第297話
ギルバートは、エルリックが落ち着くまで待っていた
エルリックはギルバートに言われた事が、余程悔しかった様だった
悔しそうに拳を握り締めて、黙って俯いていた
それから四半刻が過ぎた頃、エルリックはようやく頭を起こした
そしてすまなそうにギルバートを見た
エルリックが落ち着いたのを見計らって、ギルバートは質問する事にした
何故エルリックが、ここに来たのかを聞きたかったのだ
そもそも、彼はあの短刀を知っている様子だった
それに短刀が発見された時に、ギルバートの封印は解かれかけていた
その事が何か関係していると、ギルバートは直感で感じていた
「エルリック」
「ん?」
「何でここに来たんだ?」
「あ…」
セリアの事で、エルリックはすっかり忘れている様子だった。
それほど彼にとっては、セリアは重要だったのだろう。
エルリックは咳払いをしてから、話し始めた。
「うおっほん
気付いていると思うが…
君はかなり危険な状態にあった」
「ああ
また封印が解けかけていたんだろ?」
「そうだ
それが何故かは…分かるか?」
「あの短刀が原因か?」
「そうだ
あの吸魂の短刀が、君の魂に影響を与えていた」
その短刀は砕け散り、今では残骸も消えていた。
「あの短刀こそが、君に…
いや、ギルバートに止めを刺した短刀なのだ」
「私に?」
「いや
まだ赤子だったギルバートの方だ」
「アルベルトはギルバートを使って、君の魂を隠そうとした
それが吸魂の短刀の力だ」
「吸魂の短刀?」
「あれは危険な魔道具だ
切り殺した者の魂を吸い取り、それを魔力として武器に纏わせる
そうして切れ味を上げる危険な魔道具だ」
「何でそんな物が?」
「あれは王国の魔道具だった…」
エルリックは話を続けた。
「魔導王国が滅んだ時に、危険な魔道具が奪われていた
帝国はそれらを使って、諸外国を併合していった
それぐらいは知っているな?」
「え?
ああ…」
「ん?
本当か?」
「あ、ああ…」
ギルバートは引き攣った笑顔を浮かべて、額には汗を掻いていた。
エルリックはそれを見て、不承不承ながら話を続けた。
「あの短刀は、その時帝国に奪われた物の一つだった
そして帝国の貴族が下賜されて、ハルバートの家宝の一つとなっていた」
「え?
もしかして…」
「ああ
クリサリスだっけ?
あの王国の宝物庫に眠っていたんだ」
「それが何だって…」
「あの時…
アルベルトがギルバートを抱えて、封印の祭壇に向かった時に
彼は何故か、あの短刀を手にしていた」
「どうやって宝物庫から?」
「分からない
分からないが、彼はあの短刀が目的を果たす為に必要だと知っていた
だから短刀を使って、ギルバートの心臓を取り出した
そのまま殺したのでは、封印を魂の周りに施せないからね」
「それはどういう…」
「詳しい理屈は、残念だが私も分からない
しかし短刀で取り出された魂は、心臓を触媒にして君の身体を包んだ
そして血液がルーン文字として、ギルバートの魂を定着させた」
「心臓と血液…
それで殺さなければならなかったのか」
「ああ
それからこの短刀の効果を得るには、それなりに魂の力が強く無いといけない」
「魂が強い?」
「ああ
君もギルバートも、帝国初代皇帝の血が流れている
だからそれに通じるぐらいの血の力が必要だった」
「誰でも良いわけじゃ無かったのか」
「ああ
だからアルベルトは悩んでいた」
ギルバートは納得出来なかったが、短刀の効果の意味は理解出来た。
それだからこそ、ギルバートが選ばれたのだ。
「あの本は何なんだ?」
「ああ
あれは…」
エルリックは書物を手にすると、それを開いて見せた。
そこには難しそうな記号と、複雑な文字が書かれていた。
「見てもらえば分かるが…」
「待て!
私が読めると思うのか?」
「え?」
「ん?」
「…」
エルリックはもう一度書物を見て、少し迷った様子を見せる。
「ロマノフ王朝では無く、共通語の文字なんだが?」
「いや、ロマノフ王朝って何だ?」
「いや、魔導王国だろ
何で知らないんだ」
「何百年前の国だと思っているんだ」
「…」
「魔導王国時代の文字なんだが…」
「誤魔化すな!」
「んにゅう」
「大声出すなよ
イーセリアが起きるだろ」
「ぬう…」
「それで?
何が書かれているんだ?」
「当時の魔導士が監修した、所謂禁術のリストだ
何で禁術に指定されているかが書かれている」
「禁術?
