第322話
騎兵達は、夕暮れの公道を急いで駆けて行く
このまま日が暮れれば、城門が閉まってしまう
勿論門番も待機しているので、頼めば開けてもらえる
しかし真っ暗な王都の外で、魔物に襲われなければなのだが
馬に乗っている以上、松明は使えないのだ
南の城門では、いつもよりも遅くまで門が開けられていた
これはギルバートから頼まれた事で、昼過ぎに出て行った騎兵達を待っていたからだ
普段は諦める隊商達も、ここぞとばかりに灯りを目指して駆けこむ
既に周囲は薄暗くて、こんな時に外で野営などしたくは無いからだ
ギリギリ遅れていた隊商が入った後に、遠くから蹄の音が響き始めた
「殿下
どうやら帰って来たみたいです」
「よし
門を閉じる用意はしておけ
もしかしたら、魔物に追われているかも知れんからな」
「はい」
「弓の用意もしておきます」
「すまんな」
城門の上では、警備兵達が弓の用意をする。
下からは見えない様に、松明の灯りの下で構えている。
そして下に居る門番達も、長柄の武器を構えて用意する。
騎兵部隊と一緒に、魔物が中に入らない様にする為だ。
「見えてきました
騎兵達だけの様です」
「そうか
良かった」
「あいつら…
今度飯を奢らせないとな」
「それは私が用意しよう
なんせ私の我儘で動いてもらったからな」
「はははは
期待してますよ」
魔物の姿が見えないという事で、兵士達の緊張も解けていた。
雑談を交わしながら、騎兵が駆け込んで来るのを待つ。
しかし不意に、地面が振動するのを感じた。
「!!」
「何だ?」
「地面が…揺れる?」
「前方に影が…
大きい!」
斥候からの声も入り、城門では緊張が走る。
その間にも騎兵達は城門に近付き、一気に中に入って来た。
「どう!
どうどう」
「何だ!
あの大きな影は?」
「見た事も無いぞ?」
騎兵達もオーガの討伐は手伝った事がある。
だから影の大きさから、明らかにオーガで無いと察知していた。
広場で馬の向きを変えると、いつでも出られる様に身構える。
警備兵も門を閉じる事を忘れて、口を開けて影を見守っていた。
「魔物か?」
「くそっ
これじゃあ良く見えない
もっと松明に火を点けろ」
城門の上も、蜂の巣を突いた様な騒ぎになる。
魔物の姿を照らせる様に、慌てて松明に火が灯される。
そしてその明かりに、大きな顔が浮かび上がった。
ゴガアアア…
ビリビリビリ!
大気を振動させて、大きな吠え声が響き渡る。
その声は王都の中にも響き、広場で串焼きを売っていた、露店の天幕も吹き飛ばした。
「ひっ!
ひいい…」
露店の店主は震え上がって、路地の方にすっ飛んで行った。
王都の住民も、騒ぎに怯えながら遠巻きに見ていた。
「きょ…じん?」
「え?」
「うわあああ…」
混乱した兵士達が、矢を番えて放つ。
しかし混乱していたので、矢はとんでもない方向に飛んで行く。
そして当たったとしても、魔物の表皮に弾かれて落ちた。
ズシン、ズシン!
「デ、デカい…」
「何て大きな魔物だ」
魔物の上半身が、闇の中で松明に照らされる。
その姿は城壁の上にも、優に越えて見えていた。
4mの高さを誇る城壁も、5mほどもある魔物の前では無意味だった。
魔物の胸から上が、城壁の前に浮かび上がっていた。
「グボオオオ…」
もう一度魔物は吠えて、十分にその脅威を見せ付けた。
「くそっ
何て大声だ」
「あんな化け物まで居るのか」
「オデ、マオウノシモベ
コトヅデアズカタ」
「喋った??」
魔物は大きな声で、ゆっくりと話し始めた。
しかしこちらは無視して、一方的に話している。
「お、お前は何なんだ?」
「まおうって何だ?」
兵士達が質問しても、聞こえていないのか無視している。
そして暫く考える様な素振りをしてから、再び話し始めた。
「マオウ、コドヅデ
ヨツウン?
ツキガアカクナル
オデダチクル
タノジミニ、マデ」
巨人はそう言うと、振り返って去って行こうとした。
「待て
貴様は誰の配下だ?」
巨人は聞こえないのか、そのまま去って行く。
ズシンズシンと地面が揺れて、馬は恐怖で震えていた。
「くそっ
逃がすか!」
ギルバートが抜刀して、巨人を追い掛けようとした。
しかし声が響いて、その前進を止めた。
「待て」
「何でだ?
