第432話
季節は初秋の風を運び、間も無く9の月に変わる
カザンの街の城門に、ギルバート達の馬車が並んでいた
ハルムート子爵も馬車に乗り、慣れない様子で外を眺める
いよいよ王都に向けて、出発する日が来たのだ
街の城門には、領主以外にも住民も来ていた
魔物を討伐した事で、領民達は喜んでいたのだ
その中には、ギルドマスターの姿も見える
みんな王太子を見送ろうと、わざわざ朝早くから来たのだ
「殿下
ありがとうございました」
「いえ
私が出来るのはここまでです
後は領民のみなさんと、領主の腕に懸かっています」
「ええ
必ずや魔物に負けない、国境の街にします」
「期待していますよ」
ギルバートは侯爵と、固く握手を交わす。
それから馬車に乗ると、馬車は動き始めた。
「王太子殿下、ばんざーい」
「アーネスト様、ばんざーい」
馬車の外では、見送る領民達の声がする。
中には帝国を歓迎するといった声も聞こえる。
これはハルムート子爵が、討伐に参加していた事が大きい。
当の子爵は、何もしていないのにと顔を赤くしていたが。
とはいえ、馬車は城門の前に進む。
御者である兵士が、声高に命令する。
「開門!」
「開門!」
城門が開き、王都への公道が見えて来る。
「行くぞ」
「はい」
馬車はゆっくりと進み、領民達の歓声は暫く聞こえた。
「なあ…
馬に乗るのは…」
「駄目だ
そしたらお前は、すぐに魔物に向かって行くだろ」
「そりゃそう…」
「だから駄目だ」
「だーめ!」
セリアも怖い顔をして、ギルバートを睨み付ける。
確かに元気になったし、ここらの魔物ではギルバートには歯が立たないだろう。
しかし旅の目的は、移民を安全に王都に届ける事だ。
ここで魔物と交戦して、討伐する事では無い。
「でもなあ
魔物は討伐して…」
「良いから大人しくしてろ」
「してろー」
「だってさ
退屈で…」
行きは病の影響で、ギルバートはほとんど寝ていた。
だが、元気になった今は、馬でこの辺りの景色を見てみたかった。
それは子爵も同じで、馬車の中で身動ぎする。
「何かこう…
落ち着かないですな」
「ええ
馬の上の方が…」
「王太子や貴族が、ホイホイと馬に乗ってうろつかない!」
「はい」
二人はアーネストに一喝されて、シュンとして下を向く。
その内に、馬車は魔の森の横を通り過ぎる。
「うわあ…」
「いつ見ても不気味だな」
セリアは森の不可思議な魔力に、アーネストは魔力で変化した樹木を見て感想を漏らす。
「行きも見たんだろう?」
「ああ
こうして側を通るだけだがな」
「これが…
森ですか?
先日のとは…」
「あれが普通なんです
これは魔力災害の影響で…」
「ああ
王国の魔術師が行ったという…」
「やっぱりそうなるか…」
アーネストは溜息を洩らしながら、子爵に訂正をする。
「当時のカザンは、まだ帝国領でした
ここは荒れ地でして、この先の荒れ地にて帝国は実験を行いました」
「え?」
「その実験で魔力を消耗したのが、後の敗戦にも影響します」
「これは帝国の?」
「ええ
荒れ地をどうにか出来ないかと、皇帝が指示したんです」
「そんな…」
「結果、魔力は暴走して、魔力の溜まった死の沼が出来ました
ここはその後に出来たそうです」
「死の沼…」
死の沼は、魔力で土地が液状になり、上に乗った物を引き摺り込む。
そして魔力を吸い取り、さらに魔力を溜めて行く。
その沼に、幾人もの魔術師が飲み込まれている。
「沼が発する魔力が、この森に影響を与えています」
「それでこんな不気味に…」
濃い魔力の影響で、植物は成長が早まる。
細く伸びた木は、不規則に曲がりくねる。
これも魔力濃度が高い影響だ。
「それでは王国が行ったと言うのは…」
「外聞が悪いですからね
仕方が無いんでしょう」
「そうですか…」
「皇帝はこの先の、ザクソン砦の前に布陣していました
そこでは死霊が召喚されて、帝国の騎士は逃げ出す結果になります」
「死霊?」
これも帝国では、伝えられていない事である。
「当時はザクソン伯爵は、王国に寝返っていました
そこで伯爵は、帝国から購入した奴隷を肉の盾にしました」
「そんな非道な!」
「ええ
非道ですね
しかしそれは…
帝国の貴族の示唆があった可能性があります」
「帝国の?
そんな裏切り者は…
あ!」
「ええ
ザクソン伯爵って、カラガン伯爵の身内ですよね?」
これは帝国で調べていて気付いた事だが、ザクソン伯爵はカラガン伯爵と繋がっていた。
だから奴隷と言うのも、カラガン伯爵が用意した可能性が高いのだ。
そしてそう考えると、ムルムルを捉えたのもカラガン伯爵の可能性が高い。
そしてムルムルは、生前は帝国で高位の身分の貴族だったらしい。
「ここである…
身分の高い者も奴隷にされていました」
「身分の高い?」
「ええ
帝国で死霊魔術を研究していたらしく…」
「死霊魔術?