人を殺して使うからか?」
「いや
魔導王国時代では、当然の様に奴隷を道具として使っていた
だから奴隷を使うのならば、何も問題が無い呪文だ」
「奴隷をって…
その頃は酷かったんだな」
「ああ
だから獣人や亜人を奴隷にしてたんだ」
エルリックは不愉快そうに眉を顰めた。
「儀式が禁術指定されたのは、これが他の危険な魔術の触媒に使われる為だ
何せ危険な魔法が載っているからな」
「そうか」
「だからここには、魂の獲得方法まで載せられている
吸魂の短刀はその一つだ」
「その短刀が載せられているという事は…」
「ん?」
「吸魂の短刀とやらは珍しく無いのか?」
エルリックは明らかに動揺して、視線を逸らした。
「エルリック?」
「いや
今は現存していない筈だ
うん」
「はあ…」
「どの道この本は、私が回収しておく
こんな物があるから、禁術なんかが産まれるんだからな」
「分かった
そいつは持って行ってくれ」
「ああ
まさかアルベルトが保管しているとは思わなかった」
エルリックは書物を懐に納めた。
そこに収納があるのか、書物は懐の中に自然に仕舞われた。
「しかし、元々はあなたが父上に渡したんだろ?」
「それは…」
エルリックは言い淀んだ。
何か理由があると踏んで、ギルバートは語気を強めた。
「そもそも
何でそんな事をしたんだ?」
「それは…」
なおも言い淀むエルリックに、ギルバートは詰問した。
「どうしてなんだ?」
「それは…
ええい
もう仕方が無いか」
「正直なところ、君がどうなるかは興味が無かったんだ
女神様が望んでいた筈の使徒候補を、何故殺そうとしているのか知りたかったんだ」
「それが何で、私を生かす事になったんだ?」
「神託で殺せと言う話だった
しかし当時は、女神様は眠りに着いていた筈なんだ」
「眠りに着いていた?」
「ああ
ここ数百年は、女神様は寝たり起きたりしていた
眠っている間は、神託も指示も出せない筈なんだ」
「それじゃあ私を殺せと言う指示は?」
「そこなんだよな
神託は女神様にしか出せないんだ
それなのに、女神様が眠っているはずなのに、神託は下されていた」
「そんな事があり得るのか?」
「分からない
分からないけど、神託は下されていた」
「その…
女神様は今、起きているのか?」
「恐らく起きていると思う
他の使徒が指示を受けていたからな
ギルバートと名乗る使徒候補の覇王を殺せと
そうしないと、数年のうちに人間が滅びるからという話だった」
「私が生きていると、人間が滅びる?」
「ああ
どういう理屈か知らないが、そういう指示があったらしい」
「それでアモンやベヘモットは、私を狙っていたのか」
「ああ、そうなんだ
もっともベヘモットは、直接女神様から指示を受けていない
だから他の使徒候補を襲って、代わりに差し出そうとしている」
「そんな事が…」
「さあな?
許されるのか分からない
しかし彼女は、女神様から直接指示を受けていないと反発している
勿論私もそのつもりだ」
「そのう…
使徒が女神様に逆らって大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないだろうな
しかし今のところ、私には神罰は下されていない」
エルリックはそう言った後、セリアの方を見た。
「それに…
妹を危険な目に遭わせたのだ
先に約束を違えたのは、女神の方だ」
「逆らって大丈夫なのか?」
「さあな
でも、今のところは大丈夫そうだ」
エルリックの話が本当なら、ここでギルバートを殺しておくべきなのだろう。
いや、そもそも何度も殺せる機会はあった筈だ。
しかしアモンですら、ギルバートを殺す事はしなかった。
あの戦いの時も、彼が本気であったら殺されていただろう。
「何でそんな事に…
そもそも、セリアを妖精郷?
そこから連れ出したのは女神様なのか?」
「それは分からない
しかし強力な次元の狭間を、無理矢理抉じ開けた事になる
女神様で無いのなら、一体誰が出来ると言うのだ?」
「それは…」
その辺に関しては、ギルバートには理解出来ない話だった。
そもそもが妖精郷自体が知らない存在だった。
「何でセリアは解き放たれた?
それに…
私を殺す必要もあったのか?」
「さあ?
さすがに私にも分からないな
それに…
女神様には面会出来ないみたいでな」
「何でだ?」
「分からない
だけど神殿に向かったが、私は入る事も出来なかった」
「それは女神様に逆らったからなのでは?」
「いや
信託の確認をしたくて向かった時も、私は入れなかった
他の魔王や使者が入れたかは不明だが…
どうなんだろうね?」
エルリックは頭を振って分からないと示した。
ギルバートも考えてみたが、こういう事は理解が出来なかった。
こんな時にアーネストが居ない事が悔やまれた。
アーネストなら頭が回るから、何某か思い付くだろう。
「なあ
アーネストに会ってくれないか?」
「アーネスト君ですか?」
「ああ
あいつは頭がよく回る
きっと私達じゃあ思い付かない事でも、気付くんじゃあ無いか」
「むう…
そうですね」
「分かりました
少し時間が掛かりますが、王都に向かってみます」
「え?
