第207話
ダガー将軍が帰還してから1月が経つ頃、王都には初雪が降り始めた
季節は冬に入り、11の月も中ごろに入っていた
王都には例年雪は降るが、積もる程では無かった
しかし竜の背骨山脈には積もるし、ダーナでは川も凍る日があった
ギルバートは少しずつ寒くなる街並みを抜けて、今日も兵舎に向かっていた
寒くなっても訓練は続けられる
いつ魔物が現れるか分からないからだ
ここ数日もゴブリンが現れて、農村部で畑を荒らしていた
彼等も冬を前にして、食糧の収集に苦心していたのだ
そんな報告の中に、不穏な物も含まれていた
どうやら竜の背骨山脈を避けて、北の方から魔物が南下しているという情報があった
「殿下
今日も基礎訓練ですか?」
「そうですね
基礎はしっかりとする必要があります
身体強化が使えない時には、基礎の体力が物を言います」
「そうですか
分かりました」
アラン隊長は兵士を集めると、走り込みから始めた。
兵士達が走っている間に、アランは気になる事を質問してきた。
「殿下は魔物の南下の話は聞きましたか?」
「竜の背骨山脈を避けて、北の海岸線から向かって来ているという話ですか?」
「ええ
王都にはまだ遠いのですが、どうやら交易に来た隊商から報告が上がったみたいです
ダガー将軍も気にされていて、南は一旦置いておいて、北に進軍するとも言っていました」
「北に向かうんですか?」
「ええ
どうやらゴブリンでは無い様ですので」
ゴブリンで無いと聞いて、ギルバートは真剣な顔をした。
「その魔物の特徴は?」
「それが詳細は…
ただ身長は2mぐらいだそうで、オーガでは無さそうです」
「そうですか…」
確かに2mぐらいなら、オーガでは無さそうだ。
トロールも3m近くなので、考えられるのはオークであろう。
しかし特徴が分からないと言うのが気になった。
「どうして分からないのでしょうか?」
「そうですね
聞いた話では、姿を見た者が居ないという事です」
「姿を見ていない?
それなら何故、魔物だと分かったんです?」
「それは見た者が、みな死にかけていたからです
無事な者が居なくて、魔物に襲われてとしか証言が残されていない
それが魔物を謎にさせています」
「なるほど
では、確実に魔物であるとは限らないんですね」
「それは…
ですが同行の冒険者もやられています
冒険者が野盗に簡単に負けるでしょうか?」
「そうですね…」
アランの言い分は尤もだった。
冒険者ぐらいになれば、相手が野盗であったら簡単には負けないだろう。
隊商を護衛するぐらいだ、それなりの腕を持っている筈だ。
それが魔物を見たと言えば、信用のある証言になるだろう。
冬が近付くにつれて、隊商の数も少なくなる。
そうすれば襲われ易くなるし、最悪通行止めにするしか無い。
そうすれば、暫くは交易が滞る事になる。
王都としては早目に対処したい事だろう。
「将軍が出る事で、早目に解決すれば良いのだが」
それが楽観的な事であると分かっているのだが、ギルバートは呟いていた。
北に魔物が現れているという情報は、アーネストも聞いていた。
魔術師ギルドに赴いた際に、ギルドマスターから聞いたのだ。
その上で、魔物がどの様な物なのか相談をされていた。
サラディン魔術師ギルド長はサティの愛称で呼ばれていた。
それは彼が、髭が生えにくくて童顔であったからだ。
今日もサティギルドマスターは、魔術師ギルドで忙しく走っていた。
小柄な身体が災いして、小走りで走らないと時間が掛かるからだ。
「サティさん
アーネストさんが見えられましたよ」
「はい
応接室にお通しください」
およそ威厳に満ちたギルドマスターに見えない、小柄な身体で走り回っている。
そうして方々から、相談の声を聞いて回っていた。
「ふう、ふう…」
「大丈夫ですか?」」
「ええ
魔物の事で忙しいですからね」
そう答えながらも、彼は浮かない顔をしていた。
魔物の正体が分からない以上、腕利きの魔術師の同行を求められていた。
しかし腕利きの魔術師が、先の将軍の進軍の折に行方不明になっていた。
他に適任者が居なくて、サティも頭を悩ませていた。
「ベルンハルトが無事なら、彼に向かってもらったんですが」
「そうですね
今のギルドには、魔物と戦える魔術師は居ませんからね」
ベルンハルトは使い魔以外にも、多少の攻撃用の魔法を覚えていた。
その為に将軍に同行する事となったのに、行方不明になったのだ。
恐らくは命を落としているだろうと考えられていた。
そう思えば、迂闊に魔術師は出せなかった。
「彼と同等の魔術師となれば、もう私ぐらいしか居ません
しかし私がここを離れるわけには…」
「止めてください
あなた以外にギルドを纏めれる者は居ませんよ」
