第2話
其れは未だ眠りに就いていた
目覚めるには時期早々であったのだろう
彼の者達に与うる試練であれば
あの者達で十分であろうと
いい苗床になる筈だと
そうしてニンマリと微笑むと
其れは再び微睡み始めていた
ノルドの森
近郊のノルド第二砦にて
その砦は小規模で、外周は300ⅿに渡って、高さ2ⅿの城壁に囲まれている
中には2階建ての兵舎が数軒と訓練場があり、小さな畑も作られていた
集落に向かった兵士達はここから来ていた
その報せが届いたのは、夕刻に迫る4時を過ぎた頃であった。
隊長は残る駐留部隊に警備を任せ、非番の兵士に早馬を頼んだ。
非番の兵士は不満を言っていたが、信頼する隊長の頼みである。
この事が砦の危機に繋がるかも知れない急務と言われたので、渋々と引き受けていた。
渋々とは言ったが、隊長から秘蔵の一杯を出すと言われると嬉々として出て行ったのだ。
その姿を見た同僚達は、現金な同僚に呆れていた。
一応領主には、この度の異変は調査中として報告してある。
また、念のために2部隊を送って下さいとも書かれていた。
何もなければ良いのだが、件の兵士はまだ帰って来ない。
確認に向かった部隊の報告も、まだ上がっていなかった。
そうした理由もあって、隊長はヤキモキしながら兵士達の報告を待っていた。
その後部隊は、待ち伏せを警戒してた為に神経をすり減らして帰って来た。
その様子を見た留守居隊の面々は、ひどく驚くと同時に何かがあったと緊張していた。
砦は俄かに緊張が走り、報告は例の落ち着いていた兵士と部隊長が行った。
彼は兵士としての力量は平凡で、今まで目立った功績も無かったが。
しかしその落ち着き様と冷静な判断力を、今回の事で買われていた。
隊長に報告された内容は以下であった。
集落が何者かに襲撃され、恐らく生存者が居ない事
現場の様子から、夜襲で一度に大人数で襲われ、逃げる間も無かっただろうという事
何故か死体が全て持ち去られていた事
襲撃後には素早く立ち去り、待ち伏せや見張りも居なかった事
以上の事が隊長に報告された。
「どう思う?」
隊長は副隊長に尋ねるが、副隊長も頭を捻るばかりであった。
不意の襲撃…
それも恐らくは他国の侵攻であろう
人数から察するにそこそこの大部隊である
下手をすれば、この砦ですら危ういだろう
隊長は早馬に、増援も頼んでおいて心底良かったと思っていた。
後は敵がこちらに来ても、増援が来るまで籠って耐えるのみだろう。
しかし不可解だった
何故この時期に侵攻してきたのか?
侵攻の目的もだが、どこから侵入して来たのか?
それに、死体の件も不穏で気になる
そもそも、この辺りを攻める意図が不明なのだ。
肥沃な土地があるとはいえ、現在はまだ開拓中である。
もう少し待っていれば、労せず開墾された土地として狙えるのに、何故?
わざわざ開拓を始めた場所を狙う意図は?
そもそもダーナは温暖な気候で冬も短いのだが、攻め入るとなれば陸路も険しい『竜の背骨山脈』を超えて来なければならない。
港はあるのだが、そこから他国の軍が攻め入ったという話は無いし、他の場所から上陸したとは考え難かった。
険しい岸壁や暗礁もあるし、なによりも波が激しく危険だ。
それに短いとはいえ冬になれば、さらに荒れてとてもじゃないが接岸など出来ないだろう。
やはりそうなると、陸路しかあり得ないだろう。
しかし、わざわざ険しい山脈を超えてまで、この森を取る意味があるのか?
隊長と副隊長は、喧々諤々と推論を交わしていた。
そこに報告に来ていた兵士が、おずおずと手を挙げて意見を求めた
「よろしいでしょうか?」
「うむ、どうしたのかね?」
「おい」
部隊長と副隊長が諌めようとすると、隊長が片手で制して促した。
兵士の真剣な表情に、何かあると確信を持ったからだ。
「隊長も副隊長も…
他国が攻めて来たのを想定していますよね?」
「ああ、そうだな
西か東か…いずれにせよ無謀な越境だな」
「そこなんですよ!