それで身分が高い?」
「子爵?」
「まさか?
いや、そんな…」
「何か思い当たる事でも?」
「いや
ワシの勘違いじゃろう
その方は病で亡くなっておる」
「はあ…」
子爵はそう言って、考え違いだと首を振る。
アーネストもそれ以上追及出来ず、黙って子爵を見詰める。
ややあってから、子爵はアーネストに続きを促す。
「それで?
砦と言うのは?」
「ああ、そうですね
肉の盾にされた奴隷達は、死霊になって甦りました」
「死霊にか…
うう!」
子爵は気味悪がって、身体を震わせる。
「まるで帝都襲った、魔物の様だな」
「ええ
まさにそうです」
「え?」
「その男は、自らも死霊となって甦りました
そして帝国への恨みを、晴らそうとします
そんな彼を女神様は、魔王として招き入れたそうです」
「魔王…」
「魔物の王です
彼は死霊を使って、今も生前の恨みを晴らそうとしています」
「そんな!
それでは帝都が…」
「今は復讐を果たし、ある程度落ち着いているみたいです
ですが、早目に離れた方が良いとは告げています」
「そう…か」
アーネストが死の街で遇った時、ムルムルは殺意を堪えようとしていた。
あれは彼が、生前は人も殺せない様な性格だった為だろう。
奴隷として、肉の盾として死んで行った者達を見て、彼は復讐の魔物と化した。
しかしその根っこは、未だに他人を思いやる性格なのだろう。
だからこそ死霊魔術を学び、ギルバートを救おうとしていた。
彼の生前の経緯を聞くと、そうとしか思えなかった。
「ムルムルは…
魔王は腐り切った帝国貴族を憎んでいました」
「腐り切ったか…
そうなのかも知れんな」
ハルムート子爵も、多くの帝国貴族が善くない事は知っている。
未だに奴隷制度を行っているし、他国を蔑んでいる。
いや、ひょっとしたら、身内同士でも蔑視しているかも知れない。
それが選民思想の弊害なのだから。
「カラガン伯爵に売られたのも、案外選民思想からなのかも…」
「え?」
「いやあ
死霊魔術が原因と言っていたけど、高位の身分だったのでしょう?
それなら伯爵からすれば、目の上のたん瘤だったかも?」
「それは有り得ますな
伯爵ならそれぐらい…」
勿論、それを行ったのは伯爵の父か祖父であろう。
しかしそう考えると、彼の家系はずっとそういう思想に染まっていた訳だ。
それなら公爵を前にしたあの言動も、納得が行くだろう。
「それにしても…
なんだって死霊魔術なんかを…」
「それは私も聞きました」
「殿下?
聞いたとは?」
「私は以前に、彼と話す機会がありました」
「魔王とですか?」
「ええ
意外ですが、彼は私の命も救ってくれました」
「それは…
ですが意外ですね」
「ええ
しかし彼の話を聞くと、納得は出来ました」
ギルバートは、改めてムルムルと話した事を話す。
それは以前よりも、具体的な話だった。
「ムルムルは…
以前は帝都に住んでいたそうです
聞いた感じだと、皇族に連なるのかと」
「皇族?
しかし…
いや、ううむ…」
「子爵?」
「いえ、良いです
続けてください」
「はい」
「ムルムルは皇宮で、病に苦しむ者を治療していたそうです
その頃の彼は、薬草と女神様の神聖な魔法を学んでいたそうです」
「光の魔法
所謂治癒の魔法か?」
「ああ
しかしその魔法は、帝都の焼失で失われていた
後で分ったが、肝心の精霊も居なかったんだ
使える筈も無かったんだろうな」
「精霊?」
「ええ
当時の帝国領…
いや、魔導王国から精霊は去っていたんです」
「それが魔法とどう関係が?」
「どうやらその魔法は、光の精霊に関わる様なんですよ
ですから皇女も、今は光の精霊が着いています」
「そんな事が…」
具体的には、光の精霊が居なくても、神聖魔法は使える。
しかし効果は、精霊の力が及ばない地では激減する。
使えたとしても、傷を塞ぐ程度だっただろう。
「続けますね?」
「ああ」
ギルバートが促して、話は続く。
「ムルムルは…
薬草では限界を感じていました
病を癒す事無く、亡くなった者が多く居たそうです」
「そうじゃな
当時は食糧難と、病に亡くなる者も多かったと聞く
それで帝国の動乱に繋がったんじゃ」
帝国の力が弱まり、あちこちで病も増えていた。
それで不安視した属国が、帝国に反旗を翻した事になる。
「ムルムルは悲嘆にくれ、やがて死者の蘇生に興味を持ちます」
「それで死霊魔術を?」
「ええ
当時の皇宮には、禁忌の魔導書が保管されていたとか
彼はそれを盗み出すと、自身で研究したそうです」
「魔導書だけで?」
「ううむ
よほど苦しんだのじゃな」
「ですが彼でも、実践は躊躇ったそうです
生命を弄ぶのは、やはり禁忌だと考えたんでしょう」
「それはそうじゃろう…」
「女神様が禁じていたぐらいだ
帝国でも禁忌だったんだな」
「ああ
だから彼は、砦で同胞が亡くなるまでは使っていない
しかし奴隷として、同胞に殺される領民を見て堪えられなかったそうだ」
「ううむ…」
「他人の命を大事にするからこそ、堪えられなかったんだな…」
「むにゅう…」
馬車の中は、すっかり暗い空気に変わる。
難しい話が続くので、セリアはすっかり眠っていた。
「ふっ
こいつを見てると、そんな事は忘れてしまう」
「幸せそうな寝顔だな」
「はははは
しかし…」
子爵は笑いながらも、ふと不安が過る。
「その…
魔王の名前は?」
「え?
