目の前で、神託を行いました
それは『女神の命に於いて、今からクリサリス王国王都に巨人を送る
愚かな人間共よ、滅びの時を待つがよい!』というものでした」
「それは…」
「何と…
そんな命令が
それで巨人が向かって来ていると?」
「ええ
残念ながら」
ギルバートの言葉に、バルトフェルドと子爵は震えていた。
女神が下した命令ならば、それに従う他無い。
しかしこのまま、黙って滅ぼされる事は許容出来ない。
出来得る事ならば、ギルバートの言う様に何とか巨人を退けたかった。
「バルトフェルド様
あなたはこの神託を?」
「え?」
「聞いていなかったんですか?」
「はい?
ええ、今初めて聞きましたが?」
バルトフェルドは意味が分からないと、首を傾げる。
「子爵は帝国の民で、女神を信奉していなかった
しかしバルトフェルド様は、敬虔な女神の信者でもあるんだぞ?」
「アーネスト?」
アーネストは何事か、ブツブツと呟く。
「バルトフェルド様
他には?
他には誰かその様な事を、神託として聞いたという者は居ませんでしたか?」
「え?
いえ…
居ませんが?」
「それでは信託は?
ここ数年で、教会でも神託は下されておりませんか?」
「神託ですか?
そんな話は、建国以来ございません筈ですが?」
「すると建国以来、神託自体は無かったのか…」
「おーい…
アーネスト?」
「建国前にはあったんですよね?
例えば西方諸国と手を結ぶとか…」
「それは無かったと思いますが…
しかしそれが何か?」
アーネストはさらに質問を繰り返す。
「これまでに…
公式な記録である神託は?」
「そうですね…
帝国の行いを否定する信託や、封印石を授ける神託…
それから魔物が人里に出なくなるので、魔物を探して狩る事を禁ずるとか?」
「それぐらいか…」
「帝国を断罪する信託は、帝国側にも記録が残されておる
それで皇帝は、女神の手先であるハルバートとの決戦を決意された」
「え?」
「それで帝国は攻め込んだのか?」
「ええ
あれが無ければ、皇帝も和平を結んでいたでしょう
女神様の行いに、酷くご立腹されたと記録されています」
「それはそうだろう…
一部の貴族の行いに、帝国自体が断罪されたんだ
皇帝も黙っていられなかったんだろう」
自らの正当性を示す為に、敵国の神を攻めなければならない。
当時の皇帝も、その事には相当思い悩んだのだろう。
しかし結果は、女神の主張を否定して、王国に攻め込む事となった。
それを正当化する為に、そうした逸話も作られたのだろう。
「そもそも、ギルが殺される原因になった神託
あれも教会に送られただけだった
そうですよね?」
「それは…
ワシも知らんのじゃ」
「アーネスト
今はそんな事よりも…」
「…
そうだな」
アーネストはなおも、何か言いたそうにしていた。
しかし肩を竦めると、話を変える事にする。
「まだ確証も無いしな
それで?」
「それでじゃない!
何を確認していたんだ?」
「まだ秘密だ
そもそもエルリックが居ない今…
確認も出来ない」
「そうじゃ!」
「ああ
エルリック殿はどうしたんだ?」
そこで彼等は、そもそもの話がエルリックの事だったと思い出す。
「うーん…」
「無事かどうかも…」
「え?」
「何があったんです?」
ギルバートは躊躇いながら、妖精の隧道の事を話す。
それはバルトフェルド達に、要らぬ心配を掛けたく無いという配慮だった。
「うーん…
話しても…」
「オレの方を見るなよ」
ギルバートはアーネストの方を見るが、アーネストは首を振って拒否する。
「お前がキチンと話せ」
「だってあれは、お前が…」
「それでも二人に心配を掛けたく無いんだろ」
「うーん…」
バルトフェルドと子爵も、コクコクと頷く。
「アーネストが…
妖精の隧道を開いたんだ」
「妖精の隧道?」
「それはなんですか?」
「私もよく分からないんだ、アーネストは知っているが、私は前回は気絶してたし…」
「仕様が無いな…」
アーネストが羊皮紙を三枚取り出すと、二枚を並べて置いた。
「ここが竜の背骨山脈の麓で、ここが王都の目の前」
「殿下達が現れた場所ですな」
「ええ」
アーネストはそう答えながら、残りの一枚をクルクルと器用に筒状にする。
「そこにこうやって…
道を作ったんです」
「へ?」
「道って…」
「精霊の世界と繋げて、疑似的な短い空間を作るんです
しかし精霊の世界なので…」
「精霊?」
「そんな事が出来るんですか?」
「ああ
それをやったんだ」
「何故お前が自慢げに…」
「まあ、そうやって近道を無理矢理作ったんですが…
人間が精霊の世界に干渉するなんて…」
「それは…」
「何と無茶な事を…」
「それで維持が出来ませんで、あの時オレは、魔力の波に飲み込まれかけていました」
「え?
そうなのか?」
「ああ
だからエルリックが…
代わりに支えてくれて…」
執務室が静寂に包まれる。
「それではエルリック殿は?」
「分からない」
「私達が出た後に、道は閉ざされてしまった
だから向こうがどうなったかは…」
「無事…ですよね?」
「そうだな」
「そう信じたいよ」
アーネストが手を放すと、筒状の羊皮紙が跳ねながら元に戻る。
それがその行為の、代償の恐ろしさを示していた。
「しかしそんな魔法を?」
「いやあ…
正確には魔法じゃ無いんだ
そもそもオレには、精霊に干渉する力なんて…」
「え?
成功してたじゃ無いか」
「だから試すと言っただろ?