どうにも引っかかってて!」
隊長は驚いた顔をしていた。
「私は…ここに配属される前は…
北の国境に配属された事もあるので東からの侵攻はあり得ませんと断言出来ます」
「何故かね?」
「あの国が我が国を攻めるならば、先ずは北の国境を落とさなければ無理です
同様に、西には西の国境があります」
兵士は国境守備隊の精悍さを知っているので、無傷であれだけの規模の軍がバレずに侵攻するのはそもそもが無理だと思っていた。
その上でここを狙うメリットが、無いとも思っていた。
「では、君はどこの軍が侵攻してきたと思っているのかね?」
「いえ、国ではありません
私が…
私が懸念しているのは人間ではありません!」
「人間でない?」」
「何をばかな事を
君もあれは野生動物の仕業では無いと言っていたではないか!」
「魔物…です」
一瞬、場が静まり返り、副隊長と部隊長が声を上げて笑う。
「馬鹿な事を言うんじゃない
魔物などここ数十年、見た事が無いだろ」
「それに、結界石があるだろ?
女神の加護があるのにどうやって魔物が侵入するんだ?」
二人とも馬鹿な事を言うんじゃないと失笑する。
子供に聞かせる与太話じゃあるまいにと一笑に付していた。
だが隊長だけは、真剣な眼差しで先を促す。
「それで?」
「隊長?」
「あの…
確かに我ながら馬鹿げていると思います」
そうは言いながらも、彼は続けた。
「しかし、魔物が…
いえ魔物だからこそ死体を食料とみなして持って行った事も…
国境を越えずに来た事も頷けるんです」
「そもそも、魔物は我々人間を憎んでいます
奴らなら無慈悲に女子供も躊躇なく手に掛けるでしょう」
「それに『竜の背骨山脈』には、伝承では魔物の巣が幾つか在ると記されています」
彼の熱心な訴えを、だが二人は本気にしていなかった。
唯一隊長だけが、真剣に先を促していた。
いつしかその眼差しは、嘗て戦場で見せた様に鋭くなっている。
「隊長
失礼ながら確認させてください
もし、もしもですよ?
何らかの方法で女神の加護が破られたら…
魔物は侵入出来ると思いますか?」
「ばっ!
おまえ!それは不敬罪だぞ!!」
「なんて事を
今すぐ女神様に謝罪しろ
でないと大変な事になるぞ!」
兵士の発言に慌てる二人を制し、隊長は静かに告げる。
「残念ながら、それはあり得ない
そもそも、集落にも結界石があっただろうし、公道や森の周りにも数ヶ所置いてある
あれが在る限りは無理だろうな」
「そう…ですか…」
隊長の否定の言葉に、兵士は安堵して女神に許しを請おうと祈りの言葉を呟いていた。
しかし隊長は、続けてこうも発言する。
「その筈なんだ…がな
妙な胸騒ぎがする」
「え?」
再び場は静まり返り、冷たく重苦しい空気が漂った。
兵士も顔を引き攣らせて祈りを中断していた。
「悪いが、明日もう一度現場に向かってくれ
集落の結界石が無事か、周りの結界石に異常が無いか確認して来てくれ」
そう言うと隊長は立ち上がり、バルコニーから外に広がる森を見やる。
「俺の心配が杞憂であれば…いいのだが」
副隊長はアタフタと兵士と部隊長に指示を出す。
それから三人は、そそくさと一礼すると部屋を出た。
隊長は、先ほどはああ言ってみたものの、胸中は不安で圧し潰されそうだった。
昼前、未帰還の兵士の話を聞いた時から感じていた言い知れぬ不安があった。
嘗て戦場で感じたあの緊張感が…。
大きな戦を前にした様な、圧し潰される様な不穏な気配を感じていた。
魔物だと?
人間なら散々戦ってきた
副隊長共々、建国戦争の時にな
何度かこりゃやべえ!なんて死を覚悟した事もあった
そういえば、この緊張感はあの時の敗戦の時の緊張感に似ているな
あの時は、命からがら逃げ伸びて、多くの戦友を失いながらも辛うじて生き延びれたな…
さて…今回も…生き延びれるのか?
俺も、もういい年だ
もし、今回も生き延びれたら…士官学校の教師にでも推薦してもらうかな?