何でいけないんだ?」
「奴と戦うには、まだ準備が必要だ」
広場には騒ぎを聞きつけて、アーネストが来ていた。
その隣にはエルリックも来ていて、ギルバートを見て頷いた。
「エルリック?」
「アーネストに会いに来ていました
ちょうど良い機会です、向こうの酒場に来て下さい」
「先に行って待っている」
二人はそう言い残すと、そのまま広場の向こうに去って行った。
住民達はヒソヒソと話しながら、魔物の去って行った方を見ていた。
どう考えても、あの姿は見られているだろう。
ギルバートは溜息を吐きながら、住民を押さえる為に来ている若い警備兵を手招きした。
「すまない」
「はい
何でしょうか?」
「住民達に家に戻る様に伝えてくれ」
「ええ?
しかし…」
「魔物は去って行った
すぐに危険な訳では無い」
「そうでしょうが…」
兵士は恐れる様に、魔物が去って行った方を見ていた。
根が正直なのだろう。
巨人が恐ろしかったと顔に出ていた。
「君なら住民も納得するだろう
もしそれでも何か言って来たら、私が討伐に向かうと伝えてくれ」
「殿下がですか?」
「ああ
あんなの私一人でも十分だ」
「そ、そうですか…」
まだ何か言いたそうにもごもごしていたが、やがて顔を上げると兵士は言った。
「分かりました
住民達は私が宥めて来ます」
「頼んだぞ」
「はい」
若い警備兵は、敬礼をしてから去って行った。
そして宣言通りに、他の兵士や住民の宥めて、家に帰し始めた。
「さて…
問題はこっちか」
ギルバートは改めて、騎兵達の方を向いた。
騎兵達は早く報告をして、酒場にでも散りたいと思っていた。
あんな騒ぎの後だったので、それは仕方が無いだろう。
しかし注意はしておかないといけなかった。
「あー…
報告は…」
ギルバートはチラリと、側に控えていた騎士の方を見る。
騎士はギクリとした顔をして、やれやれと首を振った。
彼は北の城門で、天幕の中でギルバートの仕事を手伝っていたのだ。
だから大体の事は、事前に把握していた。
「魔石は持っていたんだね?」
「はい
ゴブリンのほとんどが持っていました」
「分かった
詳しい報告は彼にしてくれ
私は用事があるから…」
ギルバートがチラリと、アーネスト達が向かった酒場の方を見た。
釣られて騎士達も、その酒場の方を見ていた。
「魔石は君達で持っていてくれ
今日の仕事の追加報酬だ」
「やった」
数人の騎兵は、手放しで喜んでいた。
しかし隊長の代理をしていた兵士は、真面目な顔をして言った。
「その代わり、先ほどの事は他言無用
そういう事ですな」
「話が早くて助かるよ」
「はい」
兵士は仲間のほうを向くと、しっかりと注意をしていた。
さすがは騎兵の代表を任されるだけある。
仲間にも信頼されているのだ。
「おい、みんな
これで今夜の事は、絶対に口にはするな」
「分かってますよ」
「言いたくても言えませんよ」
「そうですよ
誰があんな化け物の話を、本気にして聞くもんですか」
兵士達は魔石を分け渡されて、口外しないと誓った。
それから報告する為に、兵舎に一旦集まる事になった。
騎士は溜息を吐きながら、彼等と一緒に行く事となった。
「すまない
そっちは任せた」
「良いですけど、くれぐれも用心してくださいよ
今は護衛も居ませんから」
「ああ
あそこで話し合いをしているから
中には入らない様に伝えてくれ」
「はいはい」
騎士は諦めているのか、生返事をしながら去って行った。
その姿を見送ってから、ギルバートは酒場を目指す。
そこは『竜の水晶亭』という看板が掲げられた、小さな宿屋の1階だった。
中に入ると、小さな酒場なのに誰の姿も見られなかった。
どうやら貸し切りにされている様子だ。
「ギル
こっちだ」
酒場の奥の方に、アーネストとエルリックが座っていた。
彼等は酒は飲まずに、お茶と簡単な食事を楽しんでいた。
「誰も居ないんだな?」
「ええ
今日は頼んで貸し切りにしています」
「聞かれたらマズい話もあるからな」
4人掛けのテーブルの一端に、ギルバートも腰を下ろした。
ギルバートが席に着いたのを見計らって、店主がお茶を運んで来た。
「すまないね
貸し切りにしてしまって」
「とんでもないです
エルリック様には感謝してもし切れません」
「ん?」
「この宿の名前は見られましたか?」
「ああ
竜の水晶亭って書いてあったな
素敵な名前じゃないか」
「はい
その名前の由来が、エルリック様にあるんです」
「へえ…」
「止してください
様付けなんて…」