アーネストに宥められて、サティも大人しく頷く。
「せめてベテラン達が、もう少し使える様になっていれば…」
サティよりも年上の、ベテランの魔術師も何名か居る。
しかし攻撃魔法を使えなかったり、使い魔を飛ばせなかったりして使えない。
そんな彼等を送り出すのは、リスクが高過ぎた。
「ボクが出れれば良いんですが…」
「それこそ駄目ですよ
陛下に叱られます」
サティはそう言っていたが、一番の理由は他にあった。
アーネストの魔力や使える魔法の数を考えれば、王都の防衛に残って欲しいからだ。
北から来る魔物が何なのかは分からない。
しかしそれが、強力な魔物であった場合には、王都を守る魔術師が必要になる。
兵士や騎士だけでは、魔物に対してはまだ不十分だからだ。
「アーネスト殿が居なければ、いざという時の守りの要が居ません」
「ヘイゼル様がいらっしゃるでしょう?」
「いいえ
ヘイゼル様も寄る年波に負けています
今では大規模な魔法は使えません」
確かに宮廷魔術師のヘイゼル老師が居るが、彼も年齢が68歳と年老いている。
大規模な魔法を使うには、既に体力がもたなかった。
「今の宮廷魔術師は、あなたしか居ないんですよ」
サティはそう言って、アーネストに自重する様に言った。
「分かりましたよ」
アーネストも出たく無かったのか、素直にそれを聞いた。
「しかし、一体どんな魔物が出たのか…」
「分かっているのは、繁みの向こうに消えた影ですね」
「確か2mぐらいだったとか?」
「ええ
正確な姿は見られていませんが、その様に報告を受けています」
2mほどと聞いて、思い当たるのはオークである。
オークならば、2mぐらいの個体が居ても不思議では無かった。
しかしオークであれば、特徴的な豚の頭をしている。
いくら虫の息だったとしても、冒険者達がその特徴を言い残さないのは不思議であった。
「オーク…
では無いでしょうね」
「そうなんですか?」
「ええ
オークであったのなら、豚の魔物とか言い残すでしょう」
「うーん
確かに…」
サティもそう聞けば、納得するしか無かった。
冒険者達は、どうして魔物としかいい残さなかったのか。
それともそれだけしか言い残す力が残っていなかったのか。
それは当人達しか分からない事であった。
「兎に角、強力な魔物が徘徊している可能性があります
魔術師ギルドでも、魔物に対抗する魔術師を早急に育てる必要があります」
「そうですね
討伐隊に同行する魔術師を要望されています
何とかなりませんかねえ」
サティが困っているので、アーネストも何とかしてあげたかった。
しかし呪文の覚書を渡しても、肝心の魔力が不足している。
今のギルドの魔術師では、精々マジックアローやマジック・ボルトが限度だった。
「ファイヤーボールやアース・バインドぐらい使えれば良いんですが
呪文を覚えても使えないでしょう?」
「そうですね
急に魔力を上げろと言われても無理でしょう
少しずつ訓練するしかありませんね」
結局、魔力を上げるには限界まで魔法を使うしか無かった。
そうして魔力枯渇にして、自然回復するしか無いのだ。
「魔力量を上げる秘訣を、もっと早く知っていれば…」
ダーナの魔術師ギルドから、魔力量に関しては情報が送られていた。
しかし肝心の情報は、途中で何者かに止められていたのだ。
この事はアーネストが、竜の背骨山脈を越えるまで知らなかったのだ。
麓のボルやノフカのギルドで聞いて、初めて確認が取れたのだ。
「何者が止めたのかは知りませんが、使い魔が消えていますからね」
「そうなんですよね
偽の返信を送っていた辺り、それなりの魔術師が介入している筈なんですが
こちらでも情報がありませんので…」
アルノーという男は、使い魔では無くフクロウを使っていた。
そう考えると、彼が所属していた組織と、使い魔を消した組織が同一かは分からない。
しかし少なくとも、一つの組織が動いている事は明らかであった。
問題はその組織が、どこの国の所属で、何を目的としているかだ。
「せめてもう少し、情報が残っていれば…」
「仕方が無いですよ
我々が気付いたのも、将軍が帰還して報告してからですから」
その間にベルンハルトの痕跡は消されていて、彼の住居も荒らされていた。
そこに何かの痕跡が残っていれば良かったのだが、何も見つからなかったのだ。
「今は兎に角、魔物の対策に集中しましょう
魔力を上げなくては、王都の防衛にもなりません」
「そうですね
引き続き指導をお願いします」
サティに頭を下げられて、アーネストは魔術師達が訓練している場所に向かった。
それはギルドの隣にある、冒険者ギルドの訓練場であった。
冒険者達も訓練をしていたが、その一角を借りて訓練をしていたのだ。
