第211話
ギルバートは大通りを歩きながら、旨そうな物は無いかと見て回った
何度か買い物には訪れていたが、一人でゆっくり回る機会は無かった
考えてみれば、魔物の件で忙しいとはいえ、護衛が着いていないのは初めての事だった
周りに兵士が着いていないので、街中をのんびりと見て回れた
そうして大通りをのんびりと回っていると、珍しい香りのする店が見えた
それは香辛料に何かを混ぜた、刺激的な香りを漂わせていた
その匂いは、ギルバートにとっては初めて嗅ぐ匂いだった
香辛料の刺激と共に、何か甘い香りが混じっていた
何の匂いだろうと、匂いの元を辿って行く
そこは一軒の宿屋で、昼の食事を提供していた
「すいません
まだ食べられますか?」
「あー…
すまんな
昼の食事は終わってしまったんだ」
「え?
しかし良い匂いがしていますが?」
そこで主人と思われる男は、バツの悪そうな顔をした。
「これは賄いで、ワシ等が昼飯に食っている物なんだ
お客さんに出せる様な物じゃあ無いんだよ」
「え?
こんなに良い匂いがしているのに?」
ギルバートは不思議に思った。
嗅いだ事の無い匂いだったが、それは食欲を刺激する匂いだった。
「クズ肉と野菜を煮込んで、少量の香辛料で味付けした物なんだ
だから商品には出来なくてね」
「へえ
どうして売れないんですか?」
「そりゃあ…
ここから更に煮込んで、上等な肉や野菜を足さないと、とてもスープとしては提供出来ないよ」
「ああ
スープの元なんですね」
「そう言う事だ」
そう主人は言っていたが、ギルバートは匂いの元が気になった。
こんな匂いは初めてだったのだ。
「これは何を煮込んでいるんですか?」
「え?
だから言っただろ
クズ肉と野菜だ
それも野菜も、料理に使わない端切れを使っている
とても人様には出せないよ」
「それにしては、旨そうな匂いがしていますね」
「そうか?」
主人は気にしていなかったが、ギルバートはその味が気になっていた。
「親父さん
金は払うから、少しだけ味見させてくれないか?」
「変わった坊主だな
分かったよ
金は要らねえから、ほら」
主人はそう言うと、スープを少しだけ皿に盛って出した。
ギルバートは喜んで、そのスープの味を確かめてみた。
それは確かに、クズ肉と野菜を煮込んだスープだった。
しかし肉は溶けかけていたので、噛む前に解れるぐらいに柔らかかった。
それに野菜も溶けていて、甘みと香りがスープに溶け込んでいた。
しかし肝心の甘い香りが何なのか分からなかった。
「旨い!」
「そうか?
へへへへ」
旨いと言われて、主人は照れながら笑った。
「しかし…
あの甘い匂いの元が分からないな」
「甘い?
ああ、キャベツを砕いて入れたからな」
「キャベツ?
そうかなあ?」
確かにキャベツの匂いもしていたが、それ以外の匂いも感じられた。
これは気付いていなかったが、ギルバートが無意識に身体強化をしていたからだ。
強化された嗅覚が、匂いの違いに気が付いていた。
「それに…
このスープは少し赤いな」
「ん?
そう言えば、トマトを少し入れたかな?」
「トマト?
あのサラダに入れる」
「ああ
余っちまったから、序でに入れたんだ」
ここでギルバートは、匂いの元がトマトだと気付いた。
「親父さん」
「何だい?」
「その…
トマトと肉を煮込んだら、どうなるんだろう?」
「え?
トマトと肉?」
王都では新鮮なトマトが採れたが、トマトはそのまま食べる物だった。
それを煮込むという発想は無かった。
「親父さん、ありがとう」
「あ!
おい…」
ギルバートはカウンターに金貨を置くと、慌てて飛び出した。
「金は要らねえって…
おい!
金貨じゃないか」
宿の主人は、その金貨をどうしたものかと困ってしまった。
金貨1枚となれば、2週間は泊まれる代金だからだ。
主人は次にあの少年に出会う事があれば、金貨を返そうと思った。
そうしてカウンターに飾られた金貨が、やがて物語になるのは先の話である。
宿屋から出たギルバートは、先の経験が生かされる場所を探した。
単純に考えれば、王城の調理人に相談するのが良いだろう。
しかし面識の無いギルバートが、いくら王子と言っても話にはならないだろう。
先ずは話が出来る人を探して、調理人に頼むしか無かった。
それに香辛料も使う事になるので、それなりに金が掛かりそうな事になる。
ギルバートは王城に戻ると、先ずは執事のドニスを探した。
ドニスは朝から訓練に出ていたので、そのギルバートが護衛を着けずに街に出た事で心配していた。
そしてギルバートが慌てた様子で帰って来たので、先ずは話を聞いてみる事にした。
「殿下
慌てた様子ですが、どうしましたか?」
「ドニス
丁度良かった
頼みたい事があるんだ」
「何でございましょう」
ギルバートは先程体験した、変わった料理の事を説明した。
「なるほど
街の宿屋なら、確かにこの時間では賄いを作っているでしょう
もう少ししましたら、夜の仕込みもありますからね」
「そこでトマトとクズ肉を煮込んでいたんだ
それがとても旨そうな匂いを出していて…」
「まさか?