エルリックはそう言いながら、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべていた。
そして傍らのリュートを手にすると、1曲掻き鳴らし始めた。
おお、麗しの女神よ
貴女に愛されしこの地に、私は三度訪れた
今夜こそここに、貴女より授かった恩恵を示します
竜の目から授かった、この水晶を掲げます
そしてこの地に、私の止まり木を立てさせてください
旅する同胞を、休ませる止まり木を
飢える同胞を、満たす止まり木を
そして苦しむ同胞を、癒す止まり木を
ここに立てさせてください
貴女から授かった、この水晶の力で…
エルリックの演奏に、思わずギルバートも拍手をしていた。
以前にもダーナで聴いた事はあったが、それは素晴らしい歌声だった。
「本当に弾き語りが出来るんだな?」
「失礼だな
私は旅の詩人だぞ」
「はははは
そういう事にしておきましょう」
宿の主人は、上機嫌で詩の話を補足した。
「私の祖父が、エルリック様の世話になっていたんです」
「へえ…」
「世話だなんて、そんな…」
「祖父はこの王都の建立時に、職人として来ていました
しかし怪我をしまして、職人を続けられなくなりました」
「ああ
肩からバッサリ切れていたからね
あれじゃあ仕方が無いよ」
「そんな折に、祖父は酒場でエルリック様に会われました
二人はとても気が合いましてね」
「そうだな
私も色々な話が聞けて、随分勉強になったよ」
「そんな事があったのか」
「エルリック様は祖父を気にられまして
この宿を建てる資金を調達してくださいました」
「いや!
別にあいつを助ける為なんかじゃ無いぞ
路頭に迷っているって言うから、そんなら宿屋でもやってみろって
あいつは聞き上手だったから…」
「ふうん…」
「なるほど…」
ギルバートとアーネストは、ニヤニヤしながら話を聞いていた。
エルリックは恥ずかしいのか、顔を赤らめてそっぽを向いた。
「宿の資金はエルリック様が詠われた報酬で
そして宿が建てられた記念に…」
主人が目を向けた先には、カウンターの上に飾られた水晶があった。
それが詩の中に出ていた、竜の目から取った水晶だろう。
「竜の目とは、ここから南西にある竜の背骨山脈の端の事です
端っこの山を竜の頭と言うんですが、その中腹で水晶が採れていたんです」
「へえ
竜の頭ねえ…」
「何だ?
知らないのか?」
「え?
いやあ…はははは」
ギルバートは誤魔化していたが、実は竜の話は史実に基づくとある。
その昔、実際に世界には竜と言う巨大な生物が居て、あの山脈はその名残だと言うのだ。
子供に聞かせる寝物語なのだが、竜が存在していた痕跡は、実はあちこちに残っている。
しかし竜そのものは、誰も目撃した事は無いので、謎に包まれた伝説の生き物なのだ。
その名残として、竜の背骨山脈には様々な鉱石が眠っているとされている。
竜の頭の水晶も、その中の有名な一つだ。
「確かに採掘量が減っていて、最近では珍しいが…
窓ガラスにも使われているだろ」
「そうなんだ!」
「え?
殿下…」
「ギルバート…」
ギルバートの無知っぷりに、全員が絶句していた。
最近では違う場所で、水晶やガラスの原材料は採掘されている。
それに水晶からガラスを作っている事は、子供でも知っていた。
「お前…
やっぱり学校に行け」
「学校に行っていないんですか?」
「え?
ええ…まあ…」
「教師は居ましたが、彼はギルに甘かったですからね」
「ハリスは悪く無いぞ」
「ああ
勉強しないお前が悪い」
「ぐ…」
遣り込められているギルバートを見て、主人は話題を変える事にした。
「兎も角
エルリック様が水晶をくださり、この宿の名前にしました
そうして同郷の者達が集まる、この小さな宿が出来たんです」
「懐かしいよな…
ほとんどが墓場に行ってしまった」
「ええ
ですがエルリック様が御壮健で、嬉しかったです」
「止せよ、恥ずかしい」
「エルリック様が残された詩が、今もここには残されています
そうして常連も…」
「良い話ですね」
「ですから、貸し切りの件も気にしないでください
ここはエルリック様の家みたいなものですから」
「ふん」
エルリックは照れながらそっぽを向いた。
宿の主人は、そんなエルリックに優しい眼差しを向けながら、邪魔にならない様に奥に下がった。
「それで?
どうしてまた来たんだ?」
「事情が分かってきたからな
警告に来たんだ」
エルリックはそう言って、真剣な顔をしていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。




