第486話
王国の西にある、竜の背骨山脈での戦闘は終わった
ギルバートはそこで、女神と邂逅する事が出来た
しかし女神は、人間を滅ぼそうとする事を止めなかった
そして世界の声を使うと、王都に向けて巨人を進軍させた
彼等に残された猶予は僅かであった
ギルバート達は、休息を取る為にエルリックの住処に向かう
傷は女神によって癒されたものの、激しい戦闘でみな疲弊していたのだ
そしてこの瞬間にも、王都に向けて巨人が進軍している
世界の声で、女神が命令をしたからだ
エルリックの家に戻ったところで、食事の準備が始められる。
しかしギルバートは、声を荒らげていた。
「ゆっくり食事なんてしてる猶予など…」
「駄目だ!
今は少しでも食って、回復するべきだ」
「しかし…」
ギルバートは焦っていた。
今の王都の戦力では、巨人の侵攻を止める術など無い。
あれだけ万全に準備をしていても、王都は一度破壊されていたのだ。
ここで再び壊されたら、二度と立ち直れないだろう。
「いくら帝国の兵士が頑張っても、以前の半数にも満たない兵力だぞ?」
「それは分かっている!」
「いいや、分かっていない
魔術師だって居ないし、冒険者も…」
しかも今回は、指揮する者も不在なのだ。
ギルバートは、せめて自分が居たならと今さらながら後悔していた。
「分かっていないのはお前だ!」
「ぐっ!」
バシン!
アーネストは思いっきり、ギルバートの顔を叩いた。
「今ここで、お前が行ってどうなる?」
「それは…」
「どの道間に合うかも分からないんだぞ?」
「…」
アーネストの言う事も尤もだった。
ここから王都まで、どんなに急いでも1週間以上掛かる。
それは馬を乗り潰して、単騎で駆けたとしてもだ。
そんな状態で王都に着いても、まともな指揮は出来ないだろう。
ここは王都がまだ攻められていないと信じて、安全に帰還する必要があるのだ。
「焦る気持ちは分かる
しかし今は…」
「先ずは体力を回復しろ…か?」
「ああ」
幸いにも食料に関しては、ファクトリーを止められる事は無かった。
エルリックは再び機械を操作して、みなに食事を振舞った。
「さあ
喧嘩して無いで、これを食べな」
「何だ?
これは?」
「良いから
少しは体力が回復する筈だ」
それは円盤状のパンで、上には色々な香草や肉が載せられている。
芳ばしい香りがして、載せられたチーズとソースが溶けて混ざっていた。
「う、美味い!」
「これは…」
香草をふんだんに使う事で、独特の風味を出している。
何よりもその香草が、体力や魔力を回復する効果があるのだ。
それでアーネストも、食べながら魔力が回復して行く事を感じる。
「魔力が…」
「ああ
一度には回復しないが、継続的に回復力を高める効果がある」
「え?
それならこれを…」
「しかし1時間ぐらいなんだ
しかも冷えたら…
とても不味い」
「あ…」
残念ながら、出来立てしか効果も無いそうで、持ち帰りには向いていなかった。
しかしこのパンを食べた事で、アーネストの魔力も回復して来ていた。
「オレの魔力って…」
「ああ
それだけの魔力をフルに回復するには…
これを半日ぐらい食べ続けないとな」
「さすがにそれは…」
エルリックの爽やかな笑顔に、アーネストは若干苛立ちを覚える。
「他には無いのか?
ポーションみたいに…」
「これならどうだ?」
エルリックはポットからお茶の様な物を淹れる。
それは香草を煎じた、特殊なお茶だった。
「ああ…」
「染み渡るでしょ?」
「むっ…」
エルリックの大袈裟な笑みに、アーネストはさらに苛立ちを感じる。
「これは?」
「魔力回復を促すお茶ですよ
と言っても、普通の香草では無理なんですよね…」
「普通の?」
「ええ
これの原料の香草は、魔物の死体を肥料にしてます」
「ぶっ!
ゲホゲホ」
「大丈夫ですか?」
「だいじょ…ない!
何を飲ませてるんだ!」
「いえ、回復用のお茶を…」
ここでアーネストは、ふと気が付く。
「まさか…
他の食材も?」
「え?」
「魔物の死体を肥料に…」
「当然でしょう
魔物の死体には多量の魔力が残されています
そんな無駄が出来ますか」
「え?」
「はあ?」
楽し気に食事をしていた、みんなの手が止まった。
口元に運んでいた食事を凝視し、中には落としてしまう者も居る。
「あ!
勿体ない!」
「勿体ないって…」
「大体あなた達ねえ、魔物の肉は食べるんでしょう?」
「う…」
「それは…」
しかし、魔物の死体を肥料にする光景を想像して、みな一気に食欲を失っていた。
「しかしだな
肉を食うのと肥料にするのでは…」
「同じでしょう?
