第217話
結局その夜は、詰所には魔物は来なかった
ギルバートの予想が当たっていて、近くの魔物は倒されていたのだ
それならば何故、この詰所は放棄されていたのか?
原因は簡単な事であった
現在ボルの町は、戒厳令を敷かれていた
その為に兵士ですら、夜は町の外に出ていなかったのだ
そうとは知らずに、ギルバート達は警戒を続けていた
結局魔物の襲撃は無く、何事も無いままに朝を迎えた
兵士達は外が明るくなると、真っ先に厩舎に向かった
馬が騒ぐ事は無かったが、無事か心配だったのだ
しかし杞憂に終わり、一安心してから詰所に戻った
そこで朝食にパンを食べながら、これからの行程を話し合った
「それで?
このまま進むんですか?」
「それは当然だろう
ここで退き返したら、何をしに来たのか意味が無くなる」
「そうですが、危険ではありませんか?」
「確かに危険かも知れないが、情報を得る機会を失いたくない」
「情報でしたら、リュバンニで待っていても…」
「ノルドの風が何に負けたのか?
彼らほどの冒険者が、そこらのコボルトに負けたと思うのかい?」
「それは…」
「それなら、尚の事殿下を向かわせれません」
アルミナは止めようとしていたが、ギルバートの決意は固かった。
「私は一人でも行くぞ」
「殿下!」
「どうしてもと言うのなら、お前達が守るべきじゃあ無いのか」
「くっ…」
「分かりました
しかしボルに向かうだけですよ
魔物討伐なんて行かせませんから」
「分かった分かった」
ギルバートはそう言って、困った様な顔をしていた。
実際にオークが出たのだろうが、ノルドの風が負けたという事が気になっていた。
もしかしてだが、アモンが連れていた様な特殊な個体が現れた可能性がある。
それならば、ノルドの風が後れを取ったのも頷ける。
「さあ
それじゃあボルに向かう準備をしよう
魔物に遇わない為にも、急いで向かう必要があるぞ」
「はあ…」
「仕方が無いだろう
殿下の護衛という時点で、こうなるのは分かっていた」
他の兵士達がアルミナを慰める。
「くっ
オレは間違っていないよな」
「ああ、ああ
分かったから、早く支度しようぜ」
「うう…」
その後もブツブツ言っていたが、結局アルミナも従っていた。
どうせ帰るにしても一人では無理なのだ。
このまま進むしか無かった。
詰所を出る時に、念の為に入り口は閉めておく。
魔物が入って来るとは思えなかったが、中を荒らされたくなかったからだ。
「さあ、行こう」
「はい」
一行は馬に跨ると、公道をボルに向かって進んだ。
次の詰所がある場所まで、暫く荒れた道が続く。
そこからボルまでは遠くは無かったが、道は少しずつ悪くなっているのだ。
馬に負担を掛けない為に、全力で駆けるのは止めていた。
「ここも無人の様だな」
次の詰所も無人だった。
特に荒らされた様子も無く、ただ人が立ち去った後の様だった。
「もうすぐボルが見えて来る筈です」
「魔物の姿は見えないな」
「その方が良いんです」
アルミナはムッツリしたまま答えた。
よほど気に食わなかったのだろう。
しかし目的地はもうすぐだ。
そろそろ兵士達も気が緩んで来ていた。
「やっと到着だ」
「まだ気を抜くなよ」
「はい」
ギルバートの言葉に、兵士達は思わず緊張した。
しかし周りを見回しても、魔物の姿は見えなかった。
「ん?
あれが町の門ですか?」
「ああ
どうやら石を積んで防壁を作った様だな」
「小さな門ですね」
「急ごしらえだから仕方が無いだろう」
町の入り口の前に着くと、石を積み上げた塀と、馬車がやっと1台通れそうな門が閉まっていた。
「どうしますか?」
「そうだな…
おーい!」
ギルバートは大きな声で呼んでみた。
しかし、暫く待っても誰の応答も無かった。
「どうしたもんだか」
「もう一度呼びましょうか?」
「そうだな
出来ればこれを壊したく無いからな」
「おーい!」
暫くすると、ようやく返事が返って来た。
「何者だ!」
「我々は王都から来た者だ」
「王都だと?
嘘を吐くな」
「嘘なものか!
こちらには王子が同行されている
マーリン殿は居ないのか?」
「王子だと
寝言は寝…」
「ギルバート様ですか?」
「その声はマーリン殿」
聞き覚えのある声が聞こえた。
中で暫く言い争う声がして、ようやく門の閂が外される音がした。
「この小僧が王子だと?」
「これ、無礼じゃぞ」
「そうは言ってもマーリン
子供だぞ?」
「馬鹿者!」
ゴチン!
