第216話
朝が来て、ギルバートは天幕を出た
昨日よりも気温が下がっており、周囲の足元には霜が降りていた
いよいよ本格的な冬が近づいており、天幕の中でも肌寒かった
兵士達は早目に起きだしていて、既に焚火には鍋が掛けてあった
そこから野菜を煮込んだ香りが立ち伸びて、スープが出来上がった事を告げていた
朝食は秋野菜のカボチャと、冬野菜の人参が入っていた
そこに野草と肉が加わっていたが、肉も残り物なので少なかった
野草も時期的に少なくなっているので、全体の量は少なくなっていた
これは冬ならば当然の事で、農村でも無ければ旅の途中だ、食材はどうしても少なくなった
まだスープに出来るだけマシだっただろう
「すいません
昨日の戦闘で一部の食材が駄目になっていた様で」
「仕方が無いよ
次の町で仕入れよう」
「はい」
肉や野菜の一部に、魔物の返り血が掛かっていたのだ。
早目に気付て洗っていれば良かったが、鞍から降ろすまで気が付かなかったのだ。
血は乾いていたが、病気が移るとまずいので食材は棄てられた。
魔物がどの様な病の元を持っているか分からない以上、迂闊な事は出来ないからだ。
「まあ、何とか朝食分が残っていて良かった」
「そうですね」
「朝食の分が足りなければ、町まで走る必要がありましたからね」
詰所にも食材はあったが、それは警備兵の分だ。
それに量も少ないので、分けてもらうのも気が引けた。
ここはまだ町との中間地点なので、食材は多く貯められていないのだ。
「さあ
朝食を済ませたら、ノフカに向けて出発だ」
「はい」
「出来ればノフカで休みたかったが、それも難しいだろうな」
「そうですね
あそこも魔物の事でピリピリしてるでしょう」
「それに、これだけ冷えているんです
食材の調達も難しいかも」
ノフカは大きな町では無い。
町の住民なら兎も角、旅人に売れるほど潤沢には作っていないだろう。
「作物が少ない様なら、最悪の場合は森に入るしか無いな」
「そうですね
森になら、まだ少しはあるかもしれません」
「しかし森に入るとなると、魔物に気を付けないと」
「だが、食糧が乏しいなら、それしか無いだろう」
「さあ
今から考えても無駄だろう?
暗い気持ちにならないで、期待して進もう」
「殿下」
「心配しても無駄だ
無ければ無かったで、その時に考えよう」
「はい」
ギルバート達は馬の準備をすると、早速ノフカに向けて出発した。
「お世話になりました」
「殿下
お気を付けて」
「みなさんも頑張ってください」
ギルバート達は駆け出すと、一路公道をトスノに向けて走った。
ここからノフカまでは、早くても昼を回るだろう。
途中で昼食をするにしても、食材はほとんど残っていなかった。
「このままトスノまで進む
昼食はトスノで済まそう」
「そうですね」
「序でに食材も買いましょう
さすがに夜までにボルには着きそうにありません」
「そうだな」
一行は休憩を取らずに、一気にノフカまで駆け抜けた。
おかげでノフカの町が見えた頃は、まだ昼を過ぎて2の刻を回っていない頃だった。
「やあ
王都の方が何しに来られたんですか?」
「ボルに向かっている」
「なるほど」
町の入り口に着いた時は、警備の兵士達は警戒していた。
こんな時期に王都の兵士が、何しに来たのかと思われたのだろう。
しかしボルの名前が出て、魔物の調査に来たのだと思われた。
「あそこは魔物が出たって騒ぎですからね
おかげでこっちも警戒していて、町の奴等もピリピリしてますよ」
「やはり」
「さあ、どうぞお入りください」
「と言っても、今は刈り入れも済んで何も残っていませんが」
警備兵に言われて、町の中に入ってみたが、確かに露店も少なかった。
「今年は魔物のせいで、収穫もめっきり減ってしまった」
「おかげさまで冬を越すのがやっとですよ
早くなんとかしてくだせえ」
警備兵達もうんざりだと言った感じで、不満そうな顔をしていた。
「何て無礼な
この方は…むうっ」
「黙れ
行くぞ」
兵士の一人が、憤慨して文句を言おうとした。
しかしアルミナが後ろから口を塞いで、強引に連れて行った。
「んん!
んん…」
「アルミナ」
「え?
