第400話
マリアーナは、帝国の皇族であるロマノフ家の生き残りであった
だからこそ、周りからは皇女として帝国の立て直しの旗頭にされていた
そんなマリアーナが、聖女として目覚めたのはつい数年前の事だった
そして勇者の称号も授かった事から、彼女はますます崇められる事となった
そんな彼女に、王国からの使者が会いに来る事になった
マリアーナ事マリアは、公爵から告げられた言葉に激しく動揺する
王国からの使者は、彼女との婚約が目的だと言うのだ
今まで年の近い男達からも、皇女として扱われていた
それが急に、婚約の為に若くて有能な魔術師が来ると言うのだ
マリアは顔を真っ赤にして、思わず大声を上げる
「ええ!
無理無理無理!
私が結婚だなんて!」
「マリア…」
「姫様
姫様も年頃なんです
本来なら皇帝になる人物と、婚約していてもおかしく無いんですぞ」
「そんな男の人なんて居なかったでしょう
そもそも叔父様や爺ぐらいしか、まともに話した事も無いんだよ」
マリアは動揺して、素で両手をブンブン振って拒否をする。
碌に男性と話した事も無いのに、いきなり婚約など無理だと思ったのだ。
「それはお気の毒ですが…
しかしわざわざ、王国から使者としていらっしゃるんですぞ
それに若くて有能な魔術師と聞いております」
「マリア
私は良い話だと思うが?
お前は皇女にはなりたく無いんだろ?」
「アンネリーゼ様…」
「無理無理無理!
だからと言って、いきなり婚約とか
マジで無理だから」
マリアの様子を見て、二人共肩を竦めて困った顔をする。
それに公爵としては、出来ればこの話は断りたかった。
まだマリアを皇女にする事を、諦めていないからだ。
マリアが皇女として立ち上がれば、反対する貴族達も従うしかない。
そうすれば、少なくともこの首都跡の辺りだけでも、部族を纏めて結束する事が出来る。
それがやがて、帝国の復活に繋がると、公爵は信じているのだ。
いや、アンネリーゼを始めとして、多くの者がそう信じていた。
「では、どうされますか?
国交の件も断られますか?」
「いいえ
使者は受け入れましょう
今は少しでも、我が国には食料が必要です」
「そうですな
しかし…」
マリアの代わりに、アンネリーゼが使者を受けると答える。
公爵はそれには賛同するが、婚約の件には難色を示す。
「ワシも婚約の件には…」
「わたしが断る」
「マリア?」
「そんな国交を盾に婚約を迫るだなんて
私が引っ叩いてやるわ」
「それはそのう…」
「止めさせた方が良さそうね」
それから二人は、マリアを必死に説得する。
使者を公衆の面前で引っ叩くなど、国の信用に関わる問題になるだろう。
何とか説得して、国交の話だけをする事とする。
聖女に会いたいと言われれば、適当に誤魔化すしか無いだろう。
二人はそう結論付けて、マリアを説得するのであった。
「どうして駄目なの?」
「そりゃあ理由はどうあれ、国賓として招く相手だ
如何な理由があろうとも公衆の面前で引っ叩くと言うのは…」
「それじゃあ誰も周りに居ない間に…」
「いや、そもそも使者を引っ叩くという発想が…」
「そうよ
相手は国賓なのよ
普通のその辺の男なら…」
「おいおい
物騒な話は止せよ」
妹が妹なら、姉も姉だった。
二人揃って、発想が脳筋よりな発想だった。
公爵は首を振って、二人の方を向く。
「兎に角、使者をどうこうするって話は無しだ
折角の国交の話がパアになる」
「それはそうですが…」
「じゃあどうするんです?
私はそんな知らない男の所になんて…
知り合って恋をしたとかなら兎も角…」
「え?」
「え?」
マリアーナがもじもじとしながら、ボソリと呟く。
それを聞いて姉は驚き、公爵は頭を抱える。
「いや、好きになったなら…
そりゃあ結婚でも何でも構わないわ」
「マリア
それはちょっと…」
「そんな事はどうでも良い
兎に角、マリアーナには隠れていてもらう
それで用事で出ている事にする」
「それじゃあお見合いの話は…」
「それは…」
「叔父様?」
公爵としては、国の結び付きを強める為にも、マリアを婚約させたかった。
しかし姪の気持ちを考えれば、それは悪手でしか無かった。
それにマリアには、皇女として帝国の再建の旗頭になって欲しかった。
だからこそ公爵は、マリアを会わせない事にした。
「向こうの思惑は、まだはっきりと分からない」
「え?
だって叔父様もお姉さまも
さっきその男の人の目的は私だって…」
「え?
ああ…まあ…」
「確かにそうだと思うわ
それ以外に考えられないもの」
「だって遣り手だって言っても、相手は若い魔術師でしょ?
そんな奴が国交の為に使者ですって?
