第175話
みなが落ち着くまで、暫くの間ギルバートは狼狽えていた
ジェニファーやフィオーナはどちらかと言えば気が強く、そんなに泣く事が無かったからだ
それに三人が家族という実感が、未だに持てないのも理由だろう
確かに国王や王妃には、何かしらの感情が生まれていた
しかしアルベルトを父と呼ぶ時間が長かったので、二人を親と呼ぶにはまだ抵抗があった
エカテリーナがメイドに支えられて、執務室を出て行った
それから少しすると、マリアンヌもようやく落ち着きを取り戻した
マリアンヌが泣き止んだのを見て、国王は安堵の溜息を吐く
国王と言っても人の子の親だ
娘が泣いていては、心配で気も動転するのだろう
「すいません
私としたことが…」
マリアンヌが涙を拭き、ようやく立ち上がる。
メイドから受け取ったハンカチで顔を拭き、再び気丈に笑顔を浮かべた。
それを見て、ギルバートは胸が痛むのを感じていた。
「それで…
高等部の事でしたわね」
「え?
ああ…」
「お兄様は領地経営を学びたいの?」
「え?
そりゃあ貴族であるのなら…」
「いや
お前は王太子じゃぞ」
「え?」
「王太子であれば次期にこの国を治める事となる
当然じゃろう?」
「それは…」
「国益を考えるに当たって、経営学を学ぶ必要もあろう
しかし、真に学ぶべきは国の運営管理である
国家運営学を学ぶ事になる筈じゃ」
「うえ…」
国王の言葉に、ギルバートは驚きを隠せなかった。
経営学というものですら面倒臭そうなのに、その上の国家運営学を学ぶと言うのだ。
しかもそれは、一部の有能な貴族が学ぶと聞いていた。
アーネストでも苦労していて、学校で受けられるか微妙だと言っていた。
「あの…
その国家運営学って…」
「うん?
ああ、サルザートが詳しいぞ」
「陛下」
「ワシは習っとらんでな
詳しく教える事は出来ん」
「それは貴方様が、勉強が嫌だと言って逃げていたからでしょう」
「はははは」
「笑って誤魔化さないでください」
「あのう…
陛下は国家運営学は学ばなかったんです?」
「ああ」
「それなら私も…」
「無理じゃな」
「ですな」
ギルバートは何とか逃げようとするが、国王も宰相も逃がす気は無かった。
「しかし陛下は…」
「ハルバート様は特別です
帝国の侵攻が無ければ、そのままクリサリス公爵のままでしたからね」
「では…」
「その分、国王になられてから実地で学ばれました
ギルバート様もそれをお望みですか?」
サルザートはそう言うと、怖い笑みを浮かべてギルバートを見た。
「ひ、ひい」
「ふはははは
ワシは国政の才は無かったでな
ほとんどは宰相に丸投げじゃった
お蔭でそれを見ながら学べたがな」
「そのせいで前任の宰相がどれほど胃を痛めたか」
ハルバートの高笑いを見て、サルザートは忌々しそうに歯軋りをする。
「そもそも陛下がしっかりと国政に掛かっていらっしゃれば、ガモンの様な者が台頭する事は無かったんですよ
その辺は反省しておりますか?」
「いやあ、すまん
ワシもその件は油断しておった」
国王と宰相の会話を聞きながら、ギルバートは覚悟を決めれないでいた。
確かに王太子に選ばれた以上、国政を継ぐために多くの事を学ばなければならない。
しかし叶う事なら、そんな重責からは逃れたかった。
「どうしても…
学ばなければなりませんか?」
「そうじゃなあ
すぐにとは言わんが、ワシやサルザートが元気な内に、引継ぎはしておきたいかのう」
国王はギルバートの気持ちを察して、寂しそうに微笑んだ。
考えてみれば、つい少し前まではダーナを継ぐつもりでいたのだろう。
それがいきなり王都に呼ばれて、王太子になれと言うのだ。
大きな責任を感じて、逃げ出したくもなるだろう。
そこで国王は、昔を語り始めた。
「ワシがお前ぐらいの頃
ワシもここクリサリスの領主を目指しておった」
「陛下?」
「当時はまだ、帝国も滅亡の危機を抱えて燻っておった
そこでワシ等は…
アルベルトとワシは貴族の学校に通っておった」
「私はまだ産まれていませんでしたから
そこは両親から聞かされた話しか知りません」
サルザートが頷き、国王の話に相槌を打つ。
「ワシは領主を目指しておってな、そこでバルトフェルドにも出会った
あ奴は騎士を目指しておる若者で、当時はまだ無名であった」
「帝国がクリサリスを狙って侵攻して来たのはそんな時じゃった」
「帝国はクリサリスというよりは、港を持つダーナを狙っておりました
そこでダーナの領主は、ドワーフに頼み込んで堅牢な城壁を建造した」
「ドワーフ…」
「そう、ドワーフじゃ
当時はまだドワーフも残っておってな
彼等は帝国に負けない堅牢な城壁を作れるかと言われて、見事な城壁を作り上げた」
「彼等は鍛冶や石工に自信があったので、出来るわけが無いと言われたらムキになって作ったそうです
それがドワーフという者達の性なんでしょうね」
「この王都の城塞も、彼等の作品じゃ」
「へえ…」
ギルバートは改めて場内の壁を見て、それが見事な加工技術で作られていると思った。
ドワーフは腕に自信がある分、出来ないだろうと言われる事に我慢が出来なかった。
そして酒を振舞ってお願いされると、断れない性格でもあった。
「あれ?
