第31話
初めての魔物との戦いを終えて、街へ帰還した遠征軍
しかしここは、出発前とは違う雰囲気に包まれていた
一体何が起こったのだろう?
ダーナの街へ向かう一団
魔物の討伐を命じられた遠征軍だ
その姿は公道を走り、やがて正門を守る兵士達にも見えた
公道から少し離れた岩山に、遠征軍を見張る集団が居た。
その姿は正門からは遠く、誰にも気付かれていなかった。
暗褐色のローブに全身を包み、男か女かは判らなかった。
そのトップらしき人物が呟く。
声は高かったが、恐らくは男だろう。
「首尾は上々だね」
「良いのですか?
あのまま帰らせて」
「ああ、構わないだろう
あの方にも報告してある」
「しかし、計画よりも少ないのでは?」
集団のトップと思しき長身の男に、もう一人の人影が話し掛ける。
その声から女性と思われるが、辺りには他の者も居なく、素性も分からなかった。
「初めての戦闘だ
あれぐらいで十分だろう」
「あの程度でですか?」
もう一人が呟く。
こちらは男性だ。
「仕様が無いだろう?
契約はまだ生きているんだ
これ以上は無駄な消耗と判断した」
「それは…」
「君達は十分に働いたよ
ボクからもあの方には伝えておくから」
「はっ
ありがとうございます」
男はそう呟き、後方へ下がる。
「さて
次はどうするかな?」
男は振り返り、岩山の奥へと消えて行く。
残った者も後を追う様に、岩山の奥へと消え去り、後には静寂だけが残された。
並走で駆ける騎馬の群れが、ダーナの正門の前へと入って来る。
正門の前は、まだ夕刻には早い時間にもかかわらず、街へ入る人は少なく、閑散としていた。
正門の前で制止し、代表の1機が前へ出る。
その姿を見て、見張りの兵士も緊張を解く。
「ダーナ守備部隊、大隊長ヘンディーだ」
『おかえりなさいませ
ヘンディー大隊長』
「うむ」
大隊長は馬から降り、兵士達の元へ歩み寄る。
「これは…どうしたのか?
大分物々しいが」
「あ…
実は…そのお…」
「?」
兵士達は言いにくそうに仲間をチラチラと見る。
よく見ると、見張りの兵士も通常の倍近く配置されている。
まるで戦争か何かがあって、警戒している様だ。
「実は、領主様の命で」
「領主様の?」
「はい」
兵士は事の経緯を話し始める。
「みなさんが出立された後、こちらにも魔物が出始めまして…」
「なに!」
大隊長は、思わず驚いて、大きな声を出してしまう。
それに叱られると兵士がビクビクする。
堪らず他の兵士が続けた。
「ほどなくして、森から魔物が現れ始めて
今日は出てませんが、この近くまで来る事もありましたから」
「森に向かった樵や農民が、もう結構な数の行方不明者も居ます」
「むう」
後続の部隊も次々と到着し、部隊長や隊長もやって来る。
「どうしたんですか?」
「何か問題でも?」
大隊長は、ここで時間をかけていては、魔物が本当に出るなら危険だと判断した。
「すまない
部隊を先に入れて構わないかな?」
「え?
はい」
「では、こちらで受付ます」
兵士達が慌ただしく動き、街へ入る手続きをする。
「しかし、大隊長が先頭なんですね
将軍は?」
「う…」
「??」
兵士の何気ない質問に、大隊長の顔が曇る。
「大隊長?」
「どうされましたか?」
意を決して、大隊長は報告する。
「ガレオン将軍は殉職、ジョン部隊長は行方不明
その他にも死者は多数出ている」
「え?」
「ええ?」
見張りの兵士の一人が、羊皮紙に書かれた犠牲者名簿を受け取る。
「では、直ちに領主様に報告してきます」
「うむ
頼んだぞ」
名簿を受け取った兵士が、領主の館を目指して駆けて行く。
「それで…
首尾は如何に?」
「ああ
砦に巣くった魔物は追い払った」
「ああ…良かった」
「ん?」
一人は勘違いしたが、他の兵士は気が付いた。
「追い払った…とは?」
「討伐は?」
「失敗だ
ある程度は倒したが、逃げられた魔物も多い」
「まさか、その魔物が?」
「いや、違うだろう
近場の集落の魔物はほとんど倒した」
「そうですよね…」
手続きが進む中、大隊長は気になっている事を聞いた。
「その魔物だが…
どんな奴だった?」
「いやだなあ
大隊長達が倒しに向かった奴等ですよ
犬の頭した奴と小鬼ですよ」
「犬?」
「へ?」
「小鬼は分かるが、犬の頭とは?」
「え?」
「頭が犬みたいな毛むくじゃらの魔物ですよ?」
「そんなのは居なかったぞ」
「え!」
大隊長が驚いていると、後ろから隊長が声を上げる。
「コボルト…
確かそんな名前だったね」
「知っているんですか?」
「ええ
まあ…」
隊長が知っていた。
大隊長はその魔物の事が知りたくて、隊長にしつもんする。
「どんな魔物なんです?