考えられ無いわ」
「それはそうだろうが…
果たしてそうなのか?」
公爵もこの外交が、ただの国交の回復だけとは思っていない。
しかしそれは、王国に何も問題が起こっていないという考え方だったからだ。
だから見当違いな、王国が聖女を欲しているという考えを導き出していた。
そうである以上は、今は聖女をどうにかして使者に会わせない様にするしか考えていなかった。
「まあ、それも使者が来れば分かるだろう
単に物好きで聖女を見たいと言うのか?
それとも何とか聖女を手に入れたいという考えなのか
いずれにしても…」
「そうね
使者を迎え入れるのか?
それが問題ね」
「ああ
どうする?」
改めて侯爵に問われて、二人は考え込む。
「いずれにせよ、これは受けるべきなのよね?」
「お姉さま!」
「マリア
これはチャンスなのよ
このままでは私達は、遠からず自滅する事になるわ
それはお父様たちも望んでいないでしょう」
「でも…」
「使者の事は、ワシが責任を持ってなんとかする
それでどうかな?」
「叔父様…」
公爵の最終的な譲歩に、マリアの気持ちは揺れる。
使者の思惑は気に食わないが、国民の事を考えれば、これは受けるべきなのだろう。
その上で、見合いだか何だかの思惑を、何とかすれば良いのだ。
「分かったわ
その話、受けましょう」
「おお
それでは…」
「ええ
使者は受け入れます、しかし私は、皇女として出ましょう」
「良いのか?
バレると厄介だぞ
それなら最初から、ワシが…」
「いいえ
逃げ隠れするのは私も性に合わないです
それに使者とお話するのなら、相応の者が交渉に立つべきです」
「そうだが…
ううむ…」
マリアはその男の顔を見てみたいと思っていた。
どういう勝算があって、自分を手に入れれると思っているのか?
その生意気な男を見てみたいと思っていた。
そして可能なら、その男を負かしてやろうと思っていた。
勿論叔父の言う様に、腕力で勝負を付けるのでは無い。
交渉で言い負かすつもりだ。
「大丈夫なの?」
「私も皇帝の娘です
父ほどでは無いにしても、簡単に敗けるつもりはありません
それもそんな浮付いた動機の男になんて…」
「そう
それなら私からは、これ以上は言わないわ
叔父様」
「うむ
使者には承諾したと伝えるぞ」
「はい」
「よろしくお願いします」
二人からの賛成を得て、公爵は満足そうに頷く。
そして使者に、国交を結ぶ契約をする為にお越しくださいと返事を認めた。
「後は使者が来るのを待つだけじゃな」
「そうですね
しかしこんな話を、あの卑怯者が見逃しますかね?」
「カラガン伯爵か?
しかし奴とて、帝国の一貴族でしか無いぞ
姫の決定に不服でも、反対は出来まい」
「そうでしょうか?
むしろ分からないフリをして、その使者を殺しませんか?」
「まさか?
そんな事をすればどうなるかぐらい、あいつも分かっているだろう?」
公爵はそう思っていたが、二人は納得していなかった。
そこで使者に、帝国の賓客と分かる様にする事にした。
「叔父様
隊商が証を持っていますよね?」
「ん?
交易用の証明書か?」
「ええ
その使者達に、交易証を渡しませんか?
そうすれば、伯爵も迂闊には手出しが出来ないのでは?」
「どうかな?
あいつなら、そんな物を持っていても、偽物だと言って切り殺そうとすると思うが?」
アンネリーゼの言葉に、公爵は首を振って否定する。
公爵の知っている伯爵なら、対等な国交など認めないだろう。
その上で、王国を下にする隷属の関係で、王国を従わせようとするだろう。
「それでも、何もしないよりはマシでしょう?」
「分かった
使者に渡る様に、交易証を作成するよ」
公爵はそう言うと、部下に羊皮紙を持って来させた。
そこに交易の許可の旨を記し、皇家の紋章を刻み込む。
これでこの証を持つ使者は、入国を自由に出来る事になる。
「この書類を使者に渡す様に言ってくれ
それとカラガン伯爵には気を付ける様に言伝を」
「はい
それでは渡して参ります」
兵士に書類を渡して、伝えに来た使者に手渡す様に指示をする。
「これだけ手を尽くしたんだ
これで使者に何かあっても…と言いたいが」
「カラガンなら皇家の責任にしたがるでしょうね」
「ああ
気を引き締めて掛からんとな」
「はい」
「場合によっては、カラガンの領地に兵を差し向ける」
「良いのですか?
