第449話
バルトフェルドとアーネストを見送ってから、ギルバートは資料に目を通していた
そこには細かく移民を分けた、計画書が仕上がっていた
ギルバートがざっと目を通した限り、問題は無さそうだった
後はこの計画書を、ハルムート子爵に手渡すだけだった
子爵は移民達の下で、相談に乗っていた
砂漠と王都では、暮らし方が全く違っている
一番の違いは食生活で、今は支給された食材を使っている
それを調理方法を教わって、実際に調理するのだ
男達は大通りに集まって、焚火を前に料理を始めていた
「これは難しいですね」
「しかし面白い」
「ああ
野菜ってこういう食べ方もあるんだ…」
移民達は大きな鍋を囲んで、そこに根菜を詰め込める。
そして干し肉と香草を刻んで、火に掛けて煮込む。
そうして出来上がったスープを、黒パンと一緒に食べる。
砂漠では味わえない食事だった。
「サボテンとはまた違う味ですね」
「はははは
これが本当の食事なんだろうな」
「ええ
生きている間にこんな食事が出来るなんて…」
中には食事をしながら、涙ぐむ者も居た。
そうした移民達と、子爵は昼食を楽しんでいた。
「それで?
今のところ問題は?」
「そうですね
風呂ですか?
あれは慣れませんね…」
リュバンニでは桶に湯を汲んで、布で身体を拭いていた。
しかし王都では、公衆浴場も完備されている。
一部は魔物に壊されていたが、それでも十分に使う事が出来た。
しかし砂漠の民は、熱いお湯に浸かるという習慣には抵抗があった。
「子供達や女性は喜んでいるんですが…」
「オレ達にはどうにも…」
「はははは」
子供や女性は積極的に、身体の汚れが落とせると利用していた。
魔石で手軽にお湯が出せる事で、誰にでも使える様になっている。
さすがに子供だけでは無理なので、大人の女性が付き添っていた。
「身体が綺麗になるって…
何の意味があるんです?」
「そりゃあ不潔にするよりは良いだろう?」
「病に罹り難くなるぞ」
「病にですか?」
風呂に入る事は、身体を綺麗にするだけでは無い。
清潔にする事で、病に罹り難くする効果もある。
特に傷がある者は、そこを清潔にする必要があった。
雑菌が入る事で、壊死して切断している者も少なく無かった。
「怪我した場所から悪い物が入るからな
清潔にする事は重要なんだ」
「そんな物…」
「そうですよ
水浴びすれば平気でしょう?」
「水浴びでは不十分なんだろ?
実際にお前も、腕を切り落とさねばならなかった」
言われた男は、魔獣に手傷を負わされていた。
今はポーションや清潔な包帯で手当てを受けれるが、砂漠ではそうも行かなかった。
傷を負った場所を、火で熱したナイフなどで焼いていたのだ。
そのせいで化膿して、彼は腕を切断していた。
「傷をお湯で洗うんですか?」
「ああ
少し痛むが、傷が腫れて熱を出したり、膿んだりするよりはマシだろう」
「それはそうですが…」
魔導王国では、もっと医療は充実していた。
それこそ化膿を押さえる薬や、傷を塞ぐ魔法なども研究されていた。
しかし帝国が出来上がってすぐに、その多くが焼失していた。
今は傷口から悪い物が入る事は知られている。
しかしその原因や対策は、魔導王国ほど確立していなかった。
対処療法の繰り返しで、結果として判断されていた。
「他には?」
「今のところは…」
「そうですね
衣服も支給していただきましたし」
「寝床も最高です」
「お前はそう言って、なかなか起きなかったな」
「そりゃあ…
あんなにゆっくり眠れるなら」
「はははは
それなら明日からは、訓練にも身が入るな」
「え?」
それまで和やかに話していた男達は、一斉に話すのを止める。
中には視線を逸らして、焚火を見詰める者も居た。
「子爵様
さすがにそれは…」
「何を言っているんだ?
お前は率先して参加すると言っていただろう?」
「それはそうですが…
さすがに明日からでは」
男達はまだ、疲労が抜け切れていないと言い出した。
「いや、さすがに訓練は先だぞ
明日は先ず、どういった訓練か見学になるだろう」
「見学か…」
「それなら問題無いか…」
男達は胸を撫で下ろして、安心して話を聞く。
「見学なら安心ですね」
「そうだな
オレでも問題無さそうだ」
中には戦闘に参加出来そうに無い、負傷している者も意気込んでいた。
そんな彼等を見て、子爵は満足そうに頷いていた。
「さあ
今日は特に作業も無い
ゆっくりと休んでくれよ」
「あれ?