それを召し上がって来たんですか?」
「ええ
少しですが」
「お身体は大丈夫ですか?」
「え?
問題無いけど?」
ドニスは勘違いして、腹下しとかしていないか心配していた。
「それよりも
トマトってサラダに使うか、そのまま食べますよね」
「ええ
それがどうしました?」
「そこの店では、偶々トマトも煮込んでいたんです」
「トマトを煮込む?
何故でしょう?」
「肉も野菜も、余った素材を煮込んでいるらしいんだ
それを元にして、夜の食事のスープにするって」
「なるほど
食材を無駄にしない為の、町民の生活の知恵ってやつですな」
「ええ」
「ですがそこで、今日はトマトが入っていたんです」
「ええ
そういう話でしたね」
「そのトマトが入ったスープは、とても旨かったんです」
「え?」
「これは仮定なんですが、トマトと肉を煮込んでみたら、旨いスープが出来るんじゃないでしょうか?」
「トマトと肉ですか?」
「ええ」
ここでドニスは考え込んだ。
確かにそんな料理は聞いた事が無かった。
どうやって断ろうかと暫し考えていた。
「殿下
それはどうやって作るんです?」
「え?
それはクズ肉と野菜の端材を煮込んで…」
「それはどのぐらいの量です?」
「ええっと…」
「お気持ちは分かりますが、殿下が考えておられる様な料理は、恐らく出来ないかと」
「どうしてなんだ?」
「どうやらその料理は、その宿屋の主人が偶然作られた物ですよね?
それを再現するのも難しいですが、それを美味しい料理にするなど…」
ドニスの説明を聞いて、ようやくギルバートも気が付いた。
確かに詳しい材料や分量が分かれば、あのスープも再現出来ただろう。
しかし、確かに宿の主人も適当に入れたと言っていた。
これでは具体的な材料も、分量も分からないだろう。
「くっ…
しかしあのスープは、本当に旨かったんだ」
「そうでしょうな
一国の王子がこんなにまで奔走するぐらいです
さぞかし旨かったんでしょうな」
「ああ
それに香辛料が効いた香りに、甘い匂いが混ざっていて、匂いだけでも旨そうだったんだ」
「それは是非とも、再現してみたくなりますな」
「ああ」
ギルバートはガックリと項垂れると、悔しそうに拳を打ち付けた。
「王宮の調理人なら、簡単に再現出来るものと思っていた」
「はははは
いくら調理人が優秀でも、それはさすがに無理でしょう」
ドニスはそう答えたが、ギルバートがあまりに落ち込んでいたので困っていた。
どうした物かと思いながら、先ほどの話を後で料理長に相談しようと思った。
再現は無理にしても、似た様な料理が出来るかも知れない。
それで王子が納得してくれれば良いのだが…。
そう思うのだった。
「さあ、殿下
昼食は食べられたのですか?」
「え?」
「先ほどの話では、スープを味見しただけですよね」
「ああ」
言われてギルバートは、改めて自分が空腹だと思い出した。
それだけスープの匂いと味が、意識を奪っていたのだ。
「そうだな
昼食は取っていないんだ」
「それならば、すぐに用意させましょう」
「良いのか?」
「ええ
彼等はその為に働いていますので」
ドニスはそう言いながら、ギルバートを食堂に案内した。
「少しだけお待ちください
すぐに用意させますので」
「すまない」
ドニスは厨房に回ると、すぐに用意できる物を出す様に頼んだ。
そして料理長を呼ぶと、先ほどの話を伝えた。
「何だって?
殿下がそんな物を?」
「ええ
偶然立ち寄ったそうですが、どうやらとても旨そうな匂いがしていたとか」
「うーん
確かにそんな料理があると、昔聞いた事はある」
「おお
それでは…」
「しかし伝聞だけだぞ
肝心のレシピが無い」
「ああ…
そこなんだよな」
ドニスも料理長も、そこが問題になっていた。
「殿下は他には聞いていないのか?」
「そうだな
こういう話は聞いていらしたが」
「どんな事だ」
「クズ肉とキャベツなどの端材を煮込んでいたと
それと甘い匂いと香辛料の匂いが旨そうだったと」
「甘い匂いか
それはキャベツで間違い無いだろう
しかし他の野菜が分からねえな」
「ああ
だから考えられるのは、王都でもよく作られるスープが元なんだろう」
「スープか
そうなると…
芋に人参、玉ねぎも必要かな?
