第454話
翌日の朝早くから、帝国の兵士達は城門前に集まる
中にはやる気も無さそうな者も数人混ざっていた
しかし子爵が到着すると、一気に雰囲気は変わる
訓練に関して不満はあるものの、子爵の言葉は彼等には重要なのだ
長年彼等を、守って来た指導者だったからだ
子爵は兵士達の前に来ると、今回の訓練の主旨を伝える
兵士達が城門に安心して、訓練に身が入っていない事への警告だ
このままでは魔物が来た時に、彼等は役に立たない恐れがある
その為にも、もう一度魔物討伐が重要だと考え直す必要があると宣言する
「子爵様
言いたい事は分かりますが…」
「そうですよ
何でこんな訓練を…」
やる気の無さそうな兵士が、そう不満を口にする。
「馬鹿者!
そういう考えだから訓練を行うんだ
貴様等恥ずかしく無いのか?」
子爵は声を大にして叫ぶ。
その子爵の気迫に、兵士達は息を飲んで黙ってしまう。
「それでは魔物が襲って来た時に、どうやって戦う気だ?」
「そんなの王国の兵士に任せれば…」
「その彼等が戦いに出ていて、ここの守りが居なかったらどうする?」
「それは…」
子爵の正論に、不満そうだった兵士は答えに窮する。
「いつまで王国の者達に頼るつもりだ?
ワシ等は彼等に頼まれて、手助けする為に来たのでは無いのか?」
「魔物の事なんて、王国の奴等に任せれば良いんですよ」
「そうだそうだ
オレ達は魔物と戦いたくて来たんじゃないんだ」
「じゃあ、何の為に来たんだ?
貴様は建物の修理が嫌で、こっちに配属の願いを出したんじゃ無いのか?」
「それは…」
やる気が無い者は、何処へ行っても足を引っ張る。
不満そうな兵士達は、そうやって作業から逃げて来た者達だ。
兵士の中には、復旧作業に参加しながら訓練をする者も居る。
そういった者達からすれば、彼等は正に足を引っ張っていた。
「これから行うのは、平原で魔物達と戦いながら野営する
そういった基礎の訓練になる」
「ええ?」
「いきなりですか?」
「いきなりでは無いだろう!
どれだけ訓練期間があった?」
既に訓練が始まってから、3週間が経っている。
季節も秋に変わって、外は少し肌寒くなっている。
これから本格的な冬に向けて、野営の基礎も学ばなければならない。
そうしなければいざという時に、外で凍えてしまうからだ。
「平原に出たら、先ずは野営出来そうな場所を決める
それから野営の準備をしながら、魔物の警戒もする」
「ええ?」
「無理ですよ」
これには兵士達のほとんどが、不満そうな声を上げる。
しかし子爵は、その声を一睨みで黙らせる。
「無理じゃ無い!
やるんだ!」
子爵はそう言って、先頭に立つ兵士を決める。
それから殿にも、腕の立ちそうな若者を選ぶ。
彼等は戦闘にも多少慣れた、それなりの腕を持つ者達だ。
そんな彼等ですら、この訓練には不安そうにしていた。
「出発するぞ」
「おお…」
やる気の無さそうな返事をして、彼等は城門を潜る。
しかし出たからには、ここからは真剣になるしか無かった。
どこに魔物が居るのか、彼等には想像も付かないからだ。
「大丈夫でしょうか?」
「うーん…
少し心配になってきた」
訓練を提案したギルバートも、この様子には呆れていた。
外に出たからには、ここからは命懸けで挑まなければならない。
しかし帝国の兵士達には、その真剣味が足りない気がした。
「周囲の魔物は?」
「脅威になりそうな魔物は片付けています」
「後はゴブリンやワイルド・ボアぐらいです」
「そうか…」
「出発の準備は?」
「抜かりはありません」
「しかし…」
「本当に良いんですか?」
「ああ
こっそり後を追うぞ」
ギルバートは前日に、アーネスト達にもこの事を話している。
当然反対されたが、代替え案も上がらない。
バルトフェルドはしかめっ面で頷くしか無かった。
「こっそり追い越して、森の中で待機する
森の中も掃討しているな?」
「ええ
死体も片付けておきました
余程の斥候の腕でも無い限り、気付かれる事は無いでしょう」
「うむ
それでは行くぞ」
子爵達も馬で出ているが、その進行速度は緩やかだ。
早掛けで大回りしても、十分に間に合う早さだった。
ギルバートは合図をして、護衛の時に世話になった兵士達を引き連れる。
今や彼等は、ギルバートも専属の護衛となっていた。
「行くぞ」
「はい」
「後は任せたぞ」
「はい
しっかりと見張っておきます」
残される兵士達も、バルトフェルドが鍛えた一線級の兵士達だ。
この頃は身体強化も身に着いて、騎士としての訓練に入っていた。
今の彼等なら、オーガが数体現れても十分に戦える。
この分なら、ギルバートが居なくても大丈夫だろう。
「あー…
まだあそこですね」
「ううむ…
大丈夫なのか?」
子爵と兵士達は、まだ王都からあまり離れていなかった。
思ったよりも進んでいないので、ギルバート達は速度を落として迂回する。
馬の進む音で、彼等に気付かれない様にする為だ。
「この分じゃあ、目的地には昼過ぎですね」
「そうだな
それから昼食や野営の準備だ
間に合うのか?」
「オレ達なら余裕ですが…」
兵士達もこれには、些か不安を隠せなかった。
野営自体は大丈夫だろうが、彼等は森や平原には慣れていないだろう。
水や薪の確保、それに安全な場所の知識も不足している。
そういった事に慣れる為の訓練だが、これはそれ以前の問題だった。
「不安だな…」
「しかし出た以上、もうなる様にしかならんでしょう」
兵士達も不安だったが、最早手遅れだった。
こうなった以上は、遠くから見守るしか無いのだ。
訓練の場所に指定したのは、王都から南に半日ほどの距離だ。
小さな川が流れていて、近くには森もある。
しかし平原である以上は、見通しは良くなる。
そうなってくれば、どこで野営をするかが重要になる。
「これは野営の場所は、移動しながらになりそうだな」
「ですね
移動の基本からなってません」
「魔物に見付かるのも時間の問題ですね」
兵士達予想通り、子爵達はさっそく魔物に見付かってしまう。
まだ王都を出て、3時間も経っていなかった。
「何だ?