ムルムルですが?」
「それは魔王としての名前では?
帝国ではその様な名前は使いません」
「名前か…」
「元の名前がどうかしたんですか?」
「ううむ
考え違いなら良いのじゃが」
子爵は難しい顔をして悩む。
「これは憶測なのじゃが…」
「ええ」
「皇帝陛下には、7人の皇子が居られた」
「7人か
多いな」
「皇帝ともなればそんな物さ
それで?」
「第1から第3皇子までが、最後の戦いに参加された」
「それはアルマート公爵からも聞きました」
「うむ」
「第1皇子はザクソン砦の戦いで負傷
残りのどちらかが、竜の顎山脈で皇帝と深手を負った」
「そうなのか?」
「ええ
そこまでは王国にも報は入っています
竜の顎山脈では、魔物に襲われたそうで…」
「魔物に…」
「ええ
負傷した皇子を庇い、皇帝と皇子が負傷したと
騎士も散々な目に遭って敗走し、そこで散り散りになったそうです」
「それでは王国の追撃は?」
「王国は魔物と戦い、そこで追撃は諦めました
それでカザンは王国領に入りました」
「ううむ…」
「子爵?」
「それでは陛下は?」
「分かりません
皇子お二人と逃げていた筈ですが…
恐らくは」
「そうじゃなあ
帝国にはカラガン伯爵から、陛下は戦に敗けた後、傷から病に罹って亡くなったと
しかしそれは…」
「ええ
カラガン伯爵の仕業でしょうね
アルマート公爵もそうお考えでした」
カラガン伯爵は、帝位の邪魔になりそうな、皇帝の排除を狙っていた。
それでどうやって、自分が皇帝となるつもりだったのか?
結局帝位は空席となり、今に至っている。
「陛下は戦に敗け、魔物にも敗けたのか」
「ええ
残念ながら…」
「不憫な事じゃ」
子爵はしんみりとして、目尻を拭った。
「えっと?
それで?」
「おお、そうじゃ
皇子の話じゃったな」
子爵は思い出した様に手を打つと、再び話し始める。
「第3皇子までは話したな」
「ええ」
「残る王子じゃが…
第4皇子と第5皇子は、その前の動乱の頃に亡くなっておる
死因は病死じゃ」
「病死って…」
「ああ
先に述べた、帝都で流行った病じゃ」
それから子爵は、難しそうな顔をしてアーネストを見る。
「皇女の父親の話は?」
「それは…
内密にと」
「そうか」
「誰だ?
それは?」
「第7皇子じゃ」
ここで第6皇子は飛ばして、第7皇子の話が出る。
「皇子は生まれつき病弱でな
陛下からも帝位の継承は無いと言われておった」
「継承権が無い?」
「ああ
それで皇子は、大人しく皇宮に引き籠って居られた
どの道帝位を望んでも、貴族の反対にあったじゃろうがな」
「それが皇女の父親?」
「ああ
血は絶やす訳にはいかんからな」
皇帝の座には着けなかったが、血を絶やす事は出来ない。
それで皇子は、子供だけは遺した。
「そんな皇子も、皇女が生まれてすぐに亡くなった
彼も病死じゃ」
「それでは継承権は?」
「娘の皇女が継いでおる
しかし女性という事でなあ…」
「それで婚約の話さ」
「ああ
なるほど」
皇女の夫が、次期皇帝の継承権を得る。
それでカラガン伯爵は、皇女を狙っていたし、婚約騒動も起こっていた。
皇帝の座となれば、確かに魅力的な話だろう。
しかし問題は、残る第6皇子の事だ。
「あれ?
しかしもう一人…」
「そうだな
第6皇子が出て来ないな」
「それなんじゃが…」
子爵は困った様な顔をして、話し辛そうにしていた。
どうやら、彼の事が問題らしかった。
まだまだ続きます。
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