第3話
当たり前の事が
当たり前で無くなる
その時、初めて
人は当たり前の幸せを知るだろう
前日が晴天だったのが、今朝は夜が明ける前から肌寒い曇天であった
まるで兵士の心中を現した様な、天候の悪さに兵士の士気は下がっていた
不安そうに天を仰いでは、深い溜息を吐く
そうして不承不承ながら、兵士は砦の入り口に集まっていた
「うう…寒い」
「なんだか、薄気味悪いな」
砦への出入り口で、点呼を受ける前から兵士達は不安がっていた。
「だ、大丈夫だよ
なんもないだろ」
軽口を叩く者も居たが、その声は震えている。
それも当然であろう。
昨日見たあの惨劇の現場へと、再び戻るのである。
それももしかしたら、敵が戻って来てるかもしれないのだ。
しかももう一度、あの凄惨な現場を検分仕直すのだ。
生きた心地がしないだろう。
部隊長が定刻前に姿を見せた。
点呼が行われると、全員が揃っている事が確認される。
まあ12人しかいないのだから一目瞭然なのだが、これは気持ちを引き締める為にも必要な事だった。
「さあ!
全員揃っているな!」
「分かっていると思うが、今日は昨日の集落まで戻って現場を見分仕直す」
部隊長は一旦発言を止めて、全員の顔を見回す。
みな真剣な顔をして部隊長の方を見ていた。
内心昨日は、現場の凄惨さと事件の背景が不明という事もあって浮ついていたと思われる。
今日はその分、いつもの頼れる部下達に戻っている筈だった。
頑張って指導してきたが、良い部下達に巡り合わせた事にも嬉しく思っていた。
勿論部隊長は、そんな事は尾首にも出さない。
言ったらあいつ等、また調子に乗るからなと苦笑いを浮かべる。
「特に結界がどうなっているかを重点的に調べるぞ!
それから、敵の痕跡が…
使われた得物やその破片、何か変わった物が無いかも調べるぞ」
部隊長の説明が続き、警備隊長からの指令と懸念される事態も伝えられた。
一通りの指示を出した後に、部隊長から出撃の檄が飛ばされた。
「オレからは以上だ
各員指示した通りに、索敵と待ち伏せに警戒しつつ進むぞ
では、全体!
進め!」
「全体!
進め!」
全員が復唱して、部隊は集落に向けて出撃する。
集落は砦から2㎞ぐらいだが、公道から少し森に入らなければならない。
それも、部隊長から指示があった通り、敵の斥候や待ち伏せを警戒しながらだ。
馬は使わず、用心して徒歩で慎重に進む。
時間にして30分ぐらい経っただろうか?
部隊は何事も無く、無事に集落が見える場所まで来ていた。
集落は全長が300ⅿも無い様な、本当に小さな集落だ。
敵が潜んで居る事を警戒していたが、あまりに何事もなくて些か拍子抜けしていた。
不安がり私語が出そうになる部下達を片手で制すると、部隊長は部下の一人に手で指示を出した。
昨日報告に上がっていた、冷静な判断をする兵士だ。
彼は音を出さない様に注意しつつ、物陰に隠れながら入り口の柵が無い場所に近づいて行った。
その姿を一同は、固唾を飲んで見守っていた。
敵が戻って居るかも知れないので、声を出すわけにはいかないのだ。
兵士は柵から顔を少しだけ出すと、中を見回していた。
あまり身を乗り出していると、射抜かれる恐れがある。
暫く様子を見てから、彼は手で合図を送った。
来い!
来い!