ああ」
「ぶはっ
ぜえぜえ
殺す気か!」
「あのまま永遠に黙ってくれれば良かったのに」
「手前!」
「まあまあ
アルミナの判断は正しいぞ
迂闊に殿下の事を話せば、どんな騒ぎになっていたか…」
「すまない
軽率だった」
他の兵士が止めに入り、何とか騒ぎは収まった。
しかし入り口で言われた通り、中央の通りに並ぶ市場ですら品物が少なかった。
「何とか食材は補充出来そうだが、先日みたいな露店は無いな」
「そうですね
こうなると、どこか酒場でも探すしかないですね」
食事が出来る場所が無いかと、辺りの宿や酒場に入ってみる。
しかしどこも食材が不足していて、昼食は提供していなかった。
「普段なら昼食でも出しているんだが
今は魔物騒動で無理なんだ」
「そうか
悪かったな」
「いや
こっちこそすまねえ」
「ここも駄目か」
「ええ」
「こうなったら、最後の一軒だ
ここで駄目なら外で野営しよう」
一行は町外れに建つ、小さな宿屋の入り口を開けた。
「すみません」
「おや
宿泊には早い時間だよ」
「いいえ
昼食を取りたいと思って」
「昼食?
こんな時間にかい?」
「ええ
先を急ぐ旅でして
こんな時間で申し訳ないが、何か食べる物はあるだろうか?」
女主人は困った顔をしていた。
「うーん
今の時間じゃ、簡単なスープぐらいしか無いけど」
「それで構わないよ
みんな疲れているんだ、お願い出来ないか」
「それなら良いけど…
あ!
馬は自分達で停めてくれないかい
下男達も食事で休憩しているんだ」
「ああ
それぐらいは構わないよ」
やっと食事が出来る場所が見付かって、一行はホッとした。
このままでは昼食を抜くか、外で野営をしなければならないところであった。
馬を宿屋の厩舎に入れて、一行は外で土埃を落とした。
「さあ、座っておくれ」
「すまない」
「じゃあ、この辺りで採れた茸と芋、豚の肉を煮込んだスープだよ」
「ありがとう」
全員が席に着いて、スープと黒パンをいただいた。
スープは朝の残りを煮込み直した物で、逆に味に深みが出ていた。
「これはこれで旨いな」
「この辺り独特のスープですね」
「あんた達、急いでいると言っていたが、またボルで何かあったのかい?」
「いえ
知り合いの冒険者が怪我をしたと聞いたので、見舞いをしようと思いまして」
「ああ
あんたらノルドの風の子達と知り合いかい?」
「ええ」
「あの子達も災難だねえ
他の子達も見付かると良いんだけど」
「そうですね
リーダー以外は見付からないんですか?」
「そうなんだよ
後は残った、重傷のアランちゃんだけだよ」
「ノルドの風はこの辺によく来ていたんですか?」
「そうじゃあないよ
あの子達は元々、この町の出身なんだよ」
「そうなんですか」
「ボルの町に居たのは、あの町の方が狩がし易かったからね
でも、ダーナに暫く出稼ぎに行くって聞いてたけど、何があったのかしら?」
「そうですね」
ノルドの風は、今年の始めにダーナに来ていた。
それは魔物を狩って稼ごうと考えていたからだ。
それがギルバートの王都入りに同行する事で、ボルまで帰って来ていたのだ。
この宿屋の女主人がどこまで知っているのか分からなかったが、あまり詳しくは話さない事にした。
下手な事を話すと、騒ぎになりかねないからだ。
「そう言う事なら、あの子達に会ったら伝えてちょうだい」
ノフカの町のみんなは、あんた達が帰って来るのを待っているって」
「はい」
ギルバート達は食事を終えると、市場で買い物をしてきた。
そして馬に飼い葉を与えると、女主人に挨拶をした。
「お世話になりました」
「良いってことよ
旅人に元気になってもらうのが、私達宿屋の務めだからね」
「あれ?
どこかで聞いた様な?」
「え?