強いんですか?」
「あー…
戦った事はあるけど…
中で話さないかい?」
「ああ、すみません」
見ると、手続きはほぼ終わっていて、兵士達も順々に入って行く。
「さあ
先ずは領主様に報告だ」
隊長に促され、部隊長を連れて門を潜る。
「今日はもう遅い
ここで解散とする」
大隊長の指示に従い、部隊長も必要事項を伝えて解散させる。
家に戻る者。
兵舎に戻って休む者。
それぞれ休息を取る為に帰って行く。
遠征で疲れているから、再召集までは自由行動になる。
勿論、深酒で二日酔いや出奔等は許されないが、ある程度の自由は許された。
自由行動という事で、アレックスやディーンも家に帰る事となる。
ただ、自分達の未熟さを痛感していたので、明後日から宿舎に戻って特訓をする約束をした。
「ギルバートも来るのかい?」
「うん」
「明後日に出れるかは分からないけど、父上から許可が出たら宿舎に行くよ」
「ああ
じゃあな」
「またね」
二人に挨拶をして、ギルバートは領主の邸宅へ向かって歩き始めた。
ダーナの街は海に面している。
片側は湾になった港を囲む様に港湾施設が立ち並び、そこから少し離れた場所に長方形に近い形の城壁で囲まれた街が出来ている。
元は港に入る商船で商っていた町が、帝国との戦闘に備えて城壁を作った街へと発展し、やがて港と街が別れた形になった。
今でも港の周りには城壁の跡が残り、攻めにくい場所になっていた。
港と街を別けたのは、帝国よりも他国からの船団からの攻撃に備えてだ。
街が攻められても城壁で防げるし、いざとなったら船で避難出来る。
また、港が攻められても、街が無事なら奪い返せるだろう。
こうしてダーナは少しずつ大きな街として発展してきたのだ。
街の中心には、女神聖教の教会が建ち、その周りに領主の邸宅とギルド支部の建物が建っていた。
ギルド支部は商工、魔法、冒険者ギルドの各支部の建物で、領主邸宅と併せて教会を守る様に囲んで建っている。
各ギルドには支部長としてギルドマスターが常駐しており、周辺の町や村からの依頼や情報共有も一手に行っていた。
街の中央を縦横に貫く大通りがあり、四方の城壁へと繋がり、その外は港や他の町へ繋がる公道となっている。
正門とは、その中で首都へと向かう東の大門の事を指している。
ギルバートはその大門から大通りを抜け、中央の領主邸宅へ向かっていた。
大通りは商店や工房が建ち並び、夕暮れとはいえ、まだ買い物客が多く集まっていた。
休憩は取っていたものの、食事は干し肉とパンだけだった。
育ち盛りの少年にとっては物足りない。
途中で屋台の串肉を2本買い、果実を絞ったジュースも買った。
この世界では、屋台での買い食いは一般的で、串やジュースの入ったコップは返却され、洗って再利用されていた。
大通りに面した広場で、買って来た串肉を齧りながら、道行く人々を眺める。
商品は普段と変わらない。
値段が上がったり、品数が不足したりはしてない。
しかし、客足は普段の半分ぐらいになっていた。
「魔物の影響かな?