火にくべて細かく砕き、畑に撒く
野菜に魔物の肉を食わせるのと同じでしょ?」
「あ…」
「そういう事か…」
何となく意味が分かり、みながホッとした表情になる。
「へ?
何を想像したんですか?」
「い、いや
何でも無い」
「そうですよ」
「いやだなあ
エルリック様」
「はははは…」
言える訳が無かった。
腐った魔物の死体から、香草が生えて来る姿を想像しただなんて。
「時間があれば、ファクトリーも見せてあげたかったんですが…
あそこは厳重に封鎖されていますし、そんな余裕は…」
「ああ
気持ちだけで良いよ
気持ちだけで…」
「そうですか?」
「ああ
見たらどんな影響を受けるか…」
「え?」
「何でも無い」
アーネストはボソリと呟いた。
どんな物を使っているのか、ここでは信じられない事を行っている。
それに興味は覚えるが、それを知る事が怖かった。
下手に知ってしまえば、魔導王国の二の舞いになりそうな気がする。
アーネストはそれが怖かったのだ。
進んだ技術には、それを制御する心も必要になる。
ただ闇雲に楽をしたいと発展して行けば、魔導王国の様に道を踏み外すだろう。
女神の事を考えれば、それだけは避けたかった。
「しかし…
魔力を回復か…」
「ええ
しかしこれでも、淹れて少しの時間だけです」
「何でだ?」
「それはあなたもご存知でしょう?
魔力が抜けるからです」
「ああ
ギスカール侯爵の論文の…」
「ええ
あの第五条に書かれた、魔力の保存と消費です
すぐに移動すれば、それだけ多くの魔力を蓄積出来る」
「しかし、時間を置けば魔力は抜けてしまうか…」
他の者にはチンプンカンプンだったが、エルリックとアーネストには伝わっていた。
彼等はそれから、難しそうな話を始める。
「その理論からすると
このお茶に7エーテルの魔力が込められた事になるな」
「そうです
そして飲んだあなたは、6エーテルの魔力を受け入れる事になる」
「しかしそれなら、元は幾つ込められていたんだ?」
「そこなんですよ
元は10エーテルなんですが、それがお茶として加熱する際に8エーテルに下がり…
さらにカップに注ぐ時に7エーテルに下がると想定しています」
「あのう…」
「ふむ
そうすると、熱による分解も無駄に…」
「そうなんですよね
そこが彼の定理の難しい…」
「エルリック様」
「何だよ!」
「折角良いところなのに!」
「それが…」
二人が振り返ると、すでに食事が無くなっていた。
それでも満たされていなくて、みんなはお代わりを待っていた。
「あ…
すぐに持って来ます」
「はははは…」
エルリックはそう言って、慌てて厨房に走り込んだ。
そんなに慌てなくても、機械が自動的に調理する。
時間はそれ程掛からないのだ。
「随分と話しが弾んでいたな」
「ああ
エルリックがあんなに魔法理論学に詳しいとは…」
「まほ…りがく?」
「ああ…
お前には期待していないよ」
「分かり易く言うと、魔力をどうやって無駄なく活用するかって話だ」
「無駄なく…」
「ああ
このカップのお茶が魔力なら…
こうして飲んでも…少しだけ残る」
「まあ、そこに少しな
しかしそれは…」
「ああ
どうしようも無い事なんだ
だからそれがどれぐらいか計り、少しでも無駄にならない方法が無いか探る
それがこの学問の神髄だ」
「随分とケチ臭い…」
「何を言う!
ちっともケチ臭く無いだろう
無駄な魔力の消耗を少しでも押さえて、効率よく使う事が…」
「分かった、分かった
私が悪かった
だからそう興奮するなって」
「ふう、ふう…」
「しかし、それって…」
「あん?」
「一歩間違えたら例の魔力災害ってやつじゃないか?」
「え?」
ギルバートは興奮するアーネストを抑えると、ポツリと呟いた。
「だって、魔力を無駄なく使いたい
だから根こそぎ掻き集める方法を考えるって…」
「違う!
断じて違うぞ!」
「だから落ち着けって
魔力を無駄なく集めて使うんだろう?
そこは同じだろうが?」
「だとしても目的が…」
「そうだろうな…」
「けどさ
枯渇した精霊力だっけ?
それを魔力で補おうとしたんだ
そこは同じじゃ無いか?」
「そうなんだけど…
ああ!
難しいな」
アーネストは何とか、崇高な学問としての理論を追求したかった。
しかし、ギルバートの言う事も尤もだった。
確かに突き詰めれば、その考えの根底は同じだ。
無駄を省いて効率的に活用する。
その結果が魔力を代用するという理論だった。
「しかし間違いだったんだ
所詮は魔力は、魔力でしか無いんだ」
「そうか?