もしかして…
あんたらリュバンニの街に行った事はあるかい?」
「ええ」
「そこで蜂の看板の宿に泊まったかい?」
「そうですが?」
「それなら、そこは兄の店なんだ
森の蜜蜂亭
ここは森の穴熊亭」
「そうなんですか」
「またリュバンニに行く事があったら、兄に伝えてちょうだい
私は元気にやっているって」
「はい
必ず伝えます」
「あんたらも気を付けて行くんだよ」
「はい
行って来ます」
ギルバートは元気よく返事をして、ハレクシャーに跨った。
そのままゆっくりと門に向かい、ノフカの町を後にした。
「不思議な縁がありましたね」
「そうだな
あの宿の主人の妹さんだったんだ
納得出来たよ」
「そうですね」
良い出会いをした事で、一行は元気を取り戻していた。
「さあ
ボルの町に急ぐぞ」
「はい」
ノフカから出て、暫く進んだ所で日が暮れ始めていた。
冬という事もあって、日が暮れる時間は早くなっていた。
「そろそろ3つ目の詰所が見えて来る筈なんですが」
「その次の詰所までは無理だな
そこで野営させてもらおう」
「そうですね
しかしその先は、詰所は一つしかありませんよ
この辺りは魔物が出る可能性が高いので、詰所にも兵士が残っているのかどうか…」
一つ前の詰所は、魔物が出るという事で兵士は撤退していた。
本当は残りたかったが、公道を安全に見張る事が出来ないので、撤退する事となっていた。
この先はボルの町から出ていたので、詰所に兵士が来ているか分からなかった。
「どうしますか?」
「誰も居ない様なら、二つ前の詰所まで戻る事になりますが?」
「そうはいかんだろう
これ以上の時間の無駄は出来ないぞ」
「しかし詰所に兵士が居ないのでは…」
「それなら詰所を借りて、魔物が来ないか見張りながら過ごすさ」
「殿下」
「言いたい事は分かるが、ここから引き返すにしても危険なんだろう?」
「それはそうですが」
「それならボルまで走るか?」
「夜間に走るのは…」
「なら、戻るのも危険だろう」
「そうなんですが…」
こんな問答を、かれこれ1時間ほど続けている。
それも二つ前の詰所で、次の詰所は兵士を帰還させたと聞いたからだ。
兵士達は一応、先の詰所を確認するという事で納得した。
しかし進んでいても、馬車の通りは無かった。
道の先にも灯りが見えないので、兵士達は不安になっていた。
「引き返しませんか?」
「今さら戻っても遅いだろう
それに…
ほら、見えたぞ」
詰所はやはりと言うべきか、兵士は誰も居なかった。
しかし魔物も現れていないのか、詰所には荒らされた様子は無かった。
「どうやら人が居ないだけで、問題無く使えそうだ」
「そうですが…」
「大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だろう
門も開いているし、入るぞ」
ギルバートを先頭にして、一行は無人の詰所に入った。
建物の入り口は閉まっていたが、鍵も掛かっていなかった。
厩舎に馬を繋ぐと、一行は詰所の入り口を開けた。
「埃も積もっていないし、つい先日まで使っていた様子だ」
「魔物が入った形跡は無いですね」
「そりゃあそうだろう
この辺りの詰所にも、小さいながら女神の結界は張っている筈だ
ほら」
ギルバートが指差した先に、詰所の奥に小さな祠が置かれていた。
「効果があるんですか?」
「ほとんど無いな」
「でしたら」
「だが、建物の中の方が、少しは安全だぞ」
「…」
一行は手分けして捜索して、詰所の中を確認してみた。
やはり魔物が入った様子は無かったが、食糧もほとんど残っていなかった。
「食料も無いですね」
「保存食の干し肉と、葡萄酒が残っていて良かった」
「しかし誰も居ないという事は、魔物が出るのでは?」
「そうとは限らないだろう
安全の為に、町に引き籠っている可能性もある」
「宿舎も汚れていませんね
そのまま泊まれそうです」
「よし
今夜はここを借りるぞ」
「殿下…」
「ええい
行も戻るも出来ないんだろう」
アルミナは尚も食い下がろうとしたが、ギルバートはそれを遮った。
既に外は暗くなっている。
移動が危険なのだから、ここで一夜を明かすしか無かった。
「アルミナ
君が私を気遣ってくれるのは嬉しいが、こうなれば仕方が無いだろう」
「くっ…」
「それよりも今は、どうやって夜を明かすだろうかだ
交代で2人ずつ外で見張り、中でも2人起きていれば十分だろう」
「何故ですか」
「簡単だ
ここはまだ、魔物が目を付けていない」
「その根拠は?」
「すくないとはいえ、食材が残っていました
魔物が入っていれば、少なくとも中は荒らされています」
「確かに…」
「それに
少し前にマーリン殿が、兵士を連れて通ったんですよ?
魔物が出る様でしたら、その時に討伐されているでしょう
少なくともこの周りには、魔物と戦った痕跡は見当たりませんね」
「そこまで見ていたんですか?」
「ええ
ダーナに居た時は、魔物を狩っていたんです
それもこんな暗い時間でも」
「この様な暗闇でですか?」
「いいえ
月が出ていますから、真っ暗ではありませんね」
アルミナは溜息を吐いていた。
「分かりました
しかし危険だと判断したら…」
「その時は任せます」
ギルバートの答えに、アルミナはやっと納得した様な顔をした。
しかしギルバートは、そういう状況になれば、それこそ自分が率いないといけないなと思っていた。
魔物との戦闘に関しては、ギルバートの方が上だったのだ。
何も起きないでくれと思いながら、ギルバートは詰所の外を見ていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。