合図に頷き、一人が警戒しつつそちらに向かった。
彼は先の兵士と同様に、物陰から移りながら入ると、近くの建物の陰に隠れる。
見張りの警備兵の小屋だ。
昨日見た時は、中はもぬけの殻であった。
状況を考えれば、兵士はここから宿舎に戻ってから襲われたのだろう。
中には血痕も無ければ、争った跡も無かったからだ。
だから昨日は殆どの者が油断していたのだ。
二人目の兵士が小屋の覗き窓を確認した後に、窓を開けて中に躍り込む。
そこへ三人目が続いて見張りに立つ。
四人目が来て、次の建物の陰へ。
一人ずつ、一人ずつ…次々と建物の陰に移動しては、中を確認して回る。
8人で建物の中を確認する間に、残る4人と部隊長は集落の入り口で警戒していた。
やがて小さな集落でもあったので、2時間ほど掛けて待ち伏せも居ない事が確認された。
それから先は、4人が警戒して巡回し、残る8人は部隊長と一緒に移動していた。
集落の中央に位置する、井戸の側の調査に向かったのだ。
「集落を建てる時に、ここで結界を張ったんだが…」
部隊長は井戸の傍らにある、小さな祠を見る。
よく見ると祠の石製の扉は、少しズレて開いていた。
隊長が顎で示し、冷静な兵士が進み出て祠を調べる。
高さ50㎝程の小さな祠だ。
何の仕掛けもしてないだろうと確認し、兵士は扉を開けた。
しかし兵士は中を確認すると、部隊長の方を見て首を振った。
「ありません」
「そうか…」
兵士達がどよめく。
「静まれ!」
部隊長は部下達を制する。
「予想していた事だ
相手が本当に魔物なら…
そうだったとすれば結界の効果が切れている筈だ
当然の事だろう?」
「問題は…
石がどうなったか、だな…」
部隊長は逡巡したが、部下達に次の指示を出す。
「ここに無いのであれば、どうする?
隠すか?
壊すか?
付近を隈なく捜せ!
痕跡でもいい!
石が残されているか調べるんだ!!」
「はい!」
部下達は散り散りになると、結界石を探し始める。
部隊長は一人残ると、周囲の状況を検分を始めた。
「魔物が…持ち去る?
いや、それはないだろう
そもそも魔物が近付いたとは思えないんだが?
ならば誰が持ち出した?
ううむ…
分からん」
住民が持ち出したとは思えない
それこそ自殺行為だ
しかしそれなら、誰がもちだしたのか?
敵国のスパイ?
いや、それならタイミングが良すぎるだろう
部隊長の思考は、徐々に嫌な方へと傾いて行く。
魔物が…
魔物が何らかの方法で結界を無効化した?
そして、痕跡を隠す為に持ち去った?
それなら…
そこへ不用心にも上擦った、叫ぶような声が上がった。
部隊長は苦笑しつつ振り返る。
「ぁ…ぁった!
あったぞ!!」
本来ならこんな敵地かも判断出来ない場所で、不用意に大声を出すなと叱りたいところだった。
しかし部下の手柄でもある。
先ずは何を見つけたのか確認しようと、部隊長は声の上がった場所へ向かった。
部隊長がその場に着いた時には、他の兵士達も集まっていた。
しかもみな怖じ気付いた様に、その場を取り囲んでざわついていた。
珍しい…
実戦経験が無いとはいえ、部隊長を目にしてもどよめきが収まら無かったのだ。
兵士達の並びが割れて、部隊長の目にもソレが飛び込んだ時に、彼も思わず呻いていた。
「うう…
なんだ、これは…」
これでは、あんな声を上げたくなるのも致し方ないだろう。
むしろ発見した時に、叫んだり逃げ出さなかったところは褒めるべきであった。
その現場は凄惨の一言でしか無かった。
数名の死体…
大人だけでなく子供も混じっている。
住民の遺体は無造作に積み重ねられ、そこから突き出た手に件の石が握らされていた。
結界の石
元は普通の石である
手頃な見た目の良い石を教会に収め、聖水に漬け込み、女神様の祝福を得る
それを守護したい場所へ運び、女神様への祈りを捧げながら祠へ納める
最後に司教様が呪文を掛けて結界が完成される
部隊長もその場に立ち会ったが、美しい光が周りに放たれて、その美しさに目を奪われた
そして厳かな気持ちになれた
この規模の集落なら、手に乗るぐらいの大きさ、10㎝ぐらいの石で十分だそうだ
もっとも大きな街では、その権威を示す為にも水晶や大きな石が使われていると聞いている
女神様に対して俗物な、とは部隊長も感じていた
再びその石を目にしたのだが、それは血によって穢されていた。
一目見ただけで判る。
住民の血を浴びたのだろう、それはどす黒く染まっている。
見つけた時は、引き出されたであろう住民の物と思しき臓物に覆われていたそうだ。
発見した兵士は、後に砦に戻った時に留守居の同僚と酒を飲みながら、こう語ったそうだ。
「いや、最初に見た時は腰を抜かしてしまったよ
ああいうもんを見た時、声も出ないって本当だな
震えて一言も出なかったよ」
「え?
