第365話
森の中を彷徨っていた避難民達は、焚火の灯りを見付けた
既に疲れ切った頭は、思考する事を拒否していた
普通に考えれば、こんな所で焚火をする者に、まともな者は居ないだろう
むしろ魔物が火を焚いていると考えるのが普通だ
しかし彼等は、吸い寄せられる様に進んで行った
それはおよそ、真っ当な人間には見えなかった
剣を腰に下げてはいるが、兵士にしては動きが隙だらけだ
それは避難民達が、灯りを目指して来たのにも気付いてない事からも確かだろう
その割には、傷付いた者も多く居た
あまりにもちぐはぐな一行を見て、避難民達は呆然としていた
「ん?
何だお前等は?」
「あんた達こそ何もんなんだ?」
「こんな所で焚火だなんて、魔物が怖く無いのか?」
魔物と聞いて、一瞬だけ男達の雰囲気が変わった。
しかし奥に座る男の発言で、すぐにその場の空気は戻った。
「魔物ねえ
私は王都の偉大な貴族なんだよ
そんな私に敵うと思うかい?」
「そうだなあ
エドワルド様がいらっしゃったから、オレ達はこうして無事なんだ」
「おい
貴族だって」
「それじゃあ私達…」
避難民達は助かったと思った。
素性は知らないが、相手が貴族であるのなら、守ってくれるだろう。
それに帯剣している者ばかりなので、避難民達も安心していた。
避難民達は相手が貴族と聞いて、安心していたのだ。
「私達は東に逃げるつもりです
あなた達はどうしますか?」
エドワルドはわざとらしく、優しい声で避難民達に聞く。
避難民達は、すっかり消耗しきっていた。
だからエドワルドの言葉に、喜んで従う事にした。
「では私達も東に逃げます
一緒に連れて行ってください」
避難民の言葉に、エドワルドはニッコリと微笑んで頷く。
「勿論ですよ
国民のみなさんを守るのが、私達貴族の務めです
ねえ、みなさん」
「ええ」
「へへへへ」
兵士達は下卑た笑みを浮かべて、避難民達を見ていた。
しかし避難民達は、エドワルドに心酔していた。
彼の言葉に感激して、着いて行こうと思っていた。
「それでは、朝になったら移動します
みなさんは焚火の側で休んでください」
「はい
ありがとうございます」
エドワルドだけは天幕に入り、兵士達も焚火の側で仮眠する。
季節は秋に入り始めたが、まだ夜はそこまで寒くは無かった。
まだ焚火の側に居れば十分暖かかった。
避難民達は身を寄せ合う様に、焚火の近くで寝ていた。
「エドワルド様
あいつ等はどうされます?」
「ん?
そのまま連れて行くが?」
「そうじゃ無くて、折角女も居ますんで…」
「馬鹿
手は出すなよ」
「へい…」
天幕の中で、兵士はこっそりとエドワルドに確認していた。
逃げている状況なので、ここには女性が居なかったのだ。
しかしエドワルドには、考えがあった。
「上手く町に着ければ、奴隷として売る事も出来る」
「はあ…」
「それに魔物が出た時に、代わりに差し出せるからな」
「そりゃあそうですが…」
「下手に手を出すと、逃げられるぞ」
「へい…」
「いいから、今は我慢しろ」
「分かりやした」
兵士に手を出さない様に指示をして、エドワルドは眠った。
このまま町に逃げ込むにしても、まだ油断は出来ないのだ。
いざとなれば、避難民を魔物に差し出して逃げる。
その為には、避難民が逃げ出さない様にする必要があるのだ。
この時逃げ出していれば、避難民達は王都に逃げ込めていた。
そうすれば、巻き込まれる事も無く助かっていたのだ。
しかし彼等は、判断を誤ってしまった。
散々魔物に追い掛けられていて、森で偶然にも貴族に会えたのだ。
だから彼等が縋ろうとする気持ちも、分からなくは無いだろう。
エドワルドは朝になったところで、森を出て公道に向かった。
そのまま公道に沿って、東の町に向かうつもりだった。
東の町の領主とは面識が無いので、上手く誤魔化せると思っていたのだ。
まさかその間に、王都の奪還に向かっているとは思っていなかったのだ。
「このまま向かえば、エルメネアス男爵の町がある
しかしそこでは小さいから、ザクソンまで行こうと思う」
「え?
何でザクソンまで?」
避難民からすれば、近くにあるのならエルミナスの町で十分であった。
しかし子爵からすれば、エルミナスでは不便だと感じていた。
規模が小さいのもあるが、何よりもバルトフェルドに対抗する兵力が無いからだ。
バルトフェルドに攻められた時に、自分の側に立ってもらって戦ってもらう。
その為にはエルメネアス男爵では不十分なのだ。
「ザクソンのザクソン伯爵なら、何かあっても兵力がありますからね」
「兵力ですか?」
「ええ
彼の領地は高台にあります
それにバルトフェルドと同等の兵士を抱えています」
「え?