後は何だ?」
料理長はブツブツと独り言を言い始めた。
どうやら思い当たる食材を考えている様子で、それを羊皮紙に書き殴っていく。
「どうだ?
何とかなりそうか?」
「黙ってろ」
料理長は乱暴に言うと、一心にメモを書き続けた。
一段落着いたところで、ドニスに向かって頷いてみせた。
「確約は出来ないが、色々試してみる
出来上がったら殿下に提供するので良いか?」
「そうだな
よろしく頼む」
「ああ
任せておけ」
料理長はそう言うと、ニヤリと笑ってみせた。
正直なところ、レシピが分からないので雲を掴む様な事だ。
しかし料理に関しては、料理長が一番の腕利きだ。
その名に恥じない為にも、未知の料理に挑もうと燃えていた。
「後は出来上がった物が、殿下が満足出来る物であるかだな」
ドニスは上手く行く事を祈って、厨房を後にした。
食堂に戻ると、ギルバートはパンとサラダを食べていた。
時間が時間だったので、肉の乗ったサラダとパンしか用意が無かった。
しかしギルバートは、タレの乗ったサラダを、パンに乗せて食べていた。
「殿下
あまり上品な食べ方ではございませんよ」
「そうは言ってもな、これはこれで旨いぞ」
「そうでしょうが…」
「タレの付いた肉を、野菜と共にパンで食べる
これが戦場で出来れば楽なのにな」
「それは難しいでしょう」
「そうかな?
野菜は難しいけど、肉は魔物なら手に入るし、パンは携行するだろ?」
「そうですが、どうやって食べるんですか?」
そう言われて、ギルバートは少し考えた。
「パンに乗せる方法があればなあ…」
「そうですね
しかしそれは難しいでしょう
厳しい戦場では、おいそれと食事をする暇もございませんですし」
「何とかならないかなあ…」
ギルバートはその後も、何とか簡単に食べる方法が無いか考えていた。
そうこうするうちに、すっかりサラダも食べ終わっていた。
「ごちそうさま
旨かったよ」
「料理長に伝えておきます」
「ああ
頼んだよ」
ギルバートは食事を終えて、一息つく為にお茶を頼んだ。
それを飲みながら、先ほどの話に戻っていた。
「私が昼のスープに拘ったのも、実は戦場の食事の事があるんだ」
「と申しますと?」
ギルバートは少し考えてから、言葉を続けた。
「戦場では忙しいし、食事の素材も乏しくなる
そうした時に、旨い食事の材料があればどうする?」
「それは兵士も喜ぶでしょうな」
「ああ
そうすれば士気も上がるし、兵士も頑張れると思うんだ」
「そうですね
美味しい食事は生きる活力になります
それは兵士でも同じでしょうな」
「ああ」
ドニスはこの言葉もメモして、後で料理長に報告した。
この事が原因となって、料理長は新しい料理の開発に掛かり切りになった。
スープもだが、戦場で楽に食べる食事というのにも興味が湧いたのだ。
「殿下のご希望に添えるかどうかは分からんが、食事となればワシ等の領分じゃ
きっと満足出来る物を作るぞ」
「おお…」
料理長は気合も入っていたが、その他の料理人は呆れていた。
斯くて料理長は、暫くの間寝る間も惜しんで開発に取り掛かった。
いずれは新しい料理が作られる事になるのだが、当分は先の事である。
ギルバートは一心地着いた後に、する事も無いので職工ギルドに向かった。
アブラサスがどうなったのかが気になったからだ。
職工ギルドに向かうと、入り口に隊商の馬車が停まっていた。
「納品か?」
「殿下」
入り口でアブラサスとギルドマスターが話し合っていた。
横には商人ギルドのギルドマスターも来ていて、商品の代金を換算していた。
「殿下のおかげで、無事に商品を卸せました
ありがとうございました」
「がはははは
ワシ等も大量の素材が入荷出来ましたぜ
これから頑張って加工しますぜ」
職工ギルドのギルドマスターは、太い腕に力瘤を作って喜んでいた。
「良かった
無事に話は着いたんだな」
「良く無いですよ
私はこれから計算して、宰相殿に報告しなければなりません
しかし額が相当な物で、今から胃が痛いですよ」
商人ギルドのギルドマスターは、青い顔をしていた。
金額が想像以上に膨らんだので、何とか経費を押さえようとしていた。
しかし納品が済むまでは、代金は王宮からは支払われない。
それまでは商人ギルドが肩代わりする事になるのだ。
「がはははは
まあ、ちゃっちゃと仕上げるからよ
それまでは我慢しろや」
「早く納品してくださいよ
それまで大きな取引が出来ませんよ」
職工ギルドのギルドマスターは簡単そうに言っているが、時間は掛かるだろう。
それまでは、商人ギルドでは辛い日々になりそうだった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。