あの一団は?」
「随分と小さい…」
「あれは…
あれがゴブリンだな」
「ゴブリン?」
帝国の兵士のほとんどが、ゴブリンを見るのは初めてだった。
カザンでの討伐でも、コボルトやオークばかり見ていた。
何人かの兵士は、王都で討伐された魔物を目にしていた。
それでもゴブリンは、その中にはほとんど居なかった。
「オレは城壁から見た事があるぞ」
「こいつらすばっしっこいからな」
彼等は城門に上って、城外の様子も見ていた。
それで王都の兵士達が、弓で射殺すのを見ていたのだ。
「あれが最弱の魔物と呼ばれるゴブリンだ
しかし弱いと言っても魔物だ
用心して…」
「何だ?
こんな小さいの平気でしょう?」
「あ!
こら!」
兵士の中から、不満を漏らしていた者達が数人出る。
そうして4騎の兵士が、無断で前に駆け出した。
「こんな子供みたいな奴等に…」
「気色悪い姿をしやがって」
そんな事を言われても、彼等も好き好んでその姿では無い。
産まれた時からその姿で、大きくなる事も出来ないのだ。
一応は魔石を持てれば、上位種に成れる事もある。
しかしその見た目は、ほとんど変わらないのだ。
「うりゃああ…
ぐうっ」
「痛え!」
アギャギャ
ギャハハハハ
ゴブリンは数体で囲んで、前に出た兵士達を足元から殴りつける。
木で出来た粗雑な棍棒だが、それは思ったよりも攻撃力がある。
身体強化が身に着いていない兵士では、当たり所が悪ければ骨折する事もある。
「マズいぞ!
すぐに向かえ」
「は、はい」
慌てて子爵が指示を出し、兵士達は馬を操る。
しかし慣れない操縦で、上手く進む事も出来ない。
「くそっ!」
「どけどけ!」
先頭に立っていた兵士達が、早駆けで一気に間合いを詰める。
そして剣を振り上げ様、2体を叩き切った。
「怯むな!
応戦しろ」
「しかし馬が…」
「慌てるな
砂竜と変わらん
落ち着いて手綱を握れ」
後続の兵士達も加わり、何とかゴブリンを倒した。
しかしたかだかゴブリンに、彼等は苦戦する事となった。
「あれで最弱?」
「サンドリザードより強かったぞ?」
「馬鹿者
真正面から向かってどうする」
兵士達の動揺する姿に、子爵は呆れた顔をする。
「しかし、あんな気味の悪い物は初めてで…」
「言い訳は良い
早く手当てを受けろ」
最初に向かって行った兵士達は、ゴブリンに手酷い反撃を受けていた。
完全に舐めていたので、馬や足を負傷していた。
幸い馬は大丈夫だったが、足は打撲で腫れ上がっていた。
仲間の兵士は、そんな彼にポーションを手渡す。
「ぐ!
くうっ…」
「今ので3日分の給料だな」
「え?」
子爵に言われて、兵士は顔色を変える。
「何の事ですか?」
「お前が景気よくぶっ掛けた、そのポーションじゃ」
「え?」
「そいつが幾らぐらいするか知っておるか?」
「え?