魔法を放つ訓練もしていたので、どうしても広い場所が必要なのだ。
魔術師ギルドには、常時待機している魔術師が100名以上居る。
しかし攻撃魔法を使える魔術師となると、僅か数名しか居なかった。
それ以外の魔術師は、こうして訓練場で練習をしていた。
たかだかマジックアローだが、的無しで唱えるのは危険だからだ。
そうして唱えて放っては、魔力が回復するまで休む。
回復したらまた呪文を唱えて、魔法を放つと繰り返すのだ。
一見効率の悪い訓練だが、基礎魔力量が少ないので仕方が無かった。
何度も魔力枯渇になる事で、少しずつだが魔力量が増えていく。
また、何度も魔法を使う事で、呪文を覚えるし、魔法の精度も上がってくる。
地味な訓練ではあるが、確実に成果が上がるのだ。
中には魔力量で実感できるほど上がった者もいて、それを見て熱心に励む者も居た。
しかし大多数の魔術師は、地味な訓練に飽き飽きしていた。
実力が伴わないのに、もっと派手な魔法が使いたいと思っているのだ。
「アーネストさん
オレ達もう、ファイヤーボールぐらい打てるでしょう?」
「まだ無理だろう」
「そんな事は無いだろう
こうしてマジックアローも何回も打てているんだ
十分だろう」
今日もこうして、他の派手な魔法を使わせてくれと言って来る。
しかしまともに使えた試しが無いのだ。
「はあ…
それなら、これを使えますか?」
アーネストはファイヤーボールの呪文が書かれたメモを渡す。
こうして渡すのも何日目だろうか覚えていない。
しかし一度も成功した事は無く、毎回メモは破棄している。
「こんな物ぐらい
ええっと…
我は火の精霊に願い、この…」
男は呪文を見ながら魔力を掌に集める。
意識して魔力を集めるが、すぐに魔力は枯渇して、足元がふらふらし始める。
「う…」
「だらしがねえな
次はオレだ」
次の男がメモを奪い取り、同じ様に呪文を唱え始める。
本来はもっと簡略化出来るのだが、魔力が少なく集中出来ないので、男達はすぐに魔力切れを起こす。
中には火球を形成するところまで出来る者も居たが、いざ飛ばす段になって魔力切れで消えてしまっていた。
「ぜえ、ぜえ」
「はあ、はあ」
「どうです?
まだまだ無理でしょう?」
「そんな、事は…」
「こんな、筈じゃあ…」
「良いですか?
魔力があればこんな事も出来ます」
アーネストは見本として、彼等の練習していたマジックアローを唱える。
「魔力よ、我が腕に宿りて悪しき者を打ち砕く矢となれ」
アーネストの周りに数十もの魔力の矢が現れる。
「え?」
「ええ!!」
「マジックアロー」
アーネストが掌を突き出して、魔法の矢が一気に飛び出した。
そしてその魔法の矢は、魔術師達を避けて飛んで行く。
さらに飛んで行った矢は、向こうで訓練をしていた冒険者達を避ける様に飛ぶと、その向こうにある的へと吸い込まれる様に当たった。
ズガガガガ…!
「す、すげえ…」
「あんな事も出来るのか」
「魔力もですが、集中して放てば、意思で曲げる事も出来ます」
アーネストは飛ばす時に、魔術師達や冒険者達を避ける様に意識して放っていた。
結果として見事に飛ばせたが、これは熟練した技と意思の強さが必要であった。
「ここまでしろとは言いませんが、あなた達が侮っていたマジックアローでも、使い方次第ではここまで出来ます」
しかしアーネストの説明も、彼等は話半分でしか聞いていなかった。
自分達もあそこまで出来るんだと思って、すぐに真似をしようとし始めた。
しかし上手くいくわけも無く、矢は真っ直ぐにしか飛ばなかった。
「出来ねえ…」
「そりゃあそうでしょう
すぐに出来る様なら、最初からそう教えていますよ」
アーネストの言葉に、魔術師達はガクリと項垂れた。
「見栄えの良さを羨むより、先ずは確実に打てる様にならないと
このままでは冒険者のみなさんに笑われますよ」
その言葉に、魔術師達はキッと冒険者達を睨む。
しかし冒険者達は、呆れて苦笑いを浮かべていただけだ。
毎日の様に文句を言っては、アーネストを困らせていたからだ。
「くそっ
オレ達も早く活躍してえ」
「しかしマジックアローでは、魔物を倒せねえだろ」
「そんな事はありませんよ
要は使い方です」
アーネストは3本だけマジックアローを出すと、それを的の頭に集中させた。
ズガガガ!
「この様に頭を狙えれば、少々の魔物なら一撃です」
「凄え…」
「さあ
分かったらもう一度最初から」
「はい」
こうして魔術師達は、今日もマジックアローで的当てをしていた。
それが実を結ぶのはまだまだ先の事であった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。