ちびったか?て?」
「ああ…正直、少しな
だって、あんなもんいきなり見たら、誰でもなるだろ」
その後、彼は暫く同僚に揶揄われていた。
最悪だ
事態は最も深刻な事になりそうだ
部隊長は逃げ出したい気持ちを抑えつつ、部下達に指示を出す。
ここで呆けて居ても何も始まらない。
警備隊長への報告もだが、先ずはコレをどうにかしなければ。
兵士の一人が近付き声を掛ける。
「どうします?
これ?」
部隊長は少し考えてから答えた。
「隊長には報告したいが…
これって呪われていないか?」
部隊長の発言に一同が固まる。
「だ…だいじょうぶですよ」
「お、おい」
「止せよ!」
一人の兵士が声を上擦らせながら近づいてみる。
固唾をのんで見守る中、恐る恐る手を伸ばし、何度か触ってから今度はしっかりと触れる。
「ほ、ほらっ
だいじょう…」
「動くな!!」
「そのまま、そのまま
そこへそっと置くんだ」
部隊長は兵士が石を持って来るのを制し、そまま足元へ置くように指示した。
引き攣った顔をして、兵士は言うとおりにした。
「何があるか分からない
それはこのままにしておく」
部隊長は渋い顔をして呟く。
「でも、でも!彼らは?
彼らはどうするんです?」
「もちろん埋葬する
荼毘に付する用意をしろ」
隊長は石の危険さを懸念して、あえてそのままにしておくように指示した。
そうして、集落の傍らで住民を荼毘に付する用意させた。
連れて帰って埋葬してやりたいが、呪われていないかが心配だ。
だから…だからせめて、彼らが安らかに眠れる様にここで荼毘に付すのだ。
過って無念から亡者に成らないように。
安らかに眠れない死者は、亡者に成って彷徨うという。
彼らをこれ以上苦しめてはならない。
部隊長は焼いて埋葬してあげる事にしたのだ。
「畜生!」
「こいつ、こいつ…
あそこのジタン家のガキじゃねえか」
「まだ5つだったろうに…」
遺体は男性が3人に女性が2人、子供が1人だった。
みな衣服は引き剝がされ、全身のあちこちに刺し傷があった。
無論、現場の状況から殆どの住人が首や心臓に一突きが致命傷と思われる。
殺した後で、死骸を辱められたのだ。
よくよく調べてみると、無数の刺し傷はあるものの臓器は抜き出されてはいなかった。
もしかしたら、この悍ましい儀式には他人の臓物が必要なのかも知れない。
それとも、単に他の死体の臓物が不要だったのかも知れなかったが。
詳細は分からないが、死人を苦しめてあんな呪わしい儀式をする犯人を許せなかった。
ようやっと埋葬が終わった頃には、ソルスは頂点を過ぎており、もうすぐ夕暮れになりそうだった。
日が陰るまでには調査を終えて帰還せねばならない。
暗くなってからの移動は危険だが、ここで留まる方がもっと危険だろう。
ここを襲った者の正体はまだ掴めていない。
しかし人間にしろそうでないにしろ、どの道魔物には違いはないだろう。
もし人間の仕業なら…それこそも魔物と言える危険な存在だろう。
部隊長はふとそう思った。
まともじゃないな
人間がやったより、魔物の仕業と言われた方が安心するとは…
笑えないな
何とか片づけを済ませると、目ぼしい痕跡は全て集めて、何とか先の井戸の周りに集まる。
それから部下からの報告がなされた。
「…それで、付近にこれが落ちてました」
そう言って兵士の一人が細い紐状の物を差し出す。
見た事ない素材の繊維だった。
何かの糸?の様な物を縒り合わせた物だ。
恐らく弦に使っていたのだろう。
「どう思う?」
「はっ!
恐らくは敵の弓の弦か、ナイフか剣の柄に巻かれていた物かと」
短いのでなんとも言えないが、巻いてあった様子がないので弦の可能性が高いか?