いえ…」
「おおよそ銀貨5枚じゃ」
「銀貨5枚!」
「お前の軽率な行動が、どれほどの損害を与えたか…
分かるか?」
「ぐうっ…」
兵士は悔しそうに俯くと、肩を震わせていた。
「しかしあんな見た目で強いなんて…」
「見た目か
確かに強くは無いだろうな
後から来た者は問題無く対処出来たからな」
最初の4人は、無謀に突っ込んで囲まれてしまった。
ゴブリンも12体とそれほど多くは無かったが、焦りで周りが見えなくなったのだ。
だから後から加勢した兵士は、後ろから馬の速さを生かして切り込んだ。
その差が負傷にも現れている。
「あれで最弱だそうだ
魔物がどれだけ危険か…
分かったか!」
「は、はい」
子爵は最後の方は、怒号が入り混じった叱責に変わっていた。
それは怒りよりも、兵士の迂闊さを戒める為の物だった。
子爵も兵士を止められ無かった、自分の甘さを悔やんでいたのだ。
だからこそここで、兵士達に厳しく当たる事に決めていた。
「良いか!
他の者達もよく聞け!」
「はい」
「相手は最弱の魔物だ
しかし油断していれば、さっきの様な事になる
もう一度気を引き締めて、注視ながら行軍するぞ」
「はい」
兵士達は久しぶりに、子爵が気合を入れている姿を目の当たりにする。
子爵も城壁の中の生活に、いつしか油断が生まれていたのだ。
「しかし…」
「ああ
気持ち悪い生き物だな」
見た目は小さくて、それこそ子供ぐらいの大きさだ。
しかし体色は緑や土気色で、顔も醜悪な造りになっている。
目元は鋭く濁った黄色の目をして、鼻は長く出て曲がっている。
口元には黄色掛かった、短い牙が生えている。
身体は小さいが、筋肉はがっしりと発達している。
そして猫背になりながら、地を這う様に進んで来ていた。
その見た目と行動が、あまり強そうには見えていない。
しかし実際は、力だけなら大人でも敵わないのだ。
「こいつは小さい身体を生かして、足元から襲って来る
しかも見た目よりも膂力があって厄介だ」
「そうですね
頑丈で無い分、簡単には倒せますが…」
「問題は攻撃を当てれない点ですね」
意外に素早く、そして打点が低い位置になる。
ゴブリンと戦う場合は、歩兵の方が有利な時もある。
騎兵の攻撃のほとんどが、少し上になるからだ。
「まあ、こればっかりは慣れだろうな
しかし王都の兵士達なら、単騎で数分で片付けるだろうな」
子爵の言葉に、兵士の半数が頷いていた。
実際に城壁から見ていた兵士も、矢で簡単に射殺しているのを見ている。
攻撃が当たれば、それほど苦戦する相手では無いのだ。
「さあ
手当てが済んだのなら行くぞ」
「はい」
子爵の指示で、再び一行は進み始める。
それを少し離れた場所で、斥候達が見守っていた。
「ふう…」
「何とかなって良かったな」
「ああ
まさかあのゴブリン達に、いきなり苦戦するとはな」
斥候達は、ゴブリンが近くに居る事は確認していた。
しかしまさか、ゴブリンに苦戦するとは思っていなかったのだ。
あの程度の数ならば、それこそ馬で蹴散らせただろう。
しかし帝国の兵士は、正面から戦おうとしていたのだ。
「打点が低いからな
馬の蹄の方が有効なんだよな」
「でも、それを知らないんじゃ無いか?」
「あ…」
「まさかな…」
ギルバートも、まさかゴブリンに梃子摺るとは思っていなかった。
だから当然、騎馬での戦い方などは指導していなかった。
この辺が帝国と、王国との戦い方の違いだったのだ。
砂竜は基本的に温厚で、前足も退化していて踏み潰すには向いていない。
あくまで後ろ足で主に進み、その後ろ足もあまり上がる様にはなっていないのだ。
「なあ…
砂竜と馬って…」
「言うな
何となくオレも理解した」
斥候達は頷くと、その辺も報告が必要だと感じていた。
帝国兵には、騎馬の扱い方の指導も必要だと。
それから2時間ほどして、子爵達は平原の入り口に到着する。
それまではなだらかな丘陵や、左右に小さな森が広がっていた。
しかしここからは、暫くは何も無い草原が広がっている。
そこかしこに草花や灌木が茂り、それより上は何も存在しない。
つまりは見通しが良くて、向こうからもよく見えるという事だ。
「これは…」
「砂漠とはまた違った景色ですね」
「ああ
砂じゃ無くて野草が、こんなに広がっているとは…」
よく見れば食べられる野草も生えていて、ここでは食料には困らないだろう。
必要なら魔獣から肉は取れるし、近くの森からは木の実なども取れる。
しかし砂漠の民である帝国兵には、それらを見分ける知識は乏しかった。
「これ…
食えるのかな?」
「馬鹿
食えるに決まっているだろう」
まさか食べると、害のある野草があるとは知らない。
そもそもが野草自体が、砂漠では珍しいからだ。
「ここで野営をする訳だが…」
「そうなんですがね…」
そして帝国兵は、平原での野営の知識も無かった。
彼等はどこまでも広がる平原で、どうすれば良いか分からず呆然としていた。
まだまだ続きます。
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