バルトフェルド様と?」
「それは心強いですね」
西の守りの要であるバルトフェルド侯爵。
それと同等の、ザクソンの砦を守るザクソン伯爵。
そう聞けば、避難民達も頷くしか無かった。
ここからザクソン伯爵の砦までは、徒歩では2日近く掛かる。
しかし子爵に説得されて、避難民達も従った。
そうして魔物に怯えながら、子爵に従って公道を進む。
幸い魔物が出なかったので、順調に進んでいた。
夜を迎えて、子爵は再び森の中へ入る。
公道に比べると、簡単に焚火用の薪が手に入るし、見通しが悪いからだ。
子爵はよっぽど自信があったのか、魔物が出易い森に入る事を躊躇わなかった。
それは自分が、今まで生き延びていたからだろう。
だから魔物が現れても、恐れずに兵士に指揮をしていた。
「子爵様!
魔物が!」
「おい!
さっさとその醜い化け物を殺せ」
「へい」
子爵の兵士は、剣を引き抜くと魔物に切り掛かった。
何故か魔物は動きが遅くて、簡単に切り倒されていった。
「へっ
こんな魔物に殺されるなんて、王都の兵士も大した事ねえな」
「そうだな
あんな腰抜けなんかと比べれば…」
「果たしてそうかな?」
不意に低い声が聞こえて、兵士達は周囲を見回す。
「な、何だ?」
「誰だ?
出て来い」
「ふふふふ
ここに居るよ」
「!」
「な!」
兵士達が振り返ると、いつの間にか焚火の側に、襤褸を纏った男が立っていた。
「貴様!
何者だ!」
「ふふふふ
良いのかい?
私よりも魔物に集中するべきじゃ無いのか?」
「馬鹿な
魔物は死んで…」
兵士達がそう言っている間に、切り倒された筈の魔物が起き上がる。
「な、何!」
「そんな馬鹿な
確かに切り倒したぞ」
「ほらほら
動き出したよ」
魔物は切られたままの姿で、ゆっくりと向かって来る。
腕や肩を切られているのに、そのまま平然と向かって来るのだ。
その姿をよく見ると、生気の無い表情をしていた。
「死なない?」
「そんな馬鹿な」
兵士は混乱していた。
子爵も恐怖に顔を引き攣らせて、近くに居た男に手を伸ばす。
「お前
行って時間を稼ぐんだ」
「え?
あうっ」
子爵が男を蹴飛ばして、魔物の目の前に倒れさせる。
「ちっ
やはり人間は救えないな」
襤褸を着た男は、舌打ちをして手を振るった。
魔物はそれに反応して、再び兵士の方へ向き直る。
「貴様がこいつを操っているのか」
「死ね…」
ガキン!
いつの間にか現れたのか、フードを被った男が立っていた。
彼は素早く剣を引き抜くと、兵士の剣を軽々と受け止めていた。
「な!」
「気を付けろ
囲まれている」
気が付けば、フードを被った男達が、周囲を囲んでいた。
「貴様等何者だ!
私をエドワルド子爵と知っての事か!」
「ああ
知っているよ
王位を簒奪した愚か者の一人だ」
「え?」
「王位を簒奪?」
「貴様…」
フードを被った男の言葉に、避難民達は困惑する。
そしてここに至って、子爵の名前を思い出していた。
「あ!
エドワルド子爵って宰相になったって…」
「王家を簒奪だって?」
「それじゃあ国王を名乗っていたのも…」
避難民達の視線が、険しく冷たい物に変わる。
それを睨み付ける様に、子爵は手を振り回して叫ぶ。
「うるさいうるさい、うるさーい!
こいつ等全員、殺してしまえ」
「しかし…」
「子爵…」
兵士は魔物とフードを被った男達を、交互に見ながら構えている。
しかし魔物は死なないし、フードを被った男達は手強そうだった。
どうしたものかと、互いに顔を見合わせる。
「ふん
どうやら腰抜けばかりだな」
「な、なにを…」
「くそっ」
襤褸を着た男に貶されても、兵士達は身動きが取れなかった。
それだけフードを被った男達の実力は高いのだ。
「お前達!
何をしているんだ」
「子爵」
「こいつ等相当な実力者です」
「迂闊に動けません」
「何を…」
子爵がなおも罵ろうとした時に、フードを被った男の一人が呟く。
「そんなに言うのなら、貴様が掛かって来たらどうだ?」
「何だと?
この…ん?」
「尤も、私が気絶していても、部下に殺させようとしたぐらいだ
そんな度胸は無いか」
「その声?