「いでえ!」
鈍い音がして、入り口に立っていた大きな男が頭を抱えて蹲った。
その向こう側に、見慣れた老人が立っていた。
「ようこそギルバート殿下」
「マーリン殿
無事で良かった」
「殿下もご無事な様子で…」
「感動の再会は良いけど、早く入ってくれないか?
魔物が来たら困るんでな」
「ああ
すまなかった」
ギルバート達は慌てて中に入り、すぐに門は閉められた。
「魔物は近くに来ているのか?」
「ええ
ここ数日、村の近くの畑が荒らされています
まあ、既に収穫は終わっていたんですがね」
「それでも種芋や来年の為に撒いた種もあるんだ
町にとっては大打撃だよ」
農家の女将さんの様な大柄女性が、肩を怒らせて呟いた。
先程声を掛けてきたのもこの女性の様だった。
「ん?
ああ、私かね?
この町の領主をやっている、この馬鹿旦那の妻さ」
「え?
領主御夫妻ですか?」
「そうさね」
婦人はそう言うと、からからと大声で笑った。
如何にも地方の領主といった感じの、剛毅な婦人であった。
「それで?
ノルドの風は?」
「そうじゃった
その為にわざわざ来て下さったのじゃからのう」
マーリンが先頭に立って、ずかずかと大通りを進んだ。
その先には領主の邸宅と、各ギルドの建物が建っていた。
小さな町のギルドだけに、建物は小さくて、併設する訓練場も小さかった。
「あいつ等は運ぶ事も難しくて、ここの教会で安静にしておる」
「マーリンが来なかったら、あいつ等確実に死んでいたな」
「そんなに酷い様子なんですか」
「あ…
ううむ」
マーリンは難しい顔をして俯いた。
それ以上は何も答えずに、教会の入り口に向かった。
教会はギルドの建物と並んでいて、クリサリスの十字を掲げていなければ気付かないほど、小さくて素朴な建物だった。
「ここが?」
「そうじゃな
地方のまちじゃあこんなもんさ」
マーリンが入り口を開けて、ずかずかと勝手に入って行った。
「ほら、入るぞ
おーい
くそ爺」
「誰がくそ爺じゃ
天罰が下るぞ」
「おお、おったか」
くそ爺呼ばわりを怒りながら、一人の老人が出て来た。
その老人はマーリンと似ていて、背格好も似ていた。
「なんだ、くたばり損ないのマーリンか?」
「誰がくたばり損ないじゃ
この業突張り司祭めが」
「ええっと?」
「何じゃ?
この小僧は?」
「これ!
頭が高いぞ
このお方こそ、ギルバート王子であらせるぞ」
「ははー…って
王子?」
「ほれ、話したじゃろう
新しく王子になられた…」
「何じゃと!
ハル坊め
他所に隠し子が居ったんか!」
「違うじゃろうが!」
ここから暫く、老人同士で激しい口論が始まった。
ギルバート達は取り残されて、困って領主達の方を見た。
「ああ
いつもの事さね」
「そうそう
あの二人は従兄弟同士でね、顔を合わすとああなんだ」
「はあ…」
ギルバート達は所在無さ気に、困って二人を見ていた。
小一時間も続けると、二人とも息が上がって肩で息を吐き始めた。
「はあ、はあ
分かったか」
「ふう、ふう
分からん」
「何で分からん」
「どうして死んでもおらんのに、王子が生き返った様に扱う」
「それは…」
「まあまあ
私の事は良いので、ノルドの風の…」
「良く無いわ!」「良くないでしょ!」
二人は息を揃えて突っ込んだ。
しかし顔を見合わせると、ふんと二人共そっぽを向いた。
「ええっと
どうしましょ?」
「エルドはこっちよ」
「最初から案内してくださいよ…」
「待て
ワシが殿下を案内する」
「ワシが案内するんじゃ」
いがみ合う二人は放っておいて、一行は奥にある救護院に向かった。
そこは簡易な寝台が並んでいて、多くの怪我人が横になっていた。
「ほら、エルドはあそこだよ」
ギルバートは怪我人にジロジロと見られながら、奥の寝台に近付いた。
そこには全身に包帯を巻いた男が横たわっていた。
左手は肩から無くなり、シーツに覆われた右足も、途中から無くなっていた。
男は薄っすらと目を開けて、ギルバートの方を見ていた。
「で…
殿下」
「エルド
無理に話さなくても良い」
ギルバートはすぐに、彼はまだ容体が良くないと判断した。
しかしエルドは、苦しそうな顔をしながらも、懸命に言葉を発した。
「殿下
ダーナ
フランドール
街に…魔物…」
「え?」
聴き取り難かったが、確かに魔物と言っていた。
しかし全体に声が掠れていて、聴き取る事は難しかった。
「マーリン!」
「しょうがないのう」
領主夫人に呼ばれて、マーリンが駆けて来た。
そうして隣の台で薬草を取り出すと、数種類を混ぜて薬を調合し始めた。
しかし物凄い異臭を放つ薬に、周囲の者は顔を顰めて鼻を摘まんだ。
マーリンはエルドを少し起こすと、無理矢理その薬を飲ませた。
「ちょ!