すぐには行けないのか」
「はあ?」
「いや、転移魔法って移動する魔法なんだろ?」
「ああ…
あれは魔力や移動距離、移動先を知っている等の条件がありまして…
簡単には使えないんですよ」
「そうなんだ…」
「それじゃあ王都には?」
「馬で向かいますよ」
「ぶふっ」
「何故笑う!」
ギルバートは馬に乗った、真っ赤な男の姿を想像した。
それがトボトボと竜の背骨山脈を登って、雪原を抜けて行く。
その姿がおかしくて、ギルバートは笑い出してしまった。
「いや、だって
その恰好で雪原を…ぶっはははは」
「もういい
私は行きますよ」
「んにゅう?」
「イーセリアをよろしくお願いします」
「ああ」
「くれぐれも…手を出さない様に」
「ちょ!
何でみんなそんな事を言うんだ」
「それはイーセリアがとびっきり可愛いからです!」
エルリックは決めポーズをしながら、セリアを指差していた。
その顔は恍惚としていて、うっとりとセリアを見ていた。
「気持ち悪い」
「イーセリア…」
「あ…」
セリアの一言に、エルリックは深く傷ついていた。
振り返ると涙を流しながら、その場を走り去っていた。
そして使わないと言っていた、転移魔法で消えてしまった。
「よほどショックだったのか?
セリア
あいつにはもうちょっと優しくしてやれよ」
「やーなの」
ギルバートは肩を竦めながら、立ち上がってセリアを立たせてやった。
そしてマントの埃を払うと、再び背中に掛け直した。
「さあ
出口に向かうぞ」
「うん」
「結局何も見付からなかったな」
「何か欲しかったの?」
「ああ
セリアの着替えとかあれば、助かったんだが…」
「ドレスは嫌!」
「はははは
分かった分かった」
ギルバートは笑いながらセリアの手を引くと、そのまま邸宅の外に向かった。
時刻はいつの間にか昼を過ぎていて、そろそろ日が暮れようとしていた。
「夕食を食べに行くか?」
「うん」
ギルバートはセリアを連れて、そのまま広場に向かった。
広場の食堂なら、この時間でも何か頼めるだろう。
邸宅で時間を食っていたので、すっかり腹が減っていた。
食堂に向かうと、マーサが接客をしていた。
まだ夕暮れ前なのに、今は職人達が集まっていた。
「殿下
領主様の邸宅は、もう壊しても良いんですかい?」
「ああ
さっき中を見て来たよ」
「中は何も無かったでしょう」
「ああ
すっかり駄目になっていたな
他の家もああだったのか?」
「ええ
どういうわけか、まるで数十年も放置した様な状態でした」
「そうだな
本や衣類もボロボロになっていた」
ギルバートが職人と話していると、マーサが近づいて来た。
「殿下
お食事をなさるんで?」
「ああ
セリアと二人分を頼む」
「はい
それじゃあセリアお嬢様はこちらへ」
「うにゅっ」
セリアはマーサに手を握られて、奥の席に向かった。
その間もギルバートは、職人と話していた。
「それでは本格的に壊しても?」
「ああ
ただし庭園は残してくれ
あそこには花が咲いているからな」
「花がですか?
この時期は咲かない筈ですが?」
「そうなんだよ
でも咲いているから
出来ればその花は残して欲しいんだ」
「分かりました
それでは花は残して、周りだけ補修しますね」
「ああ
それで頼むよ」
ギルバートは建て直しの指示が終わると、セリアの座っている席に向かった。
セリアは既に食べ始めていて、口元にスープが着いていた。
それを拭ってあげながら、ギルバートも向かい側の席に座った。
「美味いか?」
「うん」
「良かった」
ギルバートもスープを飲むと、黒パンに手を伸ばした。
サラダには干し肉が刻まれていて、そこにスープを煮込んだソースが掛けられていた。
濃いく煮込まれた甘辛いソースは、サラダによく合っていた。
二人は食事を楽しんだ後に、お茶を飲んでいた。
セリアの前には果物も用意されていて、セリアはお茶を飲みながら食べていた。
「果物も美味しいか?」
「うん」
「来年も採れれば良いんだがな…」
「うにゅう?」
「精霊様はセリアに着いて行くんだろ?
だから来年には、精霊様の加護は無いんだよな」
「うーん
暫くは効果はあると思うよ」
「そうなのか?」
「うん」
「お兄ちゃんが必要なら、暫くは残ってもらえる様にお願いしておこうか?」
「そうだな
そうしてもらえると助かる」
「うん
それじゃあ精霊様に言って来るね」
セリアは立ち上がると、そのまま駆け出して行った。
ギルバートはその後姿を、優しく見守っていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。