馬鹿な!」
子爵は顔色を変えて、ガクガクと足を震わせていた。
「そんな馬鹿な
奴は死んだ筈だ」
「そうだな
王城から連れ出して、殺す様に指示をしたからな」
「あり得ない!」
「あり得ない…ねえ」
フードを被った男は、ゆっくりと子爵に近付く。
「ひ、ひいっ」
「貴様だけは
貴様だけは殺しておかねばならん」
「そうだな
私の邪魔をしたしな」
襤褸を着た男も、頷いてその意見を肯定する。
「た、助けてくれ
私は悪くない
悪いのは…」
「見苦しい!」
「やめぶひゃ!」
ザシュッ!」
子爵は頭から真っ二つにされて、その場に倒れた。
「ひいっ」
「助けて」
「お願いします、子供だけは…」
避難民達は、子爵の死を目の前にして悲鳴を上げる。
成人前の子供も居たが、恐怖で泣き出していた。
「行け!
町はそう遠くは無い」
「ひっ」
「はひ」
避難民達は這う様にして、森から出て行った。
残されたのは子爵の兵士だけだが、彼等は身動きも取れなかった。
「ゴクリ」
「我々を…どうするつもりだ」
「ムルムル
約束は守る」
「ああ
他の人間は君が逃がしたからね
こいつ等は貰って行くよ」
「ああ
好きにしろ」
フードを被った男は剣を仕舞い、興味を無くした様に後ろを向いた。
他のフードを被った男達も、そんな彼の周りに集まる。
まるでこれから起きるであろう惨状を、見たくないといった様子だった。
「さて
君達にはこれから…
楽しい楽しい時間が待っているよ」
「な、何をする気なんだ」
「ぐふふふふ…」
「悪趣味な」
「そう言うなよ
私にとっても、これは復讐なんだから」
襤褸を着た男は、ゆっくりと兵士達に近付く。
しかし兵士達は、金縛りにあった様に動けなかった。
「ひいっ」
「来るな!
来るな来るな来るなー!」
「ひぎゃー!」
「ぐべろうっ!」
「大丈夫
痛いのは最初だけだから
先っちょが入れば、後は気持ち良くなるからね」
森の中に、暫く絶叫が響き渡った。
フードを被った男達は、それを見ない様に耳を塞いで目を背けていた。
避難民達にも、その絶叫は聞こえていた。
だからこそ、そのまま夜通し走っていた。
フードを被った男が示した方角を目指して、直走りに走って行った。
やがて夜が明ける頃には、遠くに町の灯りが見えて来た。
ザクソン伯爵の砦のある、ザクソンの街の灯りであった。
その後に避難民達は、ザクソンも街に保護された。
しかし避難中の行動に関しては、記憶が混同していたとされた。
エドワルド子爵が逃げたという記録も無く、森に潜んで居た理由も分からなかったからだ。
それに、謎の男達の事も問題だった。
正体が分からないし、目的も不明だった。
何よりも死なない魔物を引き連れていた事が、問題となっていた。
そんな化け物が存在する訳が無いとして、彼等が疲労から夢か幻覚でも見たのだとされた。
そういった経緯もあり、森には捜索隊も差し向けられなかった。
砦の兵士達は、東からの脅威に備えている。
それが在りもしないであろう魔物を探す為に、砦を空ける事は出来ないのだ。
だからザクソン伯爵も、それ以上は触れようとしなかった。
例え思い当たる事があっても、それを簡単には信じられ無かったからだ。
「伯爵様
それでは子爵の捜索は…」
「大方夢でも見ていたんだろ
そんな死なない魔物なんて…
居たらどうするんだ」
「そうですね」
「触らぬ魔物に危険は無い
そういう事だ」
伯爵はそう言って、溜息を吐く。
唯一の懸念は、祖父が戦ったという死人の軍勢だけだ。
彼の祖父が命を落としたのが、帝国との戦いである。
その時に死なない兵士の軍勢が、この砦を襲ったと記録がある。
しかし死なない兵士であって、魔物では無い。
だから伯爵は、それが間違いであると信じたかった。
「もし本当に居たのなら…」
「え?」
「何でも無い」
伯爵は自分の言葉を否定したかった。
嘗てこの地を襲った、魔物の災害の再来になるだろう。
そして魔物を制してくれた者は、今や亡くなっているのだから。
彼が生きていたなら…
いや、彼を殺したのは…
伯爵は陰鬱な気持ちを隠して、祖父の日記を手に取る。
そこに一編の物語が記されている。
帝国が滅びた時に残された、幾つかの物語の一つだ。
それが基になって、彼の家は帝国から伯爵の爵位を叙爵していた。
しかしそれは、知られては困る秘密の物語でもあった。
「何で今さら…」
そう伯爵は呟くと、日記を書棚に戻すのであった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。