同じ自然に影響を与える力なんだろう?」
「ああ…
ギルにこの学問が分かれば…」
アーネストは悔しそうに、苛立っていた。
「どう違うんだ?」
「そもそも、違うからこそ込められた魔力が暴発したんだ」
「そうなのか?」
魔力災害は、精霊力を無理矢理作り出そうとする実験だった。
それで集めた魔力が、自然に大きな影響を与えてしまった。
通常ではあり得ない魔力での自然操作。
それを無理矢理行った結果が、死の沼地や魔の森を作り上げたのだ。
「魔力で自然を操ろうとしたから…」
「それは方法を間違えたからだろう?
だって魔力も、自然の力を借りているんだ」
「いや…
ん?」
「だってそうだろ?
魔法って自然の力を借りているんだろう?」
「いや…待てよ?」
「お前だって言ってただろう?
魔導王国の魔導士は、強大な魔力を自由に操っていた
しかし今の魔法使いは、自然の魔力を借りて簡単な事しか出来ないって」
「それはそうなんだが…」
「だから自然から魔力を分けてもらって、魔法を行使しているって」
「ちょっと、黙っててくれるか?」
アーネストはブツブツ呟きながら、テーブルに何か書き込み始める。
「1エーテルに対する運動エネルギーが…
その考察をアーノルドの定理に当て嵌めて…」
「へ?
どうした?」
「良いから黙ってろ」
アーネストはそう怒って言うと、さらに書き込みを続ける。
そこにエルリックが、食事を運んで来た。
「何を騒いでいるんだ?」
「それが…」
ギルバートは掻い摘んで、先ほどの話をする。
アーネストが考えている事が、魔力災害の原因に繋がるんじゃないかという事だ。
「それは君が悪い」
「悪いって…」
「アーネストはその学者に、えらく影響を受けているんだ
ギルバートだって、アルベルトの悪口を言われたら嫌だろう?」
「それは嫌だけれど、悪口じゃあ…」
「魔力災害って、魔法使いにとっては嫌な事件なんだ
あれのせいで、魔法のイメージは随分と悪くなったからね」
「そうなのか?」
「ああ
兵士のみんなもそう思っている筈だ」
エルリックの言葉に、兵士達も頷く。
しかしその視線は、エルリックが持って来た食事の山に向いていたが。
「だからね
その先生を魔力災害を起こした魔法使い達と、一緒にして欲しくないんだ」
「そうなのか…」
「しかし、君は面白い事に気付くね」
「え?」
「魔力と精霊力
確かに似ているんだよ」
「いや、同じじゃ無いのか?」
エルリックは首を振りながら、兵士に気が付いて食事を下ろす。
下ろされた食事を手に、兵士達はそれぞれのテーブルに移動する。
ギルバート達の分が無くなった事には、本人達は気が付いていなかった。
「だって、セリアの精霊力は…
私の魔力と変わりが無かったぞ?」
「ん?」
「セリアと重なり合った時には…
何て言うかこう…」
「へえ…」
ピクピク!
エルリックの眉が、ゆっくりと吊り上がる。
兵士達はそれを見て、巻き込まれない様に席から移動する。
「私の魔力とセリアの精霊力?
それは深く交じり合って…」
「ふうん…」
ミキミキ…!
「二人が一緒になって、気持ち良くなった時には…
何て言うんだろう?
その力も混ざり合って二人に流れ込む様な…」
バキン!
「バキン?」
ギルバートがエルリックの方を振り返ると、テーブルの端が握り潰されていた。
心なしか顔は強張り、頬がヒクヒクと引き攣っていた。
「どうしたんだエルリ…ック?」
「随分と親しくしているんですね
私の妹と」
「へ?
あ!」
「それはいつ、ナニをしてそうなったんですかねえ?」
「いや!
待て!
今のは無し!」
ギルバートは顔を真っ赤にして、慌てて両手を振る。
しかし二人の周囲では、兵士達がニヤニヤ笑っていた。
「ごちそうさまです」
「お二人がそこまで行っていたとは…」
「早く世継ぎが生まれませんかね?」
「イーセリア様…
ぐずん」
「な、な、なにも
やましい、やましい事は…」
「へえ…」
「この前も一杯してもらったよ」
「へ?」
「ほう…」
ぴくぴく…
「うふふふ」
セリアは顔を赤くしながら、嬉しそうにそう報告した。
「お兄ちゃんのがいっぱい入ってきてね
とっても気持ち良くて幸せだったんだ…」
その言葉に、遂にエルリックはキレる。
「ころす!」
「わあ!
待て待て!」
「待たん!」
ブウウン!
輝く細剣を振り回し、エルリックは鬼の形相で追い掛ける。
「うわああ」
「こ・ろ・す!」
「ひえええ」
「エルリック様」
「ほどほどにしてくださいよ」
「明日も早いんですから」
「騒がしいなあ…
しかし…」
アーネストだけは、まだテーブルに座って熱心に公式を書き込んでいた。
そこには複雑な計算式と、記号の羅列が並んでいる。
「もしそうなら…
行けるのか?」
アーネストはそう呟きながら、熱心に計算を続けていた。
まだまだ続きます。
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