第283話
リュバンニでの野営では、特に何事も起こらなかった
魔物が現れる事も無く、気候も夏にしては穏やかだった
急な土砂降りを警戒していたが、夕刻を過ぎても雲は出ていなかった
まるでこの旅を祝福する様に、穏やかに夜は更けていった
夜も明けてから、早朝から野営地は賑わっていた
近場に来ていた隊商が、野営地に合流して来たからだ
彼等は移民達の側に居る方が、野盗や魔物に狙われないと判断した
そこでオウルアイ卿に交渉して、朝まで野営地の側に居たのだ
隊商達が街に向かい始めるのを見ながら、移民団も出発の支度をした。
こちらはこれから、トスノまで2日の行程で進む事になる。
途中でどうしても、公道の脇で野営する必要があった。
町の側で野営するのに比べると、格段に危険が高まる。
しかし馬車が主になるので、こればっかりはどうしようも無かった。
結果としては、山脈に入るまでは何事も起こらなかった。
行程は予定通り進み、魔物が現れる事も無かった。
途中で他の場所で襲撃があったとは聞いたが、移民団の近くに現れる事は無かった。
2日掛けてトスノの町に着き、そこから3日掛けてノフカに着いた。
ボルまでも3日で着いて、いよいよ最後の補給となった。
この先にも村が在るのだが、今は魔物の襲撃の影響で、住民はボルに避難していた。
だから山脈にはまだ距離があったが、ボルが最終の補給地となっていた。
予め連絡が入っていたが、ボルは小さな町になる。
ここで補充出来るのは、焚き火用の薪と野菜ぐらいしか無かった。
一応ポーション用の薬草もあったが、そちらは十分に余裕があった。
ボルでの補充が終わってから、そのまま山脈に向かって行く。
既に出発から、10日が過ぎていた。
村には立ち寄らないので、山脈までには2日で着く事が出来た。
今は夏になっているので、公道にも草が生い茂っていた。
そして草叢に分け入ると、ヒルや虫が潜んでいた。
こればっかりは加護も効かない様なので、除虫香が焚かれる事になった。
除虫香とは火を加える事で、虫の嫌がる成分を出す薬草である。
この時期には草叢では、虻や蚋が多く出て来る。
こうした虫を避ける為に、穴の開いた小瓶などに乾燥した薬草を入れて火を点ける。
薬草が燃えた煙が広がる様に、馬車などに下げて置くのだ。
他にもヒルの嫌がる成分が入った、ポーションも用意があった。
しかしこちらは使い勝手が悪いので、あまり使われる事は無かった。
一々服に掛けるのも面倒だし、馬に掛けても長時間はもたなかった。
効果が出たとしても、服の中に入られては意味が無い。
そういった意味では、ヒルの対策は不十分だった。
野営が始まると、騎士達は馬の世話を熱心にしていた。
ヒルや虫が着いていないか確認して、念入りにブラッシングをしていた。
そうしなければ、小さな虫を見落とす可能性があった。
そうした吸血虫に着かれると、馬が体調を崩してしまう。
その為にも、騎士達は念入りに世話をしていた。
「やはりヒルが多いですね」
「そうですね
今日だけでも5匹ですから」
「それは多いな」
ギルバートはハレクシャーの世話が終わると、夕食を食べに向かった。
今日も野菜のスープと、黒パンが用意されていた。
後は個人に支給されている、干し肉と水だけだった。
毎日同じメニューなので、そろそろセリアは飽きて来ていた。
不満そうな顔をして、野菜のスープを飲んでいた。
ギルバートは旅の間は、過度に触らない様に注意していた。
これ以上噂をされるのも面倒なので、適度に距離を取る事にしたのだ。
それが余計に、セリアの機嫌を悪くしていた。
しかしセリアも、ギルバートが忙しそうにしているのを見ていた。
だから不満をなるべく言わずに、拗ねて遠くから見ていた。
「殿下
イーセリア様とお話ししなくてよろしいんですか?」
「ああ
それよりも今は、みなが無事に着く事が重要だ」
「それはそうですが…」
ジョナサンはジト目で見ているセリアと、目が合ってしまった。
セリアは不満そうにしながら、スープから豆を掬って食べていた。
「少しはお話された方が…」
「いいんだ
ダーナに着けば時間は十分にある」
「…」
ジョナサンはなおも何か言おうとしたが、諦めて立ち上がった。
これから巡回の指示を出さないといけない。