みんなはどこまで知っているんだろう?」
見た限りでは、魔物に怯えたり、混乱を起こしたりしてる様子は見られない。
まだ魔物の事は公表してないか、安心させる様な事を言ったのか、街の住民はいつも通りだった。
独り言を呟き、串肉をもう一本齧る。
そこへ不意に声が掛かる。
「領主様が将軍が討伐してくれると仰いましたからね
みな安心しているんですよ」
声の方を見ると、一人の男が立っていた。
真っ赤な民族衣装に身を包み、これまた真っ赤な帽子を被っている。
皮の部分鎧と色褪せたローブを纏っているが、帽子と服の赤が非常に目立っている。
腰には細身の長剣を提げ、背中にはリュートという弦楽器を背負っていた。
見るからに優男といった感じの吟遊詩人が、恭しく礼をする。
「お久しぶりですね
ぼっちゃん」
お久しぶりと言ったこの男は、数ヶ月前に街中で出会った詩人だ。
あの時と、見た目も恰好も変わっていない。
「あなたは、あの時の…」
「ええ
旅の詩人でございます」
詩人は恭しく再び頭を下げる。
「どうしてここへ?」
「ちょうど数日前ですが、北は物騒だと聞きましてね
今度は南に向かおうと思いまして」
「そうなんだ」
旅の吟遊詩人は自由に放浪している。
各地を宛てもなく彷徨い、その土地々々の伝承や物語、戦争の話等を聞いて、歌にして稼いでいる。
だから色んな事に詳しい。
「そうだ
お兄さんに教えてもらった剣術
役に立ちましたよ」
「ほおう」
「魔物に襲われた時、自分の身を守る事が出来ました
ありがとう」
「どういたしまして」
詩人は嬉しそうにニコリと笑う。
自分が教えた護身術が役立ったのだ、嬉しいだろう。
「それにしても
身に付けていたとは、相当頑張ったんでしょうね」
「え?
ああ、友達に見てもらいながら練習したよ」
「それはそれは」
「ふむ
頑張った子には、ご褒美をあげませんとね」
「へ?
いいよ」
ギルバートは、親切とはいえ、自分の身を守る術を無償で教えてくれた人だ。
感謝こそすれども、更に貰うのは悪いと断った。
「いえいえ
私は子供が好きでね
子供が不幸になるのは辛いんですよ」
「ですから
君がこれで、もっと多くの子供達を守るなら
それは私の喜びでもあるんですよ」
男はそう言って、2冊の本を差し出した。
この世界では羊皮紙が主で、本は貴族や商人が持つ高級品であった。
「こんな高価な物を…」
「私達にはほとんど読めない物です
どうか役立ててください」
「ありがとうございます」
ギルバートは頭を下げ、よかったら対価に見合う支払いをしたいと申し出たが、詩人はやんわりと固辞した。
「その本には色々な護身術が載っています」
「護身術?
もしかして、この前の剣術も?」
「ええ
その本を見て、真似て身に付けました
ですから私にはもう、不要な物です」
「ありがとうございます」
再びギルバートは頭を下げた。
「一つ、忠告させてください
あなたは子供とはいえ、貴族の嫡男
一般人の私に、そんなに気軽に頭を下げてはダメですよ」
「そうなの?」
「そうなんです」
ギルバートは目を丸くする。
田舎とはいえ、詩人に貴族が頭を下げるのは異例だ。
場合によっては不敬罪になる。
望もうと、望むまいと、相手が罪に問われてしまうのだ。
詩人はそれを思って忠告した。
「それでは
私はこれで失礼しますね
どうかお元気で」
「うん
詩人さんも、旅が健やかでありますように」
ギルバートは女神聖教の一句を真似て呟き、祈る仕種をして見送った。
詩人が立ち去った後、改めて本を見る。
羊皮紙数百枚を綴った分厚い本が2冊。
表紙は丈夫な皮で作られ、見た事もない文字で何か書いてある。
食べ終わった串とコップを店に返し、早速中を見てみる。
しかし数分も経たずに閉じた。
読めない。
表紙と同じ様な、見た事も無い文字で書かれていた。
1冊は武術の本らしい。
所々挿絵が入っていて、詩人はこの挿絵を真似たんだろう。
もう1冊は更に難解で、挿絵はほとんど無く、多量の文字に埋め尽くされていた。
「うわあ…
こりゃあ読めないや
アーネストが読めなかったら…どうしよう」
ギルバートより知識があるアーネスト。
彼が読めなければ、恐らく父親も読めないだろう。
折角もらったのに、早くも使えるか不安になってきた。
ギルバートは大事に本を胸に抱えて、領主邸宅へと家路に着いた。
いよいよ2章になります