マーリン殿!」
「うえっへ
げほあ」
「黙っておれ
薬の時間は短い
ほれ、簡潔に話せよ」
「すまない、マーリン様」
驚いた事に、顔色こそ悪いままだが、エルドは何とか話せるまで回復していた。
恐らく強力な薬で、一時的に回復させているのだろう。
エルドは気力を振り絞って話し始めた。
「殿下」
「そんな無茶な」
「良いから聞いてやれ!」
「私達はダーナに向かいました」
エルドはポツリポツリと話し始めた。
「ダーナに向かう道のりでは、魔物はそんなに居ませんでした
私達は街の入り口に向かいましたが、そこは閉ざされていました」
「私達は何とか隙を見付けて、城壁をよじ登って侵入しました
何ヶ所か崩れた場所があったのが幸いしました」
「街の住民は、昼間は青白い顔をしていて、ほとんど外を歩いていませんでした
そして住民に見付からない様に、殿下のご家族を探しました」
「ご家族は丘の上の家にいらっしゃいましたが、茨が囲んで近付けませんでした
しかし中には、誰かが住んでいて無事な様子でした」
「私達はそれ以上は危険と判断しました
暗くなるに連れて、住民に変化が見られたからです」
その次に発せられた言葉に、ギルバートは戦慄を覚えた。
「ダーナの住人は、魔物と化していました」
「な…んだと…」
「夜になると牙を生やした住人が徘徊していました
私達は命からがら逃げ出しました」
「そんな…」
「恐らくはフランドール殿です
彼の御仁が何か知っている筈です」
「私達は必死になって山脈を越えて、後少しの所で…ぐっ」
「エルド!」
「これ以上は無理じゃ」
「で…ん…か
なか…ま
たの…み…」
エルドは力尽きたのか、がくりと寝台に崩れ落ちた」
慌てて司祭が駆け寄って、その身体にシーツを掛け直した。
「そういうわけじゃ」
「そんな…」
「そして村人が発見した時には、傷だらけのこいつが残されていた
どうして助かったのか?
見逃されたのか?
兎に角そういう事じゃ」
「エルドのパーティーのみんなは?」
「戦士だった男が、一人ここに残されておる
傷は癒えたが、まだ戦いに出る事が出来なくてのう」
男は一人しか居ないので、魔物と戦いに出る事を許されなかった。
仲間の仇を討ちたいと叫んでいたが、一人ではどうする事も出来なかったのだ。
「他のメンバーを探す事も提案されたが、戦える者がおらんでのう
ワシ等もこの町を守る必要があった
じゃからここに留まっておる」
「しかしどうするんです?」
「どうするって何をじゃ?
魔物はいつ来るか分からん
分からん以上どうする事も出来ん」
「くそっ
せめて目の前に現れていれば」
「ならん!
ならんぞ!
あなたは王子だ!
一介の冒険者でも、町を守る兵士でも無い」
「しかし…」
「しかしも案山子も無い
そんな馬鹿な事をさせる為に呼んだんじゃあ無い
彼がし…
あいつの最期の望みを叶えてやる為に、無理を言って呼んだんじゃ…」
マーリンも気が付いていたのだろう。
恐らくエルドは、このまま長くはもたないだろう。
そう思ったからこそ、ギルバートをここに呼んだのだ。
しかし魔物が来ている事は誤算だった。
どうにか魔物が攻め込む前に、この町を放棄してでも逃げないといけない。
「魔物はどうするんだい?」
「町を棄てるしかなかろう…」
「そんな!」
「私達は覚悟している」
「後はいつ出発するかだ」
領主夫妻は苦い顔をしながらも、決意していた。
しかしギルバートは、何とか出来ない物かと考えていた。
「私に…
私に3日時間をくれませんか?」
「殿下?」
「何とか出来ないか考えてみます」
「マーリン殿が考え付かないと言うのにか?」
そう言われれば自身が無かったが、何かを見落としている気がした。
ギルバートはエルドの手を握ると、決心した顔をした。
「私はこの国の王子だ
この国の国民を守る義務がある」
「それは王子の仕事では無い!
国王様がされる事じゃ!」
「そうじゃない!
ここで逃げる事は、国民を見捨てる事だ
それではこの国を継ぐ資格は無いだろう!」
「しかし殿下
私達はあなたを無事に王都に連れ帰るのが仕事です」
「私達の決意を無駄にする気ですか?」
「そうじゃあない
そうならない為に、私は力を身に着けているんだ」
ギルバートは何かを決意したのか、しっかりとした眼差しをしていた。
まだまだ続きます。
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