子爵様は?」
「ワシはこれから、お前達の住む家の相談がある」
「住む家?」
「家ももらえるんですか?」
家の話が出て、男達は驚いていた。
仮の宿舎だけでは無く、家も無償で与えられるというのだ。
しかしそれも、兵役や街の復興に携わるという前提でだ。
そうした者達には、壊れていない空き家が提供される。
子爵はそれを説明して、これから相談に向かおうとしていた。
「しかし…」
「家までってのは怪しくないですか?」
「ん?」
「いくらなんでも、これではオレ達が…」
「それは無いぞ
殿下も考えておられるからな」
「しかし…」
男達は家がもらえる事に、不信感を抱いていた。
「勿論、復興の支援や兵士の補充も当てにしておる
そういう者達から、安心して休める家が提供される」
「それはそうでしょうが…」
「それに、家はすまないと朽ちるらしいからな」
「朽ちる?」
「あんな石の家がですか?」
男達は砂漠に住んでいたので、家に関してはよく分かっていなかった。
石の造りの家が多く見えるが、それでも木も使われている。
そんな家が長く放置されれば、虫や害獣が湧いて木の部分が朽ちるのだ。
そうして頑丈な石造りの家も、壊れて倒壊してしまう。
住む者の居ない家は、案外危険なのだ。
「ワシ等には分からんが、そういう物らしい」
「へえ…」
「あっちの木の家の方が壊れ易いのかな?」
「さあ?
そこまではワシにも分からん
しかし空き家が多いらしくてな」
王都の中でも、生き残った者は少なからず住んでいる。
しかし魔物の襲撃を恐れ、他の町に移り住んだ者も少なくないのだ。
それで空き家が増えて、バルトフェルドも維持には苦心していた。
このまま移民が住むのなら、その問題も解消される。
空き家の提供は、双方にとっても有益な事なのだ。
「後は同情じゃろうな」
「え?」
「同情ですか?」
「ああ
殿下はワシ等の暮らしに、痛く心を痛めておった
それもあるじゃろう」
「オレ達の暮らしって…」
「ああ
安心して暮らせる家が無い
それがどれほど大変か、殿下達には分かるのだろう」
砂漠に天幕を張り、雨風を避ける。
しかし気温に関しては、それでは十分では無かった。
これから冬を迎えるに当たっては、天幕では十分では無いのだ。
それに魔物に関しても、家は安心感を与える。
勿論家だけでは、魔物を防ぐ事は出来ないだろう。
しかししっかりとした石造りの家の中なら、少しでも安心出来るだろう。
安眠に勝る物は無いのだ。
「家のある暮らしか…」
「そうだな
オレの爺さんは、最期まで家を失った事を悔やんでいたな」
「ああ
あの戦争が無ければ…
或いはもっとマシな暮らしだったのじゃろう」
子爵も家に住んでいたのは、子供の頃の僅かな期間だけだ。
それも砂漠の浸食を受けて、放棄せざるを得なかった。
ギルバート達が見た枯れた湖の町の跡が、以前のタシケンの町だったのだ。
「ワシも子供の頃の事でな
町の記憶もほとんど残っておらん
しかし…」
「そうですな」
子爵よりも一回り年上の男は、その光景を懐かしそうに思い出す。
他の男達は、既に町から出てから産まれていた。
だから町の暮らしの記憶は、何一つ持っていなかった。
「緑こそ残っていなかったが…
帰る家がある暮らしは良かったな」
男がしみじみと呟くと、子爵も頷いていた。
「そんなに良い物なのか?」
「ああ
それはそうさ
家に帰ったら、母親が食事を作って待っていてくれる
それだけで幸せだったな…」
「母親か…」
「家というか、オアシスに戻っても、満足に食べる物も無かったからな」
男達は手元に残された空の器と、通りの向かい側の家を交互に見る。
そうして暖かい家を想像して、色々と妄想を膨らませる。
それは砂漠では望めなかった、素晴らしい暮らしだろう。
「その為にも、明日からの訓練は頼んだぞ」
「え?