隊長は不安を紛らわす様に、壁に掛けてあった長剣を手にすると素振りを始めていた。
退出した部隊長と兵士は直ちに他の部隊の者が待つ宿舎に向かっていた。
明日の命令を伝え、準備をする為だ。
「あ、お帰りなさい
どうでしたか?」
「お前ら、直ぐに集合しろ!
明日の命令がある!」
部隊長の号令一下、すぐさま会議室に全員が集められる。
部隊長が警備隊長からの指示を伝えると、他の兵士達は報告に行った兵士を口々に攻め立てた。
「なんて事してくれたんだ!」
「お前が余計な進言をするから」
「余計な事するんじゃねえ!」
口々に捲くし立てる。
しかし部隊長が、その兵士達を一喝した。
「馬鹿もん!
お前ら、ちったあこいつを見習え!」
「そもそもお前ら、右往左往してただけだそうじゃないか!
お前等ががもっとしっかりしてれば…
後で鍛え直してやる」
兵士達はその言葉に、震え上がっていた。
「安心しろ、明日は俺も一緒に行く
現場の様子も気になるからな」
ガハハハッと笑う部隊長を見て、天を仰ぐ兵士達。
明日は最悪な日になりそうだと思っていた。
「部隊長、明日なんですが…
近場の集落も確認しますか?」
「ばっ!」
「お前な…」
「止せ!」
例の兵士の進言に、他の兵士達が色めき立った。
「あー…うん
一先ずは伝令を飛ばすだけだな
勿論、被害が出ていれば行くが、先ずは無事か確認が先だな」
兵士一同は胸を撫で下ろす。
取り敢えずは余計な仕事が増える事態は回避出来たと安堵していた。
その様子を見た部隊長はニヤリと笑った。
「どうやらまだ、扱きが足りん様じゃのう?」
ニヤリと笑いながら部隊長は呟くと、慌てふためく兵士達を見やり満足げに頷いた。
「明日は早い!
さっさと休んでおけ!」
「はい」
部隊長はそのまま、会議室を後にした。
部隊長が居なくなったのを確かめると、兵士達は余計な進言をした兵士を小突いていた。
もちろん本気ではないが、散々小突いたらもう一度警備隊長との話を聞いた。
魔物に関しては、正直信じられなかった。
しかし信じられないけど言われてみれば、なるほどと納得が出来る。
だが、実際に戦いたくは無いので、信じたくないと思っていた。
それは勿論、言い出しっぺの兵士だって戦いたくは無かった。
誰だって魔物は、恐ろしい存在だったのだ。
魔物
この世界には人間とは異なる容姿をした亜人と呼ばれる種族が存在する
それ以外にも人間や亜人とも異なる、魔物、妖魔、魔族と呼ばれる生き物も存在している
存在すると言っても、殆どの人はその姿を見た事が無かった
帝国が生まれる前、女神教もまだ大きく力を持たない頃には普通にあちこちで見掛けたらしい
魔物の被害に悩まされた人々が女神様に祈りお願いた。
女神様の加護を受けた結界を発生する石を授かってからは、それらの姿は見掛けられ無くなっていた
伝承によれば
曰く、魔物共は女神様が、最初に生み出した生き物達だったらしい
しかし、女神様を信仰しなかったその生き物達は、女神様の言いつけに背き好き勝手に生きていた
業を煮やした女神様は、一度はその生き物達を地上から追いやり、新たに人間と亜人を生み出した
しかし人間も亜人も女神様に背き、矢張り好き勝手に暮らしたそうだ
怒れる女神様は魔物を地上へ解き放ち、斯くして人間も亜人も滅ぼされそうになったという事だった
一説では人間は、亜人を奴隷として扱っていた
それに反抗した亜人達との間では、永く争いが続いたのだが、それが原因だとも言われている
人間の亜人差別はその頃からのもので、亜人は今でも人間を憎み、信用していないという
人間はその行いを深く反省し、やがて女神様を奉る宗教が生まれて広まった
そうして、反省した女神様の信徒を護る為に、結界石の作り方が授けられたという話なのだ
だから魔物は結界の中には入れない
人間を滅ぼす為の存在なので、守られるべき人間には手を出せないのだ
やがて人間の領土が拡がると、結界に阻まれた魔物達は山奥や海に移り住んだという
これは噂だが、女神教を弾圧した帝国は、女神様の加護を失った為に弱体化したとか。
帝国崩壊の折には、帝国領のあちこちで魔物が暴れているのが目撃されたという話もある。
だから女神様に不敬を働くと、加護を失って大変な事になると恐れられている。
まあ、そういう考えも不敬な気がするのだが。
そうした訳で、『竜の背骨山脈』にも魔物の巣があるという言い伝えがある。
山に住むのは小鬼のゴブリンと犬の獣人の成り損ねのコボルトが住むとされる。
巨大な人間のジャイアントや大鬼のオーガが居たという記録もある。
それが本当かは分からないが、少なくとも危険な生き物が住んでいる痕跡はあった。
そしてその生き物は、結界に阻まれて侵入出来ない筈だった。
兵士達は準備をしながら、雑談をしていた。
「隣の爺さんの話じゃ、昔は夜な夜なゴブリンが山から降りて来ては、娘御を攫って行ったんだ」
「うちの爺様の話では、身の丈2mのコボルトが現れては畑が荒らされていたって」
等といった噂話をしていた。
どれも人から聞いたか、又聞きばかりで信用出来なかった。
しかし集落を襲ったのは、少なくとも野盗や山賊ではない事は確かだった。
むしろその昔話の魔物が本物なら、自分達が襲われたらどうなるかと不安が増すばかりだった。
もし、現れた魔物が小鬼や獣人なら?