それにしても、そのドワーフの姿が…」
「帝国のせいじゃ」
「彼等は帝国の政策に反発して、我々に協力をしてくれました
しかしそれに激昂した帝国軍は、ドワーフの集落を焼き討ちしたんです
残された遺族達は悲しみ、人里から離れて行きました」
「そんな…」
「クリサリスの歴史を学べば、この話は習う筈なんですが…」
「あ…」
宰相の言葉に、ギルバートはしまったという顔をする。
歴史や算術は苦手でよく逃げ出していたのだ。
「まあ良い
それも中等部で学べば良いだろう」
国王にそう言われて、ギルバートはホッとした顔をした。
「兎も角、帝国が攻めて来た以上、ワシ等も戦わねばならなかった
じゃからワシもアルベルトも、学校を中退して戦場に向かった
そうして帝国に打ち勝って、ワシ等はクリサリス王国を建国した」
「そこは知っております」
「うむ
当事者のアルベルトも居たからのう
知っておらんと困るのだが?」
「あ…はははは」
「まあ、そんなわけで
ワシ等は学校で学ぶ機会を得られなんだ
じゃからお前には、折角の機会があるのじゃ
しっかりと学んで欲しい」
「そうですよ
でないとギルバート様が即位された時に、隣に立つ宰相が苦労されます」
そう言われると、ギルバートも拒否は出来なくなる。
サルザートがあれだけ苦労していると言っているのだ。
自分の補佐をするであろう宰相に、同じ愚痴を言わせるのは可哀そうだと思った。
「分かりました」
「おお、では…」
「私がどこまで出来るのか分かりませんが、善処してみます」
「うむ
頼んだぞ」
国王がそう言った時、隣に立っていたマリアンヌがクスリと笑った。
「それにしても
お父様が勉強嫌いでしたなんて
ふふふふ」
「あ
これ!」
国王が慌てる。
それを見てサルザートやギルバートまで笑った。
「そうですな
私も困っていまして…ぷっ」
「陛下も勉強には勝てなかったんですね」
ハルバートは顔を赤くすると、照れてそっぽを向いた。
そうして和やかな雰囲気になっているところへ、廊下を走る足音が聞こえた。
「伝令!
伝令!!」
「何事じゃ?」
「どうしたと言うのだ」
「伝令です
はあはあ」
兵士は息を切らせながら執務室に駆け込んだ。
「ダガー将軍より、急ぎの伝令が届きました」
「何?」
「将軍から?」
「はい」
兵士は丸めた羊皮紙を差し出し、宰相に手渡した。
宰相は急ぎ目を通して、内容を吟味した。
その隣で国王とギルバートは、伝令が届いた事に驚いていた。
「確か魔術師は明日に到着の予定でしたよね」
「うむ
その手筈であった筈じゃ」
「それが魔術師ギルドと冒険者ギルドが協力して、馬車を乗り継いで到着した模様です」
兵士の報告を聞いて、随分と無茶をしたと思っていた。
確かに馬車を乗り潰すつもりで、乗り継いで行けば早く着くだろう。
しかし無理をすれば、それだけ魔術師に負担が掛かる。
その魔術師は無事なのだろうか?