ジョナサンは頭を下げた後で、野営地の中央に向かった。
それから1週間を掛けて、山脈の頂上に到着した。
相変わらず魔物は出なくて、旅は順調に進んで行く。
問題があるとすれば、体調を崩した者が居たぐらいだった。
しかし馬車で移動しているので、進行速度は変わらなかった。
降りは登りより楽だったが、足場を慎重に進む必要があった。
5日間掛けて進んで、ようやく麓が見えて来た。
そこから3日掛けて、ノルドの森の入り口が見えて来た。
その傍らには、廃墟になったノルドの町が見えた。
町はその後も誰も立ち寄らなかったらしく、すっかり荒果てて居た。
「やっとここまで来れたか」
「ええ
ここからダーナまでは、後2日ぐらいですね」
「いや
それは魔物が居なければだ
魔物が増えていればもう少し掛かるだろう」
「魔物は居ますかね?」
「居るだろうな
ただ、加護がどこまで効くかだ」
「出来れば出て欲しくはありませんが」
「そうだな
出るならダーナが復興されてからだな」
ダーナを出発してから27日目、遂に移民団はノルドの森に入った。
そこには魔物が住んでいた痕跡が残され、公道も荒果てていた。
「いくら辺境の森の中とはいえ、ここまで荒れるとは…」
「そうですね
前回来た時には、石畳も割れてはおりませんでした
これはどうして壊れたのでしょう?」
公道の石畳は、所々割れていた。
そこから草が生えて、益々石畳を壊していた。
「うーむ
オーガでも歩いたか?」
「オーガですか?」
「ああ
オーガぐらい大きい魔物なら、石畳も壊れるだろう」
「なるほど」
足跡は残されていなかったが、恐らく大型の魔物が来たと思われた。
そしてそれを考えると、付近に魔物が居る可能性が高かった。
「ここは警戒した方が良いな」
「精霊様の加護では駄目ですか?」
「効くかどうか保証が無いからな
警戒しておいた方が良いだろう」
「分かりました」
夜になると、確かに近くに生き物が居る気配が感じられた。
しかし加護が効いているのか、魔物が襲い掛かって来る事は無かった。
その代わり、遠くで何かが鳴いている声が聞こえた。
それは移民達を不安にさせて、夜に眠り難くしていた。
「侯爵様
本当に大丈夫なんでしょうか?」
「何だか気味の悪い声が聞こえます」
「恐ろしくて寝れませんぞ」
移民達は口々に侯爵の元へ赴き、不満を述べていた。
その都度侯爵は、大丈夫だと住民を宥めていた。
そうこうする内に、2日目の朝が来て、いよいよ森から抜け出した。
そうして暫く進むと、遠くに城塞が見えて来た。
「見えたぞ!
あれがダーナの城壁だ」
「おお…」
「殿下
城壁が一部崩れておりますが?」
「ああ
早急に修理せねばならぬ」
「石材はございますか?」
「うーん
山から切り出さないと無いかな?」
石材を切り出すなら、ダーナの北門付近の丘を切り崩す必要があった。
付近に山は無いので、他には竜の背骨山脈しか無いのだ。
「先ずは家屋の建て直しだな
城壁はそれからだ」
「ですが、城壁が無ければ魔物が…」
「暫くは王都の兵士が住むんだ
彼等が帰るまでで良いんだよ」
「分かりました」
「問題は…
街が安全かだな?」
「そうですな
魔物が入って無ければよろしいんですが」
その日は時間も少ないので、城壁が見える範囲で野営をする事にした。
そして準備をしている間に、偵察に斥候が向かう事になった。
「すまないな
城門の周りだけで良いから」
「いえ、ここまでほとんど役に立ってませんから」
「そうですよ
ここで活躍しないと、斥候なんて要らねえって言われますからね」
斥候の兵士達は、そう言って城壁の崩れた箇所から侵入して行った。
城門を開けても良かったのだが、生憎と蝶番が錆び付いていた。
恐らく放置されていたので、それで錆てしまったのだろう。
開けるのに力も要るし、大きな音がしてしまう。
だから崩れた城壁を乗り越える方を選んだのだ。
斥候は街中に散らばって、魔物が潜入していないか確認して回った。
街には虫や蛇等は湧いていたが、魔物の姿は見当たらなかった。
しかし畑は荒れていて、草だらけになっていた。
「これは酷いな」
「ああ
誰も来なかったんだろう」
「それもあるが、魔物が住んで居たんだろう?