少ない数なら何とかなるのか?
巨人だったら…何人居ようが敵わないのではないだろうか?
巨人の手に捕まり、手足を葉を毟る様に引き千切られたり、大きな口で頭からバリバリと食われる
想像しただけで生きた心地がしなかった
「巨人だったら、俺達だけでは敵わないよな?」
「いや、むしろお前は真っ先に食われてるだろ?」
「魔導士様に来てもらわないとどうにもならんだろ?」
人間や一部の亜人には魔法を使える者も居る。
魔法使いとか魔導士と呼ばれる者達だ。
魔法使いは火の玉や、魔力の礫を飛ばす魔法等を使える。
更に修行して、もっと強力な術を使えるようになった者は、魔導士様と呼ばれて尊敬されていた。
魔導士ともなれば、国で召し抱えられたり、軍や王宮の警護等を担う事もあるだろう。
巨人ともなれば、魔法使いでも荷が重いだろう。
ましてや集落や砦の雑用程度の魔法使いでは、あっという間に捕まって餌食にされるだろう。
「オレ…
婆さまの知り合いの魔法使い様にお願いして、3本だけ炎の出る矢を作ってもらてるんだぜ」
「ばーか、3本だけじゃ意味ないだろ」
「どうせブルって外して無くすって」
そんな他愛も無い話をするのも、化け物みたいな魔物に出会うのが怖いからだった。
「アルフって魔法を一杯使えるって話じゃん
それに男も女も見目麗しいとか…
ああ、オレの嫁さんになってくれんかなあ?」
「おま!
くくっ、お前の顔じゃあ…」
「手前!
オレの顔がなんだって?」
「まあまあ
どうせアルフは人間を嫌ってるし、相手にしてくれないって」
「むしろ魔物共々射掛けられるだろ」
などと馬鹿げた話もしていた。
耳長とも呼ばれるエルフは、見た目も美しい亜人だったのでよく奴隷として狙われていた。
彼等の様な地方に伝わる伝承では、その名前もアルフと読み間違って伝わっていた。
長命種故に種の繁殖本能が薄く、少子でもあったので一時は絶滅しかけたとも言われていた。
精霊と対話する能力を持つ者も多く、それ故に魔法を扱う技能にも優れているらしい。
エルフは細身で華奢な者が多く、人間の様な大きな武器は持てなかった。
その代わりに細剣で素早い動きを生かした戦いや、弓や魔法といった遠距離攻撃を得意としていた。
彼らの扱う魔法は強力な物が多く、彼らが居てくれれば大いに手助けになっただろう。
だが、彼らは人間を憎んでいた。
同胞の多くを奴隷として捕らえられ、慰み者として扱われた挙句に殺されていたからだ。
だから偶然見掛けても、問答無用で矢を射掛けられる事になる。
まあこれは、彼等からすれば当然の反応だっただろう。
兵士達は準備が終わると、早々に床に就いていた。
明日も任務があるので、不安を酒で紛らわす事も出来なかったのだ。
出来得る限りですが、1日に1話は投下していきたいと思います
先ずは今日の分です
少しづつ改稿しています
その分長くなりそうです