しかし、見れば見るほど見た事無い素材だ、何を糸に加工した物だろう。
「よし
詳細は戻ってから調べよう
次!」
「はっ」
次々と報告は上がったが、他には目ぼしい報告は上がらなかった。
時刻は夕刻になり、空は赤く染まり始めていた。
まるでこれから更なる、血が流れると暗示しているかのようだった。
民家の裏手に残っていた、足跡の様な痕跡も羊皮紙に書き残させて、いよいよ出立となる。
名残惜しいが時間も無いのだ。
もう少し調べていたいが、暗くなっては危険だ。
部隊長は再び周囲を警戒させつつ、集落の跡を出発した。
行きが何も無かったので幾分緊張感は抜けかかっていた。
兵士達は部隊長の何度かの叱責を受けながらも、何とか何事も無く砦に辿り着いた。
時刻はそろそろ夜を迎え、夕焼け空に夜の帳が降り始めている。
入り口で帰還の報告を済ませると、警備隊長の執務室に向かった。
後ろには紐を見付けた兵士と、封印の結界石を調べた兵士が同行する。
その際に他の部下は一旦解散となり、夕食を食べ終わったら一応待機しておく様に通達された。
コンコン!
「入れ」
中から促され、部隊長は部下と共に中に入った。
執務室には副隊長も控えていた。
「失礼いたします」
短く挨拶を済ますと、部隊長は部下を伴って室内に入った。
兵士達は部隊長の後ろへと、並んで控える。
「うむ、ご苦労だった
で?
どうだった?」
「はい
では報告をさせて頂きます」
先ずは部隊長が報告をする。
道中は危険になる様な存在は検知出来なかった事
また、集落の中にも生存者や潜む者も居なかった事
『生存者』という言葉に、隊長は違和感を感じてふと眉を顰める。
それから、怪しげな儀式の様な跡を発見した事が告げられる。
部隊長に促され、発見者の兵士が説明する。
一通りの説明が終わった後に、隊長は呻くように呟いた。
「なるほど…
それで『生存者』は、居なかったわけだ」
続いて、再び部隊長が遺体の処理と石をどのようにしたか説明する。
状況から『呪われているかも知れない』という私見も加える。
「うん
オレも同意見だな
何があるか分からん以上、持ち帰る訳にもいかんだろう」
「はい」
続いて、調べた痕跡を提出する。
副隊長が受け取り、隊長の執務机の上へ持って行く。
そして二人で暫く見分した後、部隊長に尋ねる。
「それで
君はコレをどう思う」
何だと思う?ではない、どう思う?だ。
「はい
見た事も無い素材
恐らくは弦に使われた物と思われますが
それと、奇妙な足跡の様な物が…」
隊長が頷くのを確認して、続ける。
「それに、あの邪悪な儀式からもして、とても人間とは思えません
いえ
思いたくない…ですかね?」
「それで?」
更に促され、一瞬迷いながらも意を決して答える。
「確証は…
確証はありませんが、魔物の襲撃とみて間違いないでしょう」
「そうか…」
暫く、警備隊長は熟考しているのか沈黙する。
「幸い…
幸いな事にな
今朝向かわせた他の集落は、今のところ無事であった」
警備隊長のこの報せは部隊長をほっとさせた。
被害に遭った集落には悪いが、被害があそこだけで良かった。
「だが
君達の報せで事態は更に困難な事となった」
隊長は、暫く机の上をコンコンと指で叩く。
「悪いが、君達には明日もう一度出てもらおう」
「え?
またあそこへ行くんですか?」
兵士の一人が思わず口にして、部隊長は渋い顔をして部下を見た。
副隊長も声を荒らげて怒っていた。
「ば、馬鹿もん!」
「ははは…
そりゃしょうがないさ」
隊長は笑うと続けた。
「君達には他の2つの集落に向かってもらいたい」
「と言いますと?
警備の増員ですか?」
隊長は頭を振りながら告げる。
「いや
護衛だ」
今度の指令はこうだった
砦に近い集落は残り2つある
そこへ向かって先ずは、避難の準備を伝えさせる
一度には無理だろうから、明日と明後日で順番に避難させた方が安全だと思われる
一応今日様子を見に行った者からは集落には周知が為されていた
危険が迫っているかも知れないから避難しないといけないかもと伝えておいたのだ
警備隊長、副隊長、部隊長はそのまま具体的な作戦の立案をする事となる
兵士達は明朝の集合時間と、場所の伝言を任せて解散となった。
兵士達は一礼して部屋を出ると、急ぎ足で食堂に向かった。
今ならまだ他の兵士達も残っている筈だからだ。
その後、食堂からは残念そうな溜息が漏れるのであった。
3話目ですが、まだ序章の序章
導入部になります