宰相が書面を読み終わると、ハルバートにそれを手渡した。
「どうやらボルの町の南西に、ゴブリンの群れが現れた模様です」
「ふむ
魔物はゴブリンか」
魔物がゴブリンと聞いて、国王もギルバートも安心していた。
しかし宰相は、暗い顔をして続けた。
「しかしその数が多くて…」
「何じゃと?」
「凡そ1000匹ほどの群れだそうです」
「1000匹じゃと?」
「そんなに多数のゴブリンが、どこからやって来たんだ」
「問題はどこから来たかよりも、どうするかです」
「そうじゃな
どこから来たにしても、それは後で考えるべき事じゃ
今は如何な将軍とはいえ、1000匹ものゴブリンでは苦戦しておるという事じゃ」
「それでは応援を…」
「駄目じゃ」
「何故です?」
「送りたくとも送れないのですよ」
「しかし王都には、まだまだ騎士や兵士が…」
「それは王都を守る為の物
それまで出してしまえば、王都の守備ががら空きになる
それだけは避けねばならん」
「くっ!」
現状の王都の騎士は300名ほど残っている。
兵士も3000人以上残っているのだが、街の警備や周辺の警戒も必要なのだ。
徴兵すれば、すぐにでも数千人ぐらいの兵士は集めれる。
しかしそれを戦場に送るには、基礎的な訓練が必要になる。
それらを考えても、迂闊に兵力を送る事は出来ないのだ。
「幸いと言いますか
将軍も騎士団120名と兵士も600名を連れています
しかしゴブリンの規模が大きいのと、他にも魔物が居る事を考えれば…
竜の背骨山脈を越えるのは不可能かと」
「そうだな
周辺の町や村、集落を守る事を考えれば、その場に留まって戦うしか無いか」
国王も援軍は無理と判断して、その場で魔物の討伐に当たる様に指示を出す事にした。
書面にその指示を書き留めると、宰相に手渡した。
「では
私は早急に使い魔を手配いたします」
「うむ
頼んだぞ」
宰相が席を外したのを確認してから、マリアンヌは心配そうに呟く。
「でも、大丈夫ですの?」
「うむ
魔物と言っても最下層のゴブリン
数が多くてもダガー将軍なら、後れは取らないだろう」
「こちらに…
王都は大丈夫でしょうか?」
マリアンヌが心配そうにしていたが、ギルバートは安心させる様に言った。
「大丈夫だ
もし、王都に魔物が迫ってきたら、私が討伐してみせる」
「お兄様?」
「私はこれでも、単身でオーガやワイルド・ベアを倒して来ている
なあに、それ以上の魔物が来ても、私が倒してみせるさ」
ギルバートが力こぶを作ってみせるが、国王は心配そうに呟く。
「本当にお前が倒したのか?
確かにそう報告が上がっておるが、ワシは心配じゃぞ」
「これでもフランドール殿にも勝っているんですよ」
「そりゃあそうじゃが…
アルベルトはどういう教育をしておったんじゃ」
国王は溜息を吐きながら首を振る。
アルベルトは魔物の討伐には反対だったのだが、なんだかんだとギルバートに押し切られていた。
それを攻めるのは酷と言うものだ。
「兎も角
ボルの近郊に魔物が現れたのは確かじゃ
問題は、それがどれほどの脅威か測り兼ねるという事じゃな」
「ええ
通常ならそんなに困難では無いのですが
かなり大きな規模ですから」
国王は頷きながら、ギルバートに質問してみる。
「お前の目から見て、将軍に勝ち目はありそうか?」
「そうですね
王都の騎士の技量は分かりますが…
兵士はまだ見れていませんでして」
「そうか」
「ですが騎士の技量から考えると、騎士一人にゴブリン1匹なら問題はありません」
「うむ」
「しかし騎士でも、3匹以上に囲まれては勝てないでしょう」
「そうなると、兵士が如何にゴブリンの侵攻を押さえるか、そこが問題じゃな」
「はい」
「いくら騎士でも、ゴブリンに囲まれては一溜りもありません
ですから兵士が盾となって押さえて、騎士が攪乱して討てば何とかなるでしょう」
「それぐらいなら、ダガーも十分出来るであろう」
「はい」
「問題は…」
「ん?」
「魔物が何処から来たかです」
「ううむ」
「移動して来たのなら問題はありませんが
これが自然に増えた結果なら…」
「他でも現れる恐れがあるか」
「はい」
国王もこの想定を聞いて難しい顔をする。
「直ちに貴族に触れを出し、自領の防備を固めんとならんか?」
「恐らくは」
「分かった」
国王は文官を呼び、指示を与える。
「誰か!」
「はい」
呼ばれて文官が駆け付けて、国王が記した書面を受け取る。
「直ちにこれを清書して、各自領を持つ貴族に渡してくれ」
「全員にですか?」
「ああ
王都に居ない者には、早馬で伝令を出せ」
「はい」
文官は書面を受け取ると、直ちに部屋を出て行った。
「お前もこうした指示を出す事となる
よく見て学ぶんじゃぞ」
「はい」
ギルバートが頷くのを見て、国王は満足気に微笑んだ。
「ワシはまだ、貴族達への連絡事項がある
悪いが先に、食事は澄ませておいてくれ」
「陛下…」
「マリア
お前もエカテリーナの元へ行ってくれ
あれも心配しておるだろう」
「分かりました」
マリアンヌは礼をして部屋を出て行った。
ギルバートも逡巡したが、礼をして部屋を後にした。
ここで国王の仕事を見るのも良いが、邪魔になる可能性もある。
それよりも今は、食事を取って有事に備える必要があると思ったのだ。
まだまだ続きます。
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