子爵様は?」
子爵の言い方に、男達は素早く突っ込んだ。
「子爵様はしないんですか?」
「ワシはお前達の暮らしを守る義務がある
だからバルトフェルド殿の下で…」
「ズルいですよ」
「オレ達だけなんですか?」
男達は不満を漏らすが、子爵は苦笑いを浮かべる。
「ワシも訓練をしたいんだがな…」
「それなら…」
「そうですよ」
「しかし忙しくなりそうじゃ
なるべく参加したいんじゃがな」
「ズルいですよ」
「そうですよ」
男達の不満の声を聞きながら、子爵は大通りを離れる。
そのまま王宮に向かい、バルトフェルドの姿を探す。
そこで子爵は、先ずは執務室に向かった。
そこにはギルバートが居て、子爵が来た事に気が付く。
「ハルムート子爵」
「おお
殿下、バルトフェルド殿は?」
「バルトフェルド様は…」
ギルバートはどう答えれば良いか分からないので、苦笑いを浮かべていた。
「ん?」
「はははは
まあ、そんな事は置いておいて」
「そんな事って…
ワシはバルトフェルド殿に家の事を…」
「それならこれを」
ギルバートは出来上がっている書類を、そのまま子爵に手渡す。
「これは?」
「バルトフェルド様が離席する前に、アーネストと作っていた物だ」
「ふうむ…」
子爵は書類を受け取ると、それを熱心に見る。
そこには兵役に加わる者の名前が並んでいる。
そして2枚目には、家族が居る者を優先して家が割り振られていた。
「家はこれで全部ですか?」
「ああ
まともに住めそうなのはな」
「まともに?」
「ああ
壁が一部崩れたり、中が荒らされた家屋もある
それは移民のみんなで、直してから使うべきだろう」
「なるほど」
他にも家はあるのだが、城壁が崩壊した混乱に紛れて、荒らされた家も少なくは無かった。
そして外壁が崩れたり、建物が損傷している物もあった。
そうした家屋は修理して、それから移民達の物となる手筈となっている。
「それではこちらは…」
「ああ
修理して使う予定の建物のリストだ
そこを直してから、住むなり店をするなり使って欲しい」
「店?」
「ああ
幾つかは宿屋や、その他の店に使われていた建物だ
だからこそ襲撃されたんだろうがな…」
ギルバートは口惜しそうな顔をする。
少なくとも相当数の者達が、店や宿を襲撃していた。
王都を出るにしても、元手が必要だったのだろう。
それでそういった店を襲って、金品や食料を持ち出したのだろう。
「襲撃って…」
「ああ
魔物じゃあ無い
人間が襲ったんだ」
「そんな…」
「しかし安心して欲しい
襲撃に参加した者達は、その場で切り殺されるか逃げ出している
少なくとも今は、この王都にはそんな者は居ない」
「それならよろしいんですが…」
子爵が懸念しているのは、彼等が移民だという事だ。
帝国が行って来た事を考えれば、どんな事をされるか分からない。
それこそ自分達が、他の亜人達に行った様に奴隷にされる恐れもあるだろう。
しかしギルバートは、そんな事は起こらないと確信していた。
今はそんな事を考えるよりも、早く王都を立て直す必要がある。
内輪で揉めている状況では無いのだ。
「大丈夫なんでしょうか?」
「ああ
そんな事をする暇があったら、建物の一つでも直した方が早い
王都の住民達も、それぐらいは分かっている」
「それならよろしいんですが…」
「大丈夫だって
なんなら警備兵を巡回させようか?」
「それは…
逆に刺激しませんか?」
「だろうな
私はこのまま、移民達が暮らす方が良いと思っているよ
その方が住民達も安心するだろう」
ギルバートはそう言って、笑いながら資料を差し出す。
「少なくとも、何か手柄を立てれば良い
それには先ずは、訓練が必要だね」
「これは?」
「王都の兵士の訓練内容だ
こっちが新兵の分だね」
ギルバートはその資料を、兵役希望者に見せる様に依頼する。
詳しい内容は、明日の訓練の際に見せる予定になっている。
今はどういった訓練があるのか、彼等に教える必要があるからだ。
「それでは明日の朝に」
「ええ
大通りの兵舎ですね」
「はい」
子爵が戻って行くのを、ギルバートは見送る。
それからセリアを迎えに、離宮に向かう事にする。
気が付けば時刻は、夕方を迎えていた。
「アーネストとバルトフェルド様はどうしたのだろう?」
戻って来ない事を考えれば、まだ離宮に居る可能性も高い。
しかし既に、あれから4半刻を過ぎている。
いくらなんでも、説教にそこまで時間は掛からないだろう。
そう思ってギルバートは、暢気に回廊を進んでいた。
しかし離宮に近付くと、微かに響く呻き声が聞こえた。
「え?
まさか…」
ギルバートは恐る恐る、離宮の入り口を覗き見た。
そこには鞭を手にした、鬼の形相のジェニファーが見えた。
その前には正座する、アーネストとバルトフェルドの姿も見える。
「何も見なかった
うん
そう、何も見なかった事にしよう」
そう言ってギルバートは、離宮の入り口から慌てて離れる。
そのまま王宮内に戻ると、手近なメイドに声を掛ける。
そしてセリアに、夕食が準備出来たと伝える様にお願いした。
このままあそこを進むには、ギルバートは勇気が足りなかったのだ。
まだまだ続きます。
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