ほら、地面が腐っている」
一人の斥候が、地面の色が変わっているのを発見した。
それは異臭を放っていて、腐っていると見ても分かった。
「殿下に報告だな」
「ああ」
斥候達は、その他にも建物の中も見て回った。
中には崩れて、瓦礫の山になっている場所もあった。
そしてどの建物も、中には住んでいる痕跡は無かった。
「そう言った具合で、魔物どころか住んでいた痕跡もありませんでした」
「そうか」
「ですが…
住むには危険ですね」
「そうだな
立て直す必要があると思う」
「畑も駄目になっていますね
こっちは土地が腐っていて、土から代える必要がありそうです」
「それについては考えがある」
ギルバートはそう言って、セリアの方を見ていた。
「明日からどうしますか?」
「先ずは入り口を確保しよう
城門は一度壊しても良いと思う」
「それでは魔物が侵入しませんか?」
「その辺も考えがあるから
気にしないでくれ」
「先ずは明日に備えて、今日はゆっくりと休もう」
「分かりました」
ギルバートは斥候を休ませて、代わりにジョナサンを呼んだ。
「殿下
お呼びでしょうか?」
「ああ
明日の事なんだけど」
「はあ…」
「明日は先ず、兵士達を城門から入らせようと思う」
「兵士ですか?」
「ああ
周辺を確認して、安全を確保してもらう
移民達が入るのはそれからだ」
「街の整備はどうしますか?」
「それはゆっくり考えよう
先ずは安心して暮らせる場所を確保しないと」
「ですが、畑は腐敗していますよね?
斥候からそう聞いていますよ」
「それは私の方で対処する
先ずは使えそうな場所を確保しよう」
翌日は城門を抉じ開けて、兵士達が中に入って行った。
兵士達は周囲を警戒しながら、安全な場所を確認して回った。
そして崩れかけた家は壊して、瓦礫を一ヶ所に集め始めた。
「開けた場所を作ってくれ
そこに天幕を張るんだ」
「家はどうします?」
「危険だから、なるべくそのまま住まない方が良いな
今、職人に確認させている
建て直しはそれからだ」
ギルバートは城門前の広場で、一通りの指示を出した。
城門の前は騎士に任せて、移民達も中に入れて行く。
そうして空き地に天幕を張らせて、先ずは住む場所を確保させた。
「さて
私はこれから用事がある
暫くはジョナサンが代わりに指揮を執る
ジョナサン、頼んだぞ」
「はい、分かりました」
ギルバートはセリアを連れて、街の中央に向かって行った。
「セリア
精霊様が住むには、どこが一番良いかな?」
「うーん
前のお家」
「領主邸宅か?」
「うん」
ギルバートはセリアを抱っこして、崩れた邸宅の入り口から入って行く。
将軍との戦闘で、ホールは大きく崩れていた。
そして2階のバルコニーや、客室の廊下も崩れ落ちていた。
「何処に行けば良い?」
「お庭」
「庭園か
ちょっと待ってろ」
ギルバートは抜刀すると、一撃で瓦礫ごと壁を吹き飛ばした。
こうでもしないと、裏の庭園には出れなかったのだ。
「フランドール
派手に壊してくれたよな」
「今のはお兄ちゃんだよ?」
「いや
フランドールが壊したせいで、通れなくなっていたんだ
そうで無ければ壊さないよ」
「ふうん」
ギルバートは言い訳をしていたが、セリアは興味無さそうにしていた。
瓦礫を蹴り飛ばして、ようやく裏側に出れた。
そこは嘗ては庭園だったが、今は腐った土の山になっていた。
「ここで良いのか?」
「うん」
セリアは頷くと、精霊に呼び掛けていた。
「ノームさん
出て来て」
セリアの呼びかけに応えて、土の山が盛り上がる。
そして土の中から、幼児ぐらいの大きさの泥人形が出て来た。
泥人形はセリアの方を向いて、恭しくお辞儀をした。
まだまだ続きます。
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