第411話
その廃墟には、時々泣き叫ぶ様な音が響いていた
気温が下がった事で、風が吹き込んでいるのだ
しかしその風の音は、不気味に鳴り響いて兵士を不安にさせる
ここは多くの者が亡くなった死の街なのだ
鳴り響く風の音が、死霊の叫び声の様に聞こえていた
吹き荒ぶ風の声を聴き、休んでいる兵士は毛布を頭か被る
不気味な風の声を聴きたく無いからだ
しかし風の叫び声は、毛布越しでも耳から離れなかった
アーネストも不安を感じながら、天幕で地図を調べていた
それは魔導王国時代の地図で、この街の様子が描かれている。
先程アーネストが感じた不安は、その街の教会を示していた。
つまり不安の元凶は、街に眠る筈の住民達から感じていたのだ。
「死霊…なのか?」
漠然とした不安を感じつつ、アーネストは死霊対策の魔法を調べる。
もし死霊が襲ってくれば、低クラスの死霊なら炎で焼き尽くせる筈だ。
しかし、数百年も昔の街に巣くう死霊だ。
並大抵の物では無いだろう。
「オレに光の魔法が使えればな…」
光の属性の魔法は、低クラスでは雷の魔法などがそれに当たる。
しかし雷の魔法では、高クラスの死霊には効果が無い。
レジストと言って、魔法に抵抗する力を持っているのだ。
そうなって来ると、高クラスの光の属性魔法が必要だ。
しかしアーネストには、それを扱える技量が無かった。
扱えれるのなら、最初からここに来る必要など無かったのだ。
「光の精霊か聖女でないと扱えないか…」
一応、魔導王国時代には神官や司祭にも使えたらしい。
しかし、今の時代には扱えれる神官など居なかった。
使える者が居るとすれば、皇女か光の精霊ぐらいだろう。
「殿下?」
「イーセリア様
殿下は…」
「ん?
何だ?」
不意に外が騒がしくなり、アーネストは天幕から外を見る。
そこにはギルバートが立っていて、目を不気味に紅く光らせていた。
「な!
何で負の魔力に?」
アーネストは慌てて天幕を出る。
そこにはギルバートの脚に、必死にしがみ付くセリアの姿が見えた。
「アーネスト
お兄ちゃんが、お兄ちゃんが…」
「どうしたんだ?」
「それが殿下が突然…」
「眠っていたそうなんですが…」
ギルバートは何かに誘われる様に、一心に何処かに向かおうとしていた。
それは恐らく、負の魔力の影響を受けているのだろう。
ギルバートの瞳が、負の魔力で紅く輝いているのが証拠だ。
少しずつだが、セリアを引き摺りながら進んでいる。
「殿下は力を失っている筈なのに…」
「どこからこんな力が?」
「恐らく負の魔力の影響だろう
身体強化と同じ様な状態なんだろう」
「身体強化…
それでこんな力が?」
ギルバートが向かう方向は、アーネストが異様な気配を感じた場所がある方向だ。
考えられるのは、教会の跡地に何かがあるのだろう。
そしてその何かが、ギルバートに影響を与えているのだ。
「気を付けろ
何者かがギルに…」
「アーネスト様
それは先程の?」
「ああ
恐らくそうだろう」
兵士も方角に気付き、警戒をする。
あれだけアーネストが警戒していたのだ。
この現象に関係してるのは明白だろう。
「着いて来い!
お前達はギルを押さえておいてくれ」
「へ?」
「あ!
お待ちください」
数名の兵士を残して、アーネストは教会の跡地に向かう。
そこに何かがあるのなら、ギルバートが接触する前にどうにかするしか無い。
しかしギルバートをこのまま放置出来ないので、兵士に押さえる様に頼んだのだ。
単に操られて向かおうとしているだけなので、兵士でも押さえるぐらいは出来るだろう。
その間に、元凶をどうにかするのだ。
「アーネスト様
何か知っているんですか?」
「分からない
分からないが…
原因はあの廃墟だろう」
「それはそうでしょうが…」
「勝算はあるんですか?」
アーネストは首を振って否定する。
「何も分からないんだ
しかしどうにかするしか…」
「くっ」
「そうですね」
兵士達も、今はただ着いて行くしか無かった。
何が原因か分からない以上、先ずは調べるしか無いのだ。
「ここだ!」
「これは?」
「何なんですか?」
そこは教会跡だと言ったが、今は薄っすらと青白く輝いている。
恐らく周囲を囲う光は、教会を囲んでいた塀の跡だろう。
そして教会の輪郭をなぞる様に、青白い光が覆っている。
「きょう…かい?」
「ここは教会だったんですか?」
「ああ
しかしこんな見える様にするだと?
一体何の意味が?」
アーネスト達は青白く浮かび上がる、教会の幻に近付く。
そして入り口から中に入って行く。
周囲の光にどんな影響があるか分からないので、入り口から入ったのだ。
「気を付けろ
光に触れたらどんな影響があるのか…」
「え?
大丈夫みたいですよ?」
「は?」
兵士の一人が、不用心にも光に触れていた。
しかし何も影響が無いのか、そのまま首を傾げる。
「別段熱くも無いですし
何もありませんよ?」
「お前なあ…」
「不用心にも程があるだろ」
仲間の兵士達も、彼の軽率な行動に批判する。
しかし彼の行動は、この状況では救いだった。
この不気味な光が、実は無害だと分るのは助かる。
それでアーネストは、光が一際強い祭壇に向かって進む。
そこには光の中に、地下への階段が隠されていた。
「どうやら地下がある様だな」
「先ほどは無かったのに…」
「何だか不気味ですね…」
アーネストは意を決すると、地下への階段を下り始めた。
中はひんやりとして、外よりも寒い気がする。
しかしそれは気持ちの問題で、むしろ地下の方が暖かかった。
「何でしょう?
ここは?」
「魔導王国時代には、地下に霊安室なんて無かった筈だ
これは一体…」
魔導王国では、死は天上の王国への旅立ちと考えられていた。
だから死者は、速やかに街の教会で焼かれていた。
そうする事で死者が迷って死霊になる事を防げるし、天上の王国で肉体を得られと考えられていた。
だから遺体を一旦安置する様な、霊安室の様な物は作られなかったのだ。
「霊安室ですか?」
「ああ
魔導王国では、死者はすぐに教会で、魔法の炎で焼かれていたんだ
だから遺体を安置する必要は…」
「うい?
い、い、遺体の安置?」
「馬鹿
ここは数百年放置されてるんだぞ
今さら遺体が残されていても…」
「ははは…
そ、そうだよ…な?」
兵士の中には、そういった話が苦手な者も居る。
しかしそれなら、何で着いて来たとアーネストは呆れる。
「そんな事じゃあ騎士にはなれないぞ」
「はははは
怖がるなよ」
「う、うるせえ…」
階段を下り切ると、そこは砂岩では無く石で囲まれた広間になっていた。
この地下には教会の敷地と同じぐらいの、広い空間が広がっていたのだ。
そして奥には、さらに先に続くと思われる扉が見えた。
「ここは?」
「霊安室?」
広間の中には、膝の高さの石が並べられている。
それは滑らかに切断されて、まるで石のベッドが並んでいる様だった。
大きさは人が寝転ぶのに十分な大きさで、まさに霊安室といった雰囲気だった。
ガチャリ!
「何だ?
騒々しい」
奥のドアから、襤褸のローブを纏った人物が現れる。
声の様子から、初老の男と思われた。
「何者だ?」
「それはワシのセリフだ
貴様らこそ何者だ?」
「私はアーネストと申す者
クリサリス聖教王国より帝国の帝都に向かう旅の途中だ」
「帝都?
随分と道筋が違うが?」
「ああ
途中で盗賊紛いの貴族に狙われてな」
「ああ
カラガンはまだ性懲りも無く…」
「知っているのか?」
「ああ」
襤褸を纏った男は、愉快そうに肩を震わす。
「奴の事なら…
それこそ子供の頃から…
いや、奴が生まれる前からしっておるぞ」
「何?」
「ワシがここに居を構えてから、それこそ50年近く経っておるからな」
「貴様がここを作ったのか?」
「ああ
ここはワシのお気に入りでな」
アーネストは男を警戒して、懐のポーチから杖を取り出す。
男はその様子を見て、ゆっくりと首を振る。
「そう警戒するな
その気になれば、お前達は数秒でワシのコレクションの仲間入りなんだぞ」
「死霊魔術師…
まさかムルムル?」
「ほう?
ワシを知っておるのか?」
男は驚いた様子をするが、すぐに頷く。
「ふむ
そういう事か」
「貴様のせいで…」
「まあ待て
あの青年を苦しめているのはワシでは無い」
「何を今さら…
ん?」
「ああ
地上の様子は理解した
彼に影響していた魔力は抑えたから、今頃は収まっているだろう」
ムルムルはそう言うと、指を鳴らす。
地面から石の椅子がせり上がり、ムルムルとアーネスト達の側に現れる。
「さて
どうしてこうなったのか話してもらえんか?」
「き、貴様…」
「止せ
奴には敵意は無いらしい」
「アーネスト様
しかし…」
「腹立たしいのはオレもだ
しかしここで戦っても意味が無い」
「意味が無いだなんて…
そもそも奴が王都を襲わなければ…」
「女神様だ
それとも…」
「女神様に似せた…ナニカだな」
ムルムルの言葉が、冷たい霊安室に響く。
女神に似たナニカ、それがムルムルの感想だった。
しかしそれは、あくまでもムルムルの言い分だった。
「お前達魔王は、女神の使徒では無いのか?」
「ああ
その筈なんだよな」
「じゃあ何故?」
「ワシも分からん
しかしワシ等は、確かにアレを女神だと判断していた
そして忠実に、アレの命令に従っていたのだ」
「何でだ?」
「さあ?
分からん
むしろワシの方が教えて欲しいぐらいだ
アレは本当に女神なのか?
それとも女神を騙る別のナニカなのか?」
ムルムルは困った様に、アーネストに独白する。
「女神様かどうか…分からないって事か?」
「ああ
シンプルに言えばそうだ」
「なあ
そのシンプルって…」
「ああ
知らないのか
魔導王国の言葉で、簡単にって意味だ
つまり、女神かどうか分からん」
ムルムルの言葉に、アーネストは混乱する。
魔王は女神の使徒で、女神の命令で人間を滅ぼそうとしていた。
その大元が、人間の愚かな行いが元凶で、彼等魔王もその被害者な筈だ。
しかしその女神が、そもそも本物の女神化が分からないと言うのだ。
「しかし…
そのう…」
「あん?」
「あんた等魔王は、女神様に救われて魔王になったって…」
「そうだ
確かにあの時は、あのお方は女神様であったよ
少なくともワシはそう思った」
「それなら何故?」
ムルムルは頭を振りながら答える。
「分かんねえよ
あれは確かに女神様だと感じた
しかし姿形は同じだが…何か違うんだ
何かがな」
「それが女神様じゃ無いと?」
「ああ
そもそも本物の女神様なら、あんな非道な行いは…
ってワシが言えた事じゃあ無いがな」
ムルムルにしても、ザクソン砦や王都の事がある。
それが復讐の為とは言え、多くの人を殺めて来たのだ。
彼にしても魔王ではあるのだが、後ろ指差される様な生き方をしている。
女神の意思とは関係無しに、復讐に手を染めて来ていたのだ。
「ワシも好き勝手やってきた
それこそ復讐の為に、罪の無い人々を…」
「ああ
聞いたよ
ザクソン砦では…」
「あれは別だ
奴等は腐っていた
それこそワシが連れる死霊よりもな」
「しかし中には…」
「いや
見て見ぬふりをしてる時点で、何ら変わらんさ
あいつ等あれから50年も経つのに、何も変わっちゃいねえ」
ムルムルからすれば、腐った貴族や騎士の行いを、黙って知らん顔をする住民も同罪なのだろう。
彼等の行いは、今も昔も変わらない。
力無き者を利用して、自らの私腹を肥やす為に食い物にする。
その結果が、奴隷として捕らえた者達を盾にする戦法だった。
まあ、それを平然と殺した帝国貴族も、あまり変わらないとは思うが。
「帝国貴族だって、あんた等を見殺しにしたんだろ?」
「ああ
そもそもワシ等を売ったのも、その帝国貴族達だがな」
「それじゃあ…」
「その貴族共にも復讐はしたさ
ここはその為に用意した場所だ」
「え?」
ムルムルはここで、帝国のあちこちに死霊を送った。
しかしアーネストはその事を知らない。
まさかここが、そんな場所だという事も知らないのだ。
「ここはな…
ワシが死霊を生み出して、帝国の馬鹿貴族共に送り込む為の場所だった」
「それじゃあこれは…
霊安室なのか?」
「霊安室?
そうだな…
そうなのかも知れないな」
ムルムルはしみじみと呟くと、磨き上げられた石を撫でる。
「だが、それも終わった」
「終わった?」
「ああ
復讐を果たす相手には、存分に仕返しをしてやった
後はここで、のんびりと朽ち果てるつもりだった」
「そんなこと言って、お前は魔王なんだろ?
女神様の命令が下れば…」
「ああ、そうだったな」
ムルムルは思い出した様に、静かに首を振る。
「くそっ
どうにかならないものか?」
「女神様には逆らえないのか?」
「ああ
あれが本物かどうかなんてどうでも良い
叶う事ならば、ワシはここで静かに朽ち果てたい」
「ムルムル…」
アーネストは初めて、この魔王の気持ちが理解出来た気がした。
彼は復讐を果たして、今さらながら後悔しているのだ。
だからこそ、これ以上人間を殺す事を拒絶していた。
しかし、それは拒絶出来ない事なんだろう。
「さあ
ここがどんな場所で、ワシが何者か分かったのだ
もう用事は無いだろう」
「ムルムル!」
「うるさい
これ以上留まると言うのなら、ワシの理性が…くっ」
ざわりと周囲の魔力が、不意に冷たく重たい物に変わる。
「早く立ち去れ」
「しかし…」
「北の橋なら残されておる
そこから帝都に向えるだろう」
「ムルムル!」
「良いな!
ここには二度と踏み込むな
ワシの理性にも限度がある」
「アーネスト様」
「これ以上は危険です」
アーネストは兵士に担がれて、暗い地下の広間から連れ出される。
そして兵士が出ると同時に、地下への階段は消え失せていた。
まるで先ほどの事が、夢の中の出来事の様に。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。