まあ、お前の言葉がヒントだったんだがな」
「え?」
アーネストは意味あり気に、ギルバートの方を見ていた。
「しかし便利ですな」
「そうでも無いぞ
確かに近道だし、道中に魔物などの危険は無い」
「それでは…」
「しかしここは…精霊の世界だ
長く留まれば、時間んはあっという間に過ぎて行く」
「え?」
「そうだな
実際に思った以上に、時間が過ぎていたからな」
ギルバートの言葉に、子爵は首を傾げる。
「私達の体感では、ここは2、3時間程度の行程だった」
「え?」
「これだけの距離を?」
「ああ
しかし外の世界では、その間に1週間近く過ぎていた
まあ、オレの作った空間が、不完全だったんだろうな」
「それでは…
体力や時間を掛けずに…」
「ああ
だが上手く行ったらだ
そんなに甘くは無かったがな」
アーネストの言葉に、子爵は唸っていた。
「うーむ…
それが本当なら、過去に転移装置があったというのも、頷けますな…」
「転移装置?」
「ええ
それが元なのかは分かりませんが、短時間で遠くの街に移動してたそうです
尤もその話を聞くまでは、眉唾物の与太話と思っていましたが」
「ふうん…
そんな物もあったんだ」
アーネストは頷きながら、手元の羊皮紙を丸めたり戻したりする。
「しかし…
エルリック殿が不在となれば…」
「ああ
私達だけでやるしかない
巨人の弱点などは、前回の時に聞いてはいるが…」
「無事でしょうか?」
「どうかな?
しかしあいつもハイエルフだ
精霊の加護があるだろう」
「あるのか?
あいつ…精霊様を怒らせていただろう」
「あ…
はははは…」
「精霊様を怒らせるとか…」
「何をされたんだ?」
バルトフェルドと子爵は、小声でその行いを恐れながら話す。
「まあ…
死ぬ事は無いんじゃ無いか?
ドラゴンに焼かれても平気だったし」
「ドラゴン?」
ぴくぴく
ギルバートの言葉に、バルトフェルドの顔が引き攣る。
「あ!
おい!」
「ドラゴン…ですか?
あの伝説の?」
「え?
子爵はご存知なんですか?」
「ええ
帝国でも魔導王国の残した物語が幾つかございます
その中には国を滅ぼした、狂暴な竜の話も…」
「狂暴な…」
バルトフェルドは顔を蒼くして、天を仰ぐ。
「その話は止せって」
「そうか?」
「殿下…
危ない事はしないでくださいと…」
「いや、仕方が無かったんだ
兵士達は負傷して動けなかったし」
「だ、だからと言って…」
バルトフェルドは肩を震わせながら、懸命に声を押し殺して呟く。
子爵もその話を聞いて、さすがに心配そうに確認する。
「兵士が負傷したんですか?」
「ああ
武装したオーガが現れてな
それで私も負傷してな…」
バタン!
遂に堪えられなくなって、バルトフェルドが倒れる。
「あ!
おい!
バルトフェルド様!」
「いかん!
すぐに頭を冷やす物を
おい!」
「はい!」
部屋の中の騒ぎに、慌てて兵士達が入って来る。
そしてメイドに用意させて、冷たい水を絞った布が用意される。
「ギル
だからあれほど気を付けろって…」
「しかし…」
「ギルバート殿
今のはさすがにマズいですよ…
バルトフェルド様は、ずっと殿下を心配されていたんですよ」
「いやあ…
すまない」
気を失ったバルトフェルドは、そのまま兵士達に運ばれて行った。
三人は兵士やメイドに睨まれて、反省して下を向いていた。
「大丈夫だとは思いますが…」
「バルトフェルド様もお年なんですよ
あまり心労を掛けないでください」
「それは…」
「反省してください!」
「はい…」
「はあ…」
「アーネスト様と子爵様もですよ」
「え?
ワシもか?」
「三人共です!」
「はい」
「すいませんでした」
メイド達にしっかりと叱られて、三人は正座して反省させられる。
暫く説教をされてから、三人は解放された。
「ギルが余計な事を言うから…」
「アーネストもだろ?」
「そんな事よりも
仔細はバルトフェルド様の様子を見ながら、私が説明しておきます
それで、具体的に何があったんですか?」
それから1時間ほど掛けて、ギルバートは竜の背骨山脈で起こった事を話す。
途中で小言を言う事無く、子爵は我慢強く話を聞いた。
途中で何度か、特にオーガに無茶な特攻やドラゴンに立ち向かう所では、喉元まで声が出ていた。
しかし何とか堪えると、最後まで話を聞き終える。
「話は…
分かった」
「子爵?」
「ワシからバルトフェルド様に話しておく」
「しかし…」
子爵は頭を振ると、静かに席を立った。
「これ以上…
あの人に心労を掛けたく無いだろう?」
「それは…」
「安心しろ
倒れない様に上手く伝える」
子爵はそう言うと、片手を挙げて執務室を出て行った。
「ギル?」
「私も休むよ
明日は厳しい戦いになる」
ギルバートもそう言うと、執務室を出て行った。
アーネストは独り残ると、深く考え込みながらグラスを傾ける。
子爵が差し入れたくれた葡萄酒は、喉に深い苦みを与える。
「子爵は…
大人だな」
「え?」
片付けに入ったメイドが、驚いてアーネストに振り返る。
「あ、いや
独り言だ」
「アーネスト様も早く休まれては?
顔色が優れませんよ?」
「そうだな…」
オレももっと気を付けて、話す様にしないとな
アーネストはそう思いながら、執務室を後にした。
まだまだ続きます。
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