第419話
ギルバートを見舞った後に、アーネストは謁見の間に訪れていた
そこには主無き空の玉座が、虚しく安置されていた
玉座の上には肖像画が置かれて、それが先代の皇帝の者だと分る
公爵は、その肖像画に向けて熱心に祈っていた
アーネストは、謁見の間で公爵と話していた
会話の内容は、先代の皇帝のはなしであった
公爵は、その皇帝に仕える事を誇りにしていたのだ
しかし皇帝は、公爵が若い内に亡くなってしまう
それからの公爵は、新たな主に仕えたいたのだ
「そう言えば…
皇女は皇帝の忘れ形見になるんですよね?」
「ああ、そうじゃ」
「年齢が…
合わなくないですか?」
アーネストは疑問に思った。
ここに来てから、語られるのは亡くなった先代の皇帝の事ばかりだ。
それなのに皇帝が亡くなってから、既に40年近くが過ぎている。
しかし皇女たちは、二人共10代前半に見えた。
それは明らかにおかしかった。
「それはな、皇帝の座に着けないお方だったからじゃ…」
公爵は何か、含みを持たせた言い方をした。
やはり皇帝の後に、何者かが皇帝の座に着いていた筈なのだ。
その者が皇女を産んだのなら、二人の皇女との年齢も合う筈だ。
「それはどういう…」
「ううむ
あまり話したくない内容なのじゃが…」
公爵は気まずそうにしながら、ポツリポツリと話し始めた。
「そのお方はな、身体が弱かったのじゃ」
「病弱だったのですか?」
「病弱…
いや、そうじゃないな
言うなれば、そとちらの殿下と似た様な症状じゃ」
「負の魔力の影響?」
「ああ
恐らくそうじゃったのじゃろう」
公爵は思い出す様に遠くを見る。
「若は…
若き皇帝候補者であるアラベル様は、生まれつき身体が弱かった
それは病に罹るとかではなく、力を出せなんだ」
「力を出せない?」
「ああ
立つ事は出来たが…
重い物も持てず、走る事も叶わない
それで継承者からは外されておった」
「それじゃあ…」
「ああ
皇帝が崩御された後も、貴族から認められる事は無かった
じゃからアラベル様は、帝位に着かずに皇宮に留まられておった」
その男の名前はアラバスター・ロマノフという名前だった。
生まれつきの身体的欠点により、皇宮での生活を余儀なくされていた。
その為に、皇帝の座に着く事も無く、子を成して死んで行った。
皇女は彼の子として生まれていた。
「皇帝の5男として産まれ、そのまま皇宮で大事に育てられた。
勿論後継者を求められ、婚姻もされておった
どうやって子を成したか…などとは聞かないでくれ」
「ああ
私もそこまでは無粋では無い
しかし皇女は…」
「ああ
アラベル様のお子として産まれた」
「そのアラベル様は?」
「亡くなられたよ
今から10年以上も前にな」
「そうか…」
彼の名が上がらないのは、彼が亡くなっていた事も関係するのだろう。
身体が弱かったとはいえ、帝位に着かずに亡くなったのだ。
不名誉な事として、誰もその名を上げなかったのだろう。
アーネストは状況を理解して、それ以上は質問しなかった。
公爵としても、それ以上は語りたくない様子だからだ。
「そうか…
それで皇女は
分かった
この事は必要でない限りは話さないでおこう」
「気遣い痛み入る」
「いや
誰だって話したくない事ぐらいあるだろう」
アーネストは思わぬ帝国の裏事情を知る事となった。
それは帝国を離脱する公爵にとっては、抱えきれぬ事だったのだろう。
話し終えた公爵は、どこか安心した顔をしていた。
「この話を聞かれても、貴殿は彼女達を皇女と呼べるかね?」
「いえ
彼女達はもう、皇女では無いでしょう」
「む?」
一瞬、公爵の顔は強張る。
「それこそ、帝国から離れて普通の生活をすべきでしょう?」
「普通の?」
「ええ
まだまだ若いんですよ?
それに聖女として活躍する場面もあるでしょう」
「しかしそれは…」
「勿論
彼女達が嫌がるなら強要は致しませんよ
公爵が望む形で、彼女達に身分を与えれば良いでしょう」
「ワシの?」
「ええ
ザクソン砦の周辺で、新しい領主として立つのです
そのあなたが、彼女達の身の振り方を考えるべきでしょう?」
「ワシの…」
アーネストは、公爵の望むべき形で治めるべきと考えていた。
それは公爵を、その土地の領主と認めると言う事だ。
これは移民として招くにしては、破格の待遇になるが、長く帝都を護って来た領主である。
彼の手腕が、この先のザクソン周辺の領土の運命を決めるのだ。
「あなたの娘として迎えるのも良いでしょう」
「うむ」
「それ以外に、町の娘として平民とするのも一つの手です」
「それは…」
「どうしてです?
領主や貴族といった重責から解放されるんですよ」
「しかし…
ううむ…」
「お二人とよく、話し合うべきですね
私はあくまで部外者ですから」
「そうじゃな
二人がどう望むのか…
一度話し合ってみるか」
「ええ
序でに誤解を解いてくださいね」
「え?
ああ…
ううん…」
例の誤解の件になると、公爵は途端に歯切れが悪くなる。
「なあ
一緒に謝りに…」
「嫌ですよ
どうして私が?」
「いや
貴殿も誤解させる様な…」
「そもそも、公爵が言ったそうじゃないですか?」
「それは…」
アーネストは、彼女達の会話の節々から、公爵が誤った情報を流したと感じていた。
そもそも使者には、使節が国交の交渉に訪れると伝えていた。
聖女に関しても、噂の聖女に挨拶をしたいと言う公的に問題無い程度の言葉にしていた。
それも聖女が、帝都を離れていては困るから付け足した程度だ。
どこで話が膨らんで、貴族と皇族との政略結婚という発想に繋がったのか不思議であった。
「公爵…
まだ何か隠していませんか?」
「え?
何の事じゃか…」
「お二人は同世代の男性と面識が無いとか…」
「それはアンネリーゼは女騎士達と訓練ばっかりじゃったし
マリアーナは聖女になる前は、姉同様訓練に明け暮れておったからじゃ」
「訓練ねえ…
それで男性を知らないとは?」
「帝国では、未婚の女性は同年代の男性にはあまり近付けない
これは身分に関係無く、昔から重んじておる伝統じゃ」
「それで女騎士という役職があり、彼女達もそこに?」
「ああ
下手に同世代の男に近寄って、問題が起こらない様にという…」
「それは些か過保護では?」
「うぬう…
そうなんじゃが…」
公爵も今では、少々行き過ぎだったと考えている。
大事な皇女の身を案じて、過保護にし過ぎたのだ。
「それに、聖女になられてからもですか?」
「ん?
それはどういう…」
「怪我人を癒していたとなれば、男の怪我人も…」
「それは無い!
騎士が側に控えておるし、何よりも相手の男も理解しておる」
「しかし、年頃の女性が、見ず知らずの男性の裸も診るんですよ」
「あ!
それでか?
しかし…」
どうやら聖女になってから、皇女の奇行が始まった様だ。
治療の為とはいえ、いきなり男性の裸に直面する事となる訳だ。
それが良い影響を与えたとは思えない。
「どうすれば…」
「急ぎ過ぎるのも問題ですよ
移住してからでも、徐々に慣れさせるとか」
「ううむ
ここではアレかのう?」
「それこそ、問題が起きてからでは移住の際に揉めるのでは?」
「はあ…
そうじゃのう」
それに、もう一つの懸念もあった。
それは未だに、彼女の周りには女性しか居ないという事だ。
「それと、少しずつで良いですから、男の騎士も加えるべきです
勿論、行動に問題の無さそうな、既婚の騎士を」
「女騎士だけではマズいか?」
「ええ
私の周りでも、未婚の女性だけ集まると色々と…」
これはアーネストにも、嫌な経験があった。
彼の家のメイド達や、王都でのメイド達の行動である。
基本的に、未成年の男貴族の周りには、色々考えがあって未婚のメイドが宛がわれる。
それは古くからの因習なのだが、王国でも自然と受け入れられていた。
アーネストも年頃の男だったので、色々と困っていたのだ。
そして女性だけだと、他の問題も起こっていた。
主の居ない間に、集まって噂話に花を咲かせる。
それ自体は問題無いが、それが皇女に悪影響を与えている可能性は十分にあった。
「女の騎士なので、確かに危険は無いでしょう
しかし変な噂を話していたのなら…」
「あ…」
「相手は年頃の女性ばかりです
しかも男性経験が無い者ばかりなんでしょう?」
「それは…
考えておらなんだ」
年頃の女性ばかりなのだ、男と同様にそういう話もしていただろう。
それが妄想が逞しくなる年頃の女性ばかりなら、さぞかし盛り上がったに違いない。
現にアーネストの周りでも、そういった女性は多かったからだ。
「ワシは…
間違っておったかのう?」
「そうですね
男が近寄る危険を考えたんでしょうが
これは行き過ぎかと」
「ううむ」
公爵は考えて、決断をする。
「よし
皇女の周りに、相応の騎士を加えよう」
「ええ
その方がよろしいかと」
「うむ
しかしどう説得するか…」
「はははは
さすがに今の事を、そのまま伝えるのはマズいですよね」
「ワシが怒られるじゃろう」
公爵は頭を抱える。
結局アーネストから、妥協案として警備の強化を名目に騎士の配属を変える事にする。
その都合上で、今までとは違って男性の騎士も配下に加わる。
これはこれから移住する、旅に出る為の訓練だという事にする。
王都に向かうまでに、魔物の襲撃が予想されるからだ。
「私達は、ギルが…
王太子が元気になったところで、一旦王都に戻ります」
「うむ
その段階で、ハルムート子爵の移住を進めるのじゃな」
「ええ
ハルムート子爵と砂漠を越えて、王都に向かいます」
ハルムート子爵の私兵は、砂漠の魔獣には慣れていた。
しかし王都の魔物には、まだ戦った事の無い魔物が多く居るだろう。
それに慣れる為にも、帰還の際に同行する事になる。
護衛の兵士と共に戦い、少しでも戦いに慣れる為だ。
「公爵と皇女様の移住は、後程日程を決めてからにしましょう」
「うむ」
「その時に、私達が同行出来ればよろしいのですが…」
女神は未だに、新たな魔物を増やしている。
このままでは、2年後にはどうなっているか分からない。
最悪の場合は、他の貴族に軍を任せる事になるだろう。
しかし王国に移住する為には、相応の護衛の兵士が向かうべきなのだ。
そうでなければ、公爵を安全に王国に招けないからだ。
「魔物は…
そんなに危険なのか?」
「そうですね
サンドワームやサンドリザードは、こちらから近付かなければ襲って来ません」
「そうじゃな
あれは人間以外で、餌になる生き物を捕食しておる」
「しかし魔物や魔獣は、攻撃的で狂暴な物も多く居ます」
「そうじゃな
月の影響じゃったか?」
公爵は、アーネストが話した月の影響を思い出す。
「いえ
そうで無くても、人間に敵意を抱く魔物は多いんです」
「そうか…」
「人間を餌と考える魔物も居ますからね」
「餌…
恐ろしいな」
他にも、過去に人間が行って来た事に、未だに恨みを抱える魔物も居る。
しかしそれを言えば、公爵も王国に移住したいと言わなくなるだろう。
アーネストは、必要な情報だけを伝える事にした。
「まあ、先ずは西方諸国への説得が先です」
「そうじゃな
そこが認められんと、後々拗れそうじゃ」
「それと
公爵は皇女様を説得してください
私は嫌ですからね」
「そこを何とか」
「い・や・で・す
自分で蒔いた種でしょうが」
「ううむ」
公爵は顔を顰めて、困った様な素振りを見せる。
こういう所は、年頃の娘を持つ父親なのだろう。
「公爵も娘さんは居るんでしょう?」
「あ…
昨年亡くなったがな」
「え?」
「いや
すまない
民を逃がす為に、夫の婿殿とな」
「それは…」
「気にしないでくれ
貴族としては当然の事なのだ」
帝都での道すがら、公爵は明るく娘自慢をしていた。
しかしあれは、アーネストの気を紛らわせる為の公爵の気遣いだったのだ。
それをアーネストは、知らずとはいえ古傷を抉る様な事を言ってしまった。
「私は配慮の無い事を…」
「いや
黙っていたワシも悪いんじゃ
それに…
孫の様な娘が居るのも事実じゃ」
公爵はそう言うと、腰を上げる。
「どれ、孫娘の癇癪を治めに行くか」
「公爵」
「気にするな
貴殿の言葉は、ワシに気付かせてくれた
少し甘やかせ過ぎたとな」
公爵はニヤリと笑うと、戦場に向かう様に去って行った。
それから数日、公爵はアーネスト達の前には現れなかった。
それだけ皇女たちの説得に、難航しているのだろう。
その間に、アーネストはギルバートの様子を診ていた。
体力の回復に合わせて、必要なポーションや薬草を調合する。
そうする事で、ギルバートの体調はみるみる良くなった行った。
そうして1週間が経つ頃には、ギルバートは一人で歩き、陰で素振りをするぐらいに回復していた。
「痛たた」
「無理するからだ
筋肉も半分しか戻っていないんだぞ」
「しかし素振りぐらいしないと
身体が戻った時に鈍ってしまう」
アーネストは筋肉痛を和らげる為に、痛みを鈍らせる薬を調合する。
これは傷で苦しむ者を、少しでも楽にする為の薬だ。
用法を間違えれば、痛みに気付かずに死んでしまう恐れもある危険な薬だ。
しかしギルバートの体調を考えれば、それぐらいしないと眠れそうになかった。
「さあ
これを飲んで休んでいろ」
「ああ
助かる」
「いいか!
くれぐれも、こっそりと素振りなんかするなよ」
「ああ!」
アーネストは練習用の剣を取りあげると、ギルバートを寝かしつけて出て行く。
しかしその顔は、日に日に元気になる友に、安心していた。
まだまだ続きます。
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