それこそ越権行為だと騒ぎ出しますよ?」
「だろうな
しかし使者を害されて、王国との関係を悪化させる訳にはいかん
最悪の場合は実力行使するまでだ」
「叔父様…」
「なあに
こっちも魔物と戦い慣れた兵士が居る
温室育ちのあのガキに、好き勝手はさせんさ」
公爵はニヤリと笑い、兵士の手配を始める。
カラガン伯爵は、帝国の西の国境を支配する貴族だ。
公爵より年は若いが、奸計で伸し上がって来た貴族だ。
油断のならない貴族だが、位階としては公爵より下になる。
それに公爵の領地には、皇家の姫も居るのだ。
大義を掲げるのなら、公爵の方に分があった。
「どうしても姫の命に従えず、勝手な事をする様なら、ワシも本気を出すまでじゃ」
公爵は好戦的な言葉を呟き、拳を打ち鳴らす。
歳は取っていても、帝国の軍人貴族の生き残りだ。
並みの貴族に敗けるつもりは無かった。
「奴が使者に手を出そうとすれば、ワシが打って出る
姫様達はここでお待ちください」
「大丈夫なのか?」
「私が出ても良いんですよ」
「それはなりません
そうすれば、あいつは姫の命を狙って来るでしょうな
まだ帝国を手にする事を、諦めていない様ですから」
カラガン伯爵は、帝国が滅びようとする際に、多くの兵士を集めて出奔した。
その目的は、隙あらば帝国を乗っ取ろうと画策していたのだ。
しかしロナルド将軍が残ったので、その目的は果たせず終いだった。
代わりに王国攻略を目的とした騎士達の多くを、敗走途中に殺していた。
それは後に、帝国を乗っ取る際に邪魔になるからだ。
伯爵は誤魔化せたつもりでいたが、他の貴族達も気付いていたのだ。
多くの騎士達が、ザクソン砦や竜の顎山脈で敗走した事を。
それは王国の兵士が奮戦したり、魔物の横槍があったからだ。
しかし何よりも酷い打撃を与えたのは、伏せてあったカラガン伯爵の兵士が襲い掛かった事にある。
その奇襲攻撃が、騎士達が故郷の土を踏めなくさせた要因だったのだ。
「あいつには、ワシ等も煮え湯を飲まされておる
王国に殺された事になっておるが…
騎士団の半数近くは、帝国に帰還する際に殺されておる」
「ええ
それを裏で行っていたのが、あの卑怯者ですね」
当時の皇帝は、カザンで休戦協定を結んで帰還していた。
そこを謎の軍が襲い掛かり、皇帝もその場で崩御した事になっている。
しかし王国軍は、その時はカザンを越えていなかった。
そこに居たのは、領地で控えていた筈の伯爵の兵士だったのだ。
彼は皇帝を襲ったのは、卑怯にも休戦を申し出て、油断させた王国軍だと主張した。
しかし王国軍は、そんな事はしていないのだ。
証拠は無く、皇帝の遺体や遺品も見付からなかった。
全ては伯爵が、こっそりと奪い去ったからだ。
「奴はあの時、皇帝の金印を奪い損ねている」
公爵はそう言いながら、姫の手元に目を向ける。
伯爵の軍に狙われる直前に、帝都に向かった兵士が預かっていたのだ。
もしもを考えて、皇帝は遺族である姫達に金印を与えることにしたのだ。
それは皇帝が、伯爵の裏切りに気付いていたからだ。
「皇帝陛下の機転が、帝国の完全な滅びを食い止めた
しかし代わりに…」
「奴は父上だけではありません
お兄様達の敵でもあります」
皇帝を守る為に、第二皇子も殺されていた。
そして第一皇子は、帝都の近くで皇帝を救う為に派遣された軍の兵士達に殺された。
その兵士達も、恐らくは伯爵の息が掛かった者達だったのだろう。
しかし証拠が見付からず、追及される事は無かった。
公爵達が事実を知ったのは、カザンからの隊商が来たからだ。
彼等は危険を冒して、砂漠を越えて来た。
その際に、王国の実情や戦場での出来事を、公爵に伝えたのだ。
「思えば…
他の皇子の不審死にも、奴が関わっていたのかも知りませんね」
「そうですね
私が奴の本性に気付いていれば…」
しかしアンネリーゼにしても、当時は確信を持てないでいた。
伯爵は軍部にも繋がりを持ち、裏で暗躍していたのだ。
全ては皇帝の座を奪い、他の継承者を殺す事が目的だったのだ。
そうすれば、上手く帝都を押さえれば皇帝の座も目の前だったからだ。
「アンネリーゼ様の責任ではございません
あの時は、誰も奴の本性に気付いていませんでしたから」
公爵はそう言って、アンネリーゼの前に進み出て、その肩を優しく叩く。
「アンネリーゼ様のお気持ちも分かります
しかしここは、ワシに任せてもらえませんか?」
「そうだな
今の私は、身一つで守られている身だ
叔父様に頼むしか無いんだろうな」
「ああ
ワシに任せろ」
公爵はそう言うと、ニカっと笑って力瘤を作って見せた。
その姿は、とても50代の壮年の男には見えなかった。
まだまだ